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動物(人も)・植物の「殺す」と言うこと

他の質問なども色々見ましたが、いまいち納得できないので、質問しました。 なぜ、人を殺したら罪になるのに、動物・植物を殺してもたいていの場合、罪にならないのでしょうか? もちろん、罪のない人や動物などを殺すのは駄目だと思っています。しかし、人間は、食物連鎖以上に動物を殺しています。 人間は地球をほぼ独占状態です。それで、生き物たちのすみかを奪ったのに、『クラゲ大量発生したら殺す(例)』等と言うことはおかしいと思います。 なので、必要以上に命を奪わないし、「効率的な生活」ができる動植物たちは、むしろ人間より『頭が良い』と思います。 あと、他人を殺したら罪になるのに、死刑制度があるのも納得できません。 つまり、「悪くない人」なら、殺すのは駄目だと思いますが、「よっぽど腹が立つ人」なら、殺人は『良い』と思います。これは、害虫を殺すのと同じ、「正当防衛」だと思います。(つまり、虫の駆除は良いのと、「腹が立つ人への殺人」は駄目というのが分かりません。) もし、死刑制度が廃止されたら、こんなことは思いません。 皆さんはどう思いますか? 議論などではなく、皆さんの意見が聞きたいです。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • precog
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回答No.1

>なぜ、人を殺したら罪になるのに、動物・植物を殺してもたいていの場合、罪にならないのでしょうか? 人間がよりよく生きていくために不都合ではないからです。 >人間は地球をほぼ独占状態です。それで、生き物たちのすみかを奪ったのに、『クラゲ大量発生したら殺す(例)』等と言うことはおかしいと思います。 海はそんなに人間が進出できてるわけじゃないですよ。都会に住んでると人間の占有してる土地だらけだと思うかもしれませんが、それは勘違いです。 クラゲの駆除をしているという話は聞いたことが無いのですけど、どこでそういう話を見つけたのでしょうか? インターネットにあったらURLをポイントしてください。 それにしても、住処を奪ったからクラゲを殺しちゃいけないというのは意味がわかりません。もうちょっと詳しく説明してください。 >なので、必要以上に命を奪わないし、「効率的な生活」ができる動植物たちは、むしろ人間より『頭が良い』と思います。 オルカがクジラの子を意味無く殺す (食べるわけではない) ということが観測されてます。 猫は遊び半分で小動物を殺します。 カラスは鴨のヒナを殺し、食べるわけではなく、死体を群れに見せつけます。 サルの群れは、ボスがボス以外の子供を殺す場合があることが知られています。 ちなみに効率が良いとして、それは知恵ではなく、たまたま本能に導かれた結果かもしれません。 >あと、他人を殺したら罪になるのに、死刑制度があるのも納得できません。 それは賛否両論あります。賛成者の主な主張は、死刑をなくすと「死ぬことはないのだから何をしても失うものはない」と考える人が増えて、犯罪が増えるというものです。 >つまり、「悪くない人」なら、殺すのは駄目だと思いますが、「よっぽど腹が立つ人」なら、殺人は『良い』と思います。これは、害虫を殺すのと同じ、「正当防衛」だと思います。(つまり、虫の駆除は良いのと、「腹が立つ人への殺人」は駄目というのが分かりません。) 「腹が立ったら殺してよい」という法律にしたとします。わたしはそう思うあなたに腹が立つので殺してもいいですか? >もし、死刑制度が廃止されたら、こんなことは思いません。 であれば、あなたの考えは容易に覆るものであり、信念に基づいてないということになりますね。やられたからやり返すというのと大して変わりません。

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 確かに、動植物などを殺しても問題はないのは、確かに「人間にとっても都合が良いから」ですね…。でももう少し考えた方が良いとも思いますがね・・・。 >賛成者の主な主張は、死刑をなくすと「死ぬことはないのだから何をしても失うものはない」と考える人が増えて、犯罪が増えるというものです。 確かにそうですね。でも、たいていの人は反省すると思います。 人間は恐ろしいですね。(「切れる」と言うことが特にそう思います。誰でも『キレる』可能性はあるので、そのようなキレる可能性のある、同じ『人間』が犯罪者を死刑にすることは、ちょっと変かな、と思いました。) >ちなみに効率が良いとして、それは知恵ではなく、たまたま本能に導かれた結果かもしれません。 この辺については、実際に動物が意味なく「殺している」かは分からないと思いますが、このようなことがあると分かったので、勉強になりました。ありがとうございます。 >「腹が立ったら殺してよい」という法律にしたとします。わたしはそう思うあなたに腹が立つので殺してもいいですか?  個人的に思うに、自分は相手に対して「殺されなければ相手が気が済まないほど、悪いことをした」のであれば、殺されても納得できます。 あくまで僕個人の考えなので批判しているわけではありません。 貴方の意見が聞けてとても参考になりました。

