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「力の刻印」とは

あるサイトで、ある精神病理関係の著作の内容紹介を読んでいて、興味深く思ったことなのですが 「中心化」(目立ってしまったこと)と「疎隔化」(隔てられてしまったこと)が同時に起こる―― こうしたことは、いわゆるイジメ、とくに転校生といった立場にあるような者が置かれがちなイジメの発端になりやすいようですが 私が非常に興味を持ちましたのは、 上記したような この時期に、「力の刻印」なるものを受けやすいとのこと。 分裂病発病時、 「中心化」⇔「疎隔化」→「力の刻印」 という流れが生じるらしいのですが、このあたりからもう後の慢性化にいたるかどうかに関し、影響があるそうだ、とのことでした。 ところで近頃、とあるサイト内での人間関係において、まさに このような情況を目撃すると同時に自分自身が、こうした(非常に人為的人工的設定ながら)情況のさなかに置かれる機会がありました。振り返ってみれば、ある人物と、ある人物の間で「患者」、「医師」(ヒントとして、ロボット工学などの研究に従事している専門家、との話も)という見立てによるやりとりが繰り返されていたことにも思い当たっております。 この一連の出来事については、まだ各面から考察を継続していますが、いずれにせよ根深い心理的問題を孕んでいるものであり、ネット社会の深化に伴い、ヘタをすると非常に危うい社会問題を誘発しかねないとみております。(水面下では、もうすでに進行がすすみ、深刻化しつつあるかもしれない) そこで今回、少々慌ただしいなかでの、とりあえずの質問ながら 先述しました「力の刻印」ということ、これについて何か御考えや思い当たることをお持ちのかた、そして、この「力の刻印」なるものを目論む者の人物類型としては、どのようなことが考えられ得るかを御示唆なりともいただければと思います。 よろしく お願いします。

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  • hakobulu
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回答No.4

