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人の心の中には、鬼が棲でいますか?

  • 暇なときにでも
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お礼率 69% (281/406)

不思議に感じることがあるんです。なにかを守ろうとする気持ちが強く働くのかどうかはよくわかりませんが、この場合、『母性』というのでしょうか?母親は、子供を守ろうとすると、日頃の温和な態度が微塵も感じないほどある意味『鬼』になる。ときとして、冷酷な人(鬼)と化す。これとは別に、人が人を深く愛しあったにもかかわらず、ひとたびその感情がうせると同一人物か?とも、傍目からみていてもその代わり身のはやさに目をこすって見間違いでは?という理解しがたい冷たい光景をみてしまったり・・・そんなときおもうんです。いまは、他人事と客観的にみれるけれどもいざ、実際に自分の身におこったときわたしのなかにも鬼が棲んでいるのだろうかと・・・私に限らず、誰の心の中にも鬼はいるのでしょうか?もし、いるとしたらその鬼の正体はなんなんでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.18
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

>人間の中に潜む本能は、なんかドロドロしてそうですね。
>それに比べ、動物の中に潜む本能は、とても純粋なもの
>におもえます。
>人間の本能は、周りの環境によってその姿(性質)を変
>化させられているのでしょうか?

 そのとおりです。littlekissさん、それが前回の書き込みで言いたかったことです。ただ、「隠し玉」意識がそうさせたのか、それともただ単に眠かったからなのか、今から見るとその肝心なところで言葉が足りませんでした。
 それでは動物の本能と対比して説明してみます。
 エサキモンキツノカメムシという昆虫がいます。「母性愛(?)」を感じさせる昆虫の代表格です。この虫は七~八十個の卵を産みますが、その卵のまとまりを抱きかかえるようにして守る行動が知られています。アリが卵を狙おうものなら羽根をふるわせて追い払い、それでも手に負えないときは悪臭物質を噴射して撃退します。卵が直射日光にさらされると羽根を広げて覆い、過熱しそうなときは羽根で扇いで冷やします。幼虫が孵化してからも、その独り立ちまでしっかり面倒をみます。まさに、抱擁する母の愛。
 ただ、これにロマンを感じるのは人間の自由ですが、反面、それは人間の勝手とも言えます。動物行動学のイロハのイは「動物の行動解釈に人間的感情を持ち込まないこと」です。このカメムシの行動も、自覚的な「愛」の発露と見るべきではありません。生まれつき与えられた「本能」という行動命令に従っているものと考えなければなりません。
 そしてまさに、このような本能は「純粋」です。子どもに老後の面倒を見てもらおうとか、そういうシタゴコロがありません(あたりめーだっつーの)。それに、「愛された記憶がそうさせる」みたいな、経験から学んだ行動でもありません(つまり後天的ではなくて先天的。また「純粋」という語は哲学用語的には「経験を含まない」という意味で用いられることがあります)。
 これに比べると、人間の本能の発動には著しい違いがあります。

