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政治公約よりマクロの政治理念の検証が行われているのか?
- 政治公約とは政治理念を具現化するための戦術であり、政治理念の検証が必要である
- 最近の有権者は政治公約に重点を置いているが、政治理念の精査は行われているのか疑問
- 現在の政治論争は国家戦略に基づく政治理念が欠如している可能性がある
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うーん。突き詰めて言えば、国民の大半はその事にはまったく興味ないと思いますよ。 データを精査していないので反論はあるかと思いますが、浮動層で民主党に投票した有権者の多くは「だらしない自民党を棒で打ってこらしめてやれ!」というくらいの意識しかないと思います。 で、その自民党を棒で打ってこらしめたあとのことは、まったく考えていないと。(苦笑) さらに言えば、自民党への批判もマスコミの刷り込み効果が大半のように思います。 本当は、この辺のデータをきちんとリサーチして、数字として出せればよいのですが。 民主党自身、そういう事情を踏まえてのことか、政策論争を真剣にしていない面も見られます。下手に政策論争すると党がわれるから、まずは打倒自民で結束しているだけかと。 よく言われるのが、自分たちが政権とってから経済対策どうするのか。 まったくしていませんよね。 私としては、民主党の理念、そしてそこから出される政策方針、さらに細分化されたマニフェストときっちり出して欲しいですが(これは民主党だけでなく、自民党や他の政党も同じ)、今の団塊の世代があの世に行くまでは難しいかもしれません。
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ちょっとやそっとの修正ではどうしようもなくなってきているってことですよ。 緊急避難的政策として別個に評価して然るべきって 何をどう楽観的にみるとそうなれるのか知りませんが見通しが甘過ぎるか無責任すぎる言い方はいただけないですね。 切り捨てている部分を内に秘めてるなら別ですが。 問題自体切り離されて個別に発生しているのではないし 分析も見当違いだし とてもシンクタンクがボロボロなんて言えないのではないですか?
お礼
お礼遅れて申し訳ありません。 回答ありがとうございました
補足
>ちょっとやそっとの修正ではどうしようもなくなってきているってことですよ。 緊急避難的政策として別個に評価して然るべきって 何をどう楽観的にみるとそうなれるのか知りませんが見通しが甘過ぎるか無責任すぎる言い方はいただけないですね 実は、この主張でも、国家戦略は不要とは言いえませんよねぇ? この主張は単なる場当たり的な政策も仕方ないという弁明ですから、それは否定しません。 ただし、戦術と戦略の相互関係から考えれば、という問答に関しても結局は回答できてないことは理解できますか? >切り捨てている部分を内に秘めてるなら別ですが。 切り捨ててませんからね・・緊急避難的措置は仕方ないと指摘してますよね? >問題自体切り離されて個別に発生しているのではないし 分析も見当違いだし 具体的になにが見当違いなのでしょうか? むしろ分析の見当違いから見直すのが筋だと思いますけどね 実は、このような批判はある種の無責任さがあると断定できます。 例えば、この回答には具体的な問題提起がありませんよね? 論理的回答も見当たりませんから、単なる感情論の産物でしかありません。それはそれでアリだと思いますが、説得力は感じられません。 あくまでも個人の意見としてなら理解しますが、視野狭窄の産物でしかないとは断定できると思います。 まぁ、意見としては理解しますし、尊重しますが、単なる視野狭窄に過ぎない思考停止の産物という見解はぬぐえないですねぇ シンクタンクがボロボロなのは断定できると思いますよ。だって、諸外国の比べて学術的に自立したシンクタンクなんか日本にはありませんし、商業主義的な御用機関のシンクタンクだらけですから それとも、海外で評価されるような日本のシンクタンクなんかありますか?w ネタ的に陰謀論を楽しんで国内で評判の似非シンクタンクならいっぱいありますがね。 少なくとも海外で日本のシンクタンクの話は聞きませんw
>政治理念・政治哲学というものは、それを内心に秘める自由はあると思いますが、政治公職者はそれを明示して支持を得るべきものだと思います。 それはその通りだと思いますが 小泉改革が資本主義の究極を志向して行ったものとすると その弊害が顕現化し拡大すれば政治的にはそれを修正する政策が採られていくということも必要になってくるのではないでしょうか。 固定的な哲学とか理念というより そこに共通する政治哲学なり理念があるとすればそこに住まう全ての国民が活き活きと生きられるような社会にすることを志向するぐらいにしかならないのではないでしょうか。 中長期的視野に欠けているというのはそのまま 国家像が描けてないということでもあると思います。 外国依存傾向が強く外国との関係性においてはじめて国家像が描けるというのが今の日本の姿であるとすれば そういうことも含めて今の世界的なカオス的状況の中で国内的にはどういう姿にさせれば総合的に問題を解決する方向に収束させられ、 かつ外乱に影響されにくいものになっていくかということになるのではないかと思います。 国民が共通に見られるような設計図から国民がそれぞれ自分をそこのどこに帰着させていけばいいかが見定められる。 そうすることによって採られる政策の一つ一つがそこにどう繋がっていくかが見えても来る。 閉塞感も不安感も政党の信頼性が失われているといったことも一重に向かうべき国家像を描けていないところにあると思っております。 自民党の掲げる理念や哲学は中長期的なビジョンとしてはあっても足元からその基盤が崩れ始めていてその理念を共通認識として国民が共有できなくなってきているのではないかということを政治家はもっと自覚する必要があるのではないかとは思います。 そのことは理念自体に欠陥があったというより その理念を国際社会に適用させるのために自民党が採ってきた政策が国内的には国民に無理を強いることになりその理念と乖離していったということなのではないか。 そして歴史的にみればそれもしょうがなかったのだと言わしめるものがあったのではないか。 と思い次第です。
