• 締切済み

町田康『人生を救え!』で気になった内容

町田康『人生を救え!』の中で、気になった内容があります。 「むかしのユダヤ人なんかも、仲間内の優れた人が再三再四、おまえらそんなことしとったらあかんど、と警告を発しているのにも拘らず、偶像を崇拝して享楽的な生活を送ったため、後でどえらい目に遭うなどしたのであって」という文章があり、このユダヤ人の喩えは、教典などに書いてある、具体的な何かの名称のついた事件をさしているのでしょうか?これまで全く宗教に触れたことがなく、全然わかりませんが、もしかしたら何か教訓めいたような有名な事件があったのかなと気になっています。どうぞ御教示くださいませ。

  • glygly
  • お礼率87% (192/220)

みんなの回答

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.1

有名なソドムとゴモラのことを指していると思われます。

glygly
質問者

お礼

ソドムとゴモラについてだったんですね。この名称は知っていましたが、具体的な内容については知らなかったので、全く分かりませんでした。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • カトリックと偶像崇拝

    ※初めに私はキリスト教に対して敵意がなく、学習者としてこの質問をしているとご理解ください 最近,ユダヤ教について興味を持ち調べているうちに同じくアブラハムの宗教であるキリスト教についても少し調べたくなりました。 その中で疑問に思ったことがいくつか出てきたので、宗教について調べている方にお答えいただければ幸いです。 キリスト教において ・父なる神 ・子なるイエス ・聖霊 の三位が一体となって唯一神 という認識で 出エジプト記の十戒のひとつとして 『偶像崇拝してはならない』という記述があると私の読んでるユダヤ教の本には書いてあるんですが、この部分はアブラハムの宗教で共通していることですよね。 しかし、キリスト教(カトリック)の境界では磔にされたキリストの像があったりステンドグラスにキリストの絵が描かれていたりすると思います。 これは偶像崇拝にあたらないのですか。 回答よろしくお願いいたします。

  • 宗教学に詳しい方おしえてくだい。

    宗教学に詳しい方おしえてくだい。 モーセの十戒に、唯一神であること、偶像崇拝禁止などが含まれています。モーセはイスラエルの民を引き連れ、エジプトを脱出し、新たに十戒を設けたと思うのですが、多神教の教義の問題点(多数の神々、偶像崇拝)を考慮した結果に思われます。 (1) 多神教においての多数の神々を崇拝する事においての問題点はなんですか? (2) 偶像崇拝を禁止した理由はなんですか? (3) その様な記述はありませんか?また、宗教学者の見解はありませんか? また、創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されていますが、 (4) アブラハムの時代の教義(古代イスラエルの民)には既に偶像崇拝禁止、一神教の概念があったのでしょうか? (5) それとも創世記の内容自体、モーセ以降の時代の人間が、先代から聞いてきた内容を踏まえ、旧約聖書に織り込んだのでしょうか ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれも唯一神がアブラハムを人類救済のために選んだ預言者として尊敬し、祝福する傾向が強いとウィキペディアにありますが、 要約しますと (6) モーセが、何故、唯一神、偶像崇拝を禁止にしたのか・・・その理由 (7) アブラハムの教義には、既に、唯一神、偶像崇拝禁止の概念があったのか (8) アブラハムの生まれた時代には、その周辺の教義は主に何だったのか 以上、宜しくお願い致します。

  • キリスト教の神はだれなのでしょうか?

     キリスト教の神は誰なのでしょうか?  神の子=イエス・キリストは十字架の像をとってもよく見ます。聖母マリアもよく見ます。でも、  神自体の像を見たことがありません。  (聖母マリアは処女懐胎だから父親がわからないからという、ジョークはなしで)  ユダヤ教のヤハウェ(エホバ)なんでしょうか?ユダヤ教ならいざしらず、キリスト教の  新約聖書では全然でてきません。神の子のイエス・キリストを崇めるなら、なぜ神自体を  崇めないのでしょうか?  神=神の子(イエスキリスト)=霊魂 は一体という三位一体という理論ででしょうか?  でも、それなら、イエスキリスト自体を神と言えばいいと思います。なぜ、神の子というの  でしょうか?    本当は偶像崇拝禁止がいつのまにか偶像崇拝になり(まあ、異教徒への布教があったから  仕方ないのかもしれませんが)神の子と聖母マリアはさんざん偶像になるのに、神自体は  偶像にならず、不思議な気がします。  キリスト教の神とは誰なのでしょうか?  