 前回の書き込みで、ロラン・バルトと笑福亭鶴瓶師匠の話を出しました。共通するのは「衣服が性欲を強調する」という点です。衣服で覆い隠された部分がある、それが逆にその部分への欲望を高めるのです。
 ここで、やや紋切り型になってしまいますが、「衣服=文化」そして「文化=禁止」と捉えてください。文化の根源は「禁忌(タブー)」にあります。まず第一に「死」に対する、そして第二に「性」に対する。
 人間は「死」を自覚的に認識しています。だからそれを日常から切り離します。死者は決められた場所に葬ります。空間的な切り離しです。しかるべき儀式を行います。意識における切り離しです。一定期間、喪に服します。時間的な切り離しです。そして日常の中では「死」について語ることは忌むべきこととされます。「暴力」もこれに準じます。
 「性」も同様。素朴で荒々しい動物性に直接根ざした欲求ですから、人はこれから目を逸らそうとします。だから、心理学や哲学の場でならともかく、日常的な公の場ではうっかり話題にできることではありません。性交渉は基本的に人の見ていないところで行われます。裸で外を歩く人間はいません(たまにいるけど…捕まります)。
 だから「衣服」が禁止として生まれます(最初の人間は、知恵の木の実を食べると同時に衣服・いちじくの葉を身にまとっていますね)。この禁止が複雑化し拡大したものが文化です。すなわち、「文化=禁止」です。
 しかし、いくら禁止されても、それらはなくなりません。必要でもあります。少なくとも「性欲」に関しては。(「死」に関しては割愛しますが、「必要である」という議論は可能です。)ですから、それは「許された・禁止を解かれた時間と空間」の中に場を与えられます。例えば「婚姻」です。自由度・柔軟性にさまざまな違いがありますが、性交渉を社会的に認証する儀礼・制度を持たない文化は、これまたありません。
 さて、しかしながら、日常性のより広い領域では「禁止」されていることは間違いありません。その禁止によって高められた欲望が「激発」することはありえます。
 この「激発」は、フロイト心理学の「抑圧→暴発」というモデルでも説明可能でしょう。しかし、この説明だと、その力の大きさは説明できても、その現れの多様な形態については説明できないように思います。人間の性欲動が、種の保存に要する範囲・程度をはるかに超えて大きいことを説明できますが、その欲動のとりうる「かたち」を説明できない、ということです。同性愛、幼児愛、フェティシズム、サディズム、マゾヒズム等々。
 …と、書いてしまうと、心理学ご専門の方からお叱りを受けてしまうかもしれません。というのも、もちろん心理学からもそれらについての説明は試みられ、なされているからです。しかし、それらが時として「オッカムの剃刀」で切り捨てられそうな部分が多すぎるように感じられる場合がある。もっとシンプルな説明がありそうに思われるのです。
 それは、「本能に根を持ちつつ、禁止に対する反動として過剰となった欲動は、文化と溶け合って無限の多様性を持つ」という説明です。
 人間の持つ言語には、有限の語彙数しかありません。しかしそれでも、語と語の組み合わせにより、無限の表現・描写に対応します。言葉は、言葉を生み出しうるからです。文字通り新しい言葉が生み出されることもあります。言葉は言葉を生みます。同様に、文化は文化を、生みます。無限の多様性を持ちえます。
 「過剰な欲動」は、この文化の無限能産性と連動して無限に多様な「かたち」をとりうると考えられます。ですから、従来知られている多様な性行動以外にも、今後新たな形の性行動が生まれてくることでしょう。心理学からこれにアプローチしようとすると、その無限の多様をいちいち持ち主の幼児期からの経験や生まれつきの心理特性に還元する作業を延々と続けざるをえず、いつまでたっても全体像を得られないままに終わってしまうように感じます。

 さて、ここまでが「本能に根を持つものの、過剰な強度を与えられ、ドロドロと形を変えうる人間の欲動」の説明です。ずいぶん遠回りしましたが、「鬼」の話に戻りましょう。
 上では主に「性行動の過剰と多様」についてお話しましたが、同様の「過剰と多様」は「暴力」に関しても言えます。「死に結びつく暴力」です。
 人間の知性は、人を愛し、人のために役立ち、何かを建設し、何かを生産する方向にも発揮されてきました。が、深い悲哀を感じつつも目を背けてはならないのは、それに勝るとも劣らないだけの知性が、殺戮と拷問と破壊とに費やされていることです。その一つ一つはまさにunspeakable(口にするのもおぞましい)ことですので、ここに書き込むことはしません。が、「許された時間と空間」の中では、禁止によって高められた情念に突き動かされつつも、極めて冷静に、極めて理性的に、そして極めて楽しげに、人は人を切り刻み、苦しめ、殺すのです。
 人は鬼に、なるのです。

 人の心には鬼が棲んでいます。それは人が「文化」というものを持ってしまったが故の宿業です。ですから、誰の心の中にも、鬼は棲んでいます。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

たくさん言葉を使ってわかりやすくお話していただいたおかげで本能という、なにやらドロドロしたものの正体めいたものがおぼろげながらですが私にも理解できつつあるように思います。仰られるように、欲動のでどころを心理学の面から今回アプロ―チを試みてかんじたことは、「本能」という曖昧な言葉で結局のところ落ち着いてしまう。本能が一様でない多様なものであるにもかかわらず、私の中では社会倫理というのか、その観念が意識の中に刷り込まれていたせいか枠からはみだしたタブ-的な背景をどこかしら見ずに、いや、範疇におかずに語ろうとする観があったようにおもえました。そのことで、「本能」の本質が美しいものであるように考えていたのかもしれません。いろんな意見をうががっていくうちにその本質を探るには、口にするのもおぞましい事実があることにも目を瞑らずに正面から見据えて考えていかなければ、いつまでたっても「本能」には近づけないと思いました。人の心の中に人間は素晴らしいものという意識があるせいでしょうか?その人間が非道とも思える行動をとることを悪と考えてしまう、人間が素晴らしいものと考える上で矛盾が生じる、それゆえ、そういった部分に蓋をかぶせるが如くタブ-とする。心理学の面からでは、確かに真の本能とはなにかということを探そうとすることは無理なのかもしれません。いろんなお話を多くの方々から聞かせていただいて、だれでも鬼になりうるということは、わかりました。そのことをもっと理解するためには、見たくない、信じたくない、と思える部分も目をあけて見ていかなければ理解できないこともよくわかりました。ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-03-15 21:02:15
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  • 回答No.7
レベル12

