• 締切済み

輪廻転生や霊を論理的に実証することは可能でしょうか?

少し、生命について考えていたのですが、そこから派生して輪廻転生や霊を論証可能にできるかもしれないと思ったのですが、皆さんの意見も聞きたいと思って質問させて頂きます。 私の個人的解釈は以下に記述します。 まず、命について考える内に、そもそも有機体って何?という疑問にぶつかり、有機体の特徴について考えていたのですが、我々は、空間の中で時間を運ぶ情報思念体に近い存在なのではないか?と感じるからです。 空間の中で流れる時間を認識できるからこそ、その摩擦に生じる諸々の現象を紡ぐことで、我々は過去・現在・未来のような「時間」という概念を知ります。 現象を紡ぐ際に生じる時間は、空間と共に記憶として固定化され、記録されます。 記録とは情報であり、情報で構成された世界を仮想世界と呼びますが、我々の住む感覚世界とは、現実世界ではなく、実は仮想世界なのではないでしょうか? 生命が遺伝情報に基いて生きているのならば、生命とは、情報を紡ぐ為の媒介として存在する感覚を持ったホログラム{情報思念体}に過ぎず、いま、共有しているこの世界も、時を同じくして空間で時間を刻むホログラム達がネットワークを張り巡らせる仮想世界を共有しているに過ぎないということです。 そうなると「死」とはどういった現象なのか? 死とは、感覚の消滅によって情報{思念・体}から解放され、情報そのものになること。 即ち時間(情報)を運ぶ世界が仮想世界{生}であるとするなら、時間を運べなくなった世界{死}は時間の一部になることによって現実世界に還るということです。 比喩すると、我々が文章を書く時と同じです。 考えるとは「未来{誕生」であり、また、それを実体化させようとする動作が「現在{人生}」であり、そして、文字として知覚できる形象を持った時「過去{終焉}」が繋がり文章の一部となり、その繰り返しで文章(真実を映し出す鏡)としての輪郭を形成してゆく。 最期の文字{死}を持ってして、初めて真実の鏡を覗けるのではないでしょうか。 また、有機体にとっての情報とは残留思念という言葉に比喩できますが、もし、思念の目的が、思念の存続(情報の存続)そのものであれば、有機体にとっての目的・存在意義は"生きて死ぬ"(情報を運び、次世代に繋げる思念を残す)という現象そのものかもしれない。 ※そう考えると、仏陀やユングなどが試みたトランス(無我)状態になることによって、空間と時間を認識している自我の放棄によって生じる制限された時間からの解放によってアクセスできた神と比喩されるものは、奥底に眠る記憶(情報)、つまり、過去の人間が、神や恐怖の象徴として形象を持ったイメージが遺伝子に記録され、その情報が想起されたと集合的無意識の存在も論証できます。 例えば、霊といえば死者(生霊除き)となりますが、死者とは肉体を失っている状態であり、即ち体・思念を失った情報ですが、あまりに悲劇的な死を送った者が最期に残した強い情報(思念)が、時空間に記憶のように固定されると、その残留思念が視える人間がいても不思議ではないということ。 輪廻転生については、来世は必ず存在すると強く願って死んだ人間の残留思念が、まだ意識が曖昧な胎児に癒着して、前世の記憶が蘇るということです。 輪廻転生についても、いくつか事例があり、子供が○○[全く知らない離れた土地]に住んでいたことがあると言い、あまりにその内容が具体的過ぎるので、親がその場所を探しにいくと、子供が言った風景や造形も全く同じだった。という例などです。 どのケースを見ても、こういった前世の意識は年齢と共に全て失われていくそうですが、自我が形成され、自分自身の思念が、残留思念を除いていったとも解釈できます。 皆さんは、どのような思想・意見をお持ちでしょうか?

