イエスの系図における死罪の人々の偶然な生存について

このQ&Aのポイント
  • イエスの系図には、死罪の運命にあった人々が多く存在しますが、彼らがなぜ生き延びたのかは偶然ではなく、神の計画によるものと言えます。
  • 例えば、イサクは父親に生贄にされそうになりましたが、神によって救われました。同様に、ユダやラハブも死罪の運命から逃れることができました。
  • また、ソロモンは悪事を重ねましたが、罪によって死罪になることはありませんでした。これは神の恵みによるものであり、神の計画に照らして理解すべきです。
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イエスの系図の中で、本来なら死罪の(もしくは死ぬ運命だった)人間が多いのは偶然でしょうか?

こんにちは、 イエスの系図を見ていると、 先ず、 イサク:父親に生贄にされそうになる。 (とわ言っても、途中で止める予定だったけど、、、。) ユダ:姦淫の罪。 死刑 ラハブ:偶然、ヨシュア達の軍勢を助けたから、エリコ人は皆殺しの筈が、生き残る。 ダビデ:姦淫罪=死罪 ソロモン:モレクに犠牲をささげる。 レビ記20章2節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2)「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 列王記上11章7節に ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 7)そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ レハベアム(ソロモンの子):おそらく、かなりの悪事を行ったものと思われる。 死罪 歴代志下12章1節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1)レハベアムはその国が堅く立ち、強くなるに及んで、主のおきてを捨てた。イスラエルも皆彼にならった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 列王記上14章21~22節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 21)ソロモンの子レハベアムはユダで世を治めた。レハベアムは王となったとき四十一歳であったが、主がその名を置くために、イスラエルのすべての部族のうちから選ばれた町エルサレムで、十七年世を治めた。その母の名はナアマといってアンモンびとであった。 22)ユダの人々は、その先祖が行ったすべての事にまさって、主の前に悪を行い、その犯した罪によって主の怒りを引き起こした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ など(最後まで書くと疲れるのでこの辺で、、、、)ソロモン以下かなりの悪人(モーセの律法での死刑に値する罪人)が続きます。  しかし、何故か誰一人として(なっていたら系図に載るはずないから当たり前なんだけど)、死刑にならなかったりして、生き延びてきました。 単なる偶然なんですよね? 教えてください、よろしくお願い致します。

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  • kigurumi
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回答No.5

