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死ねない理由
死にたい理由ではなく逆に死ねない理由にしてみました。 死にたい理由=人間関係、金銭問題、苛め、仕事、DV等いろいろあると思います。 死ねない理由=怖いから?、親からもらった命だから?、身内、彼氏、彼女が悲しむから? 一般論以外の回答お待ちしてます。
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3回目です。 >人間関係のリセット、転職などしてもまた同じ繰り返しになる確率は高いと思われます。 ぼくも、そう思います。 1度リセットで問題を解決した人は何回もすると思います。 で、それでいいんじゃないでしょうかね。 「やどかり」のような人生ですが、ちょっと頑張ってみて、行き詰ったらまたリセットしてやりなおし。 そうすればそのうち何かがハマるかもしれないし、たとえハマらなかったとしても、生きたということは自分がよく知っているじゃないでしょうかね。 でも、こういう生き方は否定されます。 それまでやっていたことが無駄になってしまうような気がするし、苦しいことから逃げている、と言われるんですよね。 その結果、ハマってもいない自分の(現時点の)道にこだわってしまって、その結果自分を追いつめて、二進も三進もいかなくなって自殺、というパターンが多いんじゃないでしょうか。 だったら逃げるのもアリだと思います。 伊能忠敬は56歳になってから日本地図の作成に着手したそうです。 カーネル・サンダースは60過ぎてからフライドチキンを作り始めたそうです。 アタリが来ないんだったら、どんどん釣り場を変えるのも人生だと思うんですね。 ぼく自身は社会人になってから、大きなリセットを2回、小さなリセットを2回経験しています。 個人情報は書けませんが、人にも迷惑をかけましたし、自分でも地獄を見ました。 それこそ、高いところから何度も地面を見つめたころがあります。 でも、幸か不幸か飛び降りず、今は人生を満喫しています。 >人は元々生きる必要性はあるのか? たぶんこれを考えるのは人間だけですね。 犬畜生や野に咲く花々はそれを考えず、ただ「生」の喜びを満喫して生きている。 それを疑う能力が備わってしまったことが、私やあなたの不幸であると思います。 その不幸にも何らかの意味はあるのかとも思いますが。
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- ha-ya
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一般人なので非常に個人的な考えですが、人はというか生物は本能的に種の保存≒生きること、を第一目標として存在しているので、自ら死を選ぶということは構造上うまく出来ない仕組みになっているのではないでしょうか。もちろん親に悪いとかやり残したこととかというのが死ねない理由にはなりうるとおもいます。しかしこれらのような複雑な問題は無意識の中で二次的に発生したもので、やっぱり最後の最後に死ねなくなる理由は本能的に自分を殺すというプログラムが生物には備わっていないから死ねないのではないかと思います。
- michael-m
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昔死のうとした事がありました。でもなぜか生き残ってしまいました。 昔から死に底無いに対する風当たりは死んだ時より辛いというのは正しいと実感しました。 先日知人の奥さんが自殺しました。発作的な自殺でした。 数日前まで楽しく話しており、当日も別の友人と夕食を共にしていました。私達も旦那さんも心当たりがありませんでした。 人は死ぬと周囲の人は自分の罪を問います。 それが病死や自分とは関係ない事故であっても、ああすれば助かったかもしれない、こうすれば事故に遭わなかったかもしれない、と自分を責めます。 次に親族が来て当事者を責めます。喩え老衰でも「ちゃんと世話してなかったんじゃないの」「医者に見せてたの」。「あんたが傷つく事をいったんじゃないの」。「そんな旅行に行かせるから悪い」といい加減な事で責めます。 