お礼
返答ありがとうございました。少し返礼が遅れましたことをお詫びします。 >政治的にはそれを修正する政策が採られていくということも必要になってくる おっしゃる通りだと思います。その修正方法についての争論が行われているならば、政治理念・政治哲学という要望はせずとも、緊急避難的政策として別個に評価して然るべきだと思っています。 >(外国情勢に対して柔軟な対応が必要である国情を鑑みてという見解について) 私個人は、海外情勢を鑑みるという部分は大きいと思いますが、どのような国際情勢を想定するのか?という視点での政治戦略が必要だと思っています。その上で、国内戦略について対応するべきだと思いますし、海外事情を勘案しないでもいい国内政治戦略も体系的な策定が必要だと思っています。 >自民党の掲げる理念や哲学は中長期的なビジョンとしてはあっても足元からその基盤が崩れ始めていてその理念を共通認識として国民が共有できなくなってきているのではないかということを政治家はもっと自覚する必要があるのではないかとは思います。 私はこれに関しては、極めて楽観的です。減反政策の返上という農政改革もドーハWTO交渉の結果であったり、いわゆる立法府政治家は認識が甘いとは思いますが、それを官僚・議員秘書は適度に修正できると思っています。 >そのことは理念自体に欠陥があったというより その理念を国際社会に適用させるのために自民党が採ってきた政策が国内的には国民に無理を強いることになりその理念と乖離していったということなのではないか。 そして歴史的にみればそれもしょうがなかったのだと言わしめるものがあったのではないか。 この部分は極めて説得力を感じます。私は政治家の基本理念よりも、国民が基本理念・政治哲学を構築することを優先する立場なのですが、現実と理論のギャップに政治家は苦しめられ続けた一方、国民は理念なき政治で現実に忍従するだけの存在になってしまったように思えています。ある意味、政治的戦略から国民が乖離して、無責任な政治評論ができる現状がとても危険だと思っています。 ただ、私個人は、「仕方がない」「しょうがない」という分析は認められるのですが、それが免罪符になるような無責任さは認めたくありません。
同じように見ています。 戦術は戦略に従属しましすが、逆はあり得ません。 だから プライオリティの順序の問題ではないのではないのでしょうか。 国家戦略というマクロ規模の政治理念・政治哲学が欠如しているとというより 地方分権とか税制などの政策一つを取り出してみても政治理念や政治哲学は内包されているものなのではないでしょうか。 政策論が極めて目的が場当たり的・緊急性の低い緊急避難措置としか映らないのは 日本の抱える諸々の問題を総合的に解決するような国家像が描けてないことがすべてだと思います。 そしてそこに政治理念や哲学は整合性を持って盛り込まれるものである。 と思います。
お礼
>日本の抱える諸々の問題を総合的に解決するような国家像が描けてないことがすべてだと思います。 私は政治の中長期的戦略思考に対する意識付けが政治家・有権者のレベルで欠如していると思っています。 諸外国では、国家戦略規模の話はシンクタンクが情報発信していますが、日本のシンクタンクはボロボロすぎてどうにならない現状だと思います。 ご指摘の「政治理念や政治哲学は内包されているもの」というのは、事実だと思いますが、それを表明することに意味があるように思います。政治理念・政治哲学というものは、それを内心に秘める自由はあると思いますが、政治公職者はそれを明示して支持を得るべきものだと思います。 個別の政策も重要ですが、私は、候補者の政治理念・政治哲学と戦略思考を最優先にして判定するべきだと思います。 回答ありがとうございました
高尚な理念という言葉が響くには、閣僚の大失態、年金問題などなど、あまりにもレベルの低い所でのあまりにも大き過ぎる問題が多すぎました。長らく続いた自民党支配には国民は参議院選挙でNOを突きつけましたし、次の候補としては民主党しか見当たらないというところでしょう。戦術さえうまく使えなければ戦略なんて立てよう無いでしょうしね。
お礼
>戦術さえうまく使えなければ戦略なんて立てよう無いでしょうしね。 意味が分かりません。戦術さえ良ければ、戦略はどうとでもなるというのは、現実的ではないと思いますが・・・・・・・・ あくまでも戦術は戦略に従属するもので、戦略なき戦術は、戦術ではなく戦法でしかないと思いますが・・・・・ 結局は、場当たり的な政治戦術で戦略なき政治を盲信するだけのことなのでしょうか? 私には、その場当たり的な政治動静が未来の日本人を食い物にしているとしか思えませんが・・・・ 回答ありがとうございます
お礼
>国民の大半はその事にはまったく興味ないと思いますよ。 国家戦略的政治見解が存在しないのは大変不幸な状態だと思います。 まず、先立つものに関して争論してから戦術論を行う政治になってほしいものと思います。 回答ありがとうございました