  • 教祖自身が布教していた頃の宗教の姿は?

    世界3大宗教、つまり仏教、キリスト教、それにイスラム教について教えて下さい。 これら宗教の教祖、つまり、ゴータマ・シッダルタ、ナザレのイエス、それにマホメッドですが、彼らが自分で布教していた頃の各宗教の姿、あるいは考え方など、どのようなものであったと考えられているのでしょうか? 説明が難しいですが、つまり 「教祖の本当の教えはこれだ」 と考えられるものがあるのでしょうか? というのは、一口に3大宗教と言いますが、その中でも宗派の数って凄く多いですよね。 たとえば結婚や出産、あるいは服装についての定めとか、お金に関する考え方とか、食べるものとか、同じ宗教でありながら全く考え方を異にする宗教って多いと思います。 うまく説明できないのですが、たとえばマホメッド自身は本当に 「豚肉を食する事や偶像崇拝を禁止した」 のか、とか、ゴータマ・シッダルタ自身は本当に 「たとえ虫でも殺生はいけない」 と言ったのか、また、 イエスは本当に 「自己犠牲や博愛」 を唱えたのか? などなど ・・・ もちろん、中には教典に書かれているものもあるでしょうが、そもそも教典自体、教祖自身が書いたものではないですよね。 おそらく没後、だいぶ経ってから弟子たちによって編纂されたものと思います。 仏教でも坊主頭のお坊さんもいれば、普通に伸ばしているお坊さんもいます。 結婚を認める宗派もあれば、女人禁制を強く貫く宗派もありますよね。 キリスト教でも神父さんや牧師さんの結婚を認める、認めないと意見が分かれていると思います。 教祖が唱えた原始の姿って、一体どちらだったのでしょうか? もし彼ら教祖が今の宗教のあり方を見れば、何と感じるでしょうか?

  • イスラム教についての疑問(偶像崇拝に関連して)

    ・パキスタンで、コーランを燃やしムハンマドを批判した男が死刑判決を下された。  ・日本(富山)でコーランが破かれているのが発見されムスリムによる抗議デモが起こった。  いずれもウィキペディアに載っていたのですが、これを見て疑問を持ちました。  イスラム教は唯一の神を信仰するもので、コーランは神の言葉=神の一部であるということですが、それは当然コーランの「内容」であって、被造物である本そのものではないわけですから、本=インクのついた紙が焼かれようが破かれようが何の問題があるのでしょうか。本を粗末に扱われることを忌むのはまさしく、イスラム教において禁じられている偶像崇拝の消極的な一態様ではないかと感じました。少なくとも部外者からみると同じことに思えてしまいます。  神仏混交の日本人である私自身の素朴な宗教感覚としては上記の事件は「ムスリムがコーランを焼くなんてそりゃ罰当たりだ」などと思うわけですが、それはいろんなものに神が宿るであるとか言霊信仰云々といった神道的な感覚に過ぎず、イスラム教というのはもっと純粋というかいろんな意味で徹底された宗教である、と思っていたこともあり違和感を覚えたわけです。  あと、そもそもイスラム教に「聖地」があるというのも少し違和感があります。義務の一つに巡礼がある以上当たり前といえば当たり前なんでしょうが、メッカの土地や街も、他のものと同様神の前で平等であるべき被造物なのに、そこだけに宗教上の特別な意味をもたせるというのは一種の偶像崇拝ではないでしょうか。  宗派によっては偶像崇拝を全面禁止しているわけではないところもあるということは知ったのですが、どうも合点がいきません。     私はムスリムではありませんし、知識もほとんどありません。なので的外れな質問なのかもしれませんが、ムスリムの方や、ムスリムでなくてもイスラム教に詳しい方にこの疑問について教えていただきたいと思い投稿しました。よろしくお願いします。

