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けんかをしては 何故 いけないのか

 ここでは けんかを 口論にしぼってください。  つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。  存在を愛し 思想や行動を憎むことです。  なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。

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noname#82450
noname#82450
回答No.100

 ここで100をとらせていただきます、仁科です、  おじさんお久しぶりです、  口げんかは、良いと思います。手が出るよりは、ましですし、  競いあうようなスポーツは嫌ですが、  絶縁は互いへの臆病さを増しますし、ここち悪く、  自分自身と口げんかできないひとは、まずいです。自身との絶縁ですから、  自己批判できないひとは、建設的な口げんかをできないと思います。  自己批判できないひと同士のけんかは、怖いので否定の対象です。  口げんかに止まらず暴力になり心身を壊しあうことになりそうなので。  自己批判できる人どうしだと口げんかは長引かないかもしれません。つつましいでしょうし。  けんかしつづけるということは、両者ともにか一方に自己批判するスキルがないということなのでしょうか、  互いを批判するよりも多くまざまざと自己批判を開示しあうのが良いのかもしれません。  互いの精神性や人間性に関し建設的であるには。  ひとびとが自己批判のスキルを高めてゆくには。  頭と言葉を使い陰気な精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。  徹底的な自己批判、自分と向き合うこと、自省を、したことがない人は、けっこう多いと思います。大人にも、  自己批判のしかたを、あまり学ばないかもしれません、  自己批判に関して、ひとびとは教育も開発もされず、  ほとんどの教師も親も自己批判なんかしていないかもしれませんし、  思考停止の世の中で、自分は正しいのだという態度の人や集団や情報ばかりが満ちていますし、  私はかなりパラノイアっぽいせいか自己批判という言葉ばかり記述しますが、    きっとブラジュローヌさんは自己批判してきたでしょうし、しているでしょうけれど、  他者に対して自己批判よりも他者批判を多く示しがちなのかも知れません。  対話において剛と剛とでは互いに警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん、  なので、すきを見せるとよいと思います、  弱みや、くよくよしている感じ、自信のなさを、垣間見せるとよいと思います、  そうすりゃいちころです、不完全なものに日本人は弱いかもわかりませんすら、  あえて、おやおや、おじさん負けちゃったようだ、というのは余裕なのですが、  そういう嘘や演技じゃなりません、  子どもの水準は大人よりも上です、たぶん、  大人なんか、いないのです、こんな分業ばかりの社会に一人前の人なんかいません、  狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。  交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、  部品になっている社会人より、まだ分裂していない子どもたちのほうが個体としてはまだまともで、  未熟な大人、すなわち子ども、つまり私は健やかなのかもしれません、  私は不完全で、自信がなく、それゆえにとても謙虚で、謙虚でもなく、なんだか正しいようで、  正しいというか健やかです、不完全であるがゆえにか健やかです、  今日も私は健やかです、おはようございました、  私にとり他者一般は狂人で、ひとびとの心は壊れていて、  もう大破しているものならいっそ全壊させたいという思いがあるのか、  他者の心をすきあらば壊したがるのは私の癖としてあり、弱いものいじめは面白く、    子どものざれごとは、狂いっぱなしの大人らのたわごとより健やかなのかもしれません、そう信じます、  大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。

