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ソクラテスとキリスト
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調べてきました。 というか本読んで、考えてきました。 ソクラテスは何に沿って行動していたのかというと、ダイモン。 ライラの冒険にもダイモンが登場します。 ちなみにキリスト教はこれを悪魔だってしちゃいました。 ライラの冒険でも教権がダイモンを悪だと考え、人間から永遠に切り離そうとしていたわけですが。 で、ダイモンは、ソクラテスが善くないことをしようとするときだけ、彼を押しとどめてきた。 ソクラテスが知識人に問いかけをすることをダイモンは妨げなかったので、この行動は善いことだと思ったわけです。 ソクラテスの考えは、<人間はただ生きるのではなく、善く生きることが大切なのだ>とした。 このロゴス(原則)に立ち返り、茶番裁判で罪人だとされたからって、復讐という<不正>や脱獄とうい<不正>で報いることは、そのロゴス(原則)に反する と考えた。 イエスの場合も、茶番により罪人だとされ、逃げられたのに、逃げずに磔刑になりましたよね。 悪に悪をもって報いなかったってのは、両者とも同じ。 違いはやはり、ソクラテスは<善く生きる>ってことをもっとも重要視したのに対して、イエスの場合は、神への信仰をもっとも重要視したことじゃないかと。 ソクラテスも神を信じ、神託を信じたわけですが、それより善く生きることもっとも重要視した。 両者とも、他者の生きかたを批判し否定したわけですが、じゃあ どうすればいいのかというと、ソクラテスは<善く生きろ>で、イエスは<神を信仰しろ>と言った。 ・・・・・・??????? 両者ともとっても抽象的で曖昧なことを言っていたものだから、弟子は<その善く生きるってどんなことか>って頭を悩ますことになり、キリスト教は<神を信仰するって、どういうことか?>ってなり、結果、ソクラテスの弟子プラトンとむすびついてできた新生ユダヤ教 つまりキリスト教は、西洋の歴史を奈落の底に引き落としていってしまったってわけです。 ただ、この事実を書いてしまうときわどすぎるので、卒論じゃない限り、書かないほうがいいと思います。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんばんは。 一番の違いは 《絶対》という概念にかかわることだと考えます。ソクラテスの場合には 次のいづれかが当てはまるのではないでしょうか。 (1) 経験的な相対世界を超えたところという概念を まだ 想定していなかった。 ・ ピュシス(自然)というあり方が 不可変性を表わすとしても この概念を きちんと規定し想定することをしていなかった。 (2) 知恵を愛することを――その知識ないし知恵が欠けているがゆえに――無限に問い求めるという場合(つまり 無知の知の自覚を そのつど無限に起動させるという場合) この無限性が 《絶対》にかかわっているかに思われる。けれども それは 経験的に限りなく続けるという意味であれば ついぞ 絶対という意味での無限に到達しない。 (3) わづかにその後 弟子のプラトンが 《イデア》という概念を想定した。けれどもこの概念も この世とは隔絶しているとしても 人間がそのあの世からやって来てその記憶とつながっていると言う。そのおかげで 材料(質料)を使ってモノを作ることが出来ると言う。――つまり 《絶対》の概念としては あいまいである。 ・ ピュシスの不可変性をも――つまりは 自然の生成のそのはたらきといった力をも―― イデアとともに含めるとしても 《絶対》とは 微妙に違うと考えられる。 すなわち ○ 《絶対》には なぞがある。 ☆ と考えられます。言いかえると ○ 《絶対》ないしここですでに《神》は 無根拠である。 ☆ と表現するのがふさわしい。 この《なぞの無根拠》が もし――単なることばによる表現の問題なのですが また そのような自己表現をおこなった人間がいたというそのうわさの問題にすぎないのですが―― この世に 人間として現われたと言えば どうなるでしょうか? おそらく こう考えられるのではないでしょうか。 ○ ピュシス(自然)の不可変性が 根拠を持つことになった。《無根拠》という想定によって 根拠が――言語表現つまり言語使用の習慣の上で―― 見つかった。 ○ 無知の知の限りない追究に 終止符が打たれた。いづれにしても 人間は 無知の知の状態にありつづけるのだが そうでありながら 終わりから始めることができるようになった。きよらかな思いあがりである。 ○ 《イデア》について 一方でそれは 人間の精神による概念の想像(ないし創造)であるに過ぎないと分かった。他方でそれは もし全くの無根拠であり謎であると規定するなら 絶対の問題として やはり言語習慣の中に採り入れることができるようになる。ピュシス(自然)をも その不可変性に関して むろん《絶対》は含むことになる。 キリスト・イエスは この《絶対》を指し示したと同時に みづからが この《絶対》であると宣言した。そういう言語表現がありうるとまでは みづから実践した。この意味では ソクラテスないしプラトンをも包みこんだ。 と考えます。
お礼
回答ありがとうございます。
- 岩尾 俊志(@arakan)
- ベストアンサー率43% (31/71)
ソクラテスは哲学者です。 つまり一生懸命「ことば」を駆使して神の存在が あるのかないのか? あるとしたらなぜこの世に不幸が 絶えないのかといったことを考えた人です。 イエスは、宗教者です。 神が存在することは当たり前すぎるほど当たり前で 神の御心のままに生きようとした人です。 宗教者と哲学者とは、音楽で言えば 創作者(作曲者)と評論家ほどの違いがあります。
お礼
回答ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
えっとですね。 現代信じているソクラテス像ってのは、弟子のプラトンの書物からです。 実際ソクラテスはいたとしても、プラトンの思想とミックスされて、別の人物像として後世に伝わっている可能性もあります。 そして、イエスってのは元となる人物がいたかもしれませんが、殉死するに至った内容あたりは、プラトンの義の理論と同じです。 従って、実際元となる人物がいたとしても、磔刑の部分はプラトンの擬人の証明の借用。 でも それ言っちゃうと実際そんな人はいなかったってなっちゃって、話終っちゃうので、そこは言及しないこととします。 プラトンが語るソクラテスは、裁判にかけられ有罪とされた。 なんら罪を犯していないが、罪人だとされたわけです。 悪いことはしていないのだからと、プラトンから脱獄を薦められたが、悪法であってもみんなで決めたことなら、その法律を守らなければならないとした。 それが法を擁護する者だとした。 法を擁護したというより 民主主義を擁護したわけですね。 何故かといったら、水は多量の方が腐りにくいから。 独裁者がいい人だったら、その人が決めた法律は人々にとっても良いことになるが、独裁者とて間違いを犯す。 一人の独裁者が間違えば、国全体が間違う。 でも、多量の水 つまり大勢の人で決めたことなら、一人や二人間違った判断をしたとしても、過半数の人までもが間違うというのは、ありえなくはないが発生しにくい。 だから 多数の人で決めた法律の方が、独裁者が決めた法律よりマシって考え。 従って悪法だと思えても、あえて正義を擁護するソクラテスは、脱獄という<不正>をおかさなかったわけです。 そしてみんなが決めた法律では、毒にんじんを自分で飲んで自殺するってことだったので、そうしたわけです。 イエスの最後の場面。 紫の衣を着せられ、はがされ、鞭打たれ、十字架にかけられ、槍で突かれた。 これと同じような内容がプラトンの国家の中の擬人の証明に書かれています。 ここまでそっくりだと、イエス作家はプラトンの国家を読んだとしか思えない。 影響を受け、イエス物語の構想を練ることになったのだと思えます。 イエスの磔刑の場合、ユダヤ教関係のお偉い人がイエスは神を愚弄したとして、死を望んだ。 ソクラテスも神を愚弄したという罪でした。 ここまでくると、かなり類似していますね・・・ うほ 困った。。。 相違点、、、相違点、、、 んーー ちと出直してきます。
お礼
回答ありがとうございます。
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