kigurumiです。 >モレクの事ですよね? 僕には何時まで、あれが続いていたのかサッパリです。 私もさっぱりです。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/first.html ハドリアヌス(在位:117年 - 138年)が勅令で禁止したと書いてありますよね。 カソリックの信者とは、確か訳についてもめたのだったと思います。 ユダヤ人という言葉で原書は書かれておらず、ヘブライ人とかそういう別な名前で原書は書かれていたような。 (喧嘩するため原書が書かれているサイトを表示したところ、相手の方が民族名について指摘され、ユダヤ人を示しているわけじゃあないと言っていた。 モレクを信仰しているツロの王は、ダビデの時代、王宮と神殿を建設する際に、レバノン杉を送り職人も送ったらしいです。 >モレクとエロヒムは名前が似ていても一応別の神様と考えた方が良いような気がするんですが、どうなんでしょうか? 名前というより特徴が同じだから。 伝言ゲームによるズレなのかもしれませんが、インド方面のダキニの概念が他の地方に入ったとき、モレクやヤハウエイになったんじゃないかと。 イエス作家だってイエスに、「私が人々を救いにやってきたとでも思っているのか。そうではない。地上に火を放ち裁くためにやってきた。この地上が既に火が放たれ浄化されていたらどんなによかったか」って言わせていますよね。 火は穢れを清めるという概念があった。 だからウイルスに感染した肉かもしれないので、半焼けじゃなくちゃんと火を通してウイルスを殺してから食べろって言われるでしょ。 火葬にするのも、病原菌を殺さないと、集団が感染して人口が減ってしまっては困るからでしょ? キリスト教は肉体の復活を信じているので、火葬にはしないそうですが。 >>>レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。 >全てがそうではありませんよ。 20章は「イスラエルの全ての人に言いなさい。」で始まっています。章によってはレビ人専用の掟が書かれた章もあります。 私はレビ記の内容って聖職者向けのハウツーマニュアルだと思っているんですね。 レビ族が宗教的にも政治的にも支配権を持っていたとき、人民をどう指導するかは聖職者にかかっていたが、派遣されるレビによって言うことが違ったら困るじゃないですか。 カソリックも宗教規範を作り思想を統一していますので、バチカンから派遣される人によって、同じ箇所なのに、説教をする人によって違うってことは無いでしょ? 信者をどう導くかの異口同音にするため、規範 つまりマニュアルを作って教育して、認定された人が派遣されるので、どの聖職者が言っても全く同じ指導の仕方になるってシステムになっている。 >ユダとタマル、どっちもレビ記的には罪人なので、どっこいどっこいですね。 長男・次男が罪人すぎたので、も神によって命を取り上げらた、もしくはユダ自身が重大な罪を犯したから、彼の息子を神が取り上げた というのが古代の解釈。 智恵文学で、ヨブの物語がありますよね。 ヨブは息子たちが死んでいる。 息子たちは死ぬわ、家畜は全滅するわ 家を失うわで散々な目にあったとき、友人の一人は「自分では気づかないが、神は全てお見通して、神が凝らし目をするほどの重大な罪をおかしていたんだよ きっと」っと言った。 子供を失うってのは、必ず理由があるはずだって、古代のこの民族は因果関係があると思っていた。 マリアの両親は子供ができず、神殿に行って神様に子供をさずけてくださいと祈りに行こうとしたが、聖職者は「お前たちに子供ができないのは、神がお前たちを呪っているからだ。神に呪われた者たちを神殿で祈らせることはできない」と追っ払った。 そのため、マリアの父親は荒れ野で罪を清めるために40日間修行したってなっています。 これがこの民族の価値観。 イエスの祖先に4人の悪女がいる とよく指摘されますが、女は関係ない。 男の子供は女を通して授かるとされるので、女は男の子供を体内で育成してこの世に排出する土壌みたいなものと捉えていたようです。 要は男。種次第ってことらしいです。 これでいくと、<イエスの祖先の4人の悪女>って言うのは着目が間違えていると思えるんですね。 イエスの祖先の沢山の神に背信する男たち ってのが的を得ていると思える。 >ここら辺が良く分からないのですが、デナの言い分はどうだったんでしょうね?  んーー  ヤコブは罪を犯して、民族の罪をとりのぞくため逃亡の旅に出て、井戸で(ヒエロスガモス再登場)ラケルを見初めますよね。 ラケルもヤコブを気に入ったが、すぐ合体せず、ヤコブはラバンの元で奉仕して、ラケルを娶ろうとした。 ところが7年ラバンに奉公したのに、ラバンはヤコブに長女レアを与えた。 レアはヤコブがラケルを欲していたと知っていたでしょうから、ラバンにヤコブに嫁げと言われて複雑だったかも。 結局 ヤコブって4人も妻持ったので、、、、ラケルのみ愛したわけじゃあなかったようです。 その第一婦人のレアが産んだ娘がダナ。 ダナのみ族長にならなかったのは、女性は土壌と考えられていたからじゃないかと。 土壌に種付けするときは、契約した後ってことじゃないかと。 ヤコブのように長年奉公してから嫁もらえってことかな? その頃、女性たちは家長に「あの男に嫁げ」と言われてどうだったのでしょうね。 日本は昔お見合いですらなく、結婚式で始めて夫となる人に会うってのは、普通だったらしいです。 そういう人にどう思ったかって聞いたことあります。 「好きもよいも悪いもない。 父親がそう命令したからそれに従ったまで。」とどの女性も答えてましたね。 従うことで生き延びるってことかしら?? ただ、娘を男に嫁がせるときは、それ相当の財産を持たせたでしょうから、家長が認めた男にのみに娘を与えて財産分けしたと思うので、父親は娘の結婚相手を吟味したでしょうし、娘も父親が太鼓判を押す相手なら と受け入れたんじゃないか と。 (ただ この時代、恐らく財産は母親から娘に引き継がれていたと思うので、より慎重に娘を嫁がせる男を選んだと思います。) >いや、最高権力者だったから、「なんてことを~~~~~、、、、あ、、誰も俺罰せれないじゃん。 じゃ好きにしよう。」だと、、、。 モーセの場合、殺人を犯し、誰もがモーセは殺人者だと知っていたのに、とがめられていませんよね? モーセはエジプトの女王の息子ですから、誰も文句言えなかった。 でもモーセは罪を感じ、集団から罪を取り払うために、エジプトから離れた。 モーセとダビデの格の違いが伺える。 モーセは宗教的指導者 兼 政治的指導者。 ダビデは政治的指導者でありながら、宗教的にも指導者になろうとした。 おもしろいですねぇ。 ここらあたりから、宗教的指導者の力が政治的指導者におさえつけられ、乗っ取られ出したんじゃないか と。 ダビデの時代から、ダビデが選んだ家を大祭司に据えて、それはユダヤ戦争の時代まで続いたんだったような気がします。 >子供を生んだという事が書かれていないので、よう分からないのですが、どうなんでしょうね? 外典のヨベル書に、カインはアダムとイヴの長女のアワンと結婚したと書かれています。 >もしかして、、、、という事は信者の方からすると、、、、質問文であげた人物全員、聖者なんでしょうか? 律法破っているけど。 アブラハムは今まであった人間を生贄にすることで、自らの罪を消すという風習を撤廃した人 という認識なんじゃないかと。 イサクはどちらかというと初子の方 つまり長男が偉いって言い分をするのに利用されただけのような。 神から救われたというよりも。。。 神は「たとえ疎まれても長男が偉い」みたいなことを言ったとされます。 だからイシュマルの方に寵愛を注ぎ、追放されたハガルとイシュマルが死なないように養った となっています。 イシュマルの方がイサクより前にイサクの子として生まれていますから。 ユダは、自分の犯した罪に気づいて清い状態の戻った手本の人って設定じゃないかと。 放蕩息子の帰還とか 信者に受けているじゃないですか。 放蕩 つまり 罪を犯したが、その息子が清い状態に戻る ってのが聖書のメインテーマじゃないかと。 ラハブは神官って設定じゃないかと。 だからラハブが選んだ男に祝福が与えられる。 つまり女神の地上の体現者ラハブが選んだものが生き延びる つまり 女神がこの民族に微笑んだってことじゃないかと。 日本も茅の輪の風習ありますよね。 恐らく子沢山のまじないの一種じゃないかと。 ソロモンは、、、、 異教の神の偶像を神殿に設置して崇拝していた人物 というおり、知能が高いための成功した偉大な政治家ってことじゃないか と。 ユデア方面は鉄が取れず、ヒッタイトと交易をして原材料を仕入れており、加工の技術はあったので、武器に加工して武器を近隣諸国に売りさばき、国に繁栄をもたらすことに成功をしたとすれば、交易先とに有効の証として、神殿に異教の偶像を設置し、各地から原材料を売りに来たり、武器を買いに来た商人たちが、故郷を離れた期間も信仰を保てるように図ったってことじゃないか と。 戦略家だぁ。 異教の人々が自分の信仰する神を拝むのはオッケーってすることで、「ソロモン なにしとる」と言われなかったんじゃないかと。 レハベハムは、宗教分裂の時代に生まれたのだと思えます。 本来ならソロモンは第二子ですから、長男がダビデの王位をひきつぐはずだったが、いろいろあってソロモンを押す派閥が勝利した。 ソロモン死ぬと、もう一度 支配権争奪戦に巻き込まれたんじゃないかと。 エッサイの子孫を否定する派閥が現れ、ぐちゃぐちゃになって、「じゃあ 俺たちエッサイ一族をリーダーとする集団で別の国を作る」ってことで、独立したんじゃないかと。 その独立した方がユデア つまり ユダヤ王国。 で、バビロンに捕囚された以降に、今までの言い伝えをとりまとめ、ユダヤ教を確立したんじゃないかと。 マニュアル(旧約聖書)が完成したのは、紀元1世紀頃だったらしいです。 そうした途端、ローマによって離散させられ、エルサレムから追い出されてしまいましたが。 神の民族に対する重罰ってことなんでしょうかねぇ・・・。 これ以降2000年も離散させられてしまって。。。 しかもまだ神殿を建設することを許してくれない。 こりゃ エッサイの枝以外から、メシアを出すしかないんじゃないかと。 大祭司の血筋 守られていると思うので、神の元に戻ってそこから神のいいつけ通り出すしかないんじゃないかと。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お気づきだと思いますが、長文になったので、補足欄に返信しておきまし た。 解決不能と思われたんですが、なんとか解決!!! 改めて、御礼申し上げます。