bragelonne
質問者

補足

 ni_shi_naくん――《おぢさん》呼ばわりしたので くんづけ―― めっちゃ 冴えてるやん! どうしたの? ここで悪友どうしだと 何か変なものを食ったんっちゃうか? と突っ込むところですが 冗談は それくらいにして ご回答をありがとうございます。  もう少し長引かせるなら どこで勉強して来たん? 三日見ないうちに しゃれのめしていますではないですか。  と言っても 爪を隠していたのですかね。片鱗のみを見せていたのですかね。  まぁ おぢさんとしましては 最後の最後の一文が まだ練れていないね。あとは かがやいています。  ★ 大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。  ☆ 《否定の対象》を持ち出してくるようぢゃ まだまだだね。持っていても いいのですが 表現するときには 否定形で言いきらないほうがよいでしょう。  むろん 自己否定をするのですが しかも とことん するのですが 表現は おおむね 肯定の形で出してきたほうが よいでしょう。  ★☆ 対話において 否定形で命題を提出すると 警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん。  ☆ 一般に 肯定形にすると  《すこやか》ですし 《安心》をもたらします。  やっぱり 《おぢさん》気取りになってしまいますね。  では よけいに えらそぶって行きましょう。  ★ 交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、  ☆ この箇所は 読み取りにくいですよ。表現の未熟が 思想の未熟として見られかねないのが 上に示した一箇所で そして表現じたいが読み取りにくいのは この一箇所です。  ということは わたくしも 否定形から入っていますね。肯定するところから始める ほめて育てるというぢゃないですか なんですが ここは 鬼になりましょう。もう育てる段階ぢゃないようですから。(ちょっと ほめすぎ)。  〔わたくしなんか 三十歳になるまで 世の中の 西も東も分かっていたけれど なぜ 南が西になり 北が東になるのかを 考え続けて ちんぷんかんぷんだったんですから。なぜ ひとは 平気で 東を西と言い 聞いているわたしが そのことをいぶかっているのに なお平気で そのウソをつき通しているのか まったく分からなかったのですから〕。〔《悪は存在しない》という命題を聞いて すべては 空が晴れ渡りました。分析は そのあと おこないました〕。  ★☆ 頭と言葉を使い陰気〔* であり〕な〔* がらも 前向きでたくみな〕精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。  ★ ブラジュローヌ → ☆ (改名)ブラジュロンヌ  (cf. Sorbonne:ソルボンヌ; Catherine:カトリーヌ; Francine: フランシーヌ; Cannes:カンヌ〔 -s は発音せず〕)  ★ 狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。  ☆ 歴史知性の分類としての《ヨリ・イリ・ヨセ・コギト》に関連させ さらにくわしく その《発狂》の状態や社会情況のありさまを 分析せよ。(宿題だよん)。  あとは やはり 人びとのためになる仕事を もくもくと やっている人びとへの敬意と感謝の意を述べることを忘れずに触れていれば 百二十点満点です。  ミサイル発射に対応するため準備している人たちも おおぜい いますから。

その他の回答 (127)

回答No.67

maimaisusです。 規約違反になるかも知れませんが。 私そう言う表現好きです。 かわいいね。

回答No.66

maimaisusです。 >☆ 名誉毀損を 自分で 確認したようですね。 私の回答を見て、どう考えればそう言う答えが出るのか一寸不思議ですね。 自分が、「批判して下さい」と謡っておいて、自分のルールに合わない批判の仕方をすると、名誉棄損になると言う事でしょうか。 それは、あまりにも、自己中心的な考えだと思います。それに、私が実例をあげない理由も、説明している訳ですから、それすら無視をして、騒ぐのは、北●鮮と言われても仕方無いように思えますが。 しかし、私もがんばって実例出してみます。 本来こう言った場所で、そう言った特定の国とか人を持ち出すことは、ルール違反だと思います。 そう言う意味では、bragelonneさんの常識は問題ありですね。 こんな感じでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 ・