ベストアンサー率 26% (182/678)

いつも楽しい?質問をしてくれて有り難うございます♪( ^ー^)b さてこの心の中の鬼・・・私が考えるに『鬼子母神』的なものが大きいのではないかと思います。自分の子供を守らんが為に鬼になる。その背景には他に配慮できなくなる程の我=エゴが存在しているのでしょう。 通常伝えられている話によれば、鬼子母神は初めハーリーティ(訶梨帝母)という夜叉で、1000人の子供の母でしたが、自分と自分の子供の為にし ...続きを読む
いつも楽しい?質問をしてくれて有り難うございます♪( ^ー^)b

さてこの心の中の鬼・・・私が考えるに『鬼子母神』的なものが大きいのではないかと思います。自分の子供を守らんが為に鬼になる。その背景には他に配慮できなくなる程の我=エゴが存在しているのでしょう。

通常伝えられている話によれば、鬼子母神は初めハーリーティ(訶梨帝母)という夜叉で、1000人の子供の母でしたが、自分と自分の子供の為にしばしば人の子をとって食っていました。そこで、ある時お釈迦さまが彼女が一番可愛がっている、一番末の子の愛奴(あいぬ)を隠してしまいました。
ハーリーティは気も狂わんばかりにその子を探し回るが見つかりません。そこにお釈迦さまが現れて、子供がいなくなるということがどんなにつらいものか分かったか? お前の今までの悪行がそのような形で現れたのだと諭します。
この事件で親の心を知り心を入れ替えたハーリーティは仏道に帰依し、子供を守り、安産をさせてくれる慈愛の仏、鬼子母神となるのです。

つまり自分の心の中が自分のエゴで満たされた時に『鬼』へと豹変してしまうのだと思います。例で出した鬼子母神も人の親の気持ちになった時に始めて自分が見えてきています。自分の心がいかにエゴで満たされていたのかを。
親に限らず人間関係において、またそれは仕事においても、他人を思い遣る気持ちを忘れて自らの欲望やエゴに走った時には誰しもが『鬼』へとなるのでしょう。生きているということは、この自分の中の鬼をいかに小さくして、無くして、慈愛の仏である鬼子母神になれるかが修業なのではないかと思います。

そういう意味では人間は心の持ちようで『仏』にでも『鬼』にでもなれる存在なのだなぁ・・・と私は感じますね。誰しもが生きている限り課題となるものではないでしょうか。
あ・・・質問からズレてませんか?(^_^;)、良ければ参考にしてください。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。
鬼子母神のおはなしきかせてくれてありがとう。(ズレてませんよ!)
『修業』とは、やはりここでも人の持つ『本能』・『こころ』が関ってくる気がします。
とっても不可解です。この得体の知れないものが、人を動かしているのかと思うと・・・・・
投稿日時 - 2001-03-02 05:10:03
  • 回答No.8
レベル10

ベストアンサー率 46% (71/152)

心に棲んでいる「鬼」は、人間の「本能」か?という、ご質問は、面白いですね。僕は、大学の授業で聞いた「人間は、本能のプログラムが壊れた動物だ」という話に興味を持っています。本能の正体は、不定形の「欲望」で、動物は、「生きる」という不定形の欲望(本能)に沿ったプログラムを持っているが、人間はそのプログラムが壊れているというのです。例えば、動物達は生まれて直ぐに「立つ」という本能のプログラムがされていますが、人 ...続きを読む
心に棲んでいる「鬼」は、人間の「本能」か?という、ご質問は、面白いですね。僕は、大学の授業で聞いた「人間は、本能のプログラムが壊れた動物だ」という話に興味を持っています。本能の正体は、不定形の「欲望」で、動物は、「生きる」という不定形の欲望(本能)に沿ったプログラムを持っているが、人間はそのプログラムが壊れているというのです。例えば、動物達は生まれて直ぐに「立つ」という本能のプログラムがされていますが、人間は「立つ」ということを学習しないと立つことは出来ません。狼に育てられれば、人間は狼になります。従って、本能の枠組みが壊れているというわけです。