自分を責める行為は近しい人や本当に愛していた人ほど強く、遠い人ほど「可哀想」という気持ちだけです。身近にいる人は可哀想とか悲しいという感情以上に悔しい、辛い、という気持ちが強いのです。 病死や事故でさえそうなのですから、それが自殺であれば尚更の事です。私も血の涙というものを初めて見ました。 つまり、自殺は周囲の、特に自分に近しい、自分を愛してくれている人を残りの人生ずっと罪に意識に苛まれて生きさせる事になります。 だから、もし、一人でも罪の意識に一生苦しめたくないという人がいたら、自ら死ぬべきではないと思っています。 「ごめん」の一言で、その人の残りの人生を罪人にする人ほど深い罪はないのではないでしょうか。
- TYWalker
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#5です。 高校時代に死にたいと思っていて、実際死ぬ直前まで行った自分が、なぜ思いとどまったのか思い直してみると、大学に進学して上京し、やりがいのある学問と素晴らしい仲間に知り合って自分の人生を一度リセットできたのが大きかったと思います。 もし今の自分が、たとえば今の職場で躓いて借金にハマって今の彼女ともうまくいかなくなったら、自殺しなくなるかもしれませんが、その前に会社にクビになり、自己破産して、今の彼女とも切れて、田舎に行って全然関係ない、イメージ的な発想ですがたとえば農業とかからやり直せば、またやり直したいと思うかもしれません。 自分の場合「複雑な悩みが糸のようにもつれて面倒くさくなったとき」が死にたいときで、「それをリセットして新たな人生をやり直すとき」がもう一度やり直す時と言えるような気がします。 人間関係のリセットや転職は並大抵の苦労ではないでしょうが、死ぬことを考えたらそれぐらい試してみると思います。 周りを見回すと社会に流動性がなくて、そういう新規まき直しを支援するシステムがないのがツラいですね。 あまりご質問に沿った回答でなくて申し訳ないです。
お礼
人間関係のリセット、転職などしてもまた同じ繰り返しになる確率は高いと思われます。固定概念ですが・・・ 人は忙しい時、楽しい時は自殺しようと考えをする暇もないから死ねないのかもしれません。
死ねない理由=怖いから?、親からもらった命だから? 身内、彼氏、彼女が悲しむから? 死ねない理由は痛みがあるからです。 それは人に痛みをあたえることもそうだし自分自身も痛い。 もしも苦しみや痛みを感じることが一切無いなら 多くの人々がすぐにでも死ねるでしょう。 でもそういう仕組みには人間はなっていませんね。 これは肉体のことではなく、たましいの次元での話です。
補足
苦しみたくないから死ねない。 死ねるぐらいの苦痛>現状の精神的苦痛、肉体的苦痛 だから死ねないということですか?
- TYWalker
- ベストアンサー率42% (281/661)
私は学生時代(高校時代)学校生活で孤立していて(今のように陰湿ないじめもなかったし、それなりに成績もよかったので強く生きてはいた)結構暗い文学作品にハマっていたこと、家庭の事情、付き合っていた彼女が精神的に不安定だったことなど色々あって、何回か自殺を考えました。 自殺を考えているときの心境と言うのは、複数の単純なトラブルがもつれあい、からみあって、それを一気に断ち切ってスッキリしたい(スッキリしたあと自分はもういないわけなので、スッキリした気持ちよさを味わうことはもうできないわけですが)という気持ちがあるようです。 哲学者のデカルトもプロレスラーのアントニオ猪木も「複雑な問題は単純な問題が複合しているので、分解して1個1個対処する」と言っているようです。 さて、高校当時のぼくはかなり本気で自殺を考えていました。 一番あぶなかったのは10階建てのマンションに忍び込んで階段の踊り場から下を眺めて朝まで過ごしたことがあります。 今も空気の冷たさ、朝の焼け付くような眠さをよく覚えています。 なぜ死に切れなかったかと言うと、ぼくは部屋が片付けられない人格障害があって、部屋がグチャグチャで、青春時代特有の恥ずかしいメモとか、手紙とか、エロ本とかが沢山あったからです。 こうしたものをスッキリ片付けないと恥ずかしくて死ねないと思っていました。 本当に死のうと思って、部屋を本気で片付けたことが何回もありましたが、途中で挫折してダメでした。 何回か挫折したのちに、奇跡的に部屋が片付いてピカピカになったことがありました。 すると、テンションが上がってしまって (^^; 生への希望が湧いてしまって、自殺どころではなくなってしまいました。 そういうことが2~3回あって、よく考えるとぼくが死にたいのは部屋が散らかっているからで、自殺する必要もなくて部屋を片付けたらよかったのではないかという、それは相当経ってから気がつきました。 今は毎日楽しいことばかりで、あの時死ななくて良かったと思っています。