  • shikaruni
  • ベストアンサー率20% (19/95)
回答No.65

どうも、あらゆる全ての人々と向き合う愛がおありなようで、それはご立派なことだと思います。 しかし、それを人間全員に押し付けることは、傲慢と言えないでしょうか? 確固たる持論を自負するのは結構ですが、 人は、それぞれ、それぞれの成長過程にあります。この多様性を受け入れて、静観することも、見守るという愛です。いつでも、やり合うだけが愛ではありません。 また無視と見守るは違います。 何度かは批判し、理解してもらえないなら、見守る他ありません。もちろん、無視ということで、自己の幸せを守ることも、有意義なことです。それは、自己を幸せにできないものは、他人を幸せにできないからです。 そして、幸せに満たされたら、また立ち向かっていけばいい。 また見守っていていた人で、危険を察知したなら、また立ち向かっていけばいいことです。 ※立ち向かうとは、あなたの言う批判としましょう。 しかし、それでも相手の言い分に理解を示すことは、相手を認める愛ですよね? ですから、様々な形(多様性)を受け入れはできないのでしょうか?と皆でご質問者様に問うてるわけです。 どうも一方だけを大事だと思い込んでいるようです。 ちなみに私は、北朝鮮になったつもりはありません。 私には、ご質問者様が ご自身の欠点を受け入れない強固さに、北朝鮮を感じます。 もはや、交渉決裂でしょう。 分かり合えない人もいるものだと、お互いの成長するまで保留としましょう。

bragelonne
質問者

補足

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ちなみに私は、北朝鮮になったつもりはありません。  私には、ご質問者様が  ご自身の欠点を受け入れない強固さに、北朝鮮を感じます。  もはや、交渉決裂でしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 最後の一文によって わたしは あなたの思想の中に  ★ 北朝鮮を感じます。    ★ 様々な形(多様性)を受け入れはできないのでしょうか?  ☆ 交渉を 無断で 一方的に 蹴って去るのは 例外なしの欠陥であると申し上げているのです。《多様性》以前の問題です。  直前の応答を――それは 見れば すぐ読めますが―― 関連するところを拾って 掲げておきましょう。  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (6) ここからは いまの質疑応答での具体的な問題点についてです。  ★ 〔* 自分の投稿した回答が 妥当性に欠けていたと気づいたとき それについて持つ〕痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。  ☆ 問題は 人間であるのならば そのあとのことです。ひとこと 《降りました》とか 事前であれば 《降ります》と言えばいいのです。  ★ 降りる人たちを、追い裁こうというのですか。  ☆ 去ったひとを追ったためしは ありません。問題は ふたたび 何もなかったという顔をして 訪問して来るときにあります。  ★ 裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。  ☆ 過去のとんづらに関して いっさい 何も触れないのですね? と ひとこと 言って迎えるのみです。つまり 伝えれば良いのですよ。   ★ ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。  ☆ 《足りる》かどうかは こちらの問題ではなく その当人のそれです。  ★ そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。  ☆ ですから こういう質問を立てて おしえを 広く日本語人口のすべての人びとに対して 乞うています。  (7) 北朝鮮政府に関しては たとえ拉致事件を別としても 対話の席を 一方的に 無断で 蹴って去るというのは 批判すべき欠陥であるはづです。  (8) これは 規約やネチケットの規則内容を守るかどうか以前の問題です。人間であれば 誰にも 例外なく 当てはまる考え方および振る舞い方の問題です。人によって まちまちだということは あり得ません。  (9) 去るのは 勝手です。ところが 二度目に 同じ質問者の質問に投稿するとき 勝手に訪問するのは 自由ですが そこで 迷惑をかけるのは 自由ではありません。あり得ません。とんづらを繰り返されるのは 迷惑です。手間暇の無駄になります。  (10) 人間放棄・自己放棄は 自由ですが それによって ひとに迷惑をかけるのは 自由ではありません。  (11) 《あとの者が先になり 先の者があとになる》とおりに 先の者は しっかりと 明確に この問題は 述べ伝えることが ごくふつうのことだと考えます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