zatousan
質問者

補足

いつもお世話になります。 >ユダヤ人という言葉で原書は書かれておらず、 そういえば、なんて名前だか忘れましたが、アレクサンドロス大王征統記にも別の民族名で書かれていました。 そういえば、ユダヤ人っていつ生まれた言葉なんでしょうね? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA では、バビロン捕囚の時みたいですが、アレクサンドロス大王はそれより後の時代だし、、、。 >インド方面のダキニの概念が他の地方に入ったとき、モレクやヤハウエイになったんじゃないかと。 ダキニをご存知なんですね。 人身御供に関しては、伝言ゲームが原因なのか、昔は皆やっていたことなのか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%BE%A1%E4%BE%9B 他にも、ローマの歴史家タキトウスの著書「ゲルマーニア」でもゲルマン人が人身御供を行っていたことを記録していますから、世界中どこでも行っていたようにも感じられます。 >「私が人々を救いにやってきたとでも思っているのか。そうではない。 >地上に火を放ち裁くためにやってきた。この地上が既に火が放たれ浄化されていたらどんなによかったか」って言わせていますよね。 そこなんですが、、、これまた複雑怪奇なんです。 ルカ9章54~55節 イエス達一行、エルサレムに向かおうとするも、歓迎されないと、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 54)弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。 55)イエスは振り返って、彼らをおしかりになった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ルカ12章49節 (突然前触れも無く、) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 49)わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どっちなの? 本音は? 混乱が起きています。 「後者の火=聖霊」つまり、「火が燃えている=人々が正義感に燃えている。」というオチでしょうか? 前者は、エリヤが大量殺人した天から降らす炎でしょうかね? 「後者の火」が燃え出すと、 ルカ12章51節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 51)あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 分裂してしまう、、、、、。 そんな正義感いりません。 和をもって尊しとするにしてください。 >火は穢れを清める ある意味合ってますよね。、モーセは、燃えないものなら(鍋等の金属製の物とか)、なんでもかんでも火を通せって。 >私はレビ記の内容って聖職者向けのハウツーマニュアル あ、言葉を取り違えていました。 そういう意味でのレビ人専用ですか。 それならそうですね。 >「好きもよいも悪いもない。 父親がそう命令したからそれに従ったまで。」とどの女性も答えてましたね。 僕も聞いたことありますが、嫌だったのに無理やりさせられたと言っていた人もいました。 人それぞれですが、やっぱり、おそろしいもんですね風習だからとなんの気兼ねも無くやれちゃう人って、、、。 >宗教的指導者の力が政治的指導者におさえつけられ、乗っ取られ出したんじゃないか と。 それは、僕も感じますね。 >外典のヨベル書に、カインはアダムとイヴの長女のアワンと結婚したと書かれています。 いつか、外典も読まんと、、、、神話フェチですから。でも図書館に無いから自費で買わないといけないんですね、、、。(泣) >アブラハムは~、 アブラハムからレハベアムまで、一応そう受け止めると、「悪くは無い人」になりますね。 <こりゃ エッサイの枝以外から、メシアを出すしかないんじゃないかと。> <大祭司の血筋 守られていると思うので、神の元に戻ってそこから神のいいつけ通り出すしかないんじゃないかと。> そもそも、エッサイの枝の考えかた自身、宗教指導者が政治的支配者に制圧されて、ダビデの家系について良い予言をする預言者の言葉しか残らなかったのかも? とも時々考えます。 ちゅうか、いい加減に聖書に頼らんで自分で考え~!でしょうか? 兎に角、何となく解決しました。 イエス先祖は悪人ではない(と思われている)。 だから僕の懸念は意味がないようです。 一応もう数日待ってから締め切ります。 改めてご回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • kigurumi
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回答No.4