みんなの回答

  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.10

人間の構造について説明します。 人間は誰しも複数の身体を所有しています。 まず一番粗い質である肉体(物質体)があります。 次に肉体より精妙な質のエーテル体(幽体)を持っています。これは普通の人には見えません。肉体とほぼ同じ形態をしています。 死の時、または睡眠時でもこの肉体と幽体とは分離します。 つまり我々はみんな睡眠時に幽体離脱をして、この幽体でもって霊界を訪れています。 ただし睡眠時は幽体と肉体とは霊的なシルバーコードによつて繋がれているので肉体が死ぬことはありません。 このコードが切れた時が死の時です。 次に精妙な体はアストラル体で、感情・欲望の働きをします。 次の体はメンタル体で精神の働きを、その次はコーザル体で知性・観念化などの働きをします。普通の人間はだいたいここまでの体を発達させています。 これより上にいくと、ブッディ体という直観を働かす体がありますが、この体を開発させている人は長い修業によって霊的な高い境地を得た人だけに見られるものです。 その上となるとアートマーあるいはニルヴァーナ(涅槃)と呼ばれ、いわゆる悟りの境地で転生の必要がなくなります。 これら、肉体を除くエーテル体から上位の体を一口に霊と呼んでいるのです。 どの体を一番よく発達させているかによってその霊のレベル(霊格)が決まります。 そして霊界(死後の世界)も同じようにアストラル界、メンタル界、ブッディ界と、その霊のレベル(霊格)に応じた界層に分かれています。アストラル界だけを見てもその中でまた7つの細かい界層に分かれます。 そしてそれぞれの霊は死後自分のレベルに合った界層へ行きます。 当然高い界層ほど居心地は良く、霊はより高い界層へ住みたいために自分を鍛えたい、磨きたいという願望を持ちます。 これがこの地上界へ霊が化身する理由です。 霊を鍛える世界はこの地上界が最も適しています。なぜなら、霊界は同じレベルの者たちが集うところなので非常に居心地がいいところですが、この地上界はいろんなレベルの霊(化肉した霊)がぶつかり合っている場所なので、それが切磋琢磨して霊の成長に大きく役立っているのです。 しかし、一度の人生はたかが5~70年です。こんな短い時間の中での成長はたかがしれています。 そこで霊は何度も何度も生まれ変わって挑戦し、やり直します。これが転生の真相です。 また、転生の場所はこの地球だけではありません。太陽系のすべての惑星がそれぞれ霊的レベルを持っていますので、自分の霊格に相応する他の惑星に転生することもあります。 そして、転生のもう一つの目的はカルマ・因果の解消、ようするに過去の過ちの償い、埋め合わせ、罪滅ぼしの意味もあります。 これは宇宙法則の中でも絶対的真理で、どんな小さなことに対してもそれ相当のお返しがあります。 蒔いた種は刈り取らねばならない、という絶対的法則-因果の法則が働きます。 この因果の法則からの解放が肉体からの解放、転生からの解放となります。 また、地上に転生している自分とは本当の自分という魂のほんの一部に過ぎません。氷山の一角です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.9

>まず、命について考える内に、そもそも有機体って何?という疑問にぶつかり、有機体の特徴について考えていたのですが、我々は、空間の中で時間を運ぶ情報思念体に近い存在なのではないか?と感じるからです。 情報思念体という考え方は、神智学では想念形態といて扱い、霊視による確認がされ、ひとつの物質としてとらえています。 ただ、有機体イコール情報思念体ではありません。情報思念体は有機体から生じたものです。 想念形態は念と同じものです。それ自体が生き物として活動します。が、生命本体とは違うものです。 例えば恨み、憎しみなどの念は生霊として生きます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#189246
noname#189246
回答No.8

現在霊があるやなしやという議論は、 質問者様のおっしゃる残留思念体のようなものの存在を、 証明出来るかということではないかと思います。 論理的実証、つまり論証がない訳ではありません。 でもこれを言うと「物的証拠がない」という批判を浴びます。 元々物質の話ではないのに物的証拠などありよう筈はありません。 ですが、質問者様がそれでいいと言うなら私の持論をご紹介しましょう。 注目すべきは脳の特徴についてです。 昼間は脳が覚醒しています。 睡眠中は脳が休んでいます。 当たり前ですね? では起きている時と寝ている時では、 どっちが脳の能力が優れていますか? 起きている時ですね? 起きている時は目をつぶっても何も見えませんね。 寝ている時は夢という映像が見えますね? この夢は起きている時考えるのと違って、具体的に見る何かですね? 起きている時に目をつぶって考えても決してこうはなりませんね? 目をつぶっているのに何かが見えるということは、 起きている時より寝ている時の方が優れた何らかの能力が発揮されているという事ですね? 脳は起きている時の方が、寝ている時より優れているのでしたね? では寝ている時の方が優れた能力が発揮されている部分は、 脳の仕業ではない事になりますね? 起きている時に出来ないことを、 活動が鈍っている寝ている時に出来る筈がありませんね? ということは夢が脳の仕業だとする事は矛盾していますね? ということは夢は脳という肉体の仕業ではなく、 脳という肉体以外のものから派生している事になりますね? 夢が脳という肉体から派生するのではないなら、 夢は肉体の消滅と関わりなく存在する事になりますね? と言うことは、夢は肉体の消滅と同時に消滅するのではないことになりますね? だから夢は肉体の死後継続するのです。 あぁ・・・ついに言っちゃた。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.7

