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投票の義務化は無理?

どうして各種選挙の投票を法律で義務化する事が出来ないのでしょうか? 投票したい政党や支持者が無い場合や、その選挙自体に反対する場合は白票を投じることで主権者の意思を表明出来るように思います。また、白票が全投票数の七割越えをした場合等は再選挙で投票者の支持を得る努力を各候補者がすることも可能になると思います。 期日前投票も浸透してきた今、投票しない場合は罰金に値するような課金等を設けるという法律を作ることは無理なのでしょうか。あるいはそれは自民党及び公明党、ひょっとすると野党陣営までもが無党者層の投票を回避したいが為にあえて触れようとしていないだけなのでしょうか? どうにも不可解で仕方が無いので質問させて頂きました。皆様、何卒御教授下さいませ。

  • 政治
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tyr134
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回答No.7

所謂、「義務投票制」の導入の是非についてですね。 実は、投票率の低下の問題はある程度「民主化・自由化」され経済レベルも先進国並みになった国に共通の問題なんです。 民主主義の聖地アメリカ合衆国でも、50~60%前後で推移しています。(年によっては40%を切ったこともあるようです) 一方、「義務投票制」を採用している国では70~90%の高投票率を維持しています。 「義務投票制」とは、法律で投票に行くことを義務づける制度で、行かなかった場合なんらかの罰則を設ける国もあります。 30数カ国が導入していて、日本でも一部の政治家や有識者から導入の是非を巡る発言がたま~に報道に載ることもありますね。 で、この「義務投票制」を導入しているモデル国としてオーストラリアが引き合いに出される場合が多いです。 オーストラリアでは、正当な理由なく投票しなかった有権者には罰金20豪ドル(現在の為替レートで1,500円程度)です。 その罰金支払いも拒んで裁判沙汰にまで発展すると罰金50豪ドル+裁判費用が請求されます。 そのためか、一応90%以上の投票率を維持しています。 同じく、義務投票制を導入している国では70~90%程度で推移していますね。 以下に私見ですがメリット・デメリットを纏めてみました。 メリット 1・「投票」することは「税金」と同じく国民の義務であるので、義務を果たさせることが出来る。 2・投票を義務化することで投票率があがり、相対的に当選者の正統性が増大する。 3・強制されると政治に興味・関心の無い人も投票に行かなければならなくなり、必然的に政治への興味・関心が高まる 4・投票率の増加によって組織票の重要性が低下し、企業や団体と政治家・政党との繋がりが薄くなる(企業や団体が特定の政治家を応援しても旨みが少なくなる) 5・上記のように企業・団体が選挙運動をしなくなるので、そうした企業・団体を支持する人への差別や偏見がへる。 デメリット 1・『日本国憲法第15条第4項』に「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」と定めてあり、「投票に行かない」という「選択」を法律で縛ることは、憲法違反に当たる。 2・皆が選挙に投票するようになると、立候補者が有権者の歓心を買おうとし「人気投票」的になって「衆愚政治」に陥る可能性が高くなる 3・政治家は当選するために「政策」を練るよりも「名を売る」ことに拘泥し、政策面がおろそかになる。 4・強制的に投票に行かせても、「秘密選挙の原則」から「誰」が「誰に」投票したかは分からない。よって「白票」などの「無効票」の割合が増えるだけで意味が無い。 5・例え罰則規定を設けたとしても、それを執行するための調査・諸経費などがかかり、選挙のコストが増す。 6・民主主義を装うために「義務選挙制」を導入している国もあり(北朝鮮など)、投票率が高いからと言って民主主義的とは言えない 7・投票率が高いと、「国民的人気」を背景にしたファシズムが台頭してきたとき、正統性を与えることになるので「独裁者」が生まれつつ有ることに気付きにくい とまぁ、「義務投票制」にはメリット・デメリット両面あり導入したから良いとは言えませんね。 個人的には、まだまだ日本人にはデメリットの方が大きい気がしますね。 特に、選挙が「人気投票」となって政治が腐敗しているのに「投票率の高さ」を理由にその腐敗が見えにくくなる気がします。 というのも、日本人は「マス・メディア」に左右されやすい傾向がある気がします。(ネットもマス・メディアの一つです) 「右向け右」というか「長いものには巻かれろ」というか、「みんなが○○党に入れるから」や「ネットで××党が売国党と言われてるから」とかいった「安易」な意見で投票されても、それが政治の向上に繋がるとは思えません。 >投票したい政党や支持者が無い場合や、その選挙自体に反対する場合は白票を投じることで主権者の意思を表明出来るように思います。また、白票が全投票数の七割越えをした場合等は再選挙で投票者の支持を得る努力を各候補者がすることも可能になると思います。 デメリットの面として「白票が増える」と書きましたが、これは「白票の意味合い」によって変ってきますね。 おっしゃるように「白票が一定数を超えたら選挙やり直し」とすれば、「白票」にも意味合いを持たせることが出来ますね。 ただ、その一方で「選挙をやり直す」ということはそれだけコスト(経費だけでなく政治的空白期間も含む)が増大することとなります。 また、今のように政治不信が蔓延している場合、何回投票しても白票ばかりといった事にもなりかねません。 また、得票数が「白票1位」「当選者2位」で、その差が「一万票の大差」なんてことになったら、いくら「投票率」が高くても「当選者の正統性」が揺らぐ事になりかねません。 つまり、上記にメリットとしてあげた「投票率の増加」が、逆に「当選者の正統性」を貶めるというデメリットとなる危険性が有るわけです。 個人的には「義務投票制」を導入するよりも、有権者が普段から政治的関心を持って生活すること、その為の知識を身につけさせること、情報を察知し正しく取捨選択できるようになること等々、結局は個々人の意識向上とその為の教育(義務教育だけでなく社会教育も含む)が、日本の政治を良くすることでは無いかと思います。