kikaimania
質問者

補足

すみません、補足し忘れたので、書きます。 >クラゲの駆除をしているという話は聞いたことが無いのですけど、どこでそういう話を見つけたのでしょうか? インターネットにあったらURLをポイントしてください。  すみません、そういえば、これは僕の住んでいる所だけだったかもしれません。  これだけに限らず、「猿などが○○を荒らしたから、猿を処分」等というのは、『人間が環境破壊(森林の伐採など)で生き物のすみかを奪った。』 だからこういうことが起こるのであって、動物のせいではないと思います。(人間のせいでこうなったので、動物が襲いかかるのも当然と言うことです。)  補足が遅くなってすみませんでした。決して貴方を悪く言っているのではないです。

その他の回答 (10)

回答No.11

私なりの意見・哲学を少し述べてみたいと思います。 生きるものみな生命を持っています。生きる目的はいまだ分かっていませんが、実質上地球を支配し、生命の自由までも決め付けてしまったのが人間です。 「人間が最も事物を正確に認識・把握し、それを利用することができる。」だから地球をも支配し、生命を自由に出来るのだ、という一種の人間意識中心の世界になってしまったのが一つの原因ではないかと思います。 それ故に、質問者さんの例にある「クラゲ」等の生物の殺傷も、人間の勝手な思い上がりによる副産物といってもいいのではないでしょうか。 死刑制度についても同様のことが言えると思います。いわゆる人間以外の生物等の”害虫”は、自我を持たずに人間ではなく、かつ有害なため、殺しても構わないが、有害だから人間を殺すとなるともちろん話は違ってきます。人間意識中心の世界では、自分が殺されることにもつながるからです。防衛本能に基づく行為といってもいいのではないでしょうか。 死刑制度の是非については、他でもいろいろと議論されていますので、ここでは割愛させて頂きます。 少しでもお役に立てれば幸いです。

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >それ故に、質問者さんの例にある「クラゲ」等の生物の殺傷も、人間の勝手な思い上がりによる副産物といってもいいのではないでしょうか。  確かにそうかもしれませんね。  まあ、死刑に関しては、確かに、いろいろな意見があるようですね。 うーん、やはり難しいところですね。 ご意見、聞くことができて、とても参考になりました。

kikaimania
質問者

補足

(chrome0921様の欄をお借りして最後に一言、) 皆様、本当にありがとうございます。 様々な意見が聞けて良かったです。すべての意見が参考になりました。 また質問の機会があれば、その時はよろしくお願いいたします。

noname#96295
noname#96295
回答No.10

少々違う角度から考えてみませんか。 人間の判断というのは一体なんでしょうか。 時代や社会のなかで、また、個人の思いに拠って、また集団の志向に拠って、 時間をかけてゆっくりと変わる判断もあれば、 舌の根も乾かないうちにと思うほど、すばやく変わる判断もあります。 法は、もちろん普遍ではありません。反省しながら進みます。 改正してはならないという文脈や、どのように改正できるかという文脈を含み、 法には自己言及をすることが不可欠です。 人と世界の生のつながりには、自然律があります。 わたしたちの歩んだ歴史は自然律をよく研究し、深く考えてきましたが、 まだまだ自然律へ主体的に働きかけようとすると間違った判断を下すことがあります。 生を学ぶことも死を学ぶことも不十分であり、それらの諸関係をとらえることも不十分です。 なんらかのシステムを営む小さな形態から大きな形態までについて、 等しく整合性をつける論理も持っていません。 自然律に対して主体的でありうるような理解、対象化には至っていません。 法が社会秩序ひいてはすべての人間を守るためのものであろうとするには、 わたしたちは法よりもずっと広い視野をつねに持って、 法が何処へ進化したらよいかを模索し続けねばならないでしょう。 法というのは、主体的な働きかけについての理念の集成であるといえます。 いま手の届く整合性へと、個人も、社会も、働きかけるのです。

