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さて、何を語ろうか。

主観的哲学と客観的哲学というものがあると気付きました。 ≪主観的哲学≫ ・我思う故に我あり ≪客観的哲学≫ ・人は必ず死ぬ 同様に ≪主観的哲学≫ ・私は最善の選択しかできない。故に私にとって私の選択は常に正しい。 ≪客観的哲学≫ ・善悪は相対的なもので絶対善、絶対悪はない。 恐らく我々は人生哲学(客観的哲学)について他人の助言を必要としない思われます。 客観という道具はもっぱら迷える子羊たちへの助言に使い、 我々は自身は、客観によって分離し取り残された『私』の本質を主観によって探るべきではないでしょうか。

みんなの回答

noname#89274
noname#89274
回答No.22

>今は民主主義が神様をやっているのだと思っていました。 人間だけに適用する 民主主義ってなんでしょうかね? その思想を生物の多様性にも適用できるでしょうか。 たとえば東洋思想では 声無き声を聴くというのがあります。 気を配るべきはうるさくまくしたてる声にあるのではなく 自活することを基本としながらも 声を出せない声に耳を傾け活かす努力 強きものが弱きものを助ける努力 民主主義の成熟は 道具あるいは技術としての民主主義の運用の仕方の浸透にあるのではないでしょうか。

shift-2007
質問者

お礼

独裁国家に対するアンチテーゼとしての民主主義ではまだ不完全ということですかね。 ご回答ありがとうございました。

noname#89274
noname#89274
回答No.21

>個人的にはこの世界は永遠に不完全だろうと思っています 自然は自生し不完全さを補い循環する。 東洋思想ですわ。

shift-2007
質問者

お礼

不完全でないと意味がないでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

noname#89274
noname#89274
回答No.20

地球上の国家群も経済を一くくりとした粒子群とみなされうるし 人類は地球上の生物種の多様性の中の一粒子とみなされる一生物種ととらえうるし 会社というのも共同体としてひとくくりの粒子とみなすことができる。 宇宙は振動系 調和

shift-2007
質問者

お礼

我々は個にして全、全にして個 by王蟲 ご回答ありがとうございました。

noname#89274
noname#89274
回答No.19

>理想社会がいまだ実現していないところをみると、どんな神様でもこの世界を統一することは無理じゃないかと思います。 いつの世も理想的な社会を造っていこうとするのは神様じゃなくて人間に任されていたことなのではないでしょうかね。 豊漁や豊作を願い祈る対象は神様であったとしても。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今は民主主義が神様をやっているのだと思っていました。

noname#89274
noname#89274
回答No.18

統一構想的の試みは今回の金融危機で破綻したことは確かだと思う。 金融の透明なルール化がなされてなかったといった問題だけではないし地球環境的に見れば各国が自国の利益を優先した無規制な経済発展は見込めないという意識は共有できていた事であったろうから破綻は時間の問題だったということになる。 今後、多様性の中の他者性をどう克服し国家間でお互いが納得するような共存関係が構築できるかということになっていかざるをえないのではないでしょうか。 これって量子論的存在形態だなとは思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 個人的にはこの世界は永遠に不完全だろうと思っています。

noname#89274
noname#89274
回答No.17

か? どうなんだろう? 素粒子は粒子であり波ではある。。。                         

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

noname#89274
noname#89274
回答No.16

宇宙統一理論は成立しない

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

noname#89274
noname#89274
回答No.15

一神教で世界が覆われた場合、個に想起されることは統一された主すなはち唯一神の想念と同一であり世界は主観と客観が統一されたひとつの宇宙と解釈されることになるだろう。 唯一神教的に 宇宙を唯一神の想念の現れであるという考えと 多神教的に 主観は粒子性であり、客観は波動性であると捉えることとを考察すれば 現実の世界において光は粒子性と波動性があるのであるが主観と客観を統一した唯一神の想念とさせてしまう行為はガリレオ以前の宇宙や自然を正しく把握できなかった宗教的暗黒世界へと導く行為になるのではないか。 現代物理学では 唯一神教を信奉する共同体は多神の中のある一神、一個の主観(粒子性)と把握することのほうが宇宙を正しく理解していくことになっていくのではないか。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 理想社会がいまだ実現していないところをみると、どんな神様でもこの世界を統一することは無理じゃないかと思います。

noname#89274
noname#89274
回答No.14

我が主観はちょっと横に置いといて他者の主観が言うことを理解しようとする。 とは いってみれば他者性の目を通して世の中をどのようにみているかを悟り知ろうとすることということになるでしょうか。 または他者の文化や宗教を理解しようと試みることによって自己の文化や宗教のことが真に再認識されるということになるのでしょうか。 ちなみに私自身は無宗教ですが無神論者ではありません。 以上。No.2.3.6.8.10.12.13でした。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 あるものを理解しようとするなら、色々な角度からそれを見る必要があります。 それゆえに客観をつかい、自分ではない視点からものを見ようとするのではないでしょうか。 東洋も西洋も無く、すべては方便だと私は感じます。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4750288.html

noname#89274
noname#89274
回答No.13

一神教においては >主観は横に置いといて >我をさておいて考えてみること >我をさておいた【視点】で事態を観察すること は神すなはち主に離反することを意味しそれゆえ 我が主の観はちょっと横に置いといて宗教の異なる他者の主の観が言うことを理解しようとする ことがもしかしたらとても困難な状況にあるいるのではないだろうか。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そもそも、信じるという行為の根底には不安や恐怖があるのではないでしょうか。 故に信じるものを疑うのは信者にとっては自殺行為となるのではないでしょうか。

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