yoakeasahi
質問者

お礼

ご回答有り難う御座居ます。非常に参考になりました。 纏めて頂いたメリット、デメリットやその後のご分析を読む限り、最大の問題点は義務投票という活動が、必ずしも民主的善政に直結しないという事であり、その最大の理由が候補者を人気で決めてしまうところにあるというように受け取りました。 しかしながら(済みません、挑戦ではありません)、最早日本には衆愚政治が現出し、立候補者は売名行為にのみひた走っているように思います。 義務投票制にした場合に憲法違反に当たる「秘密選挙の原則」箇所については義務投票制度を導入する時点で憲法改正が必要になるのでその時に修正を施して「誰に入れたか」の秘密を守るということにすれば解決されると考えます。 私はファシズムの台頭や独裁者の出現、特定宗教団体を支持母体とする政党の成長が国民にとって利益になるとは到底思えませんが、それが国民の意思であるなら民意として反映され、そのような候補者は正統であるとして認められるべきではないでしょうか。この問題は「民主的教育」(それが良いか悪いかは別として)によって解決されるべきではないでしょうか。 そして、もし衆愚政治を真に善政の敵とするのであれば、極く軽い制限制民主主義のような形を採用しなければならないような気もするのです。 政治不信が蔓延する原因となったのは主権者が自分の意思表示が選挙で反映されていないという不満、絶望があるからだあると思います。仰るような「「投票率の増加」が、逆に「当選者の正統性」を貶めるというデメリット」を避ける事が、投票率が低下していながら当選者が正統性は自らにあると理解する事と較べてどれだけ主権者にとって利益を損なうものであるかを考えた時、結果が変わらないとしても私は投票活動のなかに自己参画の感覚を得る事の出来る義務投票制度の方が、より良いものであると思うのです。 又、デメリットの一つとして提起された費用面ですが、政治の向上を目指すのであれば致し方ないのではないでしょうか。それよりもそれらのことを怠ったが故に無意味な公共事業や得体の知れない交付金のような出費が出てしまっているようにも感じるのです。

その他の回答 (12)

