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地球温暖化の理屈教えて
地球温暖化は単なる周期的地球環境変化だという意見もあり、人類の活動によるエネルギーの大量消費が原因だという説もあると思います。ここでは、仮に人類活動が原因だと言っている学者が正しいということとした上での質問です。人類の活動によって地球が暖められているとしても、一方では地球は宇宙空間に浮かんでいるわけであるから、周りの冷たい宇宙によって冷やされてもいるわけです。従って、暖める量より冷やす量が多いからだんだん温暖化しているというのがマクロ的な温暖化の理屈だと思われます。従って、今時点の暖める量と冷やす量の関係が重要なことであって、これまで暖めてきたエネルギーの蓄積(積分量)は関係無いのではないのでしょうか。すなわち、後進国が先進国の責任が大きいと言っているのは根拠が無いのではないでしょうか。現時点の暖め量の大きさこそが問題だとおもうのですが、どうでしょうか。できれば、専門家の回答を期待します。
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- aburakuni
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現在論議されている温暖化については、大きな仮説ではありますが、科学自体が仮説の重なりであり、大多数の論文等による合意に因り、現在の処は最も真実に近いと認定されるものです。 勿論、異論・とんでも説は常にありますが、絶対的真実は得られる事は無いので、人間は仮説に拠って現実対応を行なって来ました。 現在国会で話題になっている「脳死」の問題でさえ、科学的に100%と言えないのですが、人間の体に対する科学(医学)については、死亡後の解剖までは医者の見立ては確度がそれ程大きくない仮説にしか過ぎません。地球の様な大きい環境系については、そう言った確度が低いのは止む得ませんが、だからと言って死後解剖まで論議しかしない訳には行きません。 産業革命以降と言う質問者様の疑問につきましては、添付致しました資料の21頁と34~36頁を合わせて考えれば、時間的・数量的に具体的数字が出ております。 その中に挙がっている一つの例としては、化石燃料由来と自然発生の二酸化炭素が区別出来るというものがあります。
- aburakuni
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添付の様に各論があるものの、基本的には産業革命以降人間が関与して自然サイクルを越えて増加させた、二酸化炭素の温暖化への影響は否めないと言う事です。 仰る様に今後の温暖化を抑える事が必要なのですが、今後の熱収支をプラスにする影響を作った責任を問うている主張に、根拠が無いとは言えません。
お礼
回答ありがとうございます。しかし、この回答にも暗黙的に信じこんでいるところがあるとおもうのです。産業革命以降という表現がありますが、そんな昔から地球の吸収力以上の排出量であったという証拠があるのでしょうか。そもそも今現在が吸収力以上の状態だとかいうのならなぜ今以下を目標としなくてもよいのでしょうか。大体、吸収力以上であるとか以下であるとかよく分からないのではじゃないでしょうか。わかるのなら、増えすぎた量が累積でいくらであり、累積で幾ら以下まで減らさないといけないとかいう数値的議論が出てきてもしかるべきではありませんか。過去に責任があるというのは、後進国のご都合理論なのではないでしょうか。
- ytrewq
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太陽から得るエネルギーと地球が宇宙に放射するエネルギーはバランスしていますが、人類活動によるエネルギーはこれらに比べると微々たるもので、それで地球が暖まるわけではありません。 地球が、冷たい宇宙に冷やされているという現象をもう少し正確に言えば地球が宇宙にエネルギーを放射しているということです。 物質が放射するエネルギーは表面温度が高ければ多く、低ければ少なくなります。 したがって地球の地表の温度は地球が宇宙に放射するエネルギーが太陽から得るエネルギーと同じになる温度で決まります。 この理論では地表の平均は-18℃になるといわれています。しかし、実際は15℃ほどで、約33℃高い温度です。この差が温室効果による影響です。 太陽からのエネルギーの大部分を占める電磁波の波長は可視光線が主となりますが、地球が宇宙に放射するエネルギーは赤外線が主となります。 大気に含まれる温室効果ガスは可視光線を透過しますが、赤外線を吸収します。 このため、地表から放射される赤外線が大気に吸収されて、宇宙に放射しにくくなり、熱がこもったようになります。これが温室効果です。
お礼
回答ありがとうございます。質問は温度があがる作用と下がる作用の関係すなわち両者のプラス・マイナスの差分が問題であり(温室効果理論が正しいとしても、温室効果が高まる作用と減少する作用の差分が問題であり)、過去の蓄積の問題ではないのではないかといことだったのですがので、ちょっと違うことを回答してくれているように思えるのですがいかがですか。それはそうと、温室効果が問題だという理論はそんなに確かな理論なのでしょうか。年中気候変動で気体はかき混ぜられており、きっちりバリアがかかっているわけだはないのではとおもわれますがどうですか。かって地球のCO2濃度はもっと高かった時期があったと聞いています。なぜ減少してしまったのでしょうか。
