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全知全能問題、再び・・・

xinmanの回答

  • xinman
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回答No.9

こんちは、xinmanです。 ちょっと目を離した隙にまた面白いことやってますね~。 今回は完全に出遅れてますんで、わたしの私見をちょこっとだけ(って、いつも私見ですけど…)。 まずは、mori0309さんわたしの愚見に賛同してくださってありがとう。 こっから本題、 「パート1」にて書かせてもらった「”全知全能”である存在、それは、”歴史”である」についてですが”歴史”という単語は話をわかり易くするために用いただけなので、単語本来の意味、文字通り”歴史”と解釈されると言いたい事が伝わらなくなってしまうんだな。本当は、”全ての知識と全ての事象の無限集合”と解釈していただきたい。で、今回は”歴史”という単語に代えて”なんか”という単語(あえて”神”という単語は使いません)を使わせてもらいます。 ”全知全能のなんか”は”時間”を超越した存在(これも”存在”という単語では到底表すことはできないが、ここでは文字という表現方法しかわたしには与えられていないのであえて”存在”という単語を使っているものと思ってください)であり、”時間”の前後など”全知全能のなんか”にとっては無意味なものである。 しかし、”全知全能のなんか”は、その”全知”により、”時間”がなんであるかを知っている。わたしら人間の持っている”時間”の概念も知ってはいるだろうが、”全知全能のなんか”の持っている概念は別の概念であろうと思われる。 また、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”全知全能のなんか”自身を”時間”というルールで縛ることができる。しかし、”全知全能のなんか”は”時間”に縛られた瞬間全能ではなくなってしまう。”全能ではない全知のなんか”の話は興味が無いので、こいつはいらないっと。 気を取り直して、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる。このとき、”時間に縛られた全知全能のなんか”は、その”全能”により、いつでも”時間”というルールから抜け出すことができる。 これでも面白くないですね、じゃあ、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる。この場合はどうだろう? ”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”は”時間”から抜け出すことができるのか? 結果は抜け出すことができる。”全能”だから抜けられる。”全知”だから抜け方を知っている。”全能を持ってしても抜け出すことのできない”は何処にいったか?そんな些細なことに縛られてるようじゃ”全能”じゃない。 ならば、「”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる」は、本当に、できるのか? これも当然できる。 ”全知全能のなんか”も”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”も、誰がなんと言おうと”全能”である。 ”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”を”全知全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”にしても同じ結果になる。 この話、どこかが”矛盾”しているだって! ”矛盾”大いに結構。stomachmanさんが伝言してくださった「矛盾が怖くて全知全能やってられっかつーの」これこそ真実なんじゃないですか? ”矛盾”を知らずして”全知”を語る無かれ! ”矛盾”を起こせずして”全能”を語る無かれ! でも、”全能”ならば、”矛盾”して抜け出すことも、”矛盾”無くして抜け出すこともできるはず。”全知”ならば、”矛盾”して抜け出す方法も、”矛盾”無くして抜け出す方法も知っているはず。 「こうすれば本当に全知全能の矛盾を証明できる」は、どっかの”全知のなんか”が知っています。 「こうすれば本当に全知全能の矛盾を証明できる」は、どっかの”全能のなんか”がやってくれます。 ごめんなさい、今のxinmanは”無知”なのでこれ以上わかりません。”無能”なのでこれ以上証明できません。ちょこっとと、言いながら長くなっちゃいましたけど。また、暇を見て出直してきます。

serpent-owl
質問者

お礼

 ふくろうです。「パート1」では大活躍でしたね、xinmanさん。またよろしく、おつきあいの程。  めくるめくような無限循環の論理…少しトリップしてしまいました。へびくんなんか、おめめパチクリさせながら蝶結びになってしまって…ほどくのが大変でした。  なんだか、だんだんと「証明(?)」の分類ができるような気がしてきています。  一つは「自分にも持ち上げられないような岩を…」系。これの場合、世界にその岩が存在し始めた瞬間、全知全能者の「何でもできる」能力の対象となり、持ち上げられることとなって全知全能性が維持される、で壊れます。  一つは「全知全能者自身による全知全能性の否定」系。「抜けられないような時間の拘束を自らに…」もそうですし、「もう一人の全知全能者を創造」もそうでしょう。…これはまず、全知全能性の自己否定もまた「何でもできる」の一環ですから、無矛盾。しかも、その自己否定以前の段階における全知全能性そのものに矛盾性を導くものにはなっていません。やはり、証明としては不完全です。  もう一つは「丸い三角形」のような、それ自体概念的に自己矛盾したものを作らせるもの。「解けないなぞなぞ」もこれに入るかもしれません。これも論理系を変えてやれば可能になるのでしょう。球面上に描いた三角形は、心持ち丸うございますし。  Atsuotaさんのご発言に事寄せて再掲した「証明(?)」も、一見にっちもさっちも行かない四の字固めに見えますが、しかし案外あっさり解体できます。  私は、とある女神さまの肩にとまったり、黄昏を待って飛び立ったりするアルバイトをしたことがありますが、特に神を信じてはいません。けれど「全知全能」概念の矛盾は、いまだ見出せておりません。

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