回答No.13

回答者10です。 説明不足がありましたので、補足させていただきます。 棄権は白票を代弁するのでは? ということですが、出来ません。 棄権は選挙そのものを否定する唯一の手段です。 白票は、単なる選択肢を決められないことを示す一方で 棄権は、選択肢すら認めないことを示すことができるからです。 そして、私の選挙行動はあくまでも棄権に過ぎません。投票名簿は投票した行為ではありませんから、白票とは全く別です。白票は無効票として投票率にカウントできるからです。 >義務投票制度は選挙の不正を今よりも招き易いものなのでしょうか。開票システムの整備によって完璧ではないにしても、充分な公平性が保たれると考えます。 不正を招きやすい部分もあるでしょう。  投票行動は政治意思を提示することですが、それは政治意思の表記を義務化することは、考えない政治意思が意味を持つことになります。 考えない有権者の投票行為が、自己利益を優先した安易な政治意思に流れてしまう可能性は高く、金権選挙に近付く可能性も高まります。  義務化することを全否定することはありませんが、投票しない自由を認めない選挙制度が正当化されれば、近代市民権の一角である参政権の強制になり、選挙制度の本質が変化すると断定できます。  ちなみに、ゲリマンダーを知らないで投票の義務化を提唱するのは公地公民レベルから問題が大きいと思いますが、調べてもらえないでしょうか?  ゲリマンダーが頻発したイギリスの選挙制度時代の歴史は、義務化できない論拠をもっとも補完しえる歴史事実になると思いますので・・・

yoakeasahi
質問者

お礼

再びのご回答有り難う御座居ます。 ゲリマンダーを知らないで投票の義務化を提唱する事が公地公民レベルで大きな問題である事を知らず、申し訳ない限りです。私は義務化が無理なのかどうかという事を尋ねているだけで、提唱している訳ではないのですけれども。 白票の定義ですが、選択肢を決められないことを示す意味も、選択肢すら認めないという意味も、双方含むものとしては捉えられないでしょうか。というのも、棄権という行為のなかにも上記の二つの理由が含まれると思うからです。もし強く選挙自体を否定する必要があるとお考えであれば、「選挙を認めない票」を作っても良いかも知れません。 回答者様の仰る「考えない有権者の投票行為が、自己利益を優先した安易な政治意思に流れてしまう可能性は高く、金権選挙に近付く可能性も高まります」という点ですが、私自身はそれはもう既に起こってしまっていると認識しています。また、多数決の意思を尊重する民主主義によってそのような政治が信任された場合は、それを尊重して行くべきであると考えます。安易な政治を避ける事を第一に考えるのであれば、民主主義は適当な形態ではないように思います。 参政権の強制という事ですが、選挙自体に反対する投票を行えるとすれば、そのことが問題になるとは思えません。義務投票制度が選挙制度の本質を変えようとするものですが、そのことの問題の重大さはゲリマンダーを知らない公地公民レベルで問題の大きい私にはまだ今ひとつピンと来ません。お言葉に従って調べさせて頂きたく存じます。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.12

罰則をもうけるのではなく、投票しやすくすればいいと思います。 ほとんどの国民は投票は権利であると同時にある種の義務であるという認識は持っていると思います。しかしながら、雨が降ったら投票所にいくのが億劫だし、投票しなくても罰則はないのでついつい投票に行かないで済ましてしまいます。だから投票が簡単にできるのなら、投票率は上がると思います。 たとえば、インターネットで投票ができるのなら、投票率は上がると思います。ただ、これをやるには本人のパスワード管理を確実にやってもらう必要があります。これはできないことではなく、銀行のオンラインバンキングなどですでに行われています。オンラインバンキングはパスワードを自己責任で管理できない人がやるのは危険なので、管理できる自信のある人だけが、オンラインバンキングを利用していると思いますが、オンライン投票もパスワードを自己責任で管理できる自身のある人だけが申請すればよいと思います。ぼく自身はそういうシステムがあれば利用すると思います。

yoakeasahi
質問者

お礼

投票率を向上する為にインターネットを利用した投票システムを導入するのは将来的に可能になると私も考えますし、是非利用したいとも思います。 義務投票制度にする場合は、或はそれをしない場合でも、投票をした有権者が何らかの報奨を得られるようにすれば劇的に投票率が上がるかもしれません。

  • modify
  • ベストアンサー率10% (66/634)
回答No.11

投票率が上がると自民党は大敗するので絶対にしませんよ。選挙に行かない人がいるから自民党が温存できてるのですから。

yoakeasahi
質問者

お礼

その通りですね。ただ長期的に見れば自民党やその所属議員にとっても、そんなに悪い話であるとも思われません。短期的に見ても、例えば今義務化して、民主党が圧勝するとも考えられないのですが。