kigurumiです。 あ、、、ちがった。 >金の雄牛登場 じゃなくて 金の山羊登場 でした。

  • kigurumi
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回答No.3

kigurumiです。 <生贄>については以前考えたんですよ。 この件で、カソリック信者ととっくみあいの喧嘩をしたんですが、私は<この民族が生贄をしていた。新約聖書が書かれた頃も生贄をしていた>という路線でした。 ただ、これだけの頭脳を持つ民族が、本当に人間を生贄にして食っていたのかなぁ・・と信じられず。 いっくら古代で価値観が違うといっても、今も昔も心ってものは変らないだろうに。 しかし、これが宗教というスイッチが入ると、やっちゃうのかなぁ・・・ と。 ローマ皇帝は、わざわざ法律を作ってユダヤ人に人間を生贄にして食うことを禁止したとされるが、その全文が見つからない。 決定的な証拠が出せなかった。 行き止まり・・・かと思えば、、、やはり神話は神話でひもとくのがよろしいようで。 ボイオティア神話。 プリクソスは生贄に捧げられるところだったが金の雄牛登場。身代わりになってくれた。 この神話がユダヤ人に伝わると、イサク物語りとして語られることになったわけですね。(牡羊座の神話) 寝落ちみたいな落ちですね ^^; >12)子の妻と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。 おおっ! 調べてますね。 この文章をどう料理するか。 レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。 子の妻がお舅さんの子供をはらんだら、子の妻は夫の子供を残せないですよね。 そうなると、姦淫ですよね。 夫が生きているうちはやっちゃいけないですもんね。 >25)しかし、男が、人と婚約した女に野で会い、その女を捕えてこれを犯したならば、その男だけを殺さなければならない。 >なので、どちらにしても、ユダは死罪かと思いましたかどうでしょうか? うむ、タマルが3男と婚約していたら、姦淫したとなるかも。 だから、ユダが怒ったのかも。 ところが、亡き夫の子供を残す行為をしようとするタマルと、息子の子供ができるのを妨げようとしたユダの行為。 どっちが罪が重いでしょうね。 って問題じゃないか と。 で、ふっとここで気づいたんですね。 <イエスの系図の中で>と質問に書いておられますが、新約聖書 マタイとルカでしたっけ? に書かれている系図はイエスの系図では無い。 イエスと血のつながりが無いユダ族のヨセフって男の系図です。 なんでイエスと血のつながりが無い男の系図を長々と書く必要があったのか。 最大の謎の一つ。 ヨセフは婚約者のタマル じゃなくてマリアが既に妊娠していたと知り、悩んだが気の毒に思ったかどうか、マリアと婚約破棄をしなかったってなっていますよね。 ヨセフは正しい人だったので、腹ボテマリアを娶ったとなっている。 ユダはタマルの方が正しいと言った。 マリアはアロン家の血族の可能性がありますよね。 タマル 何者なんでしょうね。 調べたけど出自がわかりませんでした。 >2)その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた いっくら愛しているからといっても、同意無しの性交はレイプってことですね。 自分の民族を辱める行為をしたとして、報復していますね。 契約という手順を踏んでなかったのがいけなかったんじゃないか と。 ダビデのこの物語は少なくとも2つ意味を持っていると思えます。 一つは人に指摘されないと、自分が犯した罪に気づかないが、自分の行為に罪があったと悟った瞬間許される。 みたいな? もう一つは、バテシバとの結婚は、女神と聖王の聖婚(ヒエロスガモス)を現していると思える。 物語の中では、二人の初子は神にささげられている。(死んでいる) >カインの結婚相手がいるからですか? 確かに、アダムとイヴ以外に居ない筈の人達がいますね。 いえ、カインはアダムとイヴが両親。 そしてカインの妻の両親もアダムとイヴ。 つまりカインは実の妹と結婚して子供をもうけていることになっているんです。 http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/creation_01.html その文章の指摘箇所は違いますが、内容を読むと、詳細が違うので、少なくとも2度神は人間を創ったかのように捉えることができるでしょ? ヤハウエストとエロヒストでは天地創造が違うのが原因で、どっちが正しいともわからないので、どっちも載せたってだけだと思いますが。 恐らく 同じ内容を別々に取り入れたから2回創造したことかのようになってしまっているんじゃないか と。 で、、、、 結局 イエスって人物は実在していませんが、聖書を神話や教訓物語ととらえるのなら価値がある文学作品だと思います。 ただ、、、、イエスと関係ない男の系図をどうしてあんなにスペースを裂き載せたのか。 あるたくらみがあったからだと思える。 エッサイの枝から王が誕生するって主張をするため、ヨセフの系図を書いたのだと思う。 処女が子を産むってのは処女宮(乙女座)の神話のことで、イエスってのが本当にいたら、処女宮(ベツレヘム=パンの家)から生まれたくらいすごい神聖な人って意味になるわけで、実の父ヨセフ、母マリアでいいわけです。 女神から授かった子供を育てる ということで両親が養父母と仮定するのは、理解できる。 水の概念を持つ女神から生まれたとしてMAでしょ。 Mは水でAは初めや誕生。 MAMAで母親って意味で、印欧語圏では、母親はMAMA。 だからといって川から流れてきた桃太郎は実の子じゃないとか、川から取れたモーセは実の子じゃないとか、そういうことを言っていたわけじゃあないと思える。 ということで、イエスのモデルになる人がいたとしたら、実の父ヨセフ、母マリアでいいんじゃないか と。 でも イエスの祖先は罪深い? ええ、それでも崇拝されえるってところに、救いがあるんじゃないかと。 例えば、ヨシア記のイエス(ヨシア)ってエリコの住民を大虐殺したとなっていますよね。 子供も全部 みなごろにした血も涙も無い鬼畜イエス。 だけど民族に利益をもたらしたから、悪く言われていませんよね? ナポレオンだって大虐殺しましたが、英雄とされるでしょ? 結局 人間の価値って、自分に利益をもたらすかかどうかで、善悪の判定は分かれるんじゃないか と。