  • 町田康 「きれぎれ」

    過去の芥川賞を読んでみようと思い、「きれぎれ」を読んでみました。 冒頭からビックリ。とても耐え切れず、4ページあたりで断念しました。 あの作家も布袋にブン殴られたという印象しかなく、他の作品も読んだことはありません。 完読された方、あの作品はどこが良かったんですか?どこが評価されたんですか?文脈もストーリーも把握できず、読んでいて非常に辛かったです。完読された方の率直な批評を聞かせてください。

  • どうして偶像は毛嫌いされるの?

    キリスト教や、特にユダヤ教・イスラムでは、偶像というか神の形象表現 が非常に毛嫌いされ、してしまった人間は殺してしまえ、とさえ言って いますよね? これって、何故でしょうかね? 一応、ユダヤ教の律法には目を通していますが、理由については全く 触れていなかったように記憶しています。コーランには、その辺は何か 説明されているのでしょうか? 単純に考えれば、後のカトリックがそうであったように、形象化した方が 具体的イメージが湧きあがり、無学の人間にも容易に近づけ、宗教内部 の権力者にとっては、勢力拡大に都合がよい気がするのですが。 「生ける神」だからでしょうか? それとも他の民族の神と差別化を計って 共同体意識を一層強めるためでしょうか? 

  • 作家の町田康さんについて。

    初めまして、よろしくお願いします。 作家の町田康さんについて、2つ知りたいことがあります。 ・血液型は? ・現在、「猫にかまけて」と「猫のあしあと」の、2冊の猫エッセイが出版されていますが、この連載は、どこかの雑誌で続いているのでしょうか?もう終わってしまったのでしょうか? ご存知の方がいらっしゃったら、ご回答よろしくお願いします。

  • 北海道には梅雨がない、と言い始めた権威はだれ?

    東北と同様に、梅雨前線の影響を受けている北海道に”梅雨がない”、      と気象庁が言い張るのが気になります。 特に、政府に忠実な NHKの予報士が言います、が     ひるおびの森朗さんは言いませんね。 北海道の梅雨は1週間ほどなので、 ”梅雨がない”としたのは理解できますが、  それなら50km隔てた青森も ”梅雨がない” はずです。  ある八甲田の温泉主人は、「1週間はじめじめする」と言ってました。 さて 気象庁が ”北海道には梅雨がない”と決めたのは、 ある権威者の偉業が大きすぎて修正できないのだ、と憶測しています。 それは誰でしょうねぇ。 科学は 偶像崇拝,予言,教え があって宗教だと思ってますが、 他の宗教と違うのは、理論による再現性の高さ、です。 青森にあって、函館にない、とすると理論に合いません。

  • マレーシア 服装 宗教上の理由はどの程度まで?

    マレーシアへ修学旅行に行きます。 修学旅行なので制服で行くつもりでしたが △制服を起きていると明らかに「修学旅行生」とわかり、お金等を狙われる可能性が高くなるので私服で、とのこと。 先生からの指導でいくつか気になることがあります。 △偶像崇拝が禁止されているので小さなぬいぐるみのようなストラップは付けていかないこと。  →キャラクターや動物が描かれているTシャツは着ても大丈夫なのでしょうか? △現地の宗教上の理由で肌の露出を避けるため、ショートパンツやキャミソールは着ていかないこと。  →ゆるいトップスで肩が出ているものは駄目ですよね? 学校の先生に直接尋ねればよいのでしょうが、マレーシアに住んでいる方々は実際どの程度まで気にされるものなのか知りたいのでここで質問させてもらいました。 回答よろしくお願いします。