回答No.10

>どうして各種選挙の投票を法律で義務化する事が出来ないのでしょうか?  無理です。近代選挙慣習において、自由選挙権が基礎になっていますが、それは棄権する自由(投票しない自由)も想定されるからです。  人権概念と同じで、「○○する自由」に相反して、「○○しない自由」「○○を強制されない自由」があるのです。  ちなみに、同じような提案を扶桑社の「新しい教科書をつくる会」が提示して、中央公論の論陣が近代選挙の原則論を知らない「つくる会」を嘲笑していました。 >投票したい政党や支持者が無い場合や、その選挙自体に反対する場合は白票を投じることで主権者の意思を表明出来るように思います。また、白票が全投票数の七割越えをした場合等は再選挙で投票者の支持を得る努力を各候補者がすることも可能になると思います。  想定される事例に関して国民投票法が一定の回答を提示しています。 国民投票法は最低投票率を設けないで憲法改正が可能になっていますから、棄権・白票が大多数になっても尊重されないのです。  有効投票率が低かろうとも投票された結果で決定するものであって、再選挙はありえないのが現状の日本の選挙法です。だからこそ、同数票によるくじ引決定などという制度もありますw  ちなみに日本の選挙法・選挙制度改革はいつも政局変化と連動します。前期二大統制から翼賛会体制へのシフトなども選挙制度の変化による産物でしょう。 次に、選ぶ候補がいないというケースよりも”義務化できない理由”は、選挙制度批判を目的とした棄権・白票です。  選挙制度に問題があるケース(ハトマンダー、ゲリマンダー)などでは、選挙そのものを否定する必要性があります。 その政治意思を表記するためには、棄権以外の選択肢がありません。 かくいう私は、小選挙区比例代表制度が衆議院で採用されて、政党助成法・政治資金規正法などの一連の政治改革が選挙制度改革になった経緯への批判から、衆議院選挙では一度も投票を行っていません。 比例代表・国民審査もボイコットしていますが、投票所にいって、投票用紙だけ貰って立会人に投票用紙を返却して、帰ります。  従って、総選挙は一度も投票はしていませんが、一度も選挙を棄権したつもりはありません。  歴史上何度も、選挙の不正が横行していますし、イランの大統領選挙でも問題になっているのがいい事例でしょう。 ちなみに、選挙の義務化が行われている国はあります。 オーストラリアですが、決して妥当な制度とは評価されません。 最近、ある学生にゲリマンダーの事例を説明する必要性があって資料を取り寄せたので思い出せますが、日本版ゲリマンダーの開祖鳩山一郎(鳩山由紀生の祖父)の悪性(統帥権問題による政党政治の崩壊)を思い出すと、この部類の提言を聞くたびに恐ろしくなります。 近代市民として、選挙権を疑う感性がなくなると、政治の思うツボになることをゲリマンダーが教えてくれますし、イラン情勢が教えてくれるのです。 参考資料にはなりませんが、考え方を詳細にした拙ブログのURLを紹介させてもらいます。

参考URL:
http://self0507.blog52.fc2.com/blog-entry-449.html
yoakeasahi
質問者

お礼

回答を頂き有り難う御座居ます。 回答者様は「近代選挙慣習において、自由選挙権が基礎になっていますが、それは棄権する自由(投票しない自由)も想定される」と仰っていますが、これは義務投票制度の導入時点で棄権を意味する白票を投じるという文言の変更を行えば解決されるのではないでしょうか。 私はハトマンダー、ゲリマンダーがどういったものなのか知りません。なにか悪の帝王かこの世の終わりの日ような名称の事例は調べる前から恐ろしいのですが、白票は選挙自体を拒否するという事の意思表示に成り得ると思います。その良い例が回答者様の行っていらっしゃる投票行為ではないでしょうか。 義務投票制度は選挙の不正を今よりも招き易いものなのでしょうか。開票システムの整備によって完璧ではないにしても、充分な公平性が保たれると考えます。

