- ベストアンサー
フランス人のルーツ
図書館で読んだ書物にフランス人はヨーロッパ土着のケルト人と残留ローマ人との混血人種である、という記述があったのですがフランス人のルーツ(特に王家)や成り立ちについて興味を持ち始めもっと詳細に知りたくなりました。 また、同じローマ人の末裔であるイタリア人との共通点や相違点なども挙げて頂けると嬉しいです。 ヨーロッパの歴史に詳しい識者の方のご回答をお待ちしております。 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
関連するQ&A
- 元となっている民族について
フランス人は主にゲルマン系ケルト系が混血した民族と外務省のホームページに書かれたりしますが、言語的にはラテンですね。 言語と人種は違うことは多いですけど、ケルト系とかゲルマン系とかはちゃんと遺伝子調査をかをして決めているのですか。 それとも過去の歴史からして、そこにどんな民族がやってきたかとかによって決められているあいまいなものなのでしょうか。 個人的にフランス人は風貌的にも体格的にもラテン系に近いような気がするので聞いて見たのですが。
- ベストアンサー
- 歴史
- ケルト人以前のヨーロッパの先住民族
ヨーロッパにはもともとどんな民族が住んでいたのでしょうか? 特にフランス・ドイツ辺りの民族について知りたいのです。 ケルト人も民族移動によってガリアの地域に移ってきたそうなのですが・・・ ならばケルト人以前のヨーロッパの原住民とはいったいどんな民族なのか? ゲルマン系の民族なのでしょうか? クロマニョン人のルーツはどこへ行ったのでしょう? 新石器時代はいつ頃始まったのでしょう? ストーンヘンジは誰が築いたのか? 衣食住はどんな暮らしをして遺跡は残っていないのか? 青銅器はいつ頃伝わった? 土器と小麦の伝播は? などなど、いろいろ知りたいことがいっぱいです。 情報お寄せ下さい。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
- ケルト民族の子孫のCWニコルさんは今も健在ですか?
CWニコルさんは、ケルト民族の子孫です。 羊を放牧するローマ軍が英国に上陸して、放牧のため森林をことごとく伐採したと言っています。 オーストラリアで日本軍に父を殺されたCWニコルさんは、恨みをもって日本にやってきたのですが、 あまりの森林の豊かさに感動して、 白神山地に住み着きました。 クイズダービーでおなじみだった学習院の篠沢教授は、ケルト専門家・フランスの研究者です。 ハリーポッターの魔法使いは、ケルト人の間では、民間治療薬(薬草)の伝承者でもありました。 篠沢教授は「ケルトのイメージ」はフランス文明の基層になっている…と述べており、実に興味深い。 http://yaplog.jp/wagaai/archive/15 篠沢教授は、ケルト民族のシンボルが描かれたペンダント、マフラー、ショルダーバッグを身につけ登場! これらのグッズがどこで売られているかというと、フランス北西部に位置するブルターニュ半島。 実は、フランス人の先祖は全員ケルト民族なのです。 紀元前1世紀、ケルト人が住んでいたブルターニュを、ローマのジュリアス・シーザー(フランス語でJules César)が征服しました。と同時に、人々はケルト語を捨て、ローマ人のラテン語を話すようになりました。それがフランス語の始まり。ブルターニュ地方は、フランス語の発祥の地なのですね。 ケルト人は、ローマ人侵略以前にすでにブルターニュ半島に住んでいたと言われています。 アングロ・サクソン人がヨーロッパの至るところに建国していった5世紀頃、西ローマ帝国を滅亡させ、 更にイギリスの島々に続々と入って行き、ケルト人をウェールズやスコットランドに追い詰めていき、自分たちはロンドンなどの平野部を支配していきました。 行き場を失ったケルト人は、船でブルターニュへ渡り移住してきます。(※ブルターニュの地名の由来は、イギリスのグレート・ブリテンに対する“小ブリテン”なのです) ローマに征服されて数百年経ち、ケルト人でもラテン語を話すようになった時代でしたが、このブルターニュ地方にはケルト語のままだったのです。 そんな時代背景があった5世紀フランスを舞台にした本作。当時のフランス(※ガリア地方。ギリシャ語では現在でもフランスのことを「ガリア」と呼んでいるそうです。) フランスに住んでいたケルト人は、今のフランス地域が「ガリア」と呼ばれていたことから、ガリア人と呼ばれるようになった。 しばらくの間平和に暮らしていたはずなのだが、紀元前2世紀以降からローマ帝国がちょっかいを出し始め、紀元前58年のシーザーのガリア遠征により、ついに征服されてしまった。その時のシーザーの記録集は「ガリア戦記」という。 森林破壊の・・・・・・ローマ人が 大挙移住し、帝国支配が続く。 その間、ゲルマン族やフン族などの侵入が幾度となくあったが。 ローマ帝国時代の建築物は、今でも南フランスに多く見られるようです。
- 締切済み
- 自然環境・エネルギー
- アメリカ人の人種構成とはどのような感じですか?