#1です。 まず、「力の刻印」「力の一撃」が治療現場サイドの留意点に関する用語である、というのは新鮮な感じを受けました。 >日常一般の場面においても、社会的、制度的のみならず収奪性、加害性というものは、じゅうぶん有り得る :とおっしゃるのもそのとおりでしょう。 >盲目的に従う或いは拒絶する、というのは、中間地帯が欠落、ということは、体験時空が本来もつはずの緩衝機能(の麻痺)―― :という箇所も非常に興味深い記述です。 以上、うなずきながら拝見した箇所です。 シニフィアンに関してウィキを参照してみました。 よく理解はできなかったものの興味深く勉強させていただきました。 >知性がそれを分割して絡めとってしまう以前の境位にある「語り」を支えるものをシニフィアンと呼ぶことにする :余談になるかもしれませんが、絡めとったあとの「語り」を支えるのがシニフィエということになるのでしょうか。 この段落は「陳述を保障するものとしての「自我」を想定するかぎり矛盾は避けられず、それゆえ「主体」が要請されるのである。」 という出だしからよく理解できませんでした。 結果として、シニフィアンがどのようにご質問内容に関連してくるのかもよく理解しておりません。 いずれにしても、量子力学などと共に、私はたとえ教えていただいても理解できないとは思いますが。 >その前後には私から、「距離感」「孤立感」ということを訴えたこともありましたが :転校生になぞらえていたのはnoname002さんご自身のことでしたか。 伺った内容は嫉妬が発端になっているのでしょうね。 過去ご質問のURLも拝見しました。 難しいことはわかりませんが、すべてを一応興味深く拝見できました。 悪評高き件の専門家の方のお話なども内容としては面白かったです。 さて、 >「力の刻印」なるものを目論む者 :も、 >「両者(特に女性2者間)の衝突を故意に仕組んだりなど~」 :も、リアル社会でもいかにもいそうな人だなあ、というのが全体的な感想になると思います。 先の回答で書いたように、これはイジメの構図と捉えました。 イジメには排斥と支配の2種類があると思っていますが、古参女性が前者で件の専門家さんは後者でしょうか。 専門的知識が乏しいのですが感じたことを拙ログにアップしたことがあります。 中身のない割には長い文章で恐縮ですが、これを再掲することが現段階では >「力の刻印」なるものを目論む者の人物類型としては、どのようなことが考えられ得るか」 :に対する直接的な私なりの回答になると考えました。 釈迦に説法のような気もしますが、勇気を振り絞って掲載してみます。 本当にお時間のある時にチラと目を通してみてください。 そんなことわかっとるわい!とか言われそうな気もして怖いですが。^^; それでは。 【 人はなぜいじめるのか 】 ◇◇◇1≪ 排斥としてのいじめ ≫◇◇◇ いじめの目的には2つあるような気がする。 「排斥するためのいじめ」と「支配するためのいじめ」だ。 「排斥するためのいじめ」は、「異質と感じるもの」の排除欲だろう。 なぜ異質と感じるものを排除しようとするかといえば、それは異質と感じるものによる自らへの影響を怖れるからだろう。 私たちには多かれ少なかれ、他者を相対的存在として認識することによって自己の存立基盤を築こうとする無意識が働いているはずだ。 多少なりとも、他者の存在に照らし合わせて自分というものを確認しようとする部分がある。 だからもっと正確に言えば、異質と感じるものに照らし合わせた場合、それまでの自分というものが覆ってしまう恐怖を覚えるのではないか。 異質な事柄自体もそうだが、それ以上にその異質な事柄を身に纏って平然としている相手の存在を脅威に感じてしまうのだろう。 それゆえ排除しようとする。 一種の防衛機制と言ってもよい。 誰かを攻撃するように見えて、実は自らの身を守るための行為だというところがいじめ問題の根深さだろう。 ところで恐怖というものは、喜怒哀楽や悲しみなどに比べてもっとも古くから人間に存在する感情らしい。 非常に古典的というか原始的な感情で、言われてみれば感情に乏しい、または殆どないと思われるような魚類・爬虫類・鳥類やねずみ、うさぎなどの哺乳類においても恐怖だけは必須の感情として生来的に獲得されているもののようだ。 生きるためには、まず敵から身を守ることが最重要課題であることは否めない。 恐怖は脳の扁桃体という箇所で生み出されるらしいが、ここに損傷を受けると例えば猿の場合、普段は決して近づかない犬や蛇に平気で近づくようになる。 恐怖は身を守るための必須アイテムとして備わっているものらしい。 人類の最初の祖先が地球上に現れた時も、恐怖という感情が備わっていただろうことは想像するに難くない。 地球ができたのは約46億年前とされる。 人類の誕生はネアンデルタール人などに代表される旧人で4~50万年前、クロマニョン人などの現世人類と呼ばれるもので約20万年ほど前ということになっている。 自分たちとは異質の動物の影に脅えながら生活していたであろうこの頃の人類の脳と同様の恐怖を、いじめる者は無意識的に感じているはずだ。 「いじめられる者」とは「いじめる者にとっての」脅威なのではないだろうか。 つまり、他者の異質さに脅威を覚えるものがいじめをするということかもしれない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー しかし、異質と感じたとしても脅威を覚える人とそうでない人がいる。 そもそも異質という感覚さえ持たない人もいるはずだ。 この違いはどこからくるだろう。 思えば、「異質」という感覚は「理解できない」「理解しづらい」という認識に基づいていないだろうか。 つまり「何か理解できないから怖いので排斥しようとする」といういじめの形態があるのだと思う。 他者を理解できないのは主に想像力の欠如によるものだろう。 人は、幼い頃にどのような刺激を受けたかにより世界の捉え方が全く違ってくることもある。 想像力に関しても、幼児からの教育環境が重要な鍵を秘めているのではないかという気がしてならない。 ところで、排斥不可能と感じさせる相手に対しては排斥しようという気力は起こらない。 『ある相手に対して何か理解できないという怖れを抱くものが、排斥しようと思えばできそうだという見当をつけた時にいじめという形が出現することがある。』ということになりそうだ。 排斥不可能と思わせるのは、『毅然とした姿勢』を以ってその最大のものとするのが妥当ではないかと私は思う。 無論、理解できないという認識を抱かせないようにすることも効果があることになるだろう。 媚びる必要は全く無いし逆効果になるが、いじめられる側としては相手に安心感を与えておくことも有効だということになると思われる。 ◇◇◇2≪ 支配としてのいじめ ≫◇◇◇ 排斥ではなく、支配し従わせるためのいじめというものもあるだろう。 支配し従わせたくなる対象とは、すなわち自分自身との共通点を抱えている人ではないかと思う。 どのような共通点か。 それは自分と同様の弱さだろう。 何らかの理不尽な力に対抗しきれずに不当な抑圧を甘受してしまっている者。 その色を無言の内に表現してしまっている者。 そういった者を、容易に支配できる弱者として、いじめる者は敏感に察知するのだろう。 では、支配しようとする目的は何か。 それは自分が過去に受けたいじめ、あるいは抑圧の清算だろう。 自分が受けた理不尽な力は貯めておくだけでは苦しくなってくる。 吐き出す必要が生じるわけだが、いじめる者にとっては自分が被害者だった時と同様の状況設定の下で吐き出されることが望ましい。 「同様の状況」とは、抵抗不可能な情けない弱者に対して一方的で圧倒的な力が行使される、ということ。 かくして、弱者と認定されたものが執拗に狙われ続ける。 いじめるほうにしても、自らの惨めな過去を清算し、一旦は受け入れてしまった負の記憶を帳消しにするための絶好の獲物といった認識を持つはずだ。 過去の自分を癒す手段としてのいじめ。 誰しも、ふと誰かをいじめたくなった経験はあるはずだ。 その時、相手の中に過去の惨めな自分を見出すことは、そう難しいことではないだろう。 いじめる者は、過去のふがいない自分に復讐しているという見方も可能かもしれない。 つまり、ここにも『イラショナルビリーフ(不合理な思い込み)』が存在している。 いじめる者の立場に立ってみよう。 今いじめる私はかつていじめられた者である。 しかし、今いじめている相手はかつて自分がいじめられた相手ではない。 いじめられ、抑圧された記憶を自らのものとして処理できない者が、目の前にいる弱者を過去の自分に見立て、いじめる自分を過去に自分をいじめた相手と重ね合わせる。 そして、自分がされたこと(理不尽な抑圧の行使)を自分が相手にする。 このようにして清算を済ませた気になる。 抑圧された記憶を自らのものとして処理する、とはどういうことだろうか。 それは、過去の事実を事実として認め、自分が対峙すべき相手を見極めること、だろうと思う。 不合理な思い込みから合理的な事実の認識へ、という転換が必要になる。 不合理な思い込みをしてしまいがちなのは、そのほうが楽だからで、つまり自己変革を必要としないからではないかという気がする。   

noname002
質問者

お礼

シニフィアンについて、今回、字数不足で、と言う以上に私自身こういうことに詳しいわけでないのですが、個々の文意に関しては、参考サイトでの紹介が断続的な形式になっていて、私も、よくは分からないのです。 簡単には、ソシュール言語学に関連した概念について、すでに御承知のことと思いますが、要するに シニフィエが意味内容、シニフィァンが言語音韻面ですね。そこで、当質問で関連してくるのは、意味を全く考慮しない音韻ということです。 私は、彼女の暗喩だらけの発言に対して、そんな言いぐさ通用しないと、最初の段階から申し渡していたのですが(笑 「夢においては その真偽にかかわらず、その要素的表象としてのシニフィアンは破壊不能」 「シニフィアンとは主体を他のシニフィアンに対して表象するものである」ラカン ――即ち語るという主体の本来的あり方のなかに尖端性(力)と円環性(ロゴス)のリズムが内在していることが認められる―― 普通の個人掲示板で文字だけのやりとり、どこの誰とも知らないどうしですから、相手がメンタル面での問題など抱えているやらも分からず、むやみに不穏な落ち込ませるような言動を多勢に無勢で繰り返す、最悪の場合、自殺に追い込みかねないという問題が実際起きているような時世です、もしかしたら水面下では予想以上に、こうした問題が蔓延しつつあるのではないか、そんなことを思ったわけです。 このスレは、哲カテでの私の回答中に、参考として挙げておきました。 おそらく回答者さまには、まだよく御理解いただくことがかなわないであろうと思いますが、どうぞ、お見捨てにならず、せめてあと2度ほど御投稿あればと願っております。(けっして御無理のない範囲で) 私としては、イジメ問題のみに絞らず、これからのネット社会に付きまとうであろう問題に関して、どう御考えになるかというところも伺いたいと思っております。 【人はなぜいじめるのか】頷きつつ拝読しました。 「他者(私)の異質さへの脅威」これも、理論なるもののなかで利用できるとしたようです。 「不合理な思い込みから合理的な事実の認識へ、という転換」これに彼ら何故か失敗したんです。 「不合理な思い込みをしてしまいがちなのは、そのほうが楽だからで、つまり自己変革を必要としないから」この部分、鋭い御高察と思います。つまり変えたくないのですね。 有難うございます

