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他人が自分と同じことで苦しんでいるときの対応の違いを分ける心理

ある人は他人が自分と同じ事で苦しんでいるのを快く感じるだろう。また別の人は他人には自分と同じ苦しみをして欲しくないと感じ、それなりの手を施すかもしれない。前者と後者の違いは何でしょうか? 教えてください。

みんなの回答

回答No.5

それって、複数の人じゃなく、個人に置き換えて考えることができますよね。 あの時は、ためらいなく救いの手を差し伸べられたのに、今回はそれができない。逆に苦しんでいるのを何故か、こ気味よく思ってしまう…。 この違いって、簡単に言うと「心に余裕があるか否か」だと思うのですが。 ご自身は如何ですか。いつでも、どこでも、誰に対しても、同じ対応ができていますか。 私? そんなのできません。神様じゃないのですから。 ただ、人の不幸を喜ぶような、さもしい人間ではありません。 ついでにスピリチュアルな言い方をすると、「魂の在り方」じゃないでしょうか。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.4

例えば触ったら火傷するであろうやかんを持とうとした時、一声掛けるか掛けないかって事でいいの? その時に手を施すか施さないかは立場や状況によっても理由は異なると思うので、何とも言えないんじゃないですか? 自分の利益だけを考えているのであれば、命を張ってまで他人を助ける人なんて存在しないでしょうし・・ ただ、ざまあみろと思う程度の事ならいいですが、本当に人の悲しむ姿を見た時にどう思うのかはその人の心次第ですから、その違いはあると思います。

回答No.3

「人は、他人の中に自分の欠片を見つけた時に初めて他人を理解できる」 と思います。 よくも悪くも自分本位で、結局自分のことしか理解できないのが人間です。 自分がかつて苦しんだことと同じ目にあう他人をみて初めて他人に共感,同情するのです。 そういう目にあった境遇にもよるのでしょうが、 たとえば、さんざんイジメられて不幸になった人間が 他人の幸せを素直に喜べないのは仕方ないことだと思います。 そういう人が不幸になったとき、ざまあみろと思うかもしれません。 ですが、そこで幸せの裏に苦しい過去を持っていたという事実があったならば、 自分の欠片をみつけたと思い、同情するでしょう。 気軽に人に同情できる人は、ある意味本当に同情していないと言えるかもしれません。 なんか回答になっていなくてすみません・・・

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

>自分と同じ事で苦しんでいるのを快く感じるだろう。 この「快く感じる」というのは「ザマァミロ」という悪意ということですか? そうではなく、「アア、君もおなじ事を経験しているね、同志だね、がんばるしかないよ。」という心の持ちようでしょうか? おなじ傍観でも違いますが、「快く」とは普通、善意に取りたいですが? >また別の人は他人には自分と同じ苦しみをして欲しくないと感じ、それなりの手を施すかもしれない。 【自分と同じ苦しみをして欲しくないと】これはするべき経験を除くことは一種、甘やかしに通じます。 自らが障害を用意することではなく、普通に直面する、個々人としての 至難、困難は勝手に取り除くことは「学びのチャンス」と排除することで、 それはそれで、次の困難を乗り切れないであろう人を養成することでの 悪意となりうる。 >前者と後者の違いは何でしょうか? 教えてください。 その人のためになるように考えるだけです。 するべき苦労はする。 それを「ザマアミロ」の心地よさもありでしょうし、 「おなじ苦労をする、同志」という快い「仲間になる」快感もありです。 がんばれよ、経験者としての同志として待っているよもありです。 現実的な「現象はどれもおなじ」 手助けをする「悪意」という結果もありです。 こどもがね、転ぶでしょう。 全部助け起こしていくと、自分で立たないこどもに育つ。 それを転ぶたびに心中「ザマアミロ」と悪魔的に思うか、 「がんばれ、自分で立つんだよ」と応援するか。 結果・効果は転んだ子が自分でゲットするもの。 傍観者の本当の真意・深意が正確に伝わっているかはわかりません。 ただの、結果オーライ。 だからコソ、「ザマアミロ」と思いながら、大丈夫がんばれという悪魔的善意なのもアリですし、 「助けてあげる」といいながら学びのチャンスを摘み取って、次回の もっと大きなダメージで回復できないという「悪意」を企画できることだってアリです。

回答No.1

自分のコレまでの人生において、感情を共有できる体験とそうでない体験の強さがどちらか大きかったかの違い。 共有できる刺激の総量が強い人生を送った場合、相手の気持ちが自分に伝わる気がしてしまう。 逆の場合、相手の気持ちは全く伝わらない。 なので、自分以外に苦しんでいる者を見つけたときに、劣等感から抜け出すという快感を得る。

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