noname#81313
noname#81313
回答No.64

 こちらへの回答が途中でした。  ふと見ると、再出発をしたのにもうけんかをしたようですね。  確か、ローマ書の続きでした。補足を見ると、ちゃんと該当個所を引用なさっているのに、どうしてけんかをしちゃうんでしょうか。実践するのは難しくとも、パウロは難解な事を仰ってはいないと思います。神の痛み、それは裁く者の痛みだと思います。  パウロは痛みを与える者たちを戒めます。それは、自己批判であっても同じ事だと仰っているのではないでしょうか。たとえその痛みが、憎しみではなく慈愛によってもたらされるとしても、裁きはやはり痛みでしかありません。  痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。降りる人たちを、追い裁こうというのですか。裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。  しかし、実践するにはとても難しい事です。しばしば人間は、愛しい者に固執します。固執するゆえに目が見えなくなり、耳が聞こえなくなる。それくらい、夢中になっているからです。でも僕はパウロに倣って、そんな自分を裁こうとは思わない。叶わぬ愛に悲しみを感じたら、思う存分、泣けばよろしい。  泣くだけ泣いて落ち着いたら、そうしたら、最初からもう一度伝え始めるのです。僕のこういう生活態度は、指摘されるまでもなく極めて愚かであり、そして救い難く、度々他人を傷つけ、不幸にします。難しい事を上手に割り切れる賢い人たちとは違い、僕は自分の愚かさをいつも反省して暮らしています。でも、反省は批判とは異なります。批判は何時でもできますが、反省だけは僅かではあっても生きているうちにしかできないように思うからです。反省こそが、自分に対する直感にも似た第一批判であり、その後に生じる批判と呼ばれるものは、須らくその二番煎じでしかないように思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。

bragelonne
質問者

補足

 passcardさん ご回答をありがとうございます。  おもしろいでしょう? またまたまたまた けんかです。  けんかの弁明は よします。まだ しません。(説明すべき方々には説明しようと思うところがあります)。  おっしゃっていることは 特に 異論は ありません。  問題は もしあるとするなら 応用問題つまり具体的な実践過程にあります。  その点を 挙げていきましょう。  (1) 《神》を持ち出すときには よほど 前提を明らかにしておかないと 空回りになりがちです。  ★ 神の痛み、それは裁く者の痛みだと思います。  ☆ これは 想像裡における文学的な表現での問いかけです。《神》なりその《痛み》について 人間が 分かるわけがありません。言いかえると 人間の経験的な痛みをもって 神のそれだと決めつけても 分かる場合もありますが 一般には 無理です。(分かる場合があるので 《異論はありません》と受け応えました)。  (2) 言いかえると 神についての表現は おのれの主観の内に あくまで とどまるということ。  伝わるときも ありますが これを 一般化して 議論に組み込むことは しないほうが 基本です。  (3) パウロも その表現に際しては 苦労しています。  ▲ (ローマ書3:5) 人間的な論法に従って言いますが 怒りを発する神は正しくないのでしょうか。  ☆ つまり(1)に示しましたように 《神の怒り》などと 人間の言葉で表現しても その内実など 分かるわけがないのです。だから 条件ないし前提をもうけて 表現しています。  (4) あるいは  ▲ (ローマ書2:21) それなのにあなたは 他人には教えながら 自分には教えないのですか。  ☆ と言ってしまえば それを言っているパウロ自身にも この言葉がはねかえって来ます。そういう問題がありますし それは つねに あるはづなのです。  (5) したがって 一般論として言うのですが 《神の痛み》を 主要な根拠として 議論を組み立てるべきではない。こう考えます。  (6) ここからは いまの質疑応答での具体的な問題点についてです。  ★ 痛みゆえに、しばしば人々はそこから逃れようとします。無意識のうちに降りてしまうのです。  ☆ 問題は 人間であるのならば そのあとのことです。ひとこと 《降りました》とか 事前であれば 《降ります》と言えばいいのです。  ★ 降りる人たちを、追い裁こうというのですか。  ☆ 去ったひとを追ったためしは ありません。問題は ふたたび 何もなかったという顔をして 訪問して来るときにあります。  ★ 裁かずとも、伝えれば良いのではないですか。  ☆ 過去のとんづらに関して いっさい 何も触れないのですね? と ひとこと 言うのみです。つまり 伝えれば良いのですよ。   ★ ひとたびで足りるとは思えません。ならば、二度伝えれば良いと思います。  ☆ 《足りる》かどうかは こちらの問題ではなく その当人のそれです。  ★ そしてひとりの人に留めるのではなく、できるだけたくさんの人にそれを伝えるべきです。それが愛ではないでしょうか。パウロが仰っているのは、こういう事だと思います。  ☆ ですから こういう質問を立てて おしえを 広く日本語人口のすべての人びとに対して 乞うています。  (7) 北朝鮮政府に関しては たとえ拉致事件を別としても 対話の席を 一方的に 無断で 蹴って去るというのは 批判すべき欠陥であるはづです。  (8) これは 規約やネチケットの規則内容を守るかどうか以前の問題です。人間であれば 誰にも 例外なく 当てはまる考え方および振る舞い方の問題です。人によって まちまちだということは あり得ません。  (9) 去るのは 勝手です。ところが 二度目に 同じ質問者の質問に投稿するとき 勝手に訪問するのは 自由ですが そこで 迷惑をかけるのは 自由ではありません。あり得ません。とんづらを繰り返されるのは 迷惑です。手間暇の無駄になります。  (10) 人間放棄・自己放棄は 自由ですが それによって ひとに迷惑をかけるのは 自由ではありません。  (11) 《あとの者が先になり 先の者があとになる》とおりに 先の者は しっかりと 明確に この問題は 述べ伝えることが ごくふつうのことだと考えます。  (12) 《反省》は 主観内面の問題です。為すべき《批判》は つねに 為すべきです。おのれの内面において その欠陥を憎み 内面に棄てるということ また そのことを 相手には 言葉で伝えるということです。 どうでしょう?