- hunaskin
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#1です。 >回答いただいたことが本当なら、溜まるばかりだということになるので~ 二酸化炭素は増え続けませんよ。 植物による光合成はご存知では無いですか? 植物は二酸化炭素を吸収し、それを有機物(炭素)と酸素に分解しますね。 人間が産み出す二酸化炭素の量が増えすぎて植物(やサンゴ等動物)による二酸化炭素の炭素の固着化が追いつかなくなっている、というのが現状です。 緑地自体もかなりの速度で人為的に減少しているのでさらに問題が大きくなっています。 >増える速度と減少する速度の関係が重要なのでは、ないのですか。 その通りです。 現在は増えすぎているので方向転換しよう、ということです。
お礼
再度回答ありがとうございます。要は、過去の蓄積が問題なのではなく、現在の発生量と吸収量の関係が問題なのですよね。やはり、後進国の論理はおかしいということですよね。基準年に対していくら減らすという議論は空虚な議論であって、地球全体で幾ら以下の発生量でないといけないという議論でないと、意味ないということですよね。
- nourider
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端的にいうと金星は二酸化炭素が多いので400度以上の灼熱地獄です。太陽からの距離もさることながら温室効果で熱が逃げない大気構造になっているからです。 地球もそんな大気構成だったことがあり、そのころは灼熱地獄でした。
- Hamida
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人類の活動によるエネルギーがいくら甚大でも地球規模では微々たるもので気候の変動を促すことは出来ません。 地球温暖化の原因が人類にあるという理論は、地球が受けるエネルギーのほとんどは、太陽からの放射エネルギーです。地球は、そのエネルギーの大半を地表や海面で反射して、バランスを取っています。人類原因説は、地球から反射されるエネルギー放出を空気中の炭酸ガスが遮って温室のようになり、地球の温度が上がっていると言う理論です。いま空気中にある炭酸ガスの多くは、先進国が今まで制限無く放出してきたものなので、その責任を取れと言っているのです。 地球の反射エネルギーを遮る物質は、炭酸ガスよりも水蒸気やメタンガスの方が数段影響が大きく、炭酸ガスだけで地球の温暖化が進んでいるわけではありません。地球が温められた結果、海水面のプランクトンが放出する炭酸ガスで今の炭酸ガス濃度が上がっているというのが最近の理論です。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
実は熱の排出量よりも温室のガラスの役割を果たしてしまっている二酸化炭素の排出量が問題になっているのです。 いわゆる温室効果です。 すごく単純に説明すると 二酸化炭素の幕によって人間の活動によって産み出される熱が宇宙空間に放出されるのを妨げられてそのぶん地表(大気)が温暖化する、ということです。 温室効果ガスは他にもあるかも知れませんが、とりあえず今のところ二酸化炭素が主犯格ということで。 詳細は以下の各リンク先を参考にしてください。 http://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%A9%E5%AE%A4%E5%8A%B9%E6%9E%9C&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a
お礼
回答ありがとうございます。でも、回答いただいたことが本当なら、溜まるばかりだということになるので、今更CO2の排出量をどんなに減らしても、過去に溜まったものによって、温暖化する状態になっているのだから温暖化の速度が速まるばかりであり、温暖化を止めることは出来ないということになりますよね。何か改善する効果のあるものが存在しないということになれば、悪くなるばかりですよね。そこのところはどうなっているのですか。CO2が主犯であるのしても、CO2を減らすこととなる現象は何かあるわけでしょ。増える速度と減少する速度の関係が重要なのでは、ないのですか。
お礼
回答ありがとうございます。ともかく、だれかの論文ではなくて、地球全体でCO2の発生量を幾ら以下にしないとCO2の減少すなわち温暖化防止にならないという根本的目標を定量的なコンセンサスとして確立し、そこまで行く上で誰がどれだけ努力するという議論にならないと、幾ら減らせばどうなるのか分からないと思います。なぜその根本的目標値のことが議論されないのか不思議に思っています。結局、現状認識事態があいまいレベルであって、誰かの仮説くらいしか無くて、そもそもの議論が出来ないのでは無いのかなと思います。議論の全体が政治的思惑だけなのかもしれませんよね。