noname002
質問者

補足

さて、私が参加していた、そのサイトで、奇妙な流れになってしまってから、不快ですからやめてくださいませんかと何度も言いましたし、ひと言あやまってくれたら、その時は それで済ませるつもりだったのです。ですが、とうとうケンカになってしまい、そこへ慌ててやって来て私をなだめにかかったリーダー格の男性(私をサイトに誘った人)が、古参メンバーたちの不穏不可解な発言をロクに咎めようともせず (ふだん平和主義者なのだそうで、私の見たところでも、他人の争いごとには決して関与しないスタイルを貫くのが信条らしい) むしろ私の人格的な面に問題があるかのように言われました。 なので、どうやらこのサイト、残念だけど私に合わないようだし、閉鎖的な雰囲気が濃厚だと思い、参加を見合わせるようになった後も、まるで裏切り者であるかのような発言があったりして、来なくなった私のことを、あれやこれや噂し続けるのです。 それで、最後に、いったいどういうことなのか説明してもらえないかと、私を勧誘した人に問いただしたところ罵られてしまった。そのとき先方から出たコトバが「ニュートリノ」の実験云々で、これが物理学カテで量子力学に関する質問をすることになったきっかけです。 これらは私にとって、かなりショックなことでしたが、彼らには、悪い事をしたという自覚が全くと言っていいほどないのか、誰一人として一言の謝罪もありませんでした。実は、こうしたところにも、ある理論のとおりに行っているかのようなふしが窺えるのです。 そして、その後も、特に古参女性からは、いろんな手段で挑発的行為を繰り返されたのですが、そのうちに私のほうは、せっかく回復途上にあった鬱病がぶり返してしまい、いろいろと生活上の影響も出てきました。 にもかかわらず、なおも、いずれ私が、例のサイトに戻って来るだろうと彼らは思ってたらしく、二重三重に呆れてしまいました。 こちらのサイトにおいても、くだんの女性を始め何人もの関係者が、私の回答と質問履歴を追いかけているのは分かっていますが、それも(特に、くだんの女性においては)私が例のサイト内で行われた奇妙な「実験」の影響によるダメージを、どこまで受けたものか確認したいというサディスティックな欲求があるようです。 (彼女については、その行動特徴から、おそらく人格障害の傾向を持っているように感じておりますが、それも例に挙げた分裂病に関する理論などを、いかにも忠実に踏まえた言動を続けてしまった結果、本人もともと持っていた内面的弱点が強化されると共に、いらぬ問題までを新たに引き寄せてしまっていると見受けております。吉田兼好のいわく「狂人の真似をする者は即ち狂人」というところですね) もう一つは、私を勧誘した男性、実験をしていたのだと言った科学の専門家氏ですが、こちらは、くだんの古参女性の心理の推測についても私の回答内容から些か利用できるかという目的もあったのではないかとみております。 考えてみれば、私を勧誘した専門家と、もう一人の古参男性も、当初、私にばかり話しかけてくる状態のなか、それまで、いわば自分の天下のようにしていた古参女性が、 (どういうわけか他のメンバーたちのみならず主催者までが全然来なくなって、ヒッソリ閑状態だった) リーダー格の男性をも独占状態だったのですから、私の参加によって、おもしろくない気持ちを持ったのも、けっして理解できなくはないことです。そして、そういう状態をも、分裂病についての著作に従った理論のうちとして設定されたことだったかもしれません。 だからといって、この私に対してやり続けたことについて彼らから一言の謝罪も説明もないかぎり、許す気はありませんが、それはそれとして、実のところ何が本当の原因だったのか、なんとも後味の悪さがあり、内心で引っ掛かったままいました。 (お礼欄へ続きます)

その他の回答 (4)

