• 締切済み

昔の海外のニュース→腕の中に息子を抱え、背中から銃で撃たれていた父親の時代背景について知っている方いらっしゃいますか?

 皆さん、はじめまして(・v・●) 私にはどうしても探し出せないニュースによる情報があるのですが、この場を借りて皆さんのお力を貸していただきたく思い、投稿させていただきました。  もうかれこれ6~10年前になるでしょうか。(あやふやですみません。) 前住んでいた家でのことなので、当時私は小学校の高学年くらいだったと思います。その日、夜のニュースが始まると同時に流れてきた海外のニュースがありました。  それは、戦渦または反乱などに巻き込まれた親子だったのでしょうか。まだ私が幼かったこともあり、当時の時事問題に詳しかったわけではないので、その国名や地名は聞き取れず、憶えていません。どの局による放送かも憶えていません。(すみません。。。)しかし、その映像が衝撃的で、10年ほどたった今でも、私の脳裏に焼き付いて離れません。    そのニュースの映像には、親子の姿がありました。きっとその映像は、現地(地元)の人が自分のビデオカメラで撮ったような、決して画質がいいとは言えない映像です。そこには、道脇にしゃがみ込んでいる父親と、父親の腕の中に抱きしめられた彼の息子がいました。彼らは何者かに追われていたのでしょうか、狙われていたのでしょうか。父親が必死に息子を守ろうと抱きしめ、彼は背中から何発も銃で撃たれていました。息子は恐怖で父の腕の中で泣き叫び、遠くで見ていた観衆からも哀れみの声が上がっていたのを憶えています。本当に痛々しい映像でした。  海外のニュースが夜10時くらいからのニュース番組のトップに出てきていたので、当時世界的に知られた反乱(戦争)だったのでしょうか。日本のマスコミ(確か民放だったと思います)が海外のニュースをトップニュースとして使っていたので、大きな出来事だったのかなぁと考えています。  私は今大学に行っていて、様々な世界情勢を知る内に、世界の紛争問題や、いわゆるglobal issuesに興味を持つようになりました。まだまだ知識は乏しいですが、時々時間を見つけては、パソコンでキーワード(日本語と英語)を使ったりして探すのですが(YouTubeでも、当時の映像が投稿されていないか探しています)、具体的な地名や出来事が何かがわからないので、うまく絞り込めずにいます。映像に出てきた親子は、アフリカ系の人ではなく、肌の色で決めつけるのもなんですが、白人~中東系だったように思います。  もうずっと昔のニュースですし、当時のニュース放送を見ていた方でも思い出せない可能性が高いと思いますが、当時(今から6~10年前くらい)世界で起こっていた反乱、紛争、戦争、銃による市民の虐殺・殺害について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんな情報でも構いません。何か私に教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。

みんなの回答

  • catmilk
  • ベストアンサー率18% (14/77)
回答No.4

#1です。検索してみましたが、なかなか見つかりませんね。 しかも2000年の話でした。そんなに前のことだったとは。 Youtubeとかならあるのかもしれませんが、1つ記事をどうぞ。 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003100933138&path_dir=20031009 少年が射殺されたのは9月30日の出来事のようです。当時のニュースがなんとなく分かります。 http://www1.ttcn.ne.jp/~jpma/2jousei/04_kikinisshi.html

riichin626
質問者

お礼

>catmilkさん  早々と回答を頂き、ありがとうございました。 昨日初めてこちらのサイトを利用したので、こんなに早く回答を頂けるとは思っていませんでした。一人の力では限界があったので、お力を貸していただき、本当に感謝しています。  2000年でしたか...もう9年前もになるんですね。当時は全くの無知だったものの、大学でイスラエルとパレスチナについて少しですが学んだこともあり、「あぁ、イスラエルとパレスチナだったのか!」という感想です。貼っていただいた記事も、とても役立ちました。ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.3

そのニュースは知りませんが、90年代前半に起きた旧ユーゴスラビア内戦でかつて冬季オリンピックの会場にもなったサラエボにおける「サラエボのロミオとジュリエット」の話はヨーロッパを中心に話題になりました。 ユーチューブの画像などを張るのは禁止事項なので、ユーチューブで「戦争が引き裂いた 悲劇のラブストーリー」で検索してください。 戦争さえなければ、平凡でつましい幸せで一生を終えられたかもしれません。

riichin626
質問者

お礼

>eroero1919さん  質問者です。早々とご回答いただき、ありがとうございました。 サラエボのロミオとジュリット。。。もしかして、路上で2人折り重なるように死んでいった恋人達のことでしょうか。朝2人で待ち合わせをし、いそいそと隠れるように道を歩いていたところを銃撃されたんでしたっけ。。。何年も前になりますが、テレビで見たことを思い出しました。    当時、彼らの遺体はその悲惨さを伝えるために、現場にしばらくの間そのままにされたようですね。ヨーロッパの新聞も写真付きでこの事件を一面に起用するなど、これも当時の人々に衝撃や悲しみを与えたものだったと思います。。。  私は世界で起きている紛争や戦争の要因や歴史的背景などに興味があり、これから時間をかけて学んでいきたいと思っています。今世界で、たくさんの人たちが争いの下で亡くなっている。。。私は日本という平和な国で生まれ育ち、戦争も体験したことがなければ、本物の銃を見たこともありません。人間はみな同じはずなのに、生まれ出た場所が違う、人種が違う、宗教が違うなど、紛争や戦争ごとに理由は違うけれど、人を殺して一体何が生まれるのでしょう。。。?憎しみや悲しみが増えるだけだと思いますが。。。これも一部の人からしたら、「偽善者」的な考えなのでしょうかね(><;)  また熱くなってしまいました。。。すみません。。。 Youtubeの動画を貼ることは禁止事項だったんですね。。。昨夜こちらのサイトにログインしたばかりで、禁止事項を見落としていました。ご指摘ありがとうございます。  今回はご回答ありがとうございました。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.2