お礼
「今は毎日楽しいことばかりで、あの時死ななくて良かったと思っています。」それは結果論です。 生きていれば必ず良いことあるよ。ってこのことかもしれませんね。
- MEET37
- ベストアンサー率47% (28/59)
こんばんは。自殺の場合と考えて回答いたします。 私は一般人なので、一般論になるのかもしれませんが、 死ねない理由は、死んだらどうなるかわからないから。 もちろん、一般的には無ですが、死後の世界について誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか? 死んだらどうなるか、各自のその答え次第で死ねたり死ねなかったりするのではないでしょうか? とりとめもない回答ですが、ご参考になれば幸いです。
お礼
たしかに死んだらどうなるか、各自の答え次第で死ねたり死ねなかったりする思う。 やはり死に対して怖いから死ねないのか。
今のところ死にたい理由や死ななければならない理由もありません。人間関係も仕事も経済もそれなりに満足できる生活をおくっています。 死ねない理由は、とっても小さなことですが、この世にまだしなければならないことがあるということです。女房に先立たれていますので、あと2つ、娘の就職と婿さん探しが残っています。それが済んだら娘に迷惑をかけないうちに女房が迎えに来てくれると信じています。逆にそれもせずにあちらへ行ったら女房に合わせる顔がありません。 ですから、あと20年も30年も生きていようとも思いませんので、健康に気を使うこと(あるいはそんなストレス?)も無く、好きなものをおいしく頂いて、好きなように生きています。友人からは『長生きするよ!(皮肉?)』と言われますが、そっちの方がストレスかな?
お礼
しなければならない事があるから死ねない。 参考になりました。
- embep
- ベストアンサー率28% (69/246)
死ぬ必要性が感じられない。 もしくは私と関係がある人に悲しませたり、迷惑をかけたくない。 正々堂々と一般論でした。 すいません。
補足
人は元々生きる必要性はあるのか? 誰を悲しませ誰に迷惑がかかるのか? これのどれも当てはまらければ・・・生きてる意味はないのかもしれませんね。
- shizumo
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死ねない理由 (一般論)子供のあるひとは子供の養育の責任。家族への愛情 わたしは中年独身者なのでそのようなことはない。ただ、母親が生きている間は私が先に死んだら悲しむので、母親が生きている間は死なない。また、今のところ趣味もたのしく人生は充実している。 だが・・ 死にたい理由 死を考慮した計画性のある将来計画(死は必ず来るもの。しかしすべての人生計画の指導書は死に関して運任せ。なぜ死を自分でコントロールしない?人間は若いうちはいいが年をとると経済、精神、肉体、知力など当然降下する。そのときのターニングポイントを冷静に考えるならば、死に時がある。多くの人はその部分は考えないし見ようとしない。私はそのときを12年後とみている。自殺までは十年規模で長期計画。ゆっくり、着実に実行していく。
お礼
大半の理由は、人は人の為に生きる又は人生が楽しい時、死にたくないという意思が生まれる。 死は必ず来るもの。しかし自分で死をコントロールさせてくれない人達に納得出来ない。
お礼
私もリセットを1回しています。 たしかに周りから完全に否定されますね。 それでいいんじゃないでしょうかね。>そうまでして人は生きていたいって思うのか?リセットしてまで生きたいのか? でも私が生きてるからそうなのかもしれない・・・