>そうなると「死」とはどういった現象なのか? 死とは霊と肉体との絆(シルバーコード)が切れることです。 死によって肉体は滅びますが、霊は何も変わりません。 むしろ肉体の重荷から解放されて、より自由に活動し始めます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.6

>輪廻転生や霊を論理的に実証することは可能でしょうか? 神智学においてすでに実証済みです。 要はあなたがそれを受け入れるかどうかの問題です。 ひとつ修正しますが、 >霊といえば死者(生霊除き)となりますが 違います。霊とは生命そのものであり、我々生きている人間も本質は霊的存在です。死んで霊になるのではありません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • burahuman
  • ベストアンサー率27% (167/604)
回答No.5

ここのカテですから本心を書きますね。 まず輪廻転生や霊を現実の問題と考える事自体無理が大有りだと思います。現実の話だと言うならなぜ何百年も前から何も進歩が無いのでしょうか? 200年前も、100年前もそして現在も質問者さんが疑問に感じているような事は言われていたと思います。真剣に研究した人達も沢山いたと思います。 で結果はどうか、何も進歩していませんね。数百年間何も進歩していない事柄を事実だと考えるのは余りにも無理が有ると思います。 動かぬ証拠は何一つない、再現性も全くなし、やはりこれは趣味か信仰の世界の話でしょう。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#100496
noname#100496
回答No.4

輪廻転生と、この世界がシュミレーションの、仮の世界である事を、論理的に説明できる事はすごい事です。そして自我の、脳の世界を超えて、無我が何かも、理解されてるみたいですから、悟られたのですね。仏教などで言われてる事を説明します。宇宙の大元は完全調和の無我の世界です。時間も絶対時間で永遠です。そして宇宙が成長発展するために、不完全不調和を完全調和に変換する場所として、この仮の世界の地球が出来ました。だからこの世界は自我、脳の不調和と、無我、自然の調和が交わる、シュミレーションの世界です。宇宙の大元から投影された虚像の世界です。だから自我の、脳の思考は、この仮の世界に限定されたものです。だから科学もこの世界に限定されてます。脳の思考を休める事により、無我になる事で、悟る事ができます。この世界の時間は、相対時間で、始めと、終わりがあります。2012年に、この世の三次元と、あの世の四次元が終わり、次元上昇すると言われています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#77874
noname#77874
回答No.3

●転生輪廻 不特定多数の方々に退行催眠をかけて前世を語ってもらい、それと史実を客観的に検証した結果、一致していた、という事例記録は多数あり、特に偽装でないことが明白である形態の下で検証された事例も多数あります。 ●霊 ・真空管製作者として有名なクルックスという科学者達が、エクトプラズム抽出現象化により死者霊を物質化させ、写真を撮り話もし髪の毛を切って顕微鏡調査をする、という科学実験により霊存在を実証済で、この実験に関する文献も多数あります。 ・霊写真は多数あり、その中には偽装ではない物も多数あるようです。 ・霊能者を通じ死者霊の話を存命配偶者に伝えたところ、夫婦間でしか知り得ない話をした、という事例は多数あり、その中には偽装でないものもあるようです。 ・幽体離脱により自分の眠っている肉体を上から眺めた後、別室に移動しその部屋の様子を話した人が、私の知人にいます。 ・北欧で有名な科学者だったある方は、第一人者としての業績を様々に挙げて社会的信用を確固たるものとした後に、幽体離脱して見聞した霊界の様相を著述しておられます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