アメリカ人の人種構成とはどのような感じですか? 私はアメリカの人種構成が分かりません。 アメリカを支配している西洋系アメリカ人はヨーロッパに祖先を持っていて、他のアメリカ人もルーツではある祖先の国があるので、先住民族とは違うのは分かります。 しかし、人種構成が多種多様で、先住民族も多種多様みたいなので、複雑さが目立つので、困惑します。混血ハーフ率が高いですしね。 (また、モンゴロイド系、ネグロイド系、オーストラロイド系、コーカソイド系などが混在してる訳で、先住民族にはコーカソイド系とモンゴロイド系、ポリシネアン系がいる事が謎です。) それに、中国また台湾やロシアのような多民族国家との違いが分かりません。 ホントに人種構成はどういった感じなのか、謎です。 遺伝子ルーツが混ざり合っているし、枝分かれや先祖返りなどがあり、遺伝子ルーツが謎で複雑ですし、また、Y染色体DNAハプログループを見ても、少しは理解出来てもあまり分かりません。 一体、どういう、人種構成なのでしょうか。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
- フランス仏語の数詞70~99にガリア語の痕跡が残存している理由
下記の数詞一覧サイトは、上から順にフランス仏語、スイス仏語、そしてラテン語のものです。 http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/number/frenchj.html http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/number/swiss_frenchj.html http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/number/latinj.html スイス仏語(ベルギー仏語でも同様ですので、以下「スイス仏語等」とします。)とラテン語が10進法であるのに対し、フランス仏語では70~99が20進法になっています。 これがガリシズムによるものであることは、本カテゴリーの過去のQ&AのQNo.1516390 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1516390.html での、#7氏の説明で判明しました。またこの方も同様のことを述べています。http://blogs.dion.ne.jp/19blog61/archives/1210685.html 但しケルト語とされている点は、おそらく誤りではないにせよ正確ではないと思われます。 本質問において知りたいことは、ガリシズムがフランス仏語の数詞70~99に残存している理由です。 まず、「ガリア」と「ガリア語」に関して調べてみました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%AA%9E しかし、特にここではガリア語がフランス仏語の70~99に残存している理由は発見できませんでした。むしろここでのガリア語の説明では、完全にラテン語に駆逐された、と読めます。 そこで私なりに仮説を立ててみました。真っ先に思い浮かんだのが柳田國男の「文化周圏論」(私が習った時の名称は「文化周縁説」と記憶していますが、名称はこの際どうでもよいことです。下記参照)に立脚するものです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7 すなわち、ローマ帝国は文化の中心であり、ガリア、つまり現代のフランスは地理的にも言語分布上も周圏に該当するのでフランス仏語にガリシズムが残存しているのではないか、ということ。 しかし、これではスイス仏語等がラテン語と同じ10進法であることの説明がつきません。むしろローマ帝国からみればスイスやベルギーの方が地理的にはフランスよりさらに周圏に該当する様に見えるからです。 また、文化周圏論自体が当てはまらないことも考えられます。上記サイトに「柳田自身は晩年になって『蝸牛考』について「あれはどうも駄目なようです」と述懐し、文化周圏論に懐疑的になっていたといわれる。」という記述があります。同論は、偶然、日本でこうした現象が見られただけで、普遍性がないのではないか、とも考えられます。 そこで次に考えたのは、征服者であるローマ帝国に対するre´sistanceの一種なのではないかということ。これは日本がかつて大東亜共栄圏の名の下にアジアの植民地に対し言語、宗教、風俗、習慣から姓名に至るまでありとあらゆるものを日本化しようとした結果、敗戦後、その反発が非常に大きかったという事実から類推したものです。 Wikipediaの「ガリア」の項目には「ガリアはまたローマ文明をよく受け入れ、「ローマ化」が最も成功した地域の一つに数えられる。」という記述が見られますが、果たしてそれは本当かどうか…。フランス人には、「我々はローマ帝国民の末裔でなく、ガリア人の末裔なのだ」という意識があるのではないか…。 例えば仏語のAlphabetのYはイグレック、つまりギリシア(語)のIと言いますね。これは言語にさえ古いものを非常に大切にしておくというフランス人の民族性、それは換言すればconservateurなのかもしれませんが、フランス仏語という言語ひいては文化に色濃く反映されているような気がするのですが…。 以上はあくまでも私の単なる仮説に過ぎません。これに対し、肯定、否定いずれでも構いませんので、論証を伴ったご説明を賜りたく、宜しくお願い致します。 いずれにせよ、こうしたフランス仏語の歴史的・文化的背景やその理由を知ることによって、フランス(人)という民族、文化、歴史が見えてくるような気がします。
- ベストアンサー
- その他(語学)
- 近代ヨーロッパ
高3生です。 受験勉強として世界史を勉強していたのですが、色々疑問が生まれてしまいまして・・・。 1.ハプスブルク家とは何なのでしょうか? 神聖ローマ皇帝に選出されることもあったスペイン・オーストリアの王家という感じですか? 2.神聖ローマ帝国=ドイツと考えていいのでしょうか? また領邦はオーストリアやオランダなどがあると思うのですが、これはつまりドイツの中にオーストリアやオランダがあるということですか? 3.ウェストファリア条約でヨーロッパの主権国家体制が確立された、と教科書にあるのですが、これはウェストファリア条約によって領邦に主権が与えられ、プロイセンなどの主権国家がうまれたということですか? また、そうだとするとイギリスやフランスは何をもって主権国家体制が確立した、というのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- アウグストゥスの政治の仕方を決定づけたのは誰??