翻って「鬼」ですが、それを「制御できない心の衝迫」とするなら、それは「本能」だと呼ぶことが出来そうです。しかし、「母性」が「本能」かと言われると、それは難しいです。「母性」という言葉は、「母が子を愛する性質を持つ」ということではなく、もっと一般的に人間と人間の関わり方を示したものです。言うなれば「母が子を愛するような優しい関係」というほうが正しいんです。では、改めて「母は、子を愛する性質(本能)を持つのか?」という問題を考えると、僕は「そうとも限らない」と思います。何しろ最近は「幼児虐待」がとても多いですから、なおさらそんな気になります。セックスをしないで子どもも要らないという夫婦がいるという話も聞きます。「交尾」も「種の保存」も人間の本能ではないんだと思います。「種の保存」が本能だと言うのなら、「環境破壊」とか「戦争」とか、なんだかよく分からないことが多すぎます。生態系を自ら壊せるのは人間だけでしょう。

では、鬼の正体は何なんだ?という話ですが、僕は「コンプレックス」という言葉が怪しいと思っています。「コンプレックス」という言葉は、今では誰もが普通に「劣等感」という意味で用いていますが、本来はもっと広く、「心のしこり」というような意味です。「劣等感」は「心のしこり」の一種というわけです。確かに「マザーコンプレックス」や「ロリータコンプレックス」なんていう言葉は、「劣等感」という訳ではしっくりきませんよね。あれは、「母親」や「ロリータ」が「心のしこり」になっている、という意味で作られた言葉です。「心のしこり」は、言わば「その人が気になっていること」と言い換えることが出来ます。「マザコン」はいつもお母さんが気になって仕方ない人の事だし、「ロリコン」は若い(あるいは幼い)女の子のことが気になって仕方ない人の事です。

鬼を「コンプレックス」の概念で説明しようとしたとき、とても便利な言葉があります。「逆鱗」という言葉です。竜の持つ鱗の中で一つだけ逆さについた鱗があって、竜はそこを触られると火のように怒ったとか、死んでしまうとか言われているものです。僕らも、ある一定の話題に触れたとき烈火の如く怒り出した人を見て「あの人の逆鱗に触れた」ということがありますよね。コンプレックス=逆鱗だと考えてください。怒りのベクトルを持った「気になること」です。これは「劣等感」だったり「アイデンティティ」だったり「愛」だったりします。触れ方によっては怒りを呼ぶものです。○○という歌手の批判を、その歌手の熱狂的なファンの前でうっかりしてしまったときの事を考えてみてください。理性的な批判であっても、相手が怒ってしまう場合があります。このとき、怒られた人、つまり冷静に批判を行なった人は不条理に感じます。確かに不条理なんです。これは相手の「アイデンティティ」を脅かしたということです。

親子の話に戻り、主にこの二者間で結ばれているのは「愛」の関係です。この愛がどのように生まれてくるか、それはまた一考の余地アリなのですが、ここではそれは置いておいて、「愛」の関係が大きな「逆鱗(コンプレックス)」を作っていると考えられます。ここに、それを脅かすような手が迫ったら、人は冷静でいられるでしょうか?

「コンプレックス」は感情のスイッチです。感情に火をつけるモノです。人間には二つの鬼がいるのではないでしょうか? 内面の鬼(コンプレックス)と外面の鬼(感情をまとった人間そのもの)です。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。
竜のもつ鱗『逆鱗』のお話面白かったです。(わかりやすいたとえでした。)

鬼←『制御できない心の衝迫』(本能)←コンプレックスによるもの←(この場合、『愛』)ということでしょうか?