  • hakobulu
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回答No.5

>そのとき先方から出たコトバが「ニュートリノ」の実験云々で、これが物理学カテで量子力学に関する質問をすることになったきっかけです。 :そのような悪意的行為によってかなり不快な思いをした、ということですね。 >奇妙な「実験」の影響によるダメージを、どこまで受けたものか確認したいというサディスティックな欲求があるようです。 :なかなか執拗なんですね・・・。(-_-;) >私の参加によって、おもしろくない気持ちを持ったのも、けっして理解できなくはないことです。 :たしかに、彼女の嫉妬が非常に大きく影響しているような感じは受けます。 >ソシュール言語学に関連した概念について、すでに御承知のことと思いますが、 :いえ、殆ど知りませんでした。^^; このサイトでのやりとりで何回か見た程度で。 >彼女の暗喩だらけの発言に対して、そんな言いぐさ通用しないと、最初の段階から申し渡していたのですが :なるほど。 そういう意味でつながるわけですか。 よくわかりました。 いや、それにしても、そのサイトからの抜粋部分らしいですが、細切れながらいちいち肯かされる内容で、大変興味深く拝見しています。 (部分的に難しそうな箇所はありますが) >相手がメンタル面での問題など抱えているやらも分からず、むやみに不穏な落ち込ませるような言動を多勢に無勢で繰り返す、最悪の場合、自殺に追い込みかねないという問題が実際起きているような時世です、もしかしたら水面下では予想以上に、こうした問題が蔓延しつつあるのではないか、そんなことを思ったわけです。 :ここがnoname002さんの最もおっしゃりたい骨子部分なのですね。 >イジメ問題のみに絞らず、これからのネット社会に付きまとうであろう問題に関して、どう御考えになるか :イジメの背景にある本質的な人間関係性に留意してみました。 そこから見えてくるのは、人間というものは他者の異質性が(非常に)気になるものではないだろうか、という点です。 転校生であったり、サイトの新参者であったり、あるいはほんのわずかの差異を殊更取り上げて指摘することによって自らの「集団所属感」を確認しようとするためでしょう。 これを人間の本質と捉えることも可能だと思われるので、イジメに限定しなくとも良いかもしれません。 いずれにせよ、そのように、「他者を踏み台にしてアイデンティを確立するほうが楽」ということはあるように思うのです。 件の実験というものにしてもそういった色合いが窺えるように思います。 また、そういうことを本気でやっているというのであれば、その人は相当に自我の弱っている人ではないでしょうか。 主義主張、あるいは興味のために他人を死に至らしめることなど人間は平気でする動物ですから、心理的側面からそのような実験を試みようとする憐れな人間がいても不思議ではありませんが、しかし検証は難しいことでしょうね。 アダルトサイトなどであれば、一定の基準を設けて悪質なものを取り締まることも可能かもしれませんが。 ご質問のサイトの場合も、管理人の人が吐露しなければ気づかなかったわけですしね。 そうなると後は自己防衛しかないということになるような気がしますが、どうでしょうか。 この場合は、ありきたりですが、君子危うきに近寄らず、と言うしかないのかな、と感じます。 その際に、相手がどういった心理でそのようなことをするのか、ある程度の納得が無ければ気持ち的な治まりはつかないでしょう。 あるいは興味はわくことでしょう。 その意味で、 >「力の刻印」なるものを目論む者の人物類型としては、どのようなことが考えられ得るか :という内容のご質問が発せられたと解釈しております。 ただ、そのサイトでのやり取りが不明なのでなんとも言えませんが、それが実験だったと管理人が言ったのは多少眉唾の可能性もあるのではないでしょうか。 つまり、古参女性がnoname002 さんに対して色々不愉快と感じることを 言っていたのは『本心では無かったんだよ』と、『単なる実験=お遊びにすぎなかったんだよ』と言いくるめて三角関係?に終止符を打とうとした可能性もあるのではないか、という印象も受けました。 無論、あくまで推測に過ぎませんが。 その場合、 >そこへ慌ててやって来て私をなだめにかかったリーダー格の男性(私をサイトに誘った人)が、古参メンバーたちの不穏不可解な発言をロクに咎めようともせず :という箇所がクローズアップされてくるわけですが、その「不穏」「不可解」という noname002 さんの判断について検討するほうが近道となるやもしれません。 ご自身の判断に誤りがあるという意味ではなく(現段階でそんなことがわかろうはずもありませんし)、「不穏・不可解」の対象となった文章内容そのものについて、その意味と意図とを古参女性に確認・検討する方向で検証する必要が出てくるように思われます。 ご意見があればさらにお聞きしたいと思っております。  

noname002
質問者

お礼

それだけに彼の態度に対する怒りも大きかったわけですが それに加え、膨大な専門知識と優秀な頭脳しかも聡明な人柄イメージをもって、私のような無知無教養な一般人を、学問の名称に託けて振り回し、あげく不快の念を募らせダメージを与える、こうしたことの問題を考えるようになりました。 自分一人「君子危うきに近寄らず」と言っておれば済むことでないのではと考えています。それよりも「君子の交わりは」ということについてネット社会全体で考えるべきところに差し掛かっているかと思います。その面で >相手がどういった心理でそのようなことをするのか、ある程度の納得が無ければ気持ち的な治まりはつかないでしょう。あるいは興味はわくことでしょう そうなのです。古参女性に関して、とくに興味を持っていたわけではなく、専門家であるという男性については、私は個人的なショックもさりながら彼の、その社会的立場からして、より重大な問題を感じます。 >実験だったと管理人が言ったのは多少眉唾の可能性 ですから管理人でなく、ボスと呼ばれる専門家氏が言ったことです、眉唾?は私も思ったことはありますが、かつての常連で、私とは直接の関わりがない周辺の者その言動をみるに、どうも、あながち眉唾でもないようなのです。これも、若い人を指導する専門家の立場にいる者らしい。 >「不穏」「不可解」という 判断について検討するほうが近道 これについては逐一の説明が大変です。二度や三度のやりとりで済んだことではありませんので。 そこで、当質問と同日ごろ、古参女性に関する質問を出しておりますが、その内容を御覧いただけば僅かながらでも雰囲気が伝わるだろうかと思います。 『???こーゆう人って???』 もう一つ、その数日前の質問 『頑固過ぎな人』 さて前回、哲カテでの私の回答中に、当質問を挙げた旨、申し上げましたが、その後、管理局から「締め切っていない質問を参考に挙げると、回答者を誘導しているものと見做す」ということで、回答者さまにさし上げたお礼の該当部分を編集した、とのお達しが届きました。この質問も一旦締めた方が無難かと思います。 当スレッド内では、すでに回答者さまには数回のお付き合いをいただきましたし、ここは一度締め切り、今から新たに継続質問を出すことにします。 どうか、そちらへお越し願えないでしょうか。お待ちします。 有難うございました