kikaimania
質問者

お礼

そうですね。 法律は昔よりは良くなったかもしれませんが、未だに法律は完璧ではないですよね。「過去の反省」を教訓にして良くなっていく、と言うことですね。 なかなかそうなるには難しいですが、はやく、「もっと動植物・環境のこと」も考えれるようになったらいいなと思います。 なんか、動植物も含んで、「自分以外はどうでも良い」と言う人が増えて、寂しいですしね…。 参考になりました。 ご回答、ありがとうございます。

noname#81264
noname#81264
回答No.9

哲学的ではありませんが、 動物を殺すのも罪ですよ。ただ、法律がそこまで厳しくしてないだけです。無駄にたくさん殺した人は来世で償うでしょう。 死刑制度について、 1・自力救済(仇討ち)の禁止に基づく、国家による代執行(連鎖を断ち切る意味も含めて) 2・被害者が行使する権利を持っていたが、行使されなかった正当防衛の権利を国家が代執行(被害者が殺されたのだから、過剰防衛には当たらない) これは、法律の問題なので、哲学ではありませんね。 あえて、法から離れて、解釈すると、罪を犯した人が贖罪を求めた場合、自殺は、新たな罪を重ねることになるので、国が救済の為に処する。 以上のような解釈もある。ということで、ご理解下さい。 冤罪について考える時だけは、死刑反対ですが、基本的には容認派なのです。 ただ、死刑執行も殺人か?と言われたら殺人ですね。法律上は、罪ではないですけど、来世では苛められるかもしれません。 法律は、現世を暮らしやすくする為のものなので、限界はあります。

kikaimania
質問者

お礼

まあ、確かに動物を殺すのも罪になる場合が多いですが、大抵軽い罪だったり、小さい動物(ネズミなど)を殺しても罪になりませんよね、なんかちょっと変だと思いますがね…。 >法律は、現世を暮らしやすくする為のものなので、限界はあります。  確かに元々はそうですよね。  ちなみに、法律(法だけではありませんが)納得のできないことも多いですよね…。ほんとに。  うーん、難しいところですね…。 参考になりました。 ご回答、ありがとうございます。

  • precog
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回答No.8

意図を誤解していたようですいません。 裁判官が死刑を決めるのと、怒りに任せて相手を殺すのとどこが違うのか? という質問ですね。 まず裁判官は、職業倫理があって教育されてますので、それに従います。従っているかどうかを監視する仕組みもあります。(公開制度) 感情のある被害者ではなく、第三者が決めるという点や、決めるまでに調査し、議論を尽くすという点も違います。(感情と行動の間に理性があり、その距離が長いほうが様々な可能性や進歩性があることは、経験的にわかっています) 裁判では不公平感が起きないよう、「判例法」という概念があり、以前の判例に従うという慣習があります。これは慣習であって、ちゃんと理由を説明できる場合は判決が違ってくることもあります。この辺のケースに応じた柔軟性が裁判が行われるゆえんですね。 ただ、現実的な問題として、死刑制度が被害者の最後の拠り所として存在し続けているという面もあると思います。成り立ち的なところから考えていくと、殺すことをなるべく少なくし、間違いをなくしていった結果の産物ともいえると思います。(ちゃんと説明できたら殺さなくて済むみたいな話) 自然に任せると、過剰な暴力、冤罪、悪用、感情の捌け口とするなどが容易に起きることがわかると思いますが、それを (現実的なコストで) 最小にするのが人間の知恵です。

kikaimania
質問者

お礼

またのご回答、ありがとうございました。 >意図を誤解していたようですいません。 いえいえ、こちらこそ、うまく説明できなくて申し訳ないです。 >それを (現実的なコストで) 最小にするのが人間の知恵です。  裁判官の所は分かりました。ありがとうございます。  確かにごもっともだと思いますが、やはり少し変なところがあるのでは、と思ってしまいます…。すみません。(つまり人間の判断が、おかしいところもあると言うことです。)

