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日本のバブルってそんなにすごかったのですか?

宜しくお願いします。 私は、日本のバブルのころ小学生だったので良くわからないのですが 80年代の日本のバブルはそんなにすごかったのでしょうか? お金がどんどん入ってきて、楽して儲けられたのでしょうか? 日本のバブルの場合は、皆の懐が潤っていて 皆が(いま考えれば)異常なお金の使い方をしていたのでしょうか? (皆というのは全員という意味ではなく統計上大多数ということです) やはり楽してお金が入ってくると、皆スキルアップなどやめてしまうのでしょうか? 確か、エコノミックアニマルというような言葉がありましたが あれは猛烈に働く日本人のことを言っていた気がます。 バブルのころも一部の人は相当働いていて、日本の賃金制度のおかげでそのお金が他の人にも回っていた、ということでしょうか? アメリカもバブルが崩壊、といいますが、アメリカのバブルは、皆が潤っていたわけではなく、一部の金持ちがさらに金持ちになっていたような気がします。 日本のバブルを経験された方、是非その体験を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

私は会社務めをはじめたばかりでした。 毎日のように残業があり、お金はおもしろいほど貯まりました。あの頃は勤める会社はいくらでもあり、給料は生活するのに十分すぎるほどの会社ばかりでしたね。 学生時代から海外に行くのが夢だったので、一年半後に会社を辞めてスペインに行き、一年ほどスペインで生活してました。 スペインでお金を使い果たした頃に、今度はイギリスに長期留学がしたくなり、また前の会社に勤めました。支店長は 『おっ おかえり 楽しんできたか』と 私の出戻りを喜んでくれ、私はその支店長に 『あっ すみません 今度はイギリスに行きたいのでお金貯まったらまたやめます』と言いました。支店長は 『はっはっは 君も忙しいねぇ』と笑ってました。またまた残業三昧の毎日で、お金はたっぷり貯まりました。 女性ばかりの職場だったのですが、同僚達は狂ったようにブランド品を買いあさってましたね。いかに高かったかが自慢の種だったような記憶があります。私のように毎日同じ服をきて金ばっかりためていると たちまち『ケチ』のレッテルがつきました。『そんなにまでして 外国に行きたいなんて変なの』とわれました。 私の場合はバブルのうちに金をためて、バブルがはじけても食っていけれるように技術をつけようと思ってましたね。私だけではないと思いますが・・・ イギリスには4年間留学してましたが、バブルがはじけてからはまじめて働いてます(´_`。)

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 海外留学いいですね。 今の状態ではリスクが大きすぎていけないなあ・・・ バブルのころでもやはり女性はブランド物がすきなんですね。 バブルのうちにお金をためて・・・。 素晴らしい考え方ですね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • edoduki
  • ベストアンサー率15% (68/445)
回答No.4

日本の所得格差が最も開いていた時期はバブル期です。 バブル期には企業や高所得者は羽振りがいいので、企業ならデート代を経費で落とそうが何もいわないしごく当然のように行われ(本来違法でもありますが)、高所得者なら水商売の女性を部屋へ誘うのに車一台をプレゼントするなどといった自体が珍しくもない状態だった という事が象徴的に語られたりします。 お金が有り余り、仕事も余っているので、多くの人は働けば働いただけ金になるし、資産関連の業態にいた人は金が金を生むその様をみて、寝る間を惜しんで働いたという訳です。土地や不動産、株式、ゴルフ会員券など資産となるものが目まぐるしく値上がりするため、それを皆が借金に借金を重ねてまで購入しているような状態です。 一方で公務員や堅実労働の企業で働いている人などは、特段大きな利益を得るわけではなく、好景気としての恩恵を受けていたという程度の状態だった訳です。 スキルアップと言っても投機には投機のスキルが必要だし、公務には公務のスキルが必要であり、節約には節約スキルが必要であり、今も昔も皆スキルアップはしている事でしょう。 いくら勉強してスキルを身につけようが、需要がなければ意味ないわけで、その辺りにバブルがどうこうというのはまず関係ないですね。 「アメリカのバブルは一部の金持ちがさらに金持ちになっていた」とは必ずしもいえないです。ビック3の従業員の所得がトヨタの従業員の所得の2倍ほどもらっていた事からみてもそれは明らかでしょう。 アメリカの格差問題はセイフティーネットがボロボロなところにあります。米国では手厚い社会保障政策などは社会主義国のやる事であり国家の介入は必要最低限度にすべきであり、市場に任せておけば問題はない といった方向で政策が進められてきました。米国の格差は制度上の欠陥からの問題です。 (それでも医療関連予算には日本の6倍以上かけていたり、教育もかなり充実しています。また第二の政府としてキリスト教団体があり積極的な福祉活動が行われていたりします。チャリティー募金によって資金面でもそれなりの強さを持っています) 90年代にITという新産業を米国から発生させる事に成功させた事によって、米国は活気を取り戻し、その後は金融によって米国は経済発展を遂げる事になりました。この間諸外国へ市場開放を迫りインチキ金融商品を売りつける事で大きな利益を上げてきました。そのインチキ金融商品によって世界を巻き込んでのバブル崩壊という流れになりました。 米国は深刻な自体です。しかし先ほど少し書いたように医療関連予算には日本の6倍も使用していたり(多くは保険や製薬企業へと流れて行く)、人口3億でそれほど深刻な少子化でもないですし、経済の潜在成長力にも強さがあり、制度設計を直す事でそれほど酷い自体には至らないかもしれません。