noname002
質問者

補足

「ニュートリノ」の実験、なるものとは要するに「ニュートリノ」に質量があるならどれくらいの質量か、ということを確かめるためのものだった、というのですが、これに連なるようにして、くだんの科学者が提議したのが『カラスは黒いか』というものでした。(こちらのほうは、全くの第三者のかたが私を通して注目なさり、御自分のブログで取り上げられたことがあります。)つまり、いずれも結局は人の心理とくに科学者御本人の自分に対する本心を確認したかったようです。 先回申し上げた分裂病に関する理論と、もう一つの或る社会理論、これをそもそも据えてしまっているがために、古参女性の度はずれな言動それは、その理論に基づいているがゆえであると判断しきれない事態にまでなってしまっていた、そのあたりのジレンマも絡んでいたのではないかとみております。 このサイト常連のなかにも、そのあたり僅かながら分かっておられるかたがいらっしゃるようですし、古参女性に嫉妬深い傾向があるというのは、くだんのサイトの過去の常連も認めていたようです。 私としても、その「理論」に基づいてバカげた実践に固執する姿に、それが実際のところいかなる種類のものであるにせよ、彼女の並々ならぬ感情の現われが如実に出ているだろうに、と思いました。 >そこから見えてくるのは、人間というものは他者の異質性 彼らに言わせれば「文化の違い」ということだそうですが、私は、その言い分は通らないと思います。 そもそも最初から「或る理論を前提にした実験」を行うため新入りが何も知らないという、そのことを利用しようとしたのですから、最初から古参女性たちが「黙秘」だの「保留」だのと繰り返し発言していたわけです。 で、過去ログを探って勉強せよ、ということも言われたのですが、何年来の集積ですし、一通り見ていくだけでも膨大な時間がかかります。ですが私も腹立ちのあまり一応ザッと見るだけ見たのですが、当該「理論」に関するやりとりだけは出てこなかったのです。主催者によって削除されたか或いは彼らの個人的メールによって裏で取引していたか。(この可能性は、先日の、このカテでの私の質問で、常連の回答者さまも仰ってました) そして古参女性からは、これが彼女の顕著な特徴ですが、「参考」と称して全く関係のないリンクを膨大に貼り付けて寄こされ続けたわけです。その目的は、もちろん撹乱ですね。 本人は、くだんのサイトでの古参男性からの受け売りか「錬金術」などと嘯いておりますが。 >「集団所属感」を確認 これは今となっては思い当たります。そのサイトは一旦長らく休止していて最近再開されましたが、ここへきて明らかに宗教レベルの話が始まりました。これも、「ある社会理論」に基づけば必然の成り行きということらしいです。 >「他者を踏み台にしてアイデンティを確立するほうが楽」 これはもう、古参女性には殊に顕著にみられます。その問題については、くだんの科学専門家も気づいていたふしはあるのですが。 >そういうことを本気でやっているというのであれば、その人は相当に自我の弱っている人 あっ!これは改めて目を開かされました。恐らく、古参女性のみならず当の専門家男性自身が、そのようであったかと思われます。 私と接触があった頃から薄々思うところはあったのですが、再開されたサイトの最近の事態をみていても、それが窺えます。 >主義主張あるいは興味のために他人を死に至らしめることなど人間は平気でする動物ですから、心理的側面からそのような実験を試みようとする憐れな人間がいても不思議ではありませんが、しかし検証は難しい 恐ろしいことです。 憐れと言えば憐れですが、もちろんそういう者たちに負けない強さが、こちらにあればよいことです。しかし「検証が難しい」というところが、いかにもタチが悪い。 >一定の基準を設けて悪質なものを取り締まる これが困難ですから。だからこそ主催者、管理人にシッカリしてもらいたいところですが先回申し上げたように、そのサイトでは数年前から主催管理人が全く訪れなくなっていて完全放置状態でした。 それで彼ら古参どうしの間で、スパムメールの削除管理等、一部管理作業を分担するという取り決めをしたらしい。現実には古参女性が殆どやってたみたいです。彼女はこれを「おそうじ当番」と言ってましたが。その不満も下地にあって、いろいろおかしなことをやり始める動機になっていたかもしれません。 実質的には、科学専門家氏がボスと見做され、彼らの勝手気ままが野放しになっていったようです。 >自己防衛しかないということになるような気がしますが これについては、私側の弱点ですが、ひとえに、勧誘してきた科学専門家氏に対する数年来の尊敬心ゆえの買いかぶりが大きかったと思います。 (お礼欄へ続きます)

  • hakobulu
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回答No.3

>都合が許されるなら :わかりました。 興味あるご質問と思っていますので、むしろ教えていただくつもりで投稿させていただきます。 とりあえず参照すべき箇所がいくつかあるようですので、理解できるかどうかは別にして、まずはそちらに少し目を通してみてからにします。  

noname002
質問者

お礼

――精神科医の登場 分裂病者に出現する他者の様相 (1)主体について与り知らない所で語る他者 (2)主体の言葉を盗む他者 (3)主体の存在全体を捕縛する他者 本来この治外法権は療養と回復のためのものであるが、精神医学の場合には狂人としての治外法権であり、医学的な命名と囲い込みによって社会的疎外を補完するものとなりうる。 病者は狂人として排除され、同時に囲い込まれるのである―― hakobuluさま 勝手な願いをお聞き入れくださいまして、感謝申し上げます。ホッとしました。 「教えていただくつもりで」というのは、やはり私側に違いありませんので、何か お気づきのことがあれば、どうか御指摘いただけますようお願いします。 有難うございます。