ローマ王:アウグストゥス(オクタウィアヌス)についての質問です。 現在では、彼がカエサルの死後、ローマ王とはいわずアウグストゥス(尊厳者)とし、プリンケプスと唱えながらも実際は帝政であったことは周知の事実です。 しかし、疑問があります。 ●その周知の事実を最初に説いた人は誰なのでしょうか?? ●いつ頃からそれが定説となったのでしょう。 ●その定説を最初に記した書物は何なのか。 この三点です。 16世紀にはフランス王シャルル9世をアウグストゥスと重ね合わせて 褒め称えている叙事詩『フランシアード』がロンサールという詩人によって書かれています。 内容がどのような点を取り上げて褒め称えているのかまでは知らないのですが すでに16世紀にはアウグストゥスの政治の仕方について今のような見解になっていたのかな?? と考えています。 皆さんのご意見を御待ちしております。
- ベストアンサー
- 歴史
- イタリアへの新婚旅行
7月に、イタリア(フランス)へ新婚旅行を考えています。 お互いヨーロッパは初めてなのですが、自分はなかなか行ける場所ではないので、各地名所を見て廻れるツアーが良いのですが、彼女の方は一つの都市をゆっくり廻りたいようで、どうしたら良いか迷っています。 イタリアへ行かれた事のある方で、良かった点や悪かった点など、アドバイスを頂ければと思います。 ちなみに予定は10日間です。 また、ローマ、フィレンツェ、ナポリで、観光でおすすめなのは、どの都市でしょうか? 他におすすめの都市などありましたら、お教え頂ければ幸いです。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- ヨーロッパ
- 大物主命とアイヌと・・・
今日、新千歳空港でアイヌの工芸品を買い求めました。この機会に今までずうっと胸に引っかかっていた疑問について質問させてください。 大和(ヤマト)朝廷の原型はヤマタイ国でそれは今の大和地方の三輪山のふもと、桜井辺りだったと考えられています。元々は宮崎の高天原に流れ着いた朝鮮民族だったのでしょう。つまり、縄文時代の人々は大陸から来た弥生土器を作った人々により徐々に征服されし隷属するか土地を追われたということでしょう。ヤマタイの頃には旧支配階級の大物主命(大国主命)は出雲にあって殺されるのですが、一族の残党は日本海を北上して逃げ延び、秋田や青森、北海道で生き延びたのではないでしょうか。そうすると、平泉の頃の安倍氏や清原氏、あるいは安藤氏と出雲の末裔との関係についてどう考えますか?そして・・・縄文人と蝦夷(えみし)、そしてアイヌとは深く関わっているように思うのですがどうでしょうか?もっと言えば。縄文人の末裔として色濃く特徴を残しているのは北の最果てアイヌ民族と南の最果て沖縄民族であり、したがって両者は人種としてかなり共通点を持つのではないかと思うのですがどうでしょうか?もちろん、鎌倉時代以降のさまざまな混血要因を棚上げにして考えた場合です。
- 締切済み
- 歴史
- 中国の国名変更の意味
中国の国名は隋唐清…などいろいろ変わってますよね? 国の名前が変わるというのは、日本で言うとどういう時なのでしょうか? ヨーロッパでみると、ローマ帝国や神聖ローマ帝国など今はもう無い国が存在しました。ある時から、現在もある例えばイングランド、フランス、イタリアなどがでてきました。それぞれの中で王朝や王は変わっていますが、名前は変わっていませんよね?日本も、平氏、源氏、豊臣、徳川、明治政府と支配者が変わっても、日本と言う国は変わっていませんよね? 一方で中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味なのでしょうか?これが一点目。もう少し抽象的に、国の名前が変わる、というのは一般的にどういう時なのでしょうか。 歴史初心者なので愚かな質問になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 【JC-U4013SBK】は超高性能な有線ゲームパッドです。Windows 11環境での動作確認方法を教えてください。
- 【JC-U4013SBK】のWindows 11での動作確認方法を知りたいです。マニュアルに従って確認したいのですが、変更された画面がわかりません。
- 【JC-U4013SBK】のWindows 11での動作確認方法を教えてください。マニュアルに従って確認したいですが、リンク先の画面が変わっています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ローマ帝国から独立できなかったら今のフランスはなかったんですね! 後半実に分かり易くまとめて頂き有難うありがとうございました。