回答No.63

maimaisusです。 bragelonneさん、具体例を、挙げるなら、回答No.61のbragelonneさんの状態がまさにそれです。 相手に指摘されたことを、理解しようとしないで、名誉棄損だとか中傷だとか騒いでいる処です。 他の回答者の方が気が付くことを、何故、bragelonneさんは気付かないのでしょうか。 周りが言ってくれているのにも関わらず、そう言う人たちにも毒を吐いているように、見えますよ。 私から見て、そう言う言い方はないんじゃないの。って思いましたけどね。

bragelonne
質問者

お礼

 ● ( ≫No. 5 4 ≪ 回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~  ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。  ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。  まづ 撤回を要求します。  ☆ 名誉毀損を 自分で 確認したようですね。

  • shikaruni
  • ベストアンサー率20% (19/95)
回答No.62

どうしても、ご自身の主張を理解してほしいだけのようです。 最初から疑問に思ってないようでしたから、それはそれで、そういう人がいても良いでしょうと私はお答えしました。 僭越ながら、 maimaisusさん、よく頑張りました。 maimaisusさんに祝福あれ

bragelonne
質問者

お礼

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。  shikaruniさんも 北朝鮮政府の側に立ったということですね。  キムジョなんとかという人の 存在を愛することと その思想や行動を 欠陥があれば その欠陥をみづからの内において認識し これを憎むすなわち棄てる みづからの内に棄てる そしてそのことを 相手に伝える という意味で 批判すること――存在を愛し 思想や行動の欠陥を憎む―― これを しないということですね。  してもよいし しないでもよい。する人がいても よいが しない人がいても よい。そういうものだ。――こういうご趣旨として受け取って よろしいでしょうか?  わたしの見方では それを言うことが適切であるとすれば言おうと思いますが そういう見解は 人間以前の状態にある人間の思いだというものです。原始心性とでも言うべきものです。人間の関係(かかわり) 互いの交通(まじわり) これを知らないという意味です。  これは 話し合いは いつでも 勝手に 入ってくることが出来るし 出て行くことも出来るという思想です。  なぜなら 無関心という死の状態に いつでも 自由に なってよいと言っているからです。また すでに なっている状態です。自死じたいは 自由ですが ひとに迷惑をかけることは 自由ではありません。  これに対する批判を期待していましたし しております。