zatousan
質問者

補足

再度のご回答ありがとうございます。 <<生贄>については以前考えたんですよ。> モレクの事ですよね? 僕には何時まで、あれが続いていたのかサッパリです。 <金の雄牛登場。身代わりになってくれた。> <この神話がユダヤ人に伝わると、イサク物語りとして語られることになったわけですね。(牡羊座の神話)> 生贄と食っていたってイサクの話ですか? モレクとエロヒムは名前が似ていても一応別の神様と考えた方が良いような気がするんですが、どうなんでしょうか? それにしても、神話って面白いですね、伝言ゲームの初めの言葉なーんだ?って感じですね。 >レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。 全てがそうではありませんよ。 20章は「イスラエルの全ての人に言いなさい。」で始まっています。章によってはレビ人専用の掟が書かれた章もあります。 >夫が生きているうちはやっちゃいけないですもんね。 どうもレビ記を見ていると、婚約=結婚したも同然、だったようです。 3男に与えると一応言っていますので、、婚約、許婚かな? ユダとタマル、どっちもレビ記的には罪人なので、どっこいどっこいですね。 >新約聖書 マタイとルカでしたっけ? に書かれている系図はイエスの系図では無い。 そういえば、今までどこで聞いたか覚えていないんですが、マタイはヨセフの系図、ルカはマリヤの系図だとか、二人はいとこだったとか聞いて納得していましたが、、、何処に根拠があって、、、そんな事言っていたんだろう??? 新たな疑問が、、。 本題とずれますので、この質問が解決したら新たに質問立てます。 >いっくら愛しているからといっても、同意無しの性交はレイプってことですね。 ここら辺が良く分からないのですが、デナの言い分はどうだったんでしょうね?  また、どっちにしろ、レアや、ラケルのように父親の決めた人と好きであろうとなかろうと結婚させられるんでしょうが、、、。 >契約という手順を踏んでなかったのがいけなかったんじゃないか と。 婚前交渉はいかんよって事ですよね? やっぱ。 >ダビデのこの物語は少なくとも2つ意味を持っていると思えます。 >一つは人に指摘されないと、自分が犯した罪に気づかないが、自分の行為に罪があったと悟った瞬間許される。 みたいな? いや、最高権力者だったから、「なんてことを~~~~~、、、、あ、、誰も俺罰せれないじゃん。 じゃ好きにしよう。」だと、、、。 >そしてカインの妻の両親もアダムとイヴ。 子供を生んだという事が書かれていないので、よう分からないのですが、どうなんでしょうね? >その文章の指摘箇所は違いますが、内容を読むと、詳細が違うので、少なくとも2度神は人間を創ったかのように捉えることができるでしょ? 確かに! >例えば、ヨシア記のイエス(ヨシア)ってエリコの住民を大虐殺したとなっていますよね。 >子供も全部 みなごろにした血も涙も無い鬼畜イエス。 >だけど民族に利益をもたらしたから、悪く言われていませんよね? >ナポレオンだって大虐殺しましたが、英雄とされるでしょ? もしかして、、、、という事は信者の方からすると、、、、質問文であげた人物全員、聖者なんでしょうか? 律法破っているけど。 こんな悪人をなんで先祖の設定にした????? と思っているのは少数派なのかも? 改めてご回答ありがとうございました。