んーなるほど。 自分はこんな感じに考えています。 有機体と言うより、物質とは何か。そう考えました。 そこでたどり着いた答えが、物質とは平たくい言えば、 多角的に認識出来る力の流れ。もしくは、多角的力の流れから構成されるもの。 ではないだろうかという事です。 どういうことかと言うと、石を例にしてみると。 石は、まず目で見る事が出来ます。見るという認識だけでも、上下左右斜め、色、などの方向性をもった見方ができ。 触れることにより、質感や重さなどの認識も出来る訳です。 その他にも方向性のある認識もあると思うのですが、切りがないので。 上手く説明出来ないんですけど、そう言った、多くの力の流れから、物質は、構成されていると思うのですね。 人間の場合は、上記内容を前提として、色々な機能(まあ、これも力の流れの一部ですが)が、付いた物体なのではないかと。 機能的力の流れについてはこうです。 食欲とか性欲と言ったような事や、認識・推察・想像のように物質化しない力の流れ。みたいな、ようは人間の心の内訳ですか。 時間に関しては、これまた上手く説明出来ないのですが、人間は、多くの{作用する時間の流れ}の中に存在していると考えています。 人間自身の動く時間の流れ+地球の回転する時間の流れ+太陽系を周る時間の流れと言うように多くの作用が地上に住む人間にはかかっておリ、そう言いた力もまた、物質化の力の一つになっていると思います。 余談ですが、山から取れた石の相は、山全体の相と同じ形だそうです。 なので、つーか、かなり脱線した様な感じですけど、転生に関しては、物質化しない力の流れ(心が)なんらかの形でそう言う事になるのかも知れません。 んー自分で書いていてまとまらないのでここら辺でやめときます。 聞きたい事がある場合は聞いて下さい。答えられる限りお答えします。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