回答No.61

maimaisusです。  >☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。  まづ撤回を要求します。 一応、過去の質問「究極の悪とは―存在について―」「あなたはすくわれていますか?」「悪は存在しない」など、読み返してみましたが、別に(δ)の発言は、撤回しなくてはいけないような事柄は書いていない様ですが。 何処が、名誉毀損や中傷のたぐいなのか、解らないです。 そのあとの回答で、そうしない理由も挙げていますしね。 それに、そう言う風(名誉毀損や中傷のたぐい)に考えるところが、人の意見を聞かないと言うところに、繋がるのかも知れませんが。 まあ、それも個性なんで社会的には、どうとも言えませんが、こう言う議論をするためには、あまり向かない傾向かもしれませんね。 個人的には、あることをある様に伝えようとしているだけなのですが、なかなか、難しいですねホント。

bragelonne
質問者

お礼

  maimaisusさん 次のように 抗議を致します。つぎの(δ)の発言の撤回を要求します。  ● (No.54回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。  ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。  まづ 撤回を要求します。  ☆ とぼけた答えを受けて すでに 運営スタッフには連絡しました。

回答No.60

こんにちは、bragelonneさん。 まいっちゃいましたよ。 PCトラぶっちゃって、修復のメドたたず…Y(>_<)Y。 ハードいっちゃったかも??? マジ、洒落にならん状況です。 しばらくは携帯からのアクセスです。 なんで、菊をここにあげたかと? うん、菊といえば「けんか祭り」を思い浮かべたの。で、菊繋がりで菊人形。菊人形、関西では「ひらかたパーク」の菊人形をはじめあっちでもこっちでもみる機会もおおく、馴染み深かったんだけども、ここ数年の間に菊人形パッタリと姿を消したの。なんで?と、疑問に思うまでに未曾有の不況の波。誰疑うことなく、不況のせいでどこともに経営難だからだろうぐらいに疑問も意識から消し去られる。で、菊で「けんか祭り」はどこかといえば霞ヶ城。「霞ヶ」という名が菊人形消失となんらかの因果関係が仮にあったとしたら…とばっちりもいいとこだ。たまたまよく似た名ということで当てこすりの如く菊人形が場から排除されていくのは忍びない。 『問題のある遺言が引き起こす』 http://yoshida-office.hp.infoseek.co.jp/m-2.htm

bragelonne
質問者

お礼

 littlekissさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ PC  ☆ なんか そのようですね。何にも知らんよ。  ★ 菊  ☆ 《灘のけんか祭り・岸和田だんじり祭》が 検索の結果 出たので 読んでみたけれど 《菊》は 出て来ません。どうなってるの?  ★ 霞ヶ城  ☆ これも 調べたら 福島・二本松あるいは 福井・丸岡城と出てくる。いったい どこのこと?  そうですか。菊人形が消えて行っているのですか。人形には いささか 関係しているので あぁ そうなんですかと――言う割りには ひとごとのようになりますが―― 思ったりはします。日本人形が 中国でつくられるようになったと聞いて もう二・三十年たつでしょうか。  ★ 『問題のある遺言が引き起こす相続の影の一面』  ☆ これも 《けんか》つながりなのですね。法定相続は けっこう 公平のように思いますが どうですかねぇ。  再出発も うまく行っていると思っていたら またまた・・・ ってな具合いです。  bouquet de roses

bragelonne
質問者

補足

 UFO !!!  お忙しいと思いますが。

回答No.59

僕の感じ方では、bragelonneさんの主張には、一色に染め上げようとするファシズム(全体主義)の匂いがするのです。多様性を容認しない、唯一絶対信仰のような論調を感じます。皆さんも、そのことを言いたいのだと思うのですが。

bragelonne
質問者

お礼

 規約以前 ネチケット以前の 人間にとって とうぜん守るべきことだから 《一色に染め上げ》ても かまわないことなのです。  ごくふつうの人間にそなわっていて とうぜん 自分自身で開発しているはづのことがら これだから 《多様性》の問題の以前なのです。  ということも 分からないということは・・・と言いかけて あとは ご自身で省みていただきましょう。