  • magga
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回答No.7

<<なぜ、人を殺したら罪になるのに、動物・植物を殺してもたいていの場合、罪にならないのでしょうか?>> 罪にならないのですか? 世間の(表面的なものと心の働きとしての)評価と、僕は心に生まれる感情と悩み苦しみの関係性を鑑みると、その心を、殺意を持っただけでも道徳違反(因果法則にもとづいた罪)だと思います。実際に行なったならなおのこと。 生命であれば「幸福になりたい」と言う性質がありますね。 しかも現状で他の生命に支えられています。身体すら借り物で作られたものですから。 幸福になるには迷惑をかけない、優しい心でいることが必要なことになると思います。 それをしない分、自分で自ら苦しみ、世間からはじかれるでしょう。 その度合いを罪というのでしょう。と私は思います。 <<もちろん、罪のない人や動物などを殺すのは駄目だと思っています。しかし、人間は、食物連鎖以上に動物を殺しています。人間は地球をほぼ独占状態です。それで、生き物たちのすみかを奪ったのに、『クラゲ大量発生したら殺す(例)』等と言うことはおかしいと思います。なので、必要以上に命を奪わないし、「効率的な生活」ができる動植物たちは、むしろ人間より『頭が良い』と思います。>> そうですね。人間は足るを知らず、感情的に「自分のためなら。自分に迷惑だから。」と言う基準にもとづいた思考を繁殖しさまざまな問題を生み出していますね。 「罪があるから殺す」とかもその一つと感じます。 人間以外の生命も「自分のためなら。自分に迷惑だから。」と言う基準はある程度あると思いますが、、、必要以上には出しませんね。 <<あと、他人を殺したら罪になるのに、死刑制度があるのも納得できません。>> ですね。罪があるから殺して良いというのは論理的になってない気がしますね。非道徳的で「自分のためなら。自分に迷惑だから。」という思考の繁殖の結果出てくるもののように感じます。 <<つまり、「悪くない人」なら、殺すのは駄目だと思いますが>> 何らかの基準において、悪いと判断されない人は殺してはいけないと言うことでしょうか。その基準において悪いと判断されたなら殺しても良いということでしょうか。その何らかの基準はどのように決められるのでしょうね? 主観で決めるならあてになりませんよね。 主観は生命だけありますからね。 個人的には「殺さない」が道徳であると思います。 ココに「自分のためなら。自分に迷惑だから。」をチョッとでも入れれば論理的に道徳的にがたがたになると思ってます。 <<「よっぽど腹が立つ人」なら、殺人は『良い』と思います。これは、害虫を殺すのと同じ、「正当防衛」だと思います。>> 個人の見解で感情的に嫌だ邪魔だと強く思う生命は殺してもよいということでしょうか。 個人的には「正当防衛」で罪が無いとかは無いと思います。 殺しは殺しだと思ってます。 こんな感じです。 何かお役に立てれば幸いです。

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 まあ、要は『道徳』でしょうかね。(まあ、これも人間が決めたことでしょうが。) (誤解を招くといけないので、念のため言います;) ちなみに、僕は、誰かを『殺そう』と思っているために質問をしているのではなく、そういう『矛盾』が納得できなかったので、質問をしたまでです。なので、僕も、必要以上に殺すのは嫌いです。(※貴方を変に言っているのでもありません。) >個人の見解で感情的に嫌だ邪魔だと強く思う生命は殺してもよいということでしょうか。  要は、人間が、他の動物を無条件(邪魔などと言う理由で)で殺していることを見ると、どうもおかしいと思うのです…。(人間の行動や、主観の判断で殺している と言うことなど)  ちょっと皆さんに誤解・気分を害す思いを与えてしまったようで申し訳ないです。  あと『死刑』も、人間の主観的な判断で行っていることですよね…。  この辺がちょっと納得がいかないんですよね…。 でも、意見が聞けてとても参考になりました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