  • kigurumi
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回答No.2

まず、えっと、、、 聖書では神はアブラハムの信仰を試したため、初子を自分の罪を清めるための生贄として捧げよと命令したことになっております。 神の命令に違反することは神に背くことになります。 エジプトやバビロンでは、生贄の儀式として初子を捧げる風習があったそうです。 ですが、殺していたのではなく、聖職者にした  あるいは 儀式をする際に、長男が借り出されていた って意味じゃないかと。 この民族は移動する民族でしたので、幕屋を担いで次の移動先に持っていってました。 その際 レビ族以外にも担がなければ移動できなかったのですが、聖なるものとされるものに一般の人がタッチすると穢れるとされ、それで一般人の中で長男は神から祝福された者に与えられた聖なる子として、移動の際に神輿を担ぐため借り出されていたのではないか と。 日本の神輿ももしかしたら昔は長男のみ担げたのかもしれない。 で、恐らくですが、バビロン捕囚以降にアブラハムとイサクのこの物語は作られたのではないか と。 その頃は、神殿がありましたから、移動しないので、初子を移動の際に借り出すってことをする必要が無く、従って初子を捧げるということは今はしていない理由として、そのようなエピソードがあったのと、神の命令にはあくまで忠実ってことを言うために、作られた物語じゃないか と。 キリスト教も、子供を神に捧げるってのは、子供を聖職者にするって意味でしょ? 神に捧げるため殺しはしないでしょ? 二度と会えない閉ざされた世界に自分の大事な長男を捧げる=信仰深い って評価されたでしょ? ユダは姦淫していない。 確か妻死んでいたと思います。 嫁を家族の誰かと結婚させるわけですが、息子限定って決まりは無かったと思います。 タマルと死んだ長男の間にできるはずだった子供は、タマルとユダの間にできた子供として生まれる というわけです。 ユダは自分の分身の息子たちが次々死ぬので、3番目の自分の分身まで死なれては困るってことで、タマルと結婚させなかったと思える。 ですが、3番目と長男の子供が残るわけで、タマルは間違えていないとなる。 最初から、未亡人タマルを嫁にしたかったでしょうけど、その頃はまだユダの妻は生きていたじゃないか と。 古代では自分の血筋が重要視されており、自分の分身が子供であるという認識で、自分の分身は女を通してこの世にまた誕生するという考えがあった。 ところが中には女の子が生まれることもあった。 これは当時の哲学者の頭を悩ませる問題だったそうです。 男の子供は男になるはずなのに、どうして女が生まれるのだ???と。 聖職者ヨハネは、ヘロデは姦淫をしていると批判したことになっています。 これはヘロデが兄か弟の妻だった人を嫁にもらったから。 夫が生きているうちは、未亡人じゃないので、その生きている男の妻を自分の妻とすることはできないんです。 死んでいたらオッケーです。 ラハブってのが、なんでバビロンの神話の中に登場するティアマートが生み出した獣が、ここでラハブとして物語に登場するんでしょうね。 アブラハムって今のイラクのある地域の出身ですよね。 ということは、当然、聖書の元ネタの物語を保有していた民族の出身。 従って、ラハブが聖書にも出てくるわけです。 神に対して反乱を起こした神々と戦うために、ティアマートが生み出した獣 ラハブ。 「ラハブ 懲らしめちゃいなさい」として懲らしめの役割を持っているラハブちゃん。 ティアマートの分身でもあるわけで、、、 エリコの住民、もしかして海の民の分派だったのかもしれないですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%B0%91 ペリシテ人とユダヤ人って辿ると同じ人を祖とするんですけどね。 作者が何を言いたかったのかは、わかりません。 が、実在していたとしたら、女神はヨシア側に微笑んだってことを言いたかったのかも。 ダビデは厳密には姦淫を犯していない。 バトシェバの夫を殺した後、結婚している。 洗礼者ヨハネがヘロデが姦淫をしたと言ったことを姦淫の意味だとすればね。 イエスは姦淫をしたという女を救ったとありますよね。 ダニエルでしたっけ? あれに好きな女が自分になびかなかったから姦淫をしたとした長老かなにかが登場して裁判にかけて性交を拒んだ女を殺そうと図り、ダニエルがその嘘を見破り女を救ったってストーリーがありますね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8A_(%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8) ダビデも覗き屋の立場として後に登場する。 繰り返し語られるストーリー。 果てはマグダラのマリアは売春婦で、彼女をイエスが救ったって話にまでなっちゃって。 「おいおい  あなたの罪は許されたって」もしかして、罪も無いのに罪人だとされたのかもしれないぞー。 罪を犯したと決め付けるなーー イエスのばっかー って思いました。 マグダラのマリアは後に冤罪を晴らされたけどね。 ソロモンのモレク。 これはわからないです。 ローマがエルサレム神殿を破壊したあとも、ユダヤ人は初子を生贄として捧げていたため、ローマはわざわざ生贄の儀式を禁止する法律を制定したらしいです。 ですが、誤解かも。 キリスト教徒は血族が無い人も兄弟姉妹と呼ぶことから、近親相姦をしているとされ、ぶどう酒とパンの儀式を見て、人を殺してその血を飲み、人肉を食っていえるとされ、鬼畜どもがとローマ帝国により迫害されましたよね。 これに似たようなものかも。 モレクってバアルで、バアルはヤハウエイなので、結局同一の神を信仰しているってことにもなりますし。 レハベアム。 これは、、、 ソロモンの死後、聖職者同士で権力争いをして、自分の派閥が推す者を王にすれば政権が取れると、今でいうならダライラマにまつわる政権争いと同じことが起きたらしいんですね。 だいたい その神話見ても、勝ったほうのが神話を作っており、負けた方を悪者に設定して悪いことをしたという話にしているじゃないですか。 旧約聖書を読んでて、「あれ?」って思うことがありませんか? 例えば創世記では少なくとも神は2度は人間を作っていることになっている。 アダム一家以外に別の人間を作っていることになる。 別の人間 つまり原罪を負っていない人間と原罪を負っているとされる人間がいることになっている。 日本人は原罪を負っていないので、洪水に見舞われなかった人々の子孫? と考えるより、、、 いろいろな派閥があり、どの派閥により物語が違うらしんです。 例えば、時代によってどの派閥が権力をもったかで、聖職者が政治支配者より上になっていたり、政治支配者の方が聖職者より権力を持っていたとして描かれていたり。 あとは思想家は、古代の有名人とされる人の名前をもって、モンが足りを作ったそうです。 だから、実際ダビデやソロモンがやったとされる内容も、実は本人はやってはおらず、後世の思想家の考えとして描かれている場合がある。 で、どれが本当の物語なのか誰もわからなかったそうです。 従って聖書を編纂するとき、「恐らくこれ ソロモンが実際にやったものじゃないか?」「ダビデが実際やったことじゃないか」と思えるものを、聖典に加えたらしいです。 しかし、真実を知る人はいないので、聖典に入れなかった物語も残したのだそうです。 聖典に入れたものは真実の物語とは限らないとしたから、残したわけですよね。 神に関することが書かれた書物はたとえ偽者だと思えても、絶対に燃やしてはならない という掟があったのもそのためじゃないか と。 キリスト教のある一派は、「これが真実 それ以外は偽物語だから、我々が真実と決定した物以外の物語はこの世から抹殺」という方針だったので、神に関することが書かれている書物でも、自分たちが認めなかった書物は燃やさせた。 他の物語が無くなれば、自分たちの主張する物語のみ残り、それを支持する自分が唯一の正義になりえる ってことで、工作したわけです。 ところが、神に関する書物を燃やすことは、神への最大の背信行為だとする掟を守り、燃やさなかった人もいたわけです。 秘密裏に隠した。 公にすると焚書命令を出した上司に殺される時代でしたから。 工作によりキリスト教の独占権を取った派閥は、もう安泰だと思って2千年近く独占政治をし続けたわけです。 ところが、、、出てきちゃいました。 あるはあるは、古代のキリスト教は1つの思想ではなく、今とは比べ物にならないほど多数のキリスト教があったとわかった。 神は隠したものも表にさらけ出し裁く。 うまいこといいますよね。 隠しても無駄だったってことですね。 工作失敗。 神を殺したはずが、神は死んでいなかったようで、今は神殺しをたくらんだ派閥 V S神との戦争状態。 神が勝つか、神になりすましたキリスト教が勝つか。 傍観してます。笑 あとですね。 ユダヤ教は聖書通りのイエスが存在していたことを認めていません。 だってこれだけ不利になるような物語を残した民族が、自分たちの不利になるようなイエスの実在を残さないはずないでしょ? 誰も実在を知らなかったのなら、すっごい小さな地域で細々と活動していたことになるじゃないですか。 エルサレムに入場するとき、人々はイエスを見たはずですよね。 誰も知らない 見ていない。 どうして? だって実在しない人物だから。 ユダヤの歴史の隅々まで知っていたヨセフスすら、イエスが実在したことを記録に残していない。 だって存在しなかったことを歴史家ヨセフスは記録として残せませんよね? ローマの資料にピラトの名前はある。がイエスは無い。 その実在しない人の系図がどうしてあるのか? しかも 書物によって系図が違う。 幾多の戦争で系図が残せ無くなったため というより、イエスは実在しておらず、政権を取ろうとする人がでっちあげたというのが素直な見方じゃないか と。 日本書紀でも混乱が見られますよね。 1000年近く生きたようになってしまっている。 正当性を示すために後世に作られたわけだが、もっともらしいようで、現実 人間 そんなに生きらないこと考慮すれば、系図は正しいことが書かれているわけじゃあないとわかります。 ですが、天皇を神にしたてあげることで、1000年近く生きることが可能だとしている。 で、聖書を読むとき、???って箇所があれば、それは少なくとも派閥争いがあったって推測して、どの派閥の言い分だろう?って考えた方がいいと思うんですね。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。補足欄からの続きです。 補足欄では気がつけば、クダクダとすいませんキグルミ様の胸をかりるつもりで、ガンガン突っ込んでしまいました。 >「おいおい  あなたの罪は許されたって」もしかして、罪も無いのに罪人だとされたのかもしれないぞー。 >罪を犯したと決め付けるなーー イエスのばっかー って思いました。 ここは爆笑しました。 確かに千里眼でも持ってなきゃ、「んな勝手に、、、。」ですよね。 >モレクってバアルで、バアルはヤハウエイなので、結局同一の神を信仰しているってことにもなりますし 名前は一緒でも、同姓同名って事なんでしょうかね? そこら辺は僕にはサッパリ。 ただやっぱり、人身御供はしたんだと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AC%E3%82%AF <だいたい その神話見ても、勝ったほうのが神話を作っており、負けた方を悪者に設定して悪いことをしたという話にしているじゃないですか。> 確かに、仰る通り、テロリスト・ダビデが聖人になっていたり、おかしな表現が多いですが、レハベアムは悪人にされていますね。 これも、派閥争いの結果でしょうかね? ソロモン派は途中で、聖書記録係りに裏切られた? <例えば創世記では少なくとも神は2度は人間を作っていることになっている。> カインの結婚相手がいるからですか? 確かに、アダムとイヴ以外に居ない筈の人達がいますね。 そして、最後までご回答拝読しました。 う~ん、それにしても流石ですね~、インド関係だったら、もしかしたら僕の方が知っているかも知れませんが、イスラエル近郊の神話の知識ではかないませんよ。 またなにか質問があった時は、よろしくお願い致します。