回答No.58

maimaisusです。 >○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み 棄てたことを 相手に伝える行為 これを選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。 んー、確かに中には、そう言った様な人もいるかもしれませんね。 ですけどね、私が言いたい事は、自分の中で答えが正しいからと言って、他の人間、全般にそうであるべきだ的な事を言うのは、ここで話すべきではないと思うのですがー。 私から見るとですね、bragelonneさんが、自己の専守防衛の為、ご自分の間違っている部分を認めず、人の間違いを指摘している様な感じがするときがあります。 そう言う事があると、結果的に、お互いのつぶし合いで、上記理由が、あてはまる人がいてもおかしくはないですよね。 その時、bragelonneさんは、意識しないで、そう言った人達を自分で造り排除し、礼儀がなっていないと怒っている訳です。 そう言った部分で、bragelonneさん自身にも少なからず、欠陥の要因はあるとおもいますがね。 様は、自分を守る為に、他を排除してしまっている、大切な意見を言ってくれる人を自ら、失っている訳です。 そうすると、新しい回答者か、bragelonneさんに賛同する人しか集まりにくくなり、その中で、口論があっても、楽しいだけの話合いで終わってしまい、本当の意味での、質疑応答の意味を損なってしまっていると言う事です。 もちろん、そう言う側面だけではないこを、付け足しておきます。 私の場合は、上記理由に、当てはまらないので何とも言えませんが。 そう言う意味おいて、精神的に弱い人とは違うと言う事です、その代り頭は弱い処は、多々ありますが。(-_-;)

bragelonne
質問者

補足

  maimaisusさん 次のように 抗議を致します。つぎの(δ)の発言の撤回を要求します。  ● (No.54回答および補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ (δ) 私から見て、bragelonneさん自身、そう言った部分(=《気づかない何かとしてのわるいこと》)があった事はよくありましたが、そう言うときは大概、感情的な話になっていたと思います。  ☆ (1) まづ 手続きの問題を挙げます。(δ)のように批判するとき 同時に 存在を愛するというのは その具体的な事例を挙げることだと わたしは 考えますが いかがでしょう?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この応答がなされた時点では まだ 互いの信頼関係があるという振りをすることが 最善の策だったわけですが いまとなっては この(δ)の発言は それだけでは 犯罪になるかと考えます。名誉毀損や中傷のたぐいです。  まづ撤回を要求します。  あとは 前回の答えの繰り返しです。   maimaisus さん ご投稿をいただいて来ましたが やはり だめでしたか。その労に 感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。が もう 行き止まりのようですね。  ● (No.54お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ○ 自己の専守防衛のために 欠陥を自己の内面において憎み 棄てたことを 相手に伝える行為 これを選択する場合が ある。選択しなければならない場合が ある。  ☆ こう考えます。いかがでしょう?  * これは 具体的にどのようであるかというよりも 精神的に身の危険が迫っているという情況なのではないか。こう考えます。  * もう一点添えるなら つまりは 《逃げるなら そして 何も言わないなら その相手との人間としての関係を 断つことになる。つまり無関心という死の関係になる》 こう考えられることが 相手にことばで伝達する行為をえらぶ理由です。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この考えと理由にもとづいて 最後の《ありがとうございました》をお伝えします。  なお これは  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  >☆ ぜひ 上の質問に答えるかたちで その《根本的なこと》をおしえてください。どうでしょうか?  は、正直、直接話さないと、いまの私では無理があろうかと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ に応答したものです。  今後とも この考えをもって 接していくつもりです。つまりは このお礼欄の文章を そっくりそのまま 応答として掲げるつもりです。  つまりは このようにする場合も あれば しない場合もある。ともに 自由である。ということのようですから。(わたし自身は これまで述べた来たように そうは考えませんが そう述べるひとの思想に対して――むろん その欠陥を指摘して来てもいますが ここに到れば―― 自由にさせるほかないと考えた結果です)。

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