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他人に対する疑い癖
この春、大学院修士課程を修了し社会人になる24歳♂です。 もともと他人をすぐに信用する性格ではなかったのですが 大学を卒業し、修士課程になったくらいから 根本から他人を信用できなくなりました。 研究室の同期が仲良くない(私は中立)・教授陣から私だけ放置と 公開ダメだしの日々・学部までの友達と疎遠になったetcの いろんな要因から全く楽しくない修士1年の1年間でした。 修士2年になり、教授には成長したと褒められ、 研究室で誰とでも話せるポジションになっていたのですが… 全く人を信用できません。 教授陣に関しては、口では成長したと言ってくれているのですが 博士課程の勧誘があったり、月に1回のミーティングやプレゼンなどだけで本当に判断できてるのかと疑問に感じてしまいます。 研究室の学生達と私の間に摩擦が起きないように配慮して 言葉を選んで付き合っています。 全体的に仲の良いコミュニティではないので 陰口が飛び交い、大体が私の耳に入ってきます。 それを聞いていると、 私のことも陰で言ってるのではないか?とか 君は、あの人を強く非難できる程完璧な人間なのか?とか 考え、嫌になります。 もちろん私にも嫌いな人はいますが、 あからさまに嫌いという態度は出しませんし、 私にもどこか至らない点があるので強く非難できません。 狭いコミュニティではありますが、皆が配慮せず 摩擦を生み、結果居心地の悪い環境でした。 社会に出て、環境は変わりますが、 必ずしも今よりも良い環境になるとは限らないので 過度な期待はできません。 他人は結局自分のことしか考えていないんだという考えが強く 今後もずっと他人を心では疑っていくのかと思うと 将来が全く楽しめないような気がしています。 こんな状態では女性に対して恋愛感情も生まれないと思うし…。 無茶苦茶な文章になってしまいましたが、質問です。 ・こういう考え方やこのように考える人をどう思いますか? ・良い改善方法や考え方の転換などアドバイス よろしくお願い致します。
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#4です。 同様に、相手のために嘘をつくと、それは嘘をついた人の責任にはならず、嘘をつかせた人の責任になる、なんてのも良くあることです。 「こんな正直な私に嘘をつかせた、あなたが悪い」ってね。 本当に困ったもんだ。
学校でも社会でもこんな感じのとこは多いですよ。 考え方の違う人が集まっていますから 摩擦はある程度しかたがないですね。 結局人は自分中心で生きていますからね。 そして、realluckサンのように中立に黙っているのが 大人の対応です。 とてもいい対応されていると思いますよ。 自分自身は人に親切にし、真面目に働き、 人の悪口をいわず、周りと摩擦無く生きる。 これがベストだと思いますよ。 自分自身がどうあるか。が大切です。
- dai-ym
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他人を疑うことがいけないことなのでしょうか? 逆に疑いもしないで根拠も無く人を信用することの方が危険でいけないことだと思いますよ。 ただ、問題があるとしたら疑うことと否定することは違うことだと理解する。 そして人間は全部疑うとか全部信じるとかではなく、疑っている部分と信じている部分が絡み合っているものだということを知ることかもしれません。 人間は神様でも仏様でもない不完全な存在だからこそさまざまな負の感情も持っています。 しかし、悪魔でも鬼でもないからさまざまな正の感情も持っています。 こいつは女好きで女がらみは信用できないけど金に関してはしっかりしていて信用できる。 そんなふうに信用できる面と信用でき内面が混ざっているのが人間です。 だから今のように疑っている面だけを強調してみるのでなく、同じように信用できる面も見て、その人を否定しない。 そうすれば他人をいくら疑っていても問題ないですよ。