zatousan
質問者

補足

待ってました! 着ぐるみさん! 今回も、自由に見解を述べますと、 >キリスト教も、子供を神に捧げるってのは、子供を聖職者にするって意味でしょ? >神に捧げるため殺しはしないでしょ? 創世記22章9~12節 全て引用すると長いので、10節だけ、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ アブラハムが手を差し伸べ、刃物を取ってその子を殺そうとした時、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >で、恐らくですが、バビロン捕囚以降にアブラハムとイサクのこの物語は作られたのではないか と。 僕も資料仮説を信じているので、そうだと思います。 >ユダは姦淫していない。 >確か妻死んでいたと思います。 はい、妻は死んでいます。 しかし、タマルは3男と結婚の約束(=婚約)していましたよね。 レビ記20章12節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 12)子の妻と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、申命記22章25節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 25)しかし、男が、人と婚約した女に野で会い、その女を捕えてこれを犯したならば、その男だけを殺さなければならない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ なので、どちらにしても、ユダは死罪かと思いましたかどうでしょうか? また、婚前交渉の立場からみると、(結婚してませんでしたよね、ユダとタマル)。 創世記34章1~2節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1)レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、 2)その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自由恋愛をしたシケム君。 真剣に愛していました、結婚を申し込みます。 創世記34章4節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 4)シケムは父ハモルに言った、「この娘をわたしの妻にめとってください」。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかしそれは、 創世記34章 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 7)ヤコブの子らは野から帰り、この事を聞いて、悲しみ、かつ非常に怒った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに愚かなことをしたためで、こんなことは、してはならぬ事だからである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ という訳で、やっぱり姦淫だと思うんですがどうでしょうか? ラハブは、なんと、バビロン神話にも登場するんですか? 聖書では、ご存知の通り遊女です。 ダビデは、アビガイルを妻にした時は、夫を殺してのあとでしたが、バテシバとは違います。後にバテシバと結婚しましたが、初めての出会いは、まだバテシバの旦那が存命中だった筈です。しかも妊娠させてしまったので、冷や汗だったようです。初めは誤魔化してウリヤの子としようとしたものの、上手くいかず結局殺したんでしたね。 長いのでサムエル記下11章をご存知とは思いますが再度お読みいただければご理解いただけると思います。 またサムエル記下の12章には(預言者)ナタンが来てダビデを責めています。 ダビデ自身詩篇の中で苦しい詩を述べています。 詩篇第1巻38篇7節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 7)わたしの腰はことごとく焼け、わたしの肉には全きところがありません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 不倫の後には腰でも神の火で焼かれる悪夢を見たんでしょうね。 お礼欄に続きます。

  • sennin-
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.1

zatousanさん 「列王記上11章ソロモンの背信とその結果」を引用しているけど 12節からこんなことが記述されていますよ。 あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代には その手から王国を裂いて取り上げる。 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。

zatousan
質問者

お礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。 >12節からこんなことが記述されていますよ。 それは、知っていますが、、、、。 回答者様のご引用された聖句が示した通り、王国を引き裂く為にソロモンに敵ができましたね。 列王記11章14節と23節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 14)こうして主はエドムびとハダデを起して、ソロモンの敵とされた。彼はエドムの王家の者であった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 23)神はまたエリアダの子レゾンを起してソロモンの敵とされた。彼はその主人ゾバの王ハダデゼルのもとを逃げ去った者であった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、その後王国は衰退していきますが、それと悪人が沢山出るのと関係あるのでしょうか? それとイエスの系図に死罪もしくは死ぬ運命だったはずの人が多いのと関係ありますか? 改めてご回答ありがとうございます。

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     旧約聖書の小預言とされるゼカリヤ14章4~5節に、以下のような記述があります。(少し長いです)   新共同訳聖書 4節 その日、主は御足をもって  エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる。  オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。  山の半分は北に退き、半分は南に退く。 5節 あなたたちはわが山の谷を通って逃げよ。山あいの谷はアツァルにまで達している。ユダの王ウジヤの時代に/地震を避けて逃れたように逃げるがよい。わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に/あなたのもとに来られる。 以上は何を預言したのか? その日とは、どのような日を言ってるのか? 又、記述の内容を象徴的な意味で見るべきか? それとも実際の出来事と解釈できるのか? あなたのもとに来られるとは、どんな意味なのか? ※1、 私なりの解釈は、キリストの再臨と解釈しますが、再臨お仕方が他の聖書と整合性が無いように感じます。 ※2 なお12章、13章にも“その日”と記述されてありますが、同じ意味とすればどうなのか?