kimi1980
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。 GMの社員はトヨタの2倍も給料もらっていたのですか・・・。 知りませんでした。 スキルに関しては、確かにバブルのころにはバブルの 考え方があり有りそうですね。 ありがとうございました

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.3

私、Jakyyの経験をお話しましょう。 【土地の値上がり】 土地が急速に値上がりしました。 父親の持っていた、ただ同然、殆ど値段がつかなかった300坪の山林を 不動産業者が坪16万円、4800万円で購入してくれました。 業者は開発して転売しようとしたのですが、今も売れずに残っています。 父親は、最初はだまされていると思っていました。 正に、父親は「ここに幸あり」でした。 【金貨】 知人が持っていた明治初期の金貨をコレクターが 100万円ほどで分けて欲しいといいましたが、 知人はこれは、売り物で無いと断りました。 彼はあの時、売ればよかったと、今も後悔しています。 彼は、「わが人生に悔いあり」でした。 【株式市場】 1986年、NTT株が公開値1119万7千円でしたが、 160万円の値が付きました。その後300万円まで行きました。 私は160万円で売却しましたが、知人は売らずに今も持っています。 彼は「NTTと何時までも」です。 【テレホンカード】 大阪城の図案のテレホンカードが7万円で取引されていました。 斉藤由貴のカードは14万円で取引でした。 特にタレントの図案のフリーカードは値上がりが凄かったですね。 証券会社に勤めたいたコレクターはカード交換会で、 一日で数百万円もカードを購入していました。 その後、勤めていた証券会社は倒産しました。 今は、彼はどうしているのでしょうか。 「夜霧に消えたチャコ」ですな。 【マンションの値上がり】 1500万円で売却されたマンションが即日完売。 数ヵ月後に3000万円で売られました。 今は850万円程度でしょう。買った人は、 死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ 「人生いろいろ」でしょうね。 【ゴルフの会員権】 数千万円のVIPの会員権が数億円になりました。欲しい人ばかりで、 売り手が全く無い状態でしたね。 「あなたが欲しい」でした。 【銀座のバー】 銀座で座って一時間ほど飲むのに10万円という話でした。 今は2万円程度でしょう。 バブル紳士の「銀座の恋の物語」も破滅しましたね。

  • hukuponlog
  • ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.2

私は公務員でしたので、それほど派手な経験はしていませんが、それでも個人的な恩恵?はありました。 1984年に築14年の中古の団地(4DK)を1500万円で購入しました。それが5年後の1989年には4500万円で売れました。3倍です。住宅ローンを全部返して、不動産屋さんに手数料を払っても手元に2600万円残りました。まるで魔法でしたね。 その半年後にバブルが崩壊。私の売った団地が3000万円で売りに出されている不動産広告を見ました。つまり、不動産屋は丸々1500万円損を出して投売りをしたのです(それでも売れたかどうかは知りません)。 次は友人・知人の話です。 証券会社に勤めた新卒22歳の女性社員の冬のボーナスが、3ケタ(100万)で製造業に勤務する勤続30年の父親のボーナス(80万)よりも多かったそうです。その父親は「日本はおかしい」と心底思ったとのことです。 同じく、私の知人のトラック運転手は、イベントに使うヒヨコ20羽を東京から九州まで緊急に輸送することを依頼されました。10tトラックの助手席にヒヨコの入った箱を載せ、荷台は空のまま夜に東京を出発。九州まで徹夜で運転して、経費(高速代、ガソリン代)は別にして謝礼に30万をもらったそうです。彼は「あの頃はこんな仕事がいくらでも来た」と言っています。 なんかやはり、狂った時代でした。 広末涼子が主演した映画「バブルへGO」は、個々の内容は多少カリカチュアされていますけれど、概ね実話ですね。

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

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