10代の頃に幽霊とかカルマとか前世とかの本をたくさん読みました。 自分の知らない世界が存在すると、わくわくして読みました。 ところが時は残酷なもので、そこで停止せず、もっと多くの情報を得ることになり、他の情報と比較できるようになりました。 質問内容に書かれた前世を記憶する人が本当にそうなのかの事実確認内容、私も本で読みました。 事実だと確認されたと本に書いてあった。 ある人も前世の本を読み興味を持ち、実際その前世の記憶を持つ人に取材に行った。 本を頼りにその村に行こうとした。 村が無い。。。。 本に書いてある村が無い。消滅したか???? まあ 前の本なので、村の名前が変っている可能性もありますよね。 でも アメリカでヒットした前世の本に書かれた有名人なので、現地の人に聞けば「あの村の人」って教えてくれるはずと聞きまわった。 誰もそんな人知らない。 そんなとは、前世の記憶を持つ実在する人のこと。 前世を持つ人がいるというのは知っているが、実在して会ったことがあるとか、会ったことはないが、隣の村にいるとか、あっちの村に実在して生活しているとか聞いたことが無いとのこと。 どういうこと??? で、取材した人は、前世の本を書いた人にコンタクトとってみた。 すると、本ではあたかも筆者が前世の記憶を持つ人に取材したかのような印象になっているが、実はその人も又聞きだったのだそうです。 ああ、、、 都市伝説と同じ匂いが・・・。 ある人は前世は何百年か前に亡くなった人だとされた。 イギリスのある地方の何百年か前に話されていた言葉を喋るという。 調べたら、その人子供の頃、近所にあっち方面から移住してきた人が棲んでおり交流があったことがわかった。 しかも独特のその英語は今も使われており、何百年か前にしか話されていない言葉ではなかった。 自分がどうしてそういう言葉を思い出したのか記憶なかっただけで、子供の頃に交流が会った人の言葉を無意識に思い出して真似て喋っただけ。 ある人は前世は仏陀でありキリストとだと言っていた。 おまけとして、名前は忘れましたが、その人も前世だと言っていた。 でも、その人今生きている・・・・。 その人高齢なので、とっくに亡くなったいると思ったらしいです。。。。 前世だとされた人「まだ生きるるわい 勝手に殺すな」って言いたいでしょうねぇ。 ソフィーの世界って本があるんですね。 ソフィーが赤い水を飲むと、池と森と小屋が一つになった。 すべてが一人の人間のように思えてきた。 アルベルトもソフィーの一部のように思えてきた。 ロマン主義。 銀河鉄道999、動画をとびとび見たし、最後見てないのでなんなんですが。。 私のこの動画の印象は、すべてを一つにするってことじゃないかと。 そうすることで永遠を手に入れるという考えがあり、主人公は永遠の機械の体を手に入れるため目的地に向かう。 一つの一部のパーツになるためには自我を捨てる。 統合され融合されるためには異質ではいられない。だから自我を捨てる、そして変りにすべてと一つになることで永遠を手に入れる。 だけど自我が無いため永遠になったということを知ることは無い。 キリスト教もそうです。 すべてと一つになることで永遠者になれるとする。 自我を捨てすべてと融合し、すべての人が同じ考え、同じ価値観であれば差が無いので一つ。 死も誕生も差の発生なので、それすら無いとする。 死や誕生があったものは、異質、異質は認めないので、融合させる。 融合したものは永遠者。 でも個性は無いので、死んでもいないが生きてもいない状態。 そこまでして存在したいか? このサイトで<幼年期の終り>というのが紹介されて知った。 人々が神だと思っていたものの姿は悪魔の姿だった。 このオーバーロードは人種差別はやめなさい など命令し、従わないと消していった。 オーバーロードの欲求通りにしないものは存在できない世界に徐々になっていった。 じゃあ オーバーロードの欲求は倫理上正しいものなので、人々はオーバーロードの命令通りに動き、オーバーロードと融合するか。 この物語では、人間は統合を拒んで滅んだ。 たとえ永遠の命を与えられず死すべき運命のままであっても個でありつづけたわけです。 全世界が同じ思想であったら、いさかいが無いはずですよね。 でも全世界が同じ思想だったら全世界の人口は一人ですよね。 何十億いても一人。 差が無いので個として存在していないことになる。 恐らく今回の質問は、前世はあるのか あるとしたらどんなメカニズムか ということだと思います。 私はそうではなく、こういうメカニズムなら、同一の人が永遠に生きるってことにもなる という例を挙げてみました。 確かに社会悪への抑止力に輪廻転生の思想は効果を発揮するかもしれない。 でも幼少の頃を過ぎた人間にとってみれば、そういう子供だましでは納得できない。 結局 高貴な生まれの人は高貴に生まれて当然だった 貧困家庭に生まれた人は自業自得ってことに同意させられているとしか思えない。 貧困家庭に生まれながら、前世は裕福な家庭の人で、それが証明されたので、裕福な家庭にひきとられた話もある? 本当にそういう現実あるのでしょうか? 又聞きの又聞きの又聞きとか、まだ死んで無い人の前世だった とか往々にあるわけだし。 英才教育で教えれば、誰かの前世の特徴を習得した幼児すら創り出せる。 そういう幼児を創り出した派閥が、政治的権力を握れるとすれば、必死に教育するわけです。 ダライラマは今5人いるのだそうです。 それぞれの派閥が「この人こそダライラマの生まれ変わりだ」と主張している。 死んだダライラマの特徴を全員している。 英才教育で「自分の子供をダライラマにしたい」となれば、親だって必死に教えるでしょう。 英才教育をほどこせば、噂になるでしょう。 噂をききつけた捜索隊がやってくれば、あと試験をパスするだけ。 知りえた情報による努力の成果が試されるとき。 または運でたまたまがヒットするかどうか。 選出は結構いい加減らしいです。 私はどうして前世で徳を積んだ高層が、今のような生活を余儀なくされることになったのか理解に苦しむ。 前世でとんでもないことをしたからなら、その前もとんでもないことをしたからで、その前もとんでもないことをした という過去のつけが今一気にきているのか? そもそも政治と宗教は分離した方がいいんじゃないか? とか。 宗教指導者が政治的指導者でもあるってことが、紛争の根源じゃないのか。 それくらい頭がよければわかりそうなものなのに。 欲を捨てられない? CIAから巨額の寄付をもらいオウムからも寄付をもらい、今までで一番寄付をもらった人としてギネスに登録されてもいいんじゃないか と。 下世話な話ですいません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 死後の世界 又は輪廻転生

    僕は死が怖いです 当たり前じゃないか と思う人もいるかもしれませんが、おそらく僕の場合限度が違います 軽く鬱気味なくらい死ぬことに対して恐怖心を抱いています 個人的には輪廻転生を信じています 科学的に証明されていないから存在しないと言う人がいますが、そもそも科学が存在を証明するのではなく、存在があって化学が証明していくものなので、科学的に証明されていないから存在しない、と言った論理的ではない答えは要りません 他の理由としては、前世の記憶がある人がいる、そもそも普通に考えれば魂は存在するのでその上で転生をしない筈がない などです 他にも色々ありますが、皆さんの意見も聞きたいのでこの辺にしときます 出来る限り無宗教で論理的な意見をお願いします 出来れば死後の世界又は輪廻転生があると思っている方々、よろしくお願いします