  • lvmhyamzn
  • ベストアンサー率8% (50/617)
回答No.9

投票の義務化とか、あんまり質問ではふれていないけど白票の話とかは、よく選挙シーズンに話題になりますね。 みんなが権利を行使すべきだとかの御託はおっしゃるとおりです。 「放棄(棄権)する権利」というのはものぐさ者のいいわけで、 ない知力を絞って投票するしかないのです。 しかし、義務化するにせよそれを望む人がいるのでしょうか? (まあ、質問者は望んでいるとは思いますがね。) どうやって政治的に義務化するのでしょうか? 義務化を公約に掲げた候補がいたとしたら、どうなりますでしょうか? 常に投票に行く人にとっては関係のない話で、そんな候補に入れる優先順位は低いでしょう。 投票にいかない人はいかないのだから、義務化を公約に掲げた候補が日の目を見ることはありません。 それに投票にいかない人は義務化されることを望むのでしょうか? 投票にいかない人が奇跡的に投票しても義務化を公約に掲げた候補に 入れることはありません。 だから、「選挙投票を強制化するのは多くの議員や関係者にとって優先順位が低く、関心も薄いという事」でしょう。 私は義務化はいいと思うし、直近の国政選挙に行かなかった人は免許更新代や住民票交付3割アップとかぐらいのことなら 実現可能だと思いますが、 しかし、それを推進する政治の苦労を考えると、義務化してくれとはいえません。 なぜなら、 投票義務化というのは今話題の裁判員制度と同じで、 かなり世論や政局を混乱させるネタだからです。

yoakeasahi
質問者

お礼

現実的に考えて投票を義務化する事が困難であるという点を明快に説明して頂き感謝しております。 この、立候補者側の大多数が自己にとって不利益になりかねないような提案を敢えて公約に掲げない、という一見当たり前の点こそが、日本の民主主義の持つ最大の弱点の一つであるように感じます。このことの改善には国民意識の高まりが必要だと思いますが、義務投票制度への必要を大多数の日本人が感じていない事は明らかで、現在の大衆迎合のマスメディアを見る限り、メディアが事態の変革へ動き出す事はまず無さそうです。 ではこの先も選挙での低投票率が維持されるのでしょうか。そうすると議会の正統性、ひいては民主主義自体の正統性に疑義が生じるのではないかと考えてしまいます。

回答No.8

権利を行使する考えのない人に無理に権利公使をさせるというのは、選挙日に現れる学会員たちと同じぐらいうざがられるだけの事となるでしょうね。投票の義務化の論議ならびに法整備は時間の無駄だと思いますね。 たまにフワッと挙がる話ですが、選挙投票を強制化するのは多くの議員や関係者にとって優先順位が低く、関心も薄いという事でしょう。

yoakeasahi
質問者

お礼

うざがられるのは既に分かっているのですが、うざがられる「だけ」であるとも「時間の無駄」であるとも思えません。何故そのように御考えになるのかを御説明頂けると幸いです。

回答No.6

まず、単純な問題として、それをやると莫大な経費がかかる、ということが言えます。 例えば、投票した人に商品券のようなものを渡す、というのであれば、投票所などで投票用紙と共に渡せば良いだけなので、それほど手間は掛かりません。 しかし、投票しなかった人に罰金を科す、となれば、投票しなかった人、一人一人に対して罰金手続きなどをしなければなりません。その手間、そして、そのための費用は膨大なものになります。 しかも、投票しようにも出来ない人がいます。 例えば、認知症などを患って判断能力を失っている人。重篤な怪我や病で、自らの意志の表明が不可能な人。このような人が投票をしないから、と罰則を与える、ということは明らかにおかしいでしょう。 かと言って、「こういう場合は仕方がない」というものを調べるとなれば、さらに膨大な手間と費用が掛かります。また、機械的に「この場合は、免除。これは免除にならない」などのものを決めてしまうと、そこにどうしても不公平感が出ます。 費用の面などから考えても難しいと思います。 それから、もう1つ。 >白票が全投票数の七割越えをした場合等は再選挙で投票者の支持を得る努力を各候補者がすることも可能になると思います なんていうことをしたら、それは、結局、「誰か、候補者に投票しろ」と言っているのと同じです。 投票が義務となり、しかも、一定の率の白票だった場合は再投票となれば、興味のない人が何としてもそれを回避するために、「誰でも良いから、とりあえず候補者の名前を書く」などという行為になる危険性があります。 こうなった場合、最初から名前が知られている方が圧倒的に有利ですから、現在以上に、タレント候補などを擁立して、という政党が増えることが考えられます。また、政党などの組織力がある候補が有利になり、現在でさえ(選挙のシステム上)不利な無所属候補などが不利になります。 そちらの方が問題であると、私は思います。