この状態のとき、脳はどうなっているのでしょうか?こころの動きが優先すると『考える』という思考の部分は停止してしまっているのでしょうか?それは、こころが意識的にそうさせるのか、こころとは別に無意識的になるものなのでしょうか?
投稿日時 - 2001-03-03 16:26:19
  • 回答No.9
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 文学の方から眺めてみますと、鬼になるのは女性だけなのです。  性差別発言と取られるかもしれません。でも、私が言いたいのはまったく正反対のことです。「女性が鬼になるのは、社会における男女非対称の元で女性が受けていた文化的・精神的重力のため、女性の中に鬱屈していたものが激発したからだ」という構図も見えてくるからです。  馬場あき子さんという、たいへん筆力の優れた小説家・随筆家がおられます。この人の『おん ...続きを読む
 文学の方から眺めてみますと、鬼になるのは女性だけなのです。
 性差別発言と取られるかもしれません。でも、私が言いたいのはまったく正反対のことです。「女性が鬼になるのは、社会における男女非対称の元で女性が受けていた文化的・精神的重力のため、女性の中に鬱屈していたものが激発したからだ」という構図も見えてくるからです。
 馬場あき子さんという、たいへん筆力の優れた小説家・随筆家がおられます。この人の『おんなの鬼』という文章の中で、日本古典文学・芸能に登場する鬼女伝説がいくつか紹介されています。一番衝撃的なものをここに挙げておきます。黒塚の鬼女伝説です。「安達が原の鬼女」とも呼ばれ、能の演目にもなっています。
 この女性は、元は都の公家に仕えていましたが、その主人の子どもが、病気で言葉が話せなかったのです。この病を治す薬には、妊婦の腹にいる胎児の生き肝しかないと聞かされ、この女性は安達が原で不運な妊婦が来るのを待っていました。そしてある日、若い夫婦が現れた。妻は妊娠しています。女性は喜び、この妊娠した妻を殺害して胎児の生き肝を得ました。ところが…その若い妻は、実は女性の実の娘であることがわかります。これを知ったとき、女性は鬼へと変貌します。そして次々に旅人を襲っては殺す、鬼になったのだ、と。
 また、能で用いられる面に「般若」があります。鬼の面です。これも女性です。愛した男に裏切られた情念の昂ぶりが、一人の女を鬼に変える。そういう時に用いられる面です。同じように、情念の昂ぶりで鬼に変わることは男にもありますが、この場合に用いられる面は「生成(なまなり)」と呼ばれます。写真で見ればイッパツなのですが、「般若」に比べて「生成」はかなり人間らしさを残しています。角らしきものは生えていますが、般若のように鋭く尖っておらず、ただのコブのようです。
「男はね、女ほど情念に深さがないから、鬼になるのも中途半端なんだよ」と、そちら方面を研究している先輩は教えてくれました。
 そしてこれは、何も日本だけではないように思います。「鬼」というのではありませんが、『ニーベルンゲンの歌』では、前半でこそ臈長けてたおやかな姫君として登場するクリエムヒルトですが、夫・ジークフリートを姦計により殺害された彼女は、一変して「戦い、殺す女」に変貌します。最後には、姦計の首謀者である自分の実兄を、自らの手で首を刎ねて殺しています。私はこの物語を「女性が主人公の物語だ」と読んでいます。ジークフリートが主役なのではなくて。それは、クリエムヒルトの変貌がドラマ全体の大きなうねりを作っているからというだけではなく、彼女の行動が「政治の論理・男の論理」に対抗して貫かれた、情念の激発であると読んでいるからです。

 文学からのアプローチ、それもフェミニズム的観点ですので、「心理学」という枠からは少々ズレるわけですが、以下のようなことが言えないでしょうか。すなわち、下に置かれ、棄てられ、愛するものを奪われ、そんな自分たちの体験を言い表す言葉すらも奪われ、ぴっちりと周りに敷き詰められた「理屈」に囲まれて、他にどうしようもなくなったときに、通常の平穏な人格を突き破り、言葉を超えて激発する情念、それが「鬼の顔」なのだ、と。
 だとすれば、それは必ずしも「本能」ではないでしょう。むしろその人が置かれた「状況」から引き起こされてくる。危険にさらされた子どもを助けようとするときに母が変身する「鬼」も同じではないかと思います。他に手段があれば鬼にはならないでしょう。他にどうしようもなかったり、非常に緊急だったりする場合に、母は何物をも顧慮しない鬼に変われるのだと思います。ある意味、「女性だけが持つ最後の武器」と言えるかもしれません。
anet.
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。

鬼にもいろいろあるようですね。(こころの動きの違い)男と女はそもそも別ものというか、違う生き物のようですね。同じ人間であっても性の違いがこころの動きに影響を与えているあたりおもしろいですというより不思議ですね。鬼になるのは女性だけという点が、歴史的、社会的背景の制約によるものからきている。ある部分うなずけます。もし、この社会がまったく逆だった場合、女性優位の歴史が続いてるとすれば、鬼になるのは男性ということになるのかな?根底には、環境がこころの動きに影響(形成している一要因)を与えているということになるのでしょうか?