noname002
質問者

補足

こちらにも追加資料を置かせていただきます☆早速、スペースを増やしていただき有難うございます(笑 ――神経症的接近の限界 <わかられた> 彼らは閉じようとするエコノミー(オイコス[家=内部]のノモス[法、掟])の外に滑り落ちてしまう。生起するのは抑圧でなく「排除」―― ――エコノミーの内と外 エコノミー(内部の法)の構成の根拠を或いはエコノミーを可能にしているものを、エコノミーの中の理屈で解くことができない以上、<忘却-隠蔽>はある意味で当然の帰結である。 「無根拠性を自明性へ、恣意性を必然性へと密かに転移させる」―― ――主体は世界の中に自らをそっと忍び込ませること、隠れて住むことがもはや困難となる。内側から生きられた彼らの意識に即して事態を描写するなら、周囲からは浮き上がり、目立ち、まなざしの対象となる。離心性が維持されなくなることにより、心的距離もまた失われる。同時に世界からあぶり出され、もはや世界の中に自分の居場所を見出すことが困難となり、孤立化する。それゆえ他方では疎隔されてしまうのであり、単純に距離が失われたというわけにはいかない。世界から浮き上がることによって、主体は他者からのまなざしの集中砲火をあびる。それと同時に他者からは疎隔される。圧倒的に非対称的な布置の中で、主体は他者への通路を見失う。こうした「孤立した主役」「疎隔のさなかの集中」と表現されるようなパラドキシカルな事態に、主体は陥っている―― ――主体は世界とのつながり、関わりをもつ地点を見出すことができない。世界の中に自らを映し出す契機を見出すことができない。 すなわち主体は影を失う。 この世界のどこにも自分は書き込まれていないのである。 それゆえ彼らは、世界の中に棲むことによって自らが世界に与えたはずの、原初的着床あるいは原初的分割の痕跡を見出そうと彷徨する。 影はどこに消失したのだろうか。 どこかに着床できないだろうか。 どこかで語られていないだろうか。 血統、来歴、固有名、あるいはニュースなどをめぐって、分裂病者の自分探しが行われる―― (『スキゾフレニア論考~病理と回復へのまなざし』内海健) 上記引用から思い当たることは 「忘却-隠蔽」 「無根拠性を自明性へ、恣意性を必然性へと密かに転移させる」 というコトバに関連した言動が、くだんの古参女性において多くみられたこと。 同時に、それらは「神話」なるものに結び付けられていたようです。 また私自身については、特に彼女の迂遠ながらの言動をもって 「影がない」 などということを頻りに言われていました。 そして彼女は、自身の いわく「秘密基地に隠れる」 その後の私については、まさに浮き上がり、目立ち、執拗な眼差しを向けられる対象となって、ほどなく他のメンバーたちとの意思疎通は妨げられ 私が発したコトバは私から取り上げられ、他の人のコトバと撚り合わされ或いは解体され捻じ曲げられ、抗議は許されず「孤立した主役」さながらとなっていた。 古参女性からは 「未知の記憶を探す旅に出よ」 「謎の答えを探し出せ」などとも言われ続けました。 そのときの私は、なぜ私のコトバは彼らに突つき回され、ぐるぐると運ばれ、彼らのコトバは私の頭上を通り過ぎて行ってしまうのかと戸惑い、新入りの自分が何か気づいていないタブーのようなものをおかしてしまったのだろうか、ふと気がつけば 「自分の痕跡」を探し始めようとしていたのでした。 ――ありうべきいくつかの治療的工夫 コミュニケーションにおいて第三の審級を迂回して生成する意味という次元から、分裂病者は疎外され、さらには意味の主体として簒奪されている―― ――翻訳可能性の問題 治療の方向性~日常性の徹底的還元あるいは三者関係から二者関係への治療的退行―― ――他者の消失と到来 他者は「外」の次元に定位される―― ――根源的疎外の中で、主体は単に世界から隔絶されるだけでなく、どこにも逃れ隠れることのできないといった、あらわで無防備な孤立の中にある。 そこへ他者は「外」から忽然と到来し、主体を根柢から、その存在全体を、まるのまま捕縛しにやってくる。 それはしばしば主体の上手に遡って支配する他者として表象されることになるだろう。 こうした他者の病理のもとにある病者に、精神科医が登場するのである――                              

回答No.2

noname002さん。こんばんわ。 多角的でするどくてやさしくて分かりやすいご回答、 たびたび参考にしております。 力の刻印・・・ですか。 それがどんな状況なのか想像した結果の 感想っていうか思いつき程度しか話せませんが。 まず、「中心化」と「疎隔化」って、 ひとつの「現象」を別の視点から捉えてるだけなんじゃないかなあ。 ということで「同時」に起こるのが当たり前なのじゃないかなあ。 ところで、 ニンゲン分からないことを分からないまま放っておく、とか 足が浮いたままぷかぷかと漂う、っていうのが苦手みたいです。 自分の位置を「決めて」、 ある立場に「落ち着け」たい、 そういう方向に向かいやすいような気がしてます。 これは便利でもあって、やっかいでもあって、 ラクになることもできて、無駄に疲れる原因にもなるような気がします。 この場合、 「中心化」「疎隔化」する人は、 たまたま強いフリをするのに成功すれば 「支配者」になることができ、(物理的にだけでなく)人を動かすことができ、 そのことで自分が利益を得ることもでき、 人を動かすことにパワーを使って疲れることもできます。 たまたまかわいいフリをするのに成功すれば 「服従者」になることができ、かわいがってもらうことができ、 帰属意識を持つことができ、 属することによって緊張し不満を溜めることもできます。 「実はどっちもしなくていい」って思ってて みずから「どっちかに決める」「自分の立場を決め付けて落ち着く」 ってことをしない人はこういうのは無縁だと思います。 しかしこういうのと無縁でいられないのもまた当たり前かなあと思います。 矛盾しますが。 「愛のようなもの(≒攻撃のようなもの)・リビドーのようなもの」 を投げつける対象も必要ですし、また投げつけてくれる人も必要で、 「与える」「受け取る」のバランスの中で、やじろべえみたいに立ってる、 というのがものすごく難しくて、 だから「力の刻印」ということが起こるのかなあなんて思いました。 一生にわたって消えないほどの刻印というのは恐ろしいのですが、 刻印して、消して、 あ・・・なかなか消えないから消えるのを待って、 また新しく刻印してまた消して・・・ というのは、そんなに悪いことでもないんじゃないかなあと思います。 ではでは。

noname002
質問者

お礼

お礼欄なのですが、字数制限の関係で、こちらに引用資料を置かせていただいてます☆御容赦ください。。。 ――分裂病は殆ど妄想という用語なしで語りうるものであり、妄想を治療的用語とするのはきわめて難しい。 妄想か妄想でないかが もはや問題ではなくなること、妄想に関してはこれが戦略的エポケーの目指す境位である―― ――技法の断片 戦略的エポケーはその本来の性格からして系統的なものとはなり得ない。 あくまでケース・バイ・ケースが原則 (1)素朴に肯定すること (2)個別例へ沈潜すること (3)先に信じること (4)参照枠を拡大してみること (5)逆倒してみること (6)意味にこだわらぬこと―― ――いわゆるラポールは悪くない。しかしそのことは忘れられやすい。 ラポール:関係性   敏感と鈍麻~前者が重要 安全保障感こそ分裂病者にとって極めて大切なもの 分裂病者と相対したとき、問われているのは治療者のかかわる能力である 分裂病者においては、しばしば症状と現実が符合する 患者が医療に出会ったときはじめて症状が析出する 事後的に病的体験の意味を発見する 悪性の退行は起きにくい。関係性は一度成立すれば長続きする―― そういえば 「何を言われても、だまって呑み込めばよい」 とくに、「意味はない。意味を気にするな」 と、さかんに言われてたのでした。