  • 輪廻転生肯定派の方に質問

    今現在輪廻転生を肯定されている方は多いと思いますがその理由を教えていただけますか?私は何人か霊的な物が見えたり感じたりする方に出会ったことがありますので死後の世界は絶対にあると思いますが輪廻転生については出会った方々の中でも意見が分かれます。ある方は人が死んでも生まれ変わらない、またある方は輪廻転生は存在する。現在輪廻転生についての研究や本などが存在し、実際本当にあるかもと思うような実例があり個人的には輪廻転生はあると思う様な気がします。そこで何か今より輪廻転生があるなと思えるようなお話をお願いします。

  • 幸福の科学では 生まれ変わり(転生輪廻)があるの?

     公式サイトから検索して 次の文章を読みました。  △ 大川隆法総裁 教え   http://happy-science.jp/ryuho-okawa/teaching/    その中で 次の項目があります。《特徴的な教え》の章の四つ目の事項です。  △ 霊的人生観 永遠の生命と転生輪廻 ~~~~~~  目には見えない世界、霊界やあの世がある、という考えに基づいた人生観のことです。  人間の本質は、同じ仏の光から分かれ、永遠の生命を与えられた霊・魂であり、自らの魂修行と地上ユートピア化を目的に、様々な国に幾度となく生まれ変わり(転生輪廻)をくり返しています。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  すなわち 問いは   ● 人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられるからには 過去に自分と同じ存在があったとは 考えられない。  のではないか? すなわち《生まれ変わり(転生輪廻)》は あり得ない。これを問います。  みなさんは どう受け取りますか? もっとあからさまに言えば どう扱ったらよいのでしょう?

  • 輪廻転生とは釈迦の教えではない

    上から目線? とんでもない。 私は天空よりいで、そのアギトは君達の不浄を噛み砕き、地上に新たなる生命を案内する。 実在する仮面ライダー、または現代に生きる闇の仏陀。 黒き明星だ。 死とは、偽りの世界を解脱して、真実へと至る事だ。 死が始まりなのだ。 それが涅槃に永遠に生きると言う事で、生きながらに死を理解することが悟りだ。 君達はそんな釈迦の教えとは別の執着を抜けきれないから輪廻にすがる。 釈迦という仏陀はそんな愚かな君達を憐れむ慈悲により、君達に輪廻を約束した。 それは君達が真理に至る事は無いと言う残酷な宣告なのだ。 輪廻は釈迦の神通力だ。 神の自然状態では起きない異常な現象だ。 したがって輪廻を望むのなら、釈迦を王とする王国を目指せ。 釈迦が、君の成仏を阻んでくれる。 実のところ釈迦の生きた古代インド社会で、輪廻転生が通説だったからこそ、釈迦はそれに言及した。 釈迦は、輪廻とは別に涅槃という精神世界観を持っていた。 単純にその世界観と輪廻は相いれないが、君達は輪廻を信じているから、可哀想だから慈悲によって、「ああそうですね。あなた方は輪廻しますよ」こう慰めただけだ。 君達にとって真理とは過酷なのだ。 間違いを肯定するいたわりが真理よりも心地よい。 その慈悲に飼いならされ、釈迦王の地獄で生活している。 なぜ、そうなのか。 ゴルゴムの陰謀だ。 有史以前より人間の営みの陰で暗躍した暗黒結社が、君達を真実からとうざけ、君達はゴルゴムの手のひらで、生きる営みを奴隷的生産活動に置き換えられている。 現代社会は、奴隷に裁量を与えると、より生産性が増すことにより、ゴルゴムが与えた監獄の中の自由に、君達は楽しんでいるのだ。 仮面ライダーである私は君達の真の自由のために戦っているのではない。 君達をゴルゴムの砦を守る軍団兵として、君達のきずいた城塞もろとも粉砕するために戦っている。 実在する妖精の一人、人類の裏切り者だ。 もっと言ってやろう。 光の聖霊と、闇の聖霊の終末戦争はすでに和平により終結した。 私は、人類を売り飛ばすことになる、その和平条件を実行する死刑執行人だ。 君達三次元惑星人の魂は食い破られ、ポケモンを名乗る宇宙神霊がその肉体の主となり、神話に語られる神人が地上を闊歩する時代が来る。 浄化の実現だ。 今回もいつものように「実在する妖精の捕まえ方」このような文学です。 私の純粋な美貌に関するファンレターよりも、引用した仏教に関する考察に関して、先に進めるようなご意見をください。