鬼←『通常の平穏な人格を突き破り激発する「情念」』←愛

愛から発動される情念。この情念って代物は、感情から起こる思念。愛という一つの感情から生れ出たとしたら本能とはまったく関係がないとは言い切れないような気がします。またここで一つ疑問『人にとって愛ってなんなのかな?』
投稿日時 - 2001-03-03 16:52:12
  • 回答No.6
レベル12

ベストアンサー率 33% (259/782)

「鬼」、私にも棲んでます。キレたときに分かりました。 心理学を大学で「一応」専攻させてもらったものから言わせていただければ、「こころ」の働きそのものとしかいいようがないですね。 人それぞれ、鬼になるスイッチが違うだけで。それを情動やパーソナリティからたぐっていくと、思わぬ葛藤にたどり着くこともありますが。 ですから、「鬼」を客体化し、修行によって中世の仏教や修験道、禅は「ひと」の「こころ」の ...続きを読む
「鬼」、私にも棲んでます。キレたときに分かりました。

心理学を大学で「一応」専攻させてもらったものから言わせていただければ、「こころ」の働きそのものとしかいいようがないですね。
人それぞれ、鬼になるスイッチが違うだけで。それを情動やパーソナリティからたぐっていくと、思わぬ葛藤にたどり着くこともありますが。

ですから、「鬼」を客体化し、修行によって中世の仏教や修験道、禅は「ひと」の「こころ」の本質に迫ろうとしたんだと思います。(西洋のニーチェみたいに神は死んだ、とニヒリズムにあきらめずに。)

ある意味で、人が耐え切れなくなったときの自己防衛装置なのかもしれませんね。あくまで自分のための。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。
『こころ』厄介ですね。こころ自体は、目にみえないし形がない。心の動きから生じる行動、また、心の動きから発せられる言葉によって見えない『こころ』を感覚的に認識している気がします。あぁぁぁ・・・ここでまたひとつ疑問!『こころってなんなんだろう?』と、本能を知ろうとすると同時に他の疑問もわいてきます。トンチンカン芽生えてきてます。何か手がかりになるものお知りでしたらお聞かせください。
投稿日時 - 2001-03-02 03:29:43
  • 回答No.3
レベル9

ベストアンサー率 28% (15/52)

人間は完全な生き物ではないですよね。。。機械の様にYESとNOがはっきりと下せないことだってあります。人間は他の動物よりもはるかに高度な知能と感情を持ち合わせているのですから、感情が理性に制御されなくなるという事実も考えられるのではないでしょうか。それを「鬼」と考えるか否かは人によると思いますが、私はそれは自然の人間の感情の流れだと感じます。大切なものを守ろうとすれば何か他の事を犠牲にしたり、誰かを傷つけ ...続きを読む
人間は完全な生き物ではないですよね。。。機械の様にYESとNOがはっきりと下せないことだってあります。人間は他の動物よりもはるかに高度な知能と感情を持ち合わせているのですから、感情が理性に制御されなくなるという事実も考えられるのではないでしょうか。それを「鬼」と考えるか否かは人によると思いますが、私はそれは自然の人間の感情の流れだと感じます。大切なものを守ろうとすれば何か他の事を犠牲にしたり、誰かを傷つけたりする事も考えられます。みんながみんないつも幸せでいられる事が望ましいのは事実ですが、世の中の仕組みは、幸せな人がいる背景には不幸な人がいるというちょっと悲しいものだと感じます。
 「鬼の正体」と言うと何かすごいもののような気がしますが、私は、自分と自分の大切な誰かを守るための心の働きだと感じます。この心の働きは誰もが持っているものだと思いますし、度を越えると「怖いな」と感じることになるのではないでしょうか。長くなってしまいすみません。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

アドバイスありがとうございます。
>感情が理性に制御されなくなるという事実も考えられるのではないでしょうか?