私個人の意見としては、何一つ間違っていないような。 先ほど、テレビを見ていて思ったことですが、 アメリカ(?)で、足で車の運転をしている人を紹介(?)していました。 この人は障害者免許ではなく、普通免許を取得したそうです。 日本でもようやく「自己責任」という考えが定着してきましたが、しかし人を非難することに対しては、まだまだ自己責任の意識が薄いのが現状です。 つまり「相手のため」と称するとすべてが正当化されるのです。 「あなたのために言ってあげている」と言って批判します。 そして、反論しようものならば、反論したという事実だけでさらなる批判をされてしまいます。 先ほどの運転の話に戻りますが、もし日本でこのような人がいたらば関係ない人も含め全員が反対するでしょう。 つまり「もし何かあったら誰が責任を取るんだ」と言うでしょう。 そんなのは誰が運転しようともすべて自己責任でしかあり得ないのにです。 このような人があまりに日本には多すぎて、信じられない人が多いのは当然だと思います。 しかし、私には数人の信頼できる友達がいます。 つまり、自分の考えをしっかり持っていれば、それに見合った人がいずれは現れるでしょう。 できれば、今の考えのままでいらっしゃる方が今後の日本のためになると思います。
・どう思うか~そんな状況なら考え方がサゲサゲモードになっても仕方ないでしょうね。 ・期待すればがっかり度が増すものでしょう。 おっしゃるよう過度な期待などせず、 自分が正しいと思うように振舞うが重要だと思います。 自分が間違えていればきっとそれなりの反応でしょうし、 その場の皆に受け入れられるのであれば間違いじゃないんでしょうから。 謙虚な気持ちをもっていられれば 受け入れられることのほうが多いように思いますよ。 今の狭い世界で世の中全部そうなのだという気持ちになるのは 短絡的だと思います。 『今は修練の時。みてろよ(`へ´)就職したら楽しんじゃうんだから!』って 気楽に思ってもうすこし粘ってみてください。 えらそうに書いてしまいました。 お気に触ってしまったら・・・ごめんなさい・・
お礼
ご回答ありがとうございます。 全然気に触れてませんので! 私は謙虚に対応しているつもりですが 他人はそう見えないかもしれないと思うと 相手にこう振る舞うべきとは結局強く言えないです。 確かに短絡的かもしれません。 学生だからそういう人が多いのかもしれませんね。 そのまま社会人になる方もいるでしょうけども。 それを踏まえた上で今後コミュニケーション・指導をしないと 全てが成り立たないような気がしています。 もちろん楽しむ努力もしたいものです。
補足
そうですね。環境因子の影響は小さくないと思います。 あと研究室の同期の1人が研究室の学生の9割を強く批判し あいつはゴミ以下だの、脳みそないんじゃない?だの とても嫌な気分になってました。 対象者に全く非がないわけではないのですが、 表現が酷過ぎるというか…。 そうするともちろん、批判者の態度で気づいた対象者達も 批判者を嫌ってしまいお互いに批判をし合う。 批判に無駄なエネルギー使うくらいなら お互いに改善し合ったが絶対にいいのに。
- GFJB1
- ベストアンサー率66% (2/3)
こんばんわ 自分なりの他人に接する際の心構えです ・相手に対して接した(親切や世話)のと同等の見返りを期待しない。 ・相手とは付かず離れずの距離感で接する。 ・他人は他人、自分は自分 以上の事を気をつけて居れば極度に相手に対してあれこれ思わずに済みます。 少しでも参考になれば幸いです
お礼
ご回答ありがとうございます。 その心構えは意識しているつもりですが… 上っ面の関係しか持てない人になるのでは?と気になっています。 社会とはそういうものなのですかね。。 親切の見返りはいらないので 無駄に迷惑かけたり、険悪なムードを作らないで欲しいという 気持ちはあります。 これも見返りと呼ぶのであればどうしようもないですが・・・。
- dog-amater
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他人に期待しないことにしようと思うようになりました。
お礼
私の意見が回答者様の考えに影響を与えてしまっていたら すいません。 コメントありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「誰が何をしようと自己責任」 私もそう思います。 ただ自己の行動・言動によって自己だけが被害を受ければ 問題ないのですが、他者にまで迷惑かけた場合に その責任を放棄してしまう人もいます。 (法的に大きな事項でない場合ですが) だから信じられないのでしょう。 信頼できる人も少ないですがいます。 ただし、頻繁に顔を合わすような人ではありません。 結局は今後も、信頼できない人とも接していかなければならないので 色々とうまくやっていくしかないと思いました。