  • クリスチャンの方は エレミヤ書31:31以降をどう

     クリスチャンの方は エレミヤ書31:31以降をどう解釈されますか?  新約聖書においても このエレミヤ書のくだりは取り上げられています。  ▲ (伝パウロ・ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~  もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。  事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。    「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、     新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。    「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、     エジプトの地から導き出した日に、     彼らと結んだ契約のようなものではない。     彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、     わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。    「それらの日の後、わたしが     イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。    「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、     彼らの心にそれを書きつけよう。     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。     彼らはそれぞれ自分の同胞に、     それぞれ自分の兄弟に、     『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。     小さな者から大きな者に至るまで     彼らはすべて、わたしを知るようになり、     わたしは、彼らの不義を赦し、     もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」      (旧約聖書・エレミヤ書 31:31-34)  神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち たたき台として 次です:  (α) あたらしい契約の時代にあっては モーセの律法によるのではなく あたかも昔にもどってアブラハムの信仰によるということ。  ▲ わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。  ☆ というのであれば これが 律法なるオシエ〔を守ること〕を第一義とするのではないことを示しています。  板に書きつけられた十戒なる律法(なるオシエ)ではなく そうではなく 人びとそれぞれの心に書きつけられた思いとしての律法すなわち信仰によることを示していると思われます。  (β) イエスの登場を契機として 次のような内容として あたらしい時代と社会が開けるということ。   すなわち  (β-1) 《原罪》は 贖われ終わったということ。   ▲ 彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしない。  (β‐2) オシエは要らなくなったということ。   ▲ 『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。  (γ) まとめて: イエスの去ったあと パウロの言うように《宣教というおろかな手段》を用いて 人びとにイエスをキリストとして伝えるつとめはあって おこなわれたが あとは 宗教としてのオシエは不要であり 組織も教会も要らない。――というあたらしい天と地の時代へ入るということ。  (γ‐1) 神は どんな名で呼ばれようと 全体としてひとつである。とキリスト・イエスが 指し示したはずだということ。キリストにもヤハヱーにも こだわる必要はなくなっていること。

  • 神みづからによるみづからのアウフヘーベン

     聖書の伝えるヤハヱーなる神は  旧約聖書のエレミヤ書(31:31以降)に  その内容を明らかにして予告し  それがパウロをつうじて  かれの著わしたと伝えられるヘブル書で  けっきょくイエスによって  〔そのイエスが神の子キリストとして世に  現われたという想定のもとに〕  成就した  と語った。  すなわち:  ▲ (伝パウロ・ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~  もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。  事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。    「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、     新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。    「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、     エジプトの地から導き出した日に、     彼らと結んだ契約のようなものではない。     彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、     わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。    「それらの日の後、わたしが     イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。    「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、     彼らの心にそれを書きつけよう。     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。     彼らはそれぞれ自分の同胞に、     それぞれ自分の兄弟に、     『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。     小さな者から大きな者に至るまで     彼らはすべて、わたしを知るようになり、     わたしは、彼らの不義を赦し、     もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」         (旧約聖書・エレミヤ書 31:31-34)  神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち その神の神によるみづからの揚棄は  次の内容であると捉えます。これを問います。  (α) あたらしい契約の時代にあっては モーセの律法によるのではなく あたかもその昔にもどってアブラハムの信仰によるということ。  ▲ わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。  ☆ というのであれば これが 律法なるオシエ〔を守ること〕を第一義とするのではないことを示している。  石の板に書きつけられた十戒なる律法(なるオシエ)ではなく そうではなく 人びとそれぞれの心の胸の板に書きつけられた思いとしての律法すなわち信仰によることを示していると思われる。  (β) イエスの登場を契機として 次のような内容として あたらしい時代と社会が開けるということ。   すなわち  (β-1) 《原罪》は 贖われ終わったということ。   ▲ 彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしない。  (β‐2) オシエは要らなくなったということ。   ▲ 『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。  (γ) まとめて: イエスの去ったあと パウロの言うように《宣教というおろかな手段》を用いて 人びとにイエスをキリストとして伝えるつとめはあって おこなわれたが あとは 宗教としてのオシエは不要であり 組織も教会も要らない。――というあたらしい天と地の時代へ入るということ。  (γ‐1) 神は どんな名で呼ばれようと 全体としてひとつである。とキリスト・イエスが そのアウフヘーベンの内容と結果とを指し示したはずだということ。キリストにもヤハヱーにも こだわる必要はなくなっていること。  (γ-2) つまり エレミヤ書のこのくだりで 神は神みづからをユダヤ民族の神としての位置からさらに高いところに揚げて その世界全体としてひとつなる普遍の神のもとに含まれて〔みづからを〕棄てた。  ▲ (エレミヤ書31:33) ~~~~~     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ということであれば そのユダヤ民族にとって もう神はそのハタラキを 何も言わず語らずにおよぼしていることになる。すべての民族において そう成るということだ。  (ハタラキを及ぼすということは 何もしない・つまり人間にすべてをまかせるということでありうると考えられる)。  添削・ご批判を俟ちます。