私もそのニュース映像に衝撃を受けました。 男の子が11歳だったこと、白い壁の前でうずくまっていたことを思い出して検索してみました。おそらく、このニュースのことではないですか? http://blog.goo.ne.jp/nakanisi-sakai/e/e994bd8b5845138b7bcbc59e8c7e8d90 ●ムハンマド・アル=ドゥッラ 11歳。両親と6人の兄弟姉妹がいた。小学校5年生だった。家族は、ナクバで住民すべてが追放されたワーディ・フナイン村の出身。ムハンマドはブレイジュ難民キャンプに住んでいた。運動が好きで、中でもサッカーが大好きだった。……父親のジャマールはイスラエルで働き、自分の両親と妻と7人の子どもたちを養っていた。    2000年9月30日、ムハンマドは父親と中古車マーケットから帰るところだった。2人は乗り合いタクシーに乗っていたが、銃撃戦が始まったため、車はネツァリーム交差点で動けなくなった。乗客はみな車から降りた。だが、銃弾から身を守るものはなく、2人はかろうじてセメントの壁の下にうずくまった。父親は手に何発もの銃弾を受けた。右手が特にひどかった。助けを求めて必死に手を振ったためだ。      お父さん助けて!と叫ぶムハンマドの脚に1発の銃弾が命中した。父親は息子を抱きかかえて守ろうとした。その父親の身体を何ヶ所も銃弾が見舞った。2人はそのまま1時間にわたり銃弾にさらされ続け、ムハンマドは亡くなった。 その模様はTVカメラに撮影され、全世界に送られた。 映像もありました。 http://www.youtube.com/watch?v=3geiT77mlY4&feature=related 

riichin626
質問者

お礼

>Mumin-mamaさん  質問者です。ご回答いただき、ありがとうございました。 当時のニュース映像を憶えていらっしゃる方にご回答をいただけたこと、本当に感謝しています。まさか憶えていらっしゃる方に出会えるとは思っていませんでした。。。映像も見ましたが、そうです!この映像です!もう9年も前のことですが、当時の衝撃を再び思い出した感じです。    しかし、YouTubeで見てみると、この事件の真相は闇に包まれているそうですね。中東の英語もあり、全てを聴き取ることはできませんでしたが、カメラで見ると明らかにイスラエル側から弾丸が飛んできていますが、イスラエル軍は世界中で放送されたからか、「その男の子が死んだのは、パレスチナ側の銃撃が原因だ。」と言っているようです。  他にも、この親子を助けに行こうとして銃撃され、運ばれている人の側で手を叩いて笑っている男が2人いるなど、不可解な点がいくつかあるようですね。お貼り頂いた映像でインタビューを受けている、イスラエル側のジャーナリストも、嘘をついているようです。  久々に英語を聴き取ったので、私の言った情報がすべて合っているわけではありませんが、本当に悲しくなりました。亡くなった男の子は、撃たれて20分後、血を流しながら死んでいったそうです。また、銃撃を受けた父親も、意識が朦朧としているのが見ててわかります。  イスラエルとパレスチナの問題は、歴史的にも長く続いていますし、アメリカから支持されているイスラエル軍の力は圧倒的で、その下で苦しみながら生きているパレスチナ人の犠牲者は、日を重ねるごとに増えていく一方ですね。1か月ほど前は日本のメディアも、ガザ地区での爆撃について報道していましたが、今となってはBSニュースぐらいでしか取り上げられません。こんな時、私はくだらないことばかりを報道する日本のメディアに嫌気がさします。  長くなってしまってすみません。。。熱くなってしまいました(><;) 長年のもやもやが解決し、とてもスッキリしました。それと同時に、これからも世界情勢から目を離さず、自分で役立つニュースなんかを見つけていかないとなぁと思いました。    ありがとうございました(^ω^)

  • catmilk
  • ベストアンサー率18% (14/77)
回答No.1

私の記憶に残っているので、そんなに古いニュースではなかったと思います。 パレスチナ人の親子がTVカメラの前でイスラエル軍の射撃にさらされ、父親は子供を庇ったものの、子供は射殺され、父親も重傷を負う という事件ですよね 場所はイスラエル軍とパレスチナ住民の衝突 が続くパレスチナ自治区ガザだと思います。今もあそこな衝突が多いですよね。 私も検索はしていませんが、これで検索すると・・・ニュースが出てくると思います。

riichin626
質問者

お礼

 質問者です。こちらの回答もcatmilkさんからだったんですね。上の方から見ていったので、最初にいただいた回答にお返事するのが後になってしまいました。すみません(><;)    やはり、イスラエルとパレスチナでの問題だったんですね。。。当時の映像から見て、父親がたくさん撃たれていた印象があり、父親の方が被害が大きかったと思っていましたが、息子が殺されてしまったんですね。。。とても悲しい事件だと思います。当時小学生だったものの、愕然としたのを憶えています。  また色々と検索してみようと思います。二度もご回答いただき、本当にありがとうございました。

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