  • スピリチュアリズムにおける輪廻転生について

    スピリチュアリズムにおける輪廻転生について 誰もあの世のことは見ていませんので、本から得た知識等で構いません。よろしくお願い致します。 スピリチュアリズムでは、「グループソウルをコップの水に例え、コップの水から1滴がこの世に生まれてきて、いろいろ経験し死んでからその経験をあの世に持ち帰ってコップの中で混ざると。 しかし各1滴である魂の個性は消えないと。 そして足りない部分を埋めるべく、コップの中からまた1滴の魂が生まれ直してくる。」と言います。 上記スピリチュアリズムの考えを前提にした質問ですが、 (1)よく「前世ではこうだった~」とか「足りない部分を埋めるべく生まれ変わり~」とか言いますが、自分自身はあの世で個性を維持し、違う1滴が生まれ直すのならば、自分にイコールと言っていい、この世に生まれ直した魂をあの世から心配はするでしょうが、あの世の自分自身の個性&生活(?)は続く以上、自分そのものは生まれ直していないと考えられます。 その意味でやはりこの世における人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか? スウェーデンボルグも、「転生はない。 あの世で転生した魂の例に1回も遭遇しなかった。」と言っています。 (2)そのように自分そのものが転生する訳ではない以上、一体全体新たな1滴たる魂はどこから来るのでしょうか? それは全く新しいエネルギー体に、その時点まで転生したA~Zさんまでの魂の個性の総和がコピーされ、そのNEWコピーが生まれ直して来るのでしょうか?(これは上記質問(1)の、人生は1回きり説を前提にした推定です。)  それともZさんが今回死んであの世に戻ったなら、また最初に戻ってあの世に何万年も滞在したであろうAさんに再び転生の順番が回ってき、生まれて来るのでしょうか?  (3)亡くなった人達が、幽界から霊界に行き、そこから更に神界へ、無限の高みを目指すという流れがある一方で、この世に下ってきて生まれ直す流れもある? グループソウル全体としては、この2つの(ベクトルとしては正反対の)進化を同時進行で行っているのか? という新たな疑問が生じてきます。 (4)グループソウルは幽界でなはく、霊界に存在するという解釈でいいですか?  転生する魂は幽界ではなく霊界から来るのでしょうか?   亡くなって成仏した魂が幽界に行き、更に第2の死とも言うべき幽体をも脱ぎ捨てて霊界に行くといいます。 それは現世の時間で言うと通常30~50年もかかると。 よく前世の記憶があり「私は元どこそこ村の○○だ。 △の理由で死にこの世に生まれ直した」という証言があって、実際調べると確かに30年前にそうした人がいたことが分かるという話を聞きます。  その場合時間的にとても霊界に戻っているとは思えません。 幽界からろくに反省もせずにすぐ生まれ変わったのか? そうなると生まれ変わった個性は似た者としてのコピーではなく、「転生は自分自身説」が有力になります。 そうだとするとスピリチュアリズムの考えに反しませんか?  転生する場合同時代に1人ずつという訳ではなく、複数の魂が同じグループソウルから生まれて来る場合もあることは知識として分かりました。 しかし上記(1)~(4)は、どの本を読んでも、どのHPを読んでも(現時点では)どこにも書いてないです。 「転生だのグループソウルだの、ねぼけたこと言うな!」という方は御遠慮頂き、こうした分野に抵抗がなく「こう書いてあった」とか「私はこう解釈する」という御意見のある方から御回答を頂けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。  