yoakeasahi
質問者

お礼

ご回答どうも有り難う御座居ます。 経費の点での問題がある事はよく分かりました。もっともだと思います。 こういう問題点の解決に期日前投票が有効だと考えていましたが、完全ではないですね。やはりクーポン券のように投票者が「得る」仕組みの方が非投票者が「失う」仕組みよりも受け入れられそうです。なにか人間の性が窺われるようであはれを感じます。 投票行動が不可能な主権者(判断能力喪失、病人)の存在をいかに考えれば良いかという繊細な問題ですが、これは各医療機関による投票免除認定などの仕組みを上手く構築すれば完全ではないにしろ充分に機能するレベルになるのではないかとも思うのですが。 第二の点の再投票制度の問題点についての指摘も正鵠を射たものであると思います。ただ、誰でも良いから取り敢えず名前を入れてという行為は現在でも行われていると思いますし、白票が他票に対して圧倒的多数であった場合には、矢張り当該選挙の全立候補者をその選挙での再立候補不可扱いにしなければ(私は感情的に)民意が反映されていないと感じてしまいます。選挙活動で各立候補者はそれぞれの選挙区民の利益の為に活動している訳ですから、白票が全体の圧倒的多数に達するというような事態はそれ程起こり得ないようにも思うのです。

  • boke-chan
  • ベストアンサー率22% (137/604)
回答No.5

私も同じような事を考えた事もありましたが、 投票率の低下は嘆かわしいことではありますが、 投票しない自由が無い国は、逆に不幸だと思います。 これまで投票しない人たちが、義務化になったからと言って 真剣に考えるかどうか? おそらく、有名人やタレント候補へ、票は流れるでしょう。 やる気と、責任と、資質のある人間が立候補し、 国の将来を考える人間が投票する、という基本からすれば、 現状で良いのでは? 逆に 学校教育で、政治の仕組みや投票の重要さを もっとやるべきでしょう。 (教師の思想が入るのは危険かもしれませんが) 組織票については、組織に属しても本当に嫌なら  投票はその組織にはしないでしょうし、 それほどの強制力は無いと思っています。

yoakeasahi
質問者

お礼

投票の重要さを教育の場でより浸透させる努力をするべきであるという回答者様のご意見に賛成です。 投票活動に単に真剣ではない投票棄権者の投票参加は仰るように人気のある候補に有利に働く事と思われます。しかしそれがその投票者の意思である訳ですから、それらは反映されて然るべきではないでしょうか。 もし政治に興味が無く、関わりたくない場合は白票をもってその意思表示とする事が可能だと思うのです。

回答No.4

投票率を上げる目的は、「組織票」の選挙に与える影響を弱めたいからですね。 投票率が低ければ、特定団体などが特定候補者に票を入れよと指示すればその候補が当選しやすくなる。となれば日本の民主主義の崩壊にも繋がっていく。 だが、そもそも投票とは自由意志によるものなので、誰にも投票したくなければ投票しないのも自由。 問題なのは「組織票」の方。 組織票は投票の自由を制限し、特定少数の人間の意志決定で選挙結果が左右される。組織票自体が憲法違反の方向にあり、民主主義政治の面でも害が大きい。 なので、投票するかしないかは自由。 解決すべきなのは「組織票」の撲滅。 誰でも自分の意志により、投票すべきであり、候補者を選択すべきである。

yoakeasahi
質問者

お礼

組織票が問題であるという点は全面的に賛成です。 しかし投票するしないが自由であるという考えには賛成しかねます。というのも仰るように「誰にも投票したくない」のであれば、白票を投じれば済むからです。 各人の自由意志を尊重し、保証しているのが民主主義だと思いますが、であるならばそれ自体を保証、存続させる為にも投票行為は義務化すべきであると考えるのですがいかがでしょうか?もしそのような権利の放棄が認められるのであれば、教育や納税の義務からも自由意志によって脱退することが理論的に正当化されてしまうと思うのです。

  • osamin
  • ベストアンサー率34% (99/290)
回答No.3

日本国民を代表する議会である 国会も賛成・反対の投票権を放棄(棄権)する権利があります。 国民が選んだ国民の代表が放棄できるのに 国民は出来ないなんて・・・ 理屈が通らないですよね。 それとも放棄する権利は選ばれた人だけに許されるのでしょか。

yoakeasahi
質問者

お礼

国会での賛成・反対の投票権を放棄(棄権)する権利は私には納得出来ません。議員はその代わりに白票を投じるべきであると考えます。 国民の投票を義務化すれば、国会での投票放棄も違法あるいは違憲化されると考えます。

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