[なぜ、人を殺したら罪になるのに、動物・植物を殺してもたいていの場合、罪にならないのでしょうか?] なるほどそうですね。人や動物・植物を殺せば罪びとになるでもいいはずですね。江戸時代、綱吉将軍のときにに犬を殺すと重い罪ということがあったのですね。えらい不評でなくなりましたが、そういう法律もあったのですね。インドでは牛が神様だから牛を殺すと罰せられるのでしょうね。動植物だけではないんですよ。アメリカには禁酒法という法律もありましたしね。つまり人間の作る法律はいかようにも作れるのですが、人間の活動を狭める法律はいつの時代でも不評で残らなかっただけですね。 ところで、菜食主義者が動物を殺さないからいいんだなどといいますが、植物を食べることは植物を殺すことですから同じなんですね。 では、人間がいなくなれば何にも殺すことはないじゃないかと行き着くわけですが、まてよ、と考えてくださいね。全ての生き物は何かを犠牲にして生きているということに気づくことですね。植物も魚も動物も人間もみんな同じなんですよ。植物さえ自分が大きくなるためには雑草や他の木々を殺しているのですね。小さな魚は大量のプランクトンを食べ、大きな魚は小さな魚を食べて生きているわけですね。つまり、全ての動植物、プランクトンに至るまで捕食なんですね。これは、人間も同じですが、違うところは人間は法律に従って生きる動物ということですね。近年、猿や犬のような人間が増えてきましたが、猿のように万引きし、犬のように強盗し、トラのように人殺しをしても法律に従える人間はむやみに殺しはしないのですね。イスラム教では盗めば手を切り落とし嘘をつけばしたを抜きなどというのがあったそうですが、これを適用すれば日本人の殆どが舌を抜かれて話せなくなりますね。 死刑制度も法律ですから多くの人が必要ないと考えるようになればなくなるものでしょうがあるうちは従うべきものですね。 つまり、多くの人が住む世界では規律が必要ということですね。感覚や好き嫌いでは社会が成立しないという経験からいろいろな決め事があるということでしょう。

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 綱吉の「生類憐れみの令」は、行き過ぎかもしれませんが、現在の世の中で、[真似をするべき箇所]も多いような気がしますね。 確かに動物(まあ、人間も動物の1種でしょうが)や植物も、他の生物を殺して、食べて生きていきますね。食べられる側は確かに可哀想すぎますが、それのおかげで成り立っていますものね・・。(食物連鎖) しかし、(ほかの方の質問にもありましたが)人間は少しやり過ぎ(無駄)だと思いました。(自分ももう一度見直さないといけませんが…。) >感覚や好き嫌いでは社会が成立しないという経験からいろいろな決め事があるということでしょう。  そうですね。そういう世の中ですね。 (まあ、いろいろな意見があるのは良いのですが、冷静に考えても納得できない点は、法律に限らず結構ありますよね。) 参考になりました。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.5

何故殺す事がいけないのか?という部分を考えれば答えは簡単だと思います。 例えば「生命は尊いから殺すのがいけない」というならば 質問者さんのおっしゃるとおり、動物を殺してもいけませんし、 死刑もいけないことになります。完全に矛盾しますよね。 ですが、社会が殺すことはいけないと言っているのは 実はそういう理由ではありません。では本当の理由とは何か? つまり「約束を破ることがいけない」のです。 我々人間同士は「殺さないようにしようね」という約束(法律)を お互いに結んでいるのです。殺すことを認めてしまっては、お互いに損を するから、これは当然の約束です。一方で、約束(法律)を結んでいないことに 対しては、何をやっても罰せられることはありません。 そもそも法というものは、商人に支持されたイスラム教によって 原形が造られたという経緯があります。商人とは、合理的な契約・約束によって 行動する人たちです。彼らは商売で起こりうる様々な事態を予想し、 その対策として「きちんと文章にして約束を残す」という発想を編み出しました。 一方で彼らの発想は強い集団を作ることに適していました。 早くは中国、後にヨーロッパに伝わり、それぞれの思想と融合することで 現代の社会を作る思想へと発展していったのです。 では、「約束を破ることがいけないから、人を殺してはいけない」 という観点から質問者さんの想定するそれぞれのケースを考えてみます。 (1)動物を殺すこと 動物と人間は「殺さない」という約束を結んでいません。 よって動物は殺してもよいのです。 ただし、最近は野生動物やペットを殺してはいけないという 約束(法律)があるので、それは守らなければいけません。 (2)犯罪者を死刑にすること。 当然の事ながら、約束を破った人間には罰を与えるという 約束(法律)があります。よって約束を破った人間には、 事前の約束どおりの罰が与えられるのです。 同様に、こういう場合は殺してもいい、という約束(法律)を 結んでいる場合は殺してもいいことになります。 一方で、腹が立つ奴は殺してもいい、という約束(法律)は誰も結んでいませんから 腹が立つだけでは殺してはいけません。 そんな約束結んだ覚えが無いですか? 実は我々は社会に生きる時点で、社会との契約を自動的に結んでいます。 この発想を「社会契約」といいます。(中学校の教科書には必ず書いてあるはずです。) 我々は法律を守らなければいけません。 しかし社会契約の発想では、皆が同意するならばこの法律を代える事ができます。 もし、死刑を廃止したり、動物を殺さないことで皆が得をする、 ということを証明して皆を納得させることができれば、その時に初めて 約束を代える事もできるのです。 命は尊いから殺しちゃダメ!では最初に例示したように 簡単に矛盾を起こすので、多くの人が納得しないでしょう。 一方で皆が得をすることを証明すれば、質問者さんが望むように法律は替えることができると思いますよ?