『鬼の正体』=理性を超えた感情(心の動き)と、考えてよろしいでしょうか?相手もしくは、傍目から見て『怖いな』とおもわせる感情は、どこからうまれてくるのでしょうか?
投稿日時 - 2001-03-02 00:35:58
  • 回答No.1
レベル11

ベストアンサー率 20% (53/262)

『人間』という動物ではないでしょうか? 一言でごめんなさい。 ...続きを読む
『人間』という動物ではないでしょうか?
一言でごめんなさい。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。
一言でも十分です。動物ということは、動物の持つ『本能』と考えてよいのでしょうか?とても気になるところなんです。
投稿日時 - 2001-03-02 00:04:31
  • 回答No.2
レベル9

ベストアンサー率 0% (0/4)

自分の心身をまもる為に鬼がいるのかもしれませんね。 優しかった人が冷たくなったりしますよね。 お天気みたいに人間の感情もかわりますものね。 私も気分屋ですので、わかるような気がします。 多少なりとも皆あるんじゃないでしょうか。 でも、それがあまりに顕著だと「脳神経に問題あんじゃない?」って思っちゃう時もありますよ。 ...続きを読む
自分の心身をまもる為に鬼がいるのかもしれませんね。
優しかった人が冷たくなったりしますよね。
お天気みたいに人間の感情もかわりますものね。
私も気分屋ですので、わかるような気がします。

多少なりとも皆あるんじゃないでしょうか。
でも、それがあまりに顕著だと「脳神経に問題あんじゃない?」って思っちゃう時もありますよ。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

ご回答ありがとうございます。
心身を守る為=自己防衛するときに何かのスィッチがピィッ!って押されていままでニコニコ笑っていたのが、ある事柄によってスイッチが切り替わり瞬時に鬼のような形相になったりしてしまう。心身を守ろうと何がそうさせるんでしょうね?
投稿日時 - 2001-03-02 00:21:43
  • 回答No.19
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 あの…serpent-owlです。  下の書き込みで、長めの文章で…非常にペシミスティックな人間観を披露してしまいまして…他の回答者の方が「引いて」しまっているのでは…いや、そうにちがいないと思いまして…あの…ごめんなさい。  自分が開いた質問室が片付いて、で、ちょっとハイになってお酒も入ってこうなりました。ちょっと調子に乗りすぎました。でも…内容は持論なのですが…。  ああ…だから「隠し玉」にし ...続きを読む
 あの…serpent-owlです。
 下の書き込みで、長めの文章で…非常にペシミスティックな人間観を披露してしまいまして…他の回答者の方が「引いて」しまっているのでは…いや、そうにちがいないと思いまして…あの…ごめんなさい。
 自分が開いた質問室が片付いて、で、ちょっとハイになってお酒も入ってこうなりました。ちょっと調子に乗りすぎました。でも…内容は持論なのですが…。
 ああ…だから「隠し玉」にしときたかったのに…。

 だから皆さん、続けて下さい。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

serpent-owlさんのお礼の場所をお借りして・・・
回答を書き込んでいただいた皆様、ほんとうにありがとうございました。
たくさん、興味深いお話をきかせていただけたことありがたくおもいます。
今回のわたしの疑問にも何かしら答えが見つかりましたので、そろそろ締めさせていただきます。もしよければ、明日の朝にはここを閉じますので、ここをご覧になられていた皆様の感想なりご意見がありましたら、少し書き込んでいただけると嬉しく思う次第です。 『ありがとうございました。』
投稿日時 - 2001-03-15 21:14:16
  • 回答No.10
レベル14

ベストアンサー率 36% (1782/4883)

所謂母性本能の正体ですか。 その要素が色々あることは、既に皆さんかかれているのでそれ以外のものを敢えて書きます。 利己的遺伝子 これはよく言われますが、遺伝子が自分の分身を残そうとする本能(?)に従ってるということ。子供は自分の遺伝子の半分を残した大事な入れ物、壊れたら大変っつーことです。 ただの利己心 自分の老後の面倒をみてもらう大事な働き手です。これも壊れたら大変。 認知不協和 十ヶ ...続きを読む
所謂母性本能の正体ですか。
その要素が色々あることは、既に皆さんかかれているのでそれ以外のものを敢えて書きます。