noname002
質問者

補足

Neutralさん、有難うございます。 過分に ほめていただいて恐縮しつつ少し照れてしまいました。でも嬉しいです! 私の方こそ、お見かけしたらいつも拝見させていただくのですが、母性とフェミニンあふれるなかにも簡潔明瞭で的確で、見習わなくてはと思ってます。 いつぞやも、とても良い御回答をいただき助かりました、これからもよろしくお願いします。 >「中心化」と「疎隔化」って、 ひとつの「現象」を別の視点から捉えてるだけなんじゃないかなあ。 ということで「同時」に起こるのが当たり前なのじゃないかなあ。 そのようです。そうした状態のなかで「力の刻印」=「易刻印性」なるものが起きてくるということらしいです。 >ニンゲン分からないことを分からないまま放っておく、とか 足が浮いたままぷかぷかと漂う、っていうのが苦手みたいです。 自分の位置を「決めて」、 ある立場に「落ち着け」たい、 そういう方向に向かいやすいような 物理カテで量子力学の質問したときの回答者さまも、そんなふうなこと仰ってました。 人のサガでしょうか「安らかに納めたい」。でも、イイコトばかりではないのですね。。。 実は、いまごろになって失敗だったかなあと思うこともあるんですが とても尊敬してる人でしたから、「かわいいフリ」し過ぎたかな?なんて(笑) だからスンナリ「帰属意識」を持って「服従者」になることができそうと思われたかもしれません、少くとも最初のうちは、かわいがっていただいたし。 それが、そのうちドッカ~ンと。。。(笑 先方は予想以上に怯えたようで。。。ぅふ;;; >「実はどっちもしなくていい」って思ってて みずから「どっちかに決める」「自分の立場を決め付けて落ち着く」 ってことをしない人はこういうのは無縁だと それが~よく分からないのです。。。 話題に出てる古参メンバーの女性は、もともと「どっちかに決める」「自分の立場を決める」ということを避けたがる人だったようで、話の内容じたい、どっちつかずが多い、でも私には決めさせたがり、うるさく干渉してくるので、むかーとしちゃいましたが、人を動かしたがるし帰属意識も強いです。でも不満は溜めてるのかも。 「決める」といえば、以前そのサイト内で「選択するのか、なぜしないのか、それぞれの利益不利益は」などと、くだんの女性メンバーの重篤な「不選択」症ぶりについて、古参男性の間で話題になってたことがありました。 質問に挙げた分裂病に関する著書のなかで述べられているところによると 破瓜型分裂病に現れる「生の戦略」とされる「パラディグマ的選択の回避」というのがあるそうで、「実験」は、このあたりにも理由があったのかもしれません。なんの選択を迫るほどの必要があったのか?とは思いますけども。 >「愛のようなもの(≒攻撃のようなもの)・リビドーのようなもの」 私も、そんな感じなのかな、と思っていました。 >「与える」「受け取る」のバランスの中で、やじろべえみたいに立ってる、 というのがものすごく難しくて、 だから「力の刻印」ということが起こるのかなあなんて なるほど、いかにも不安定なんですね。 >一生にわたって消えないほどの刻印というのは恐ろしいのですが、 刻印して、消して、 あ・・・なかなか消えないから消えるのを待って、 また新しく刻印してまた消して・・・ というのは、そんなに悪いことでもないんじゃないかなあ そうですね、生きていればそんな繰り返しなのでしょう。 刻印しようとするんじゃなくても、いつの間にかとか不覚にも、なのだと思います。 だから、楽しいからとか遊びで刻印させろなんて人はどうなんだろ?と思います。 私、どちらかといえば暴力を身近にして育ちましたから、そうとう消えにくい刻印だらけで、そういうの敏感に反発しやすいのかもしれないです。 「愛のスティグマ」。。。ちょっと いろっぽい?(笑) (字数制限の関係で、お礼と補足欄の使用内容が逆になりました、御容赦ください)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

感想程度のことしか述べられませんが。 >分裂病発病時、 「中心化」⇔「疎隔化」→「力の刻印」 という流れが生じるらしいのですが、このあたりからもう後の慢性化にいたるかどうかに関し、影響があるそうだ、とのことでした。 :個人的には、大雑把ですが以下のように解釈しました。 異質と認定(=中心化)されると仲間外れ(=疎隔化)にされやすく、そういった状況下ではイジメ(=力の刻印)が為されやすい。 統合失調症などの場合においても、発病時に同様のイジメを受けると慢性化しやすい。 (イジメが統合失調症の原因になる、という文意ではないと理解しましたが違っていたら教えてください) >(とあるサイトにおける)このような情況 :というのがよくわからないので何とも言えませんが、 >ネット社会の深化に伴い、ヘタをすると非常に危うい社会問題を誘発しかねない :ということはあるでしょうね。 >「力の刻印」なるものを目論む者の人物類型 :「力の刻印」という表現が難しいのでご質問の内容をきちんと理解しているかどうかよくわからないのですが、誤解を恐れずに言えば、類型というものはおそらく無く、誰しもが刻印者足りうるのではないか。 という印象を受けます。 人間は無駄なことはまずしない、と思っているので、刻印するメリットを素直に考えてみます。 そうすると、やはり自らの優位性の確認、あるいは誇示ではないかと思います。 他者に対する(根拠のない劣等者としての)刻印によって自らの立つ場の安定を図ろうとする行為ですから、相対的な自我確立の一手段ではないか、という気がします。 相対的ということは、他者の力を借りなければ自我を確立できない、ということになります。 人間は多かれ少なかれ相対的な価値判断をせざるを得ない部分もあるわけですが、その程度というか、品格というか、そのあたりの問題になってくるのかな、と思います。 以上、転校生とイジメという言葉に触発されただけの簡単な感想です。(私が転校生だったわけではありませんが) ご質問のご趣旨とずれているかもしれませんが、とりあえず。  

