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公使館や領事館

 たとえば在日本国○○**館ということでしたら、 大使館は、特命全権大使が務めるており、 ○○国ついては日本に大使館は2つ以上なく、それ以外は総領事が館長を務める総領事館(日本人が館長である名誉総領事を務めるの名誉総領事館なるものも。)。が2つ目以降の(大使館よりは限定された)役割を担っている、 と認識しています。  ところで、 江戸時代から明治時代にかけて、 公使館や領事館なるものがあったと思います。  公使館の官庁は特命全権公使 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%91%BD%E5%85%A8%E6%A8%A9%E5%85%AC%E4%BD%BF だと思いますが、 公使館は大使館と何らかの違い(特命全権大使と特命全権公使の違いになるのでしょうか。)があるのでしょうか?  また、大使館がない○○国について、領事館があるという状況はあり得るのでしょうか?  ご存じの方、よろしくお願いします。

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  • kusirosi
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回答No.1

公使館は大使館と、外交業務は違いありません。 ただ、長が(特命全権公使か特命全権大使かの違いだけです) 昔は、大国や重要度高い国には大使館置き、それ以外は公使館でした。 ※現在では日本から派遣の在外公館は全て、公使館は大使館、領事館は総領事館に昇格してますので、それに対応して、日本に駐在する外国の在外公館も、大使館・総領事館が、ほとんど、全てです。 ・大使館がない○○国について、領事館があるという状況はあり得るのでしょうか?  大使公使の行う重要な外交業務は、近隣の国の大使館公使館に派遣した大使公使が正式に行うが(兼轄)、日常性高い外交業務は領事業務と共に総領事館領事館で、行うことは、ありえます。  例、開国により、タウンゼント・ハリスが日本に派遣され、最初、領事として下田にアメリカ領事館を置きましたが、日米通商航海条約締結により、初代駐日公使に昇格、下田の領事館を、江戸麻布にアメリカ公使館に改め移転しました。  やがて、日本の国際的地位が向上し、米英先進国も、日本に派遣する外交官代表を公使から大使に昇格、公使館も大使館に昇格させました。 ※戦前、広田内閣の時に、中国との紛争を終結させようと、日本が中国を重視し友好の意を表そうと南京中国国民政府へ派遣している外交官のを公使から大使へ格上げしたのは、有名です。

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  • jkpawapuro
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回答No.3

大使と全権公使との違いは、外交上の格とか、本国での位の高さの違いで、具体的な違いはありません。 大使となると日本では天皇が認証する認証官ですので、たとえば戦前だったら爵位の無い者を任命するにははばかられるわけです。 外国でも似たような事情があるでしょう。 もちろん大使となると職階も給料も高いです。 おいそれとそんな高級(高給?)官吏をどうでもいい小国に派遣するわけにも行きません。 そういった事情が各国であり、重要性の低い国では大使ではなく公使を置くケースが外国にはあります。 なお日本では、全権公使はいませんが、かわりに小国隣国数カ国(3カ国くらい)の大使をまとめて一人に任命するケースはあります。 このとき留守にする大使館の筆頭公使が、代理全権公使になるのかどうかは寡聞にして知りません。

  • buchi-dog
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回答No.2

第二次大戦前の国際慣行では、 列強と列強が交換する外交使節団の長:大使 それ以外:公使 となっていました。 日本に駐在する外国の外交使節団の長は、明治の末頃に日本が列強の一員として認知された頃に公使から大使に格上げされました。同時に、日本が列強に駐在させる外交使節団の長も公使から大使に格上げされました。 この辺りは、「日本が外国に駐在させる外交使節団の長」についてだけですが、外務省のHPに簡潔に記載されています。 http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_02.html 《引用開始》 Question 日本の「大使館」が最初に設置されたのは、いつ、どこの国ですか。 Answer 1905年(明治38年)12月2日に在イギリス公使館が昇格して大使館となったのが最初です。ちなみに、初代駐英大使に任命されたのは林董です。 1890年代、日本政府内部では、各国に置いている公使館を大使館に昇格すべきだとの意見がしばしば示されました。このような意見は、日本の要望を列国が受け入れるかが不透明であり先送りされましたが、北清事変(1900年)、日露戦争(1904~1905年)を経て、日本の実力が徐々に各国に認められるようになり、日露講和会議の直後には、イギリスとアメリカの両国より、日本と大使交換をおこなう準備があるとの意向が伝えられました。日本政府はこの提案に応じて、まずイギリスとの間で大使交換が実現し、在英公使館が「大使館」に昇格しました。林董が駐英大使となった直後の1906年(明治39年)1月には、アメリカ、ドイツ、フランスでも公使館が大使館に昇格し、青木周蔵(アメリカ)、井上勝之助(ドイツ)、栗野慎一郎(フランス)がそれぞれ大使に任ぜられています。こうした大使館設置にいたる経緯については、外務省記録「欧米大国ト特命全権大使交換一件」に関連史料が残されています。また、外務省編『外務省の百年』にも、大使館設置について詳しく記されています。 《引用終わり》 列強というのは、これも国際間の慣習で決まっていたわけですが、第一次大戦前の時点では イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシア、イタリア、アメリカ、日本 これで概ね合っていると思います。 「大使を交換するのは列強と列強だけ」 でしたので、第二次大戦当時、日本は例えばスウェーデン(列強ではない。第二次大戦の勃発から日本の降伏まで中立国であり、日本と国交を維持していた)に「駐スウェーデン公使」を駐在させていました。 第二次大戦当時の、日本の駐スウェーデン公使は岡本季正です。 No1さんが 「※戦前、広田内閣の時に、中国との紛争を終結させようと、日本が中国を重視し友好の意を表そうと南京中国国民政府へ派遣している外交官のを公使から大使へ格上げしたのは、有名です」 と指摘なさったのは「日本が、中国を『列強扱い』に格上げする」という「外交上の非常な優遇」をしたということです。 第二次大戦後は「外交使節団の長は全て大使」が普通になり、「公使」というのは「大使代理、大使館のナンバー2」の役職名になりました。 前述の、第二次大戦当時に駐スウェーデン公使だった岡本季正は、戦後に日本が独立を回復して諸外国に大使を派遣した際に、今度は駐オランダ大使になっています。 なお、「第二次大戦後は各国が相互に大使を交換するのが普通になった」のは「国産慣例の変化」であり、それ以外には特に理由はありません。日本もそれに従ったということです。

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