利己的遺伝子
これはよく言われますが、遺伝子が自分の分身を残そうとする本能(?)に従ってるということ。子供は自分の遺伝子の半分を残した大事な入れ物、壊れたら大変っつーことです。
ただの利己心
自分の老後の面倒をみてもらう大事な働き手です。これも壊れたら大変。
認知不協和
十ヶ月もお腹の中に入れ、強烈な痛みで産み落とし、さらにはあれこれ色々と面倒を見たのは一体なんであったのかということを考えると、やはりこれは大切なものだからであったからだとの理由の後付け。

こういったモンが理性の働きを鈍くさせ、いざと言う時に当事者がキレてしまうということで。
別にこれは誰しもがもつもんだと思います。その対象が子供ということに限らず、一言で言ってしまえば火事場のクソ力的現象ですよね。大切な何かを守ろうとする時、人間の力は際限なく発揮されるものでしょう。なりふりかまわずに。

えー敢えてと最初の書いた通り、別に私がこういう考えであるということはないです。
あくまでも要素の一つとして上のようなもんもあるかもしれませんが、それが大部分ではないと思います。
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

アドバイスありがとうございます。
>『利己的遺伝子・認知不協和』こういったもんが、理性の働きを鈍くさせ・・・云々
↑と、おっしゃられていますね。そうすると、>『火事場のクソ力的現象』 は、この時点で意識が働いている(脳が損得勘定している。)ともとれるのですが?過去の経験、見聞きした過去の出来事が記憶となって脳にインプットされていて無意識的にとる行動のようにおもえるのですが・・・利己的遺伝子と認知不協和によって火事場のクソ力のような現象を作り出すとはちょこっと疑問です。
投稿日時 - 2001-03-03 17:14:38
  • 回答No.11
レベル13

ベストアンサー率 37% (593/1595)

こんにちは。二人のムスメの母やってます。 もう、ふたりとも大きくなってしまったので、最近はあんまり「鬼」になることは少ないですが・・・(笑)むずかしい分析論は下の皆様方が書いておられるので(母性は鬼子母神的なものになり得るというご意見と人間は所詮”遺伝子の乗り物”という意見に同じです)自分の経験から行きたいと思います。 <私が鬼ーさんになった時> うちの子が幼稚園の砂場でよその子にはげしく砂をか ...続きを読む
こんにちは。二人のムスメの母やってます。
もう、ふたりとも大きくなってしまったので、最近はあんまり「鬼」になることは少ないですが・・・(笑)むずかしい分析論は下の皆様方が書いておられるので(母性は鬼子母神的なものになり得るというご意見と人間は所詮”遺伝子の乗り物”という意見に同じです)自分の経験から行きたいと思います。

<私が鬼ーさんになった時>
うちの子が幼稚園の砂場でよその子にはげしく砂をかけられた時→思わずその場に生き埋めにしてやりたくなりました。

幼稚園で一人だけ「めがね」を弱視の治療のためかけていたのですが、それを毎日しつこくからかう男の子と訴えても何の対策もとってくれない先生→呪い殺したくなりました。(実際、その子はなんと喘息で長期欠席になってしまった!でもほんとなんにもやってません!)

幼稚園の発表会で「せりふの長いいい役」をもらった我が子をねたんであれこれ影で言う人に→上手に逆襲して相手の悪いうわさを流し返してやりました。(これは実際にやってしまった!)

ホント、こう書いてみると怖いですね~(笑)
これ以上書くと人間性を疑われそうなのでやめておきます。(遅いかも~)
マザーテレサなどのようにある意味での「母性」を沢山の人に惜しみなくシャワーのように降り注げる人もいると思いますが、一般的には少ないのではと思います。
たいがいは上のワタシのように自分の子が可愛ければ「鬼」になるという人がほとんどでは?思います。

しかし、「○田佳○」のような「母」にはなりたくないな~
お礼コメント
littlekiss

お礼率 69% (281/406)

アドバイスありがとうございます。
具体例をあげていただきありがとうございます。
不思議ですね。大切だと思うものを守ろうとするときの人のこころの動きって・・・・。自分にとって大切なものがあるなら他の人にだって大切なものがあるにちがいないのに、いともたやすく傷つけてしまう。これも一種の自己防衛なんでしょうか?置かれる状況によって、変化する。こころ=感情、『堪忍袋』が破けちゃうと中からものが溢れ出すようにとめどなくでてきちゃうのかな?パンドラの箱のように・・・邪悪なものがいっぱい、いっぱい。このとき、優しい気持ちはどこにいっているんだろう?
投稿日時 - 2001-03-03 17:25:43
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