noname002
質問者

お礼

――…問題となるのは、認識の動因に伴って日常性に埋もれていたドクサ即ちフィクションが呼び起こされることであり、それが病理を固定し病者から言葉を奪うことである―― 今回質問は少々難しい印象を与えてしまったかもと危惧しておりましたが、御丁寧な御答えをいただき有難うございます。さすがに、よく御汲み取りだと思いました。 さてオモシロいことに、当質問で挙げた、この分裂病に関する著作に述べられている理論の他にも、もう一つ、ある社会学理論に、まるごと沿ったかのような行動を、くだんの女性がとっていたことに気づいたわけです。 脳や心理の実験を行う研究所などでも、被験者へ事前の説明と拒否権を保証しているというのに、一歩間違うと危険ではないかと思うのですが。。。 ところで御回答者さまにお願いがあります。 私が今現在、考察中の出来事は、一度や二度の補足とお礼では述べきれない問題を含んでおり、今回スペースが全く足りません。 そこで申し訳ないのですが、できましたら、簡単な御返事でけっこうですので、ご都合が許されるなら、あと少しの間、お付き合い願えないでしょうか。 このカテでの先日の質問では、さる御回答者さまから、ネットサイトでのイジメ問題等、たいがいの人が二度や三度は被害に会っているものだと教えてくださったのですが、この問題については、私一個の泣き寝入りで済ませてよいレベルのことでないように思われるのです。 どうぞよろしくお願いします。

noname002
質問者

補足

有難うございます。 ひと様のサイトで部分的紹介を読ませていただいたに過ぎませんので私も決め付けたことは言えないのですが、質問本文で挙げた「ある精神病理関係の著作」というのは、統合失調症患者に対する医療の場における問題点と、その対処についてまとめられているらしく、あるいは御回答者さまなら、こうした方面に多少の御興味をお持ちかと思い、少し引用させていただきます。 なお、その後の調べによれば、もともと「力の刻印」なるものは「力の一撃」とも言うようで、例えば病名告知や強制入院などを危機と見做し、分裂病(統合失調症の名称において、と旧病名において、とでは微妙に違いがあるらしいですが)治療現場における「医原性」の問題に関するコトバであるそうです。 ――多くの場合、力は社会的、制度的な力であり、医療は潜在的に収奪性、加害性を持つ。その医療の持つ収奪性を引き受け、治療的文脈へと転回することが大事である―― というような記述が出てきます。 医療における「収奪性」というのは、治療上、次のステップに向かうため必要ですらあるのでしょうが、日常一般の場面においても、社会的、制度的のみならず収奪性、加害性というものは、じゅうぶん有り得ることと思います。また ――盲目的に従う或いは拒絶する、というのは、中間地帯が欠落、ということは、体験時空が本来もつはずの緩衝機能(の麻痺)―― ――陳述を保障するものとしての「自我」を想定するかぎり矛盾は避けられず、それゆえ「主体」が要請されるのである。主体について言いうることは、それが「語り」を保障するということではなく、「語りうるかぎりにおいて主体は成立している」ということである。大切なことはこの地点に踏みとどまることであり、主体を主体たらしめる還元不能なものとしての語り」を支えているものとは何かを明らかにすることである。そしてこの地点における「語り」、つまり知性がそれを分割して絡めとってしまう以前の境位にある「語り」を支えるものをシニフィアンと呼ぶことにする―― 私を「あるサイト」に『招待』した人というのは私が数年前から、とても尊敬していた人なのですが、サイトに参加した始めのうち、お互い冗談に応じながら私も随分ハシャいだことを言っていました。殆ど、その人と私二人だけのやりとりがしばらくのあいだ続いたせいか、設立時から参加していて、これまで殆ど、その男性にのみ相手してもらっていた女性がイライラし始めたようなのでした。 私が、そのサイトで体験したことに、引用した文章を関連させるとするなら、上記について思い当たるのは、古参メンバー女性が、「てにをは」等の使い方は、まあ普通の文言ながら、大変に妄想的と言うか、どこからが事実、本当のことで、どこからが捏造なのか非常に紛らわしい、支離滅裂ですらある発言を夥しく繰りかえす人だったことです。 非常に奇妙な、度を越して迂遠で暗喩表現の多い発言をするものですから、私は当初、どう判断してよいやら、とても困惑しました。わざわざ、こうしたことを言って寄こし続けるのには、何かしら、こちらの知らない事情があるのだろうと思い、一応、その話に応じた態度で対処しようとしたのですが、そのあとがいけませんでした。 やがて、そんな彼女と、私を勧誘したリーダー格の男性、他の古参男性、と3人で、たとえば私の何気ない発言を題材に、彼らどうしでしか通じないような雑談が延々と始まり、今度は一転、私が取り残されるような状態になりました。そのくせ、あれこれ話しかけてきては、私が何か彼らの雑談を熱狂的に盛り上げるような題材を提供するようケシカケはするのですが、決して私に彼らの内輪話に加わらせないような流れとなっていきました。これは先述の古参女性に特に強い傾向がみられました。 その前後には私から、「距離感」「孤立感」ということを訴えたこともありましたが、もう一人の古参男性から攻撃的ニュアンスを含んだ発言を繰り返すなどされ、最終的に、3対1でケンカするはめになってしまいました。 こういう人たちに囲まれていると、知らず知らず、まるで「関係妄想」的な気分に陥ってくるものだと思いましたが、それは、すでに彼ら自身についても言えることでした。 そのあとも、ずうっと、主に古参女性から、非常に偏ったイメージを喚起させんばかりの「お話」とやらを向けられ続けたのですが。。。 ――病理の発動 分裂病の発動過程は「距離」にかかわる―― ――そもそも社会を「参入する」というような大袈裟なものにする必要はなく、どこかに引っかかっておけばよいものであり、そっと身を滑り込ませればよいもの―― ――最も明白な事実、それはわれわれは言葉を持ち、病者は持たないということである。このことはとりわけ分裂病者の場合顕著である―― (お礼欄へ続く)

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