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 たしかに、「約束を守る」というのはごもっともだと思いました。でも、ちょっと変な気がしますよね・・・。誰かが勝手に決めた約束事ですし…。 (※貴方の意見をおかしく言ったり、批判しているのではありません。) >一方で皆が得をすることを証明すれば、質問者さんが望むように法律は替えることができると思いますよ?  まあ、というより、世の中には法律に限らず、「納得がいかない事」っておおいですよね…。 意見が聞けて、参考になりました。

kikaimania
質問者

補足

少し付け足しをします。 確かに『約束』というものは、納得ができるかできないかは別として、守らないと駄目ですね。「約束の点」に関しては、納得できます。ありがとうございます。 身近なことで言えば、友達との約束事を守れない人(連絡もなしに)はとても腹立たしいですものね。

noname#76684
noname#76684
回答No.4

一言で言えば人間の都合や価値観だと思います。 牛を食べるのは良くて、犬を食べるのは残酷とか。。人がそう思うからそうなってるだけじゃないでしょうか。 仕方ないです。

kikaimania
質問者

お礼

確かに人間の主観的な意見ですよね・・。 でもどういう観点から、犬などは殺すと残酷と思えるようになったのでしょうかね?ペットとして買っている人が多いからでしょうかね。 でも、自分ももちろんですが、少し考えや生活を見直すべきでしょうね。 参考になりました。 ご回答、ありがとうございます。

  • precog
  • ベストアンサー率22% (966/4314)
回答No.3

> すみません、そういえば、これは僕の住んでいる所だけだったかもしれません。 クラゲ以外にも駆除はしますが、意味無く殺しているわけではないでしょう。(そもそも、そんな暇ない) > これだけに限らず、「猿などが○○を荒らしたから、猿を処分」等というのは、 そういう短絡的な思考でやってるという話はあんまり聞いたこと無いですけどね。自治体などがやる場合は、それなりに専門家の意見も取り入れてると思いますが。あまりにも考えなくやってる場合はしっかり反対運動などが起きて抑制はありますよね? >『人間が環境破壊(森林の伐採など)で生き物のすみかを奪った。』 だからこういうことが起こるのであって、動物のせいではないと思います。(人間のせいでこうなったので、動物が襲いかかるのも当然と言うことです。) 動物の駆除は罰としてやってるわけではありません。そこは勘違いですね。 生き物の住処を奪ったってのは、程度問題。地元の人たちに任せると壊しがちなんで、監視は必要です。 > 補足が遅くなってすみませんでした。決して貴方を悪く言っているのではないです。 失礼なレスとは思いませんよ。マスコミの言うことをそのまま受け取りすぎという気がしますけど。 賛否両論、深い議論を読んでみる事をお勧めします。一方の言い分だけ聞くと、いかにバランスが崩れた考え方になるのかがわかると思います。 でも、ひとりひとりが倫理的なことをきっちり考えていくのは大切なことですね。疑問を持つのが第一歩です。 >確かに、動植物などを殺しても問題はないのは、確かに「人間にとっても都合が良いから」ですね…。でももう少し考えた方が良いとも思いますがね・・・。 世間的には考えてますよね? >>賛成者の主な主張は、死刑をなくすと「死ぬことはないのだから何をしても失うものはない」と考える人が増えて、犯罪が増えるというものです。 >確かにそうですね。でも、たいていの人は反省すると思います。 既に死刑制度廃止を実施している国はありますので、そのうち結果らしきものが出るかもしれません。こういうものは統計を取っても誤差が多いので、また議論になるとは思いますが。 ちなみにわたしも死刑制度には賛成しかねます。理由は、人間 (司法) は間違いを犯すものだから。というのと、人が殺すことに例外を設けると、場合によっては際限がなくなるからです。 ただし、貧しい国では、終身刑になるために殺人する人が出てくる可能性もあるので、そうなると難しいですけど。 >人間は恐ろしいですね。(「切れる」と言うことが特にそう思います。誰でも『キレる』可能性はあるので、そのようなキレる可能性のある、同じ『人間』が犯罪者を死刑にすることは、ちょっと変かな、と思いました。) そのために司法制度があります。裁判官はキレて死刑を命じるわけではありません。 >この辺については、実際に動物が意味なく「殺している」かは分からないと思いますが、このようなことがあると分かったので、勉強になりました。ありがとうございます。 意味はあるかもしれませんね。食物連鎖を持ち出されていたので、それ以外を「意味無く」と解釈しました。括弧書きしたとおりです。 カラスのケースは自分で目撃したのですけど、示威行為のようでした。エサがぶつかってるのかもしれません。 猫は遊びですが狩りの練習にはなってるでしょう。 オルカはオットセイの子などをボールにして遊んで殺す場合もあるようです。 > 個人的に思うに、自分は相手に対して「殺されなければ相手が気が済まないほど、悪いことをした」のであれば、殺されても納得できます。 うーん、それなら死刑制度賛成と変わりないと思いますが。むしろ過激ですよね。遺族が怒ってたら死刑、、、ですか?