  • 臨死体験、輪廻転生について

    唐突な質問ですが 臨死体験、輪廻転生信じますか? 経験談、体験した記憶があるなど 調べていくとよく目にします。 ただ 宗教文化が当たり前とする海外での話が 圧倒的に多く思います。日本での そういった体験も あるみたいですが やはり無宗教社会が 当たり前とする日本では 受け入れる人の割合も 比較的 少なく思います。 (そこから 体験者も 口には出さなかったり と) また 臨死体験の多くは 宗教からくるものと 書かれたものも読んだ事があります。 私自身 全くの無宗教ですし 輪廻に関する記憶など 一切ありません。 霊感もなければ、オカルト的なものも苦手なタイプでした。 ただ 身内で不思議な体験をした話を 聞いていました 自身の母の体験なのですが、私の父と出会う前に結婚をしていた人との間に 子供がいたのですが 不慮な事故で亡くなっています。 元夫のDV 子供が亡くなったというのに 親らしい感情もださないような人間だったようで、子が すべてだった母は空っぽになっていたようです。 49日まじか不思議な体験をしたと聞きます すべてが 暗だった自分の気分が不思議なくらい 穏やかで 暖かい気分に包まれ、現世では勿論ありえないとわかる 小川の先に 子供が 「ママ~」と 呼んできたそうです。すぐに 子供が泣いてる 呼んでる 行かなければと そちらに意識をもっていくと 昔亡くなった 叔父が 一緒に居たそうで 「駄目だよ。まだ 早いよ。」 と微笑んでいる。 子供は ずっと 母を呼んでいたようですが 叔父のひと言で そちら側に行かなくてはという感情が不思議となくなり 子供 は 叔父がいるから 大丈夫なんだ… まだ そちらには 行けないんだと 思った瞬間 目が覚めたそうです。 夢といえば夢なのでしょうが 母の人間性をみていると 信じてしまいます。 母自身 輪廻転生を信じるというか あればいい!と言う人です。 父が亡くなった時も 何かと不思議な体験をしている人なので やはり そういったものを 察知しやすい体質なのかな?と。 話しは戻り 私自身 書籍などで読んでいると 現世での死→ その後の世界が 本来 魂があるべき場所ならば 頑なに 死に対し絶望せずに1日1日を楽しめるのかな とか 柔軟に 物事を考えられるのかな っと思ってしまいます。 人それぞれ 考え方はありますよね。 (1) 臨死体験を信じますか? (2) 輪廻転生は? (3) あれば 不思議な体験など 皆さんのお考えを お聞かせ下さい。

  • 霊界を信じる方に。霊が転生し修行するという肉体をもった生命体が存続でき

    霊界を信じる方に。霊が転生し修行するという肉体をもった生命体が存続できる時間は宇宙からすると一瞬ですが、大変意義のある転生先がなくなると霊たちはどうするのでしょうか。小さな地上人の視点からすると、輪廻も霊界もあり得ると思うのですが、壮大な宇宙的な視点からするとおかしいと思いませんか?

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • 解脱の意味

    一度解脱すればもう二度と輪廻転生や死後の世界にこだわる事なく何でもできるという意味があると思いますか? また、解脱後の死は無に消えて存在しなくなると思いますか?

  • 輪廻転生や因果応報について詳しい方にお聞きします

    私は、輪廻転生や守護霊、因果応報を心から信じています。 今までの人生を振り返ってみると、色々な場面で大きな力(守護霊)に守られていたと感じます。その時は困ったことになったと思っていても、後々考えると、そうなって良かったことが多々ありました。 私は生まれつき身体が弱く、重病ではないけれどパワーが無いのです。ちょっと何かすると、ひどく疲労したり、頭痛がしてきました。高校の体育祭の翌日は完全休養日でした。 そんな体質のせいもあって今では、整体士の仕事をしています。 自分も施術してもらい、整体士という結構ハードな仕事も続けられるようになりました。 でも、もっとパワフルな方は沢山いらっしゃいます。 身体が弱いという現世での状態は、前世においてどういう事があったのでしょうか?来世を健康な身体で生きるには、今をどう生きたら良いのでしょうか? また仕事面では、半分ボランティアの気持ちでとにかく患者さんに良くなってほしいと祈るような感じです。 しかし、因果律の法則から見ると患者さん達も何らかの業があって体の故障と言う果を受けているのだと思われます。 患者さんが施術によってその果から解放されるのは、もう十分に学習が済んだと解釈して良いのでしょうか? 長くなりますが、もう一つ。 魂は、転生を繰り返して学習し最高の境地(仏)を得る・・・という事ですが、実際にはどういう風になるのですか? まだ肉体をもって地球上に生まれてくるのでしょうか?それとも他の世界に生まれるのですか?肉体に支配されないのですか? こういう事に詳しい方、よろしくお願いします。