kikaimania
質問者

お礼

またのご回答、ありがとうございます。 >動物の駆除は罰としてやってるわけではありません。そこは勘違いですね。  確かにそうですが、少なくとも動物を処分(殺す)するのはおかしいのではないかな、と思いました。 >そのために司法制度があります。裁判官はキレて死刑を命じるわけではありません。  これは、つまり、「裁判官」も、その関係者も人間なので、ひょっとしたら、何かの弾みで「キレる」可能性も否定できないと思います。  そういう、「犯罪者と同じ"人間"」が、判決を出すことに、少し疑問を感じてしまったのです。 >うーん、それなら死刑制度賛成と変わりないと思いますが。むしろ過激ですよね。遺族が怒ってたら死刑、、、ですか?  つまり、僕は、『死刑制度』には反対です。  しかし、「死刑制度」があるなら、(刑務所ではない)一般の人が腹の立つ人を「殺す」制度も認めないとおかしいのではないか、と思ったまでです。 文章が変で、うまく伝わらなかったようで、誠にすみません。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.2

「罪になるかならないか」というのは, どちらかというと哲学ではなく社会学のような気もするけど.... 社会学 (というか法学) の立場でいえば「だって罪として設定されてないんだも~ん」で終わり. 「罪刑法定主義」というやつだな. もちろんその背後には「人を殺すことはいけないことだけど (人以外の) 動植物を殺すことはそこまでいけないことではない」という社会的なコンセンサスがある. もう 1つ, 「罪であるかどうか」という観点も存在する. けど, こっちの視点ならもっと簡単で「それはあなたがそう認識しているからでしょ」となるな. つまり「(人以外の) 動植物を殺しても罪ではないが人を殺したら罪である」という認識を持っているだけ, と. 「死刑制度」については, 完全に哲学を離れて社会学の立場で見るべきだと思う. 日本の刑罰がなぜ自由刑を中心とするのか, そしてその頂点に死刑があるのはなぜか, 説明できますか? なお, クラゲの駆除は北陸の方の原発でやってたと思います>#1. (主に) エチゼンクラゲが排水口に詰まっちゃうとかなんとかだったはず.

kikaimania
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >どちらかというと哲学ではなく社会学のような気もするけど.... そうですね。すみません。 ご意見、ありがとうございます。気をつけます…。 >そしてその頂点に死刑があるのはなぜか, 説明できますか? ほかの質問とかも見ましたが、どうも「殺す」というのは不自然というか、矛盾があるような感じがしたので…。 やはり、「人の認識次第」のようですね。 この辺は自分はすこし納得できなかったので…。 貴方の意見が聞けて良かったと思います。

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