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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:βエンドルフィンとストレスとの関係)

βエンドルフィンとストレスの関係について

このQ&Aのポイント
  • βエンドルフィンは人間の苦しみを和らげる働きがあると言われています。
  • ストレスがかかるとβエンドルフィンが分泌され、ストレスを和らげる作用が期待できます。
  • しかし、ストレスにやられる人とやられない人の違いはβエンドルフィンの分泌量や個人の感受性によると考えられます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
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回答No.1

こんにちは。 「BE(β-エンドルフィン)」というのはたいへん奇妙な働きを持っています。まだ分からないことが多いらしく、私も情報が集められなくて困っています。 はっきりとは申し上げられませんが、BEといいますのは「主に身体的ストレス」に対して分泌される伝達物質であり、精神的なストレスに対しては選択性を持っていないのではないかと思います。このため、BEは障害刺激や肉体疲労などには鎮痛・抑制として働きますが、精神的ストレスに対して直接作用はしないということになります。 我々が一般にストレスと呼んでいますのは、これは主に「社会性ストレス」のことであり、基本的には「NA(ノルアドレナリン)」の分泌による「ストレス対処反応」の慢性化が原因となります。これに対しまして、抑制性物質としましては「5-HT(セロトニン)」や「GABA(γアミノ酪酸)」などの作用が知られており、生理的な観点から「ストレスに弱い体質」というのは実際にあるようです。 ですが、「BE(β-エンドルフィン)」といいますのはこのような中枢系全体の覚醒状態に関わる伝達物質ではなく、神経系広域に局在する多様な機能に対してそれぞれに異なる作用を持っています。果たして、これがBEの正体を全くわけの分からないものにしてしまうわけですが、少なくとも、これは脳全体の覚醒や安静に関与する伝達物質というわけではありません。 ここで「精神的な刺激に対して選択性を持つ」というのは、それが身体内外からの環境入力に対して発生する「大脳辺縁系の情動反応」に従って分泌されるかどうかということです。 最も不可解なのは、「BE(β-エンドルフィン)」といいますのは報酬・ストレスの双方に対して分泌されるということです。ですが、我々の脳内では精神的な「情動反応」に関わる伝達物質の役割といいますのは、基本的には以下のようにちゃんと分かれています。 「報酬反応・DA(ドーパミン)」 「対処反応・NA(ノルアドレナリン)」 これに対しまして、現在までに知られている「β-エンドルフィン効果」といいますものの中には、 「摂食・満腹感(報酬)」 「肉体疲労(ストレス)」 といったものがあり、果たして原因は正反対なのですが、このようなものは共に我々の身体の「内的・肉体的環境の変化」に当たります。 ですから、ここでBEが身体的環境の変化に対して分泌される伝達物質であることはまず明らかです。そして、このような身体的変化といいますのは我々の生得的な「無条件反応」、即ちみな「本能行動の中枢」で判定されるものです。 これに対しまして、精神的な刺激入力に対して「報酬・ストレス」の判定を下しているのは「大脳辺縁系の情動反応」です。 ここで、 「生命中枢系の本能行動」 「大脳辺縁系の情動行動」 この二つの大きな違いといいますのは、情動反応の判定には当人の「学習結果」が用いられるということです。 このように、精神的刺激に伴う「情動性身体反応」には必ずや大脳辺縁系の学習機能が働きます。では、脳内に快感・幸福感を発生させる「報酬系回路」ではBEは間違いなく大脳辺縁系の報酬判定に従って分泌されます。ですが、NAの投射によるストレス対処反応の系統ではBEの関与というものが果たして認められません。といいますか、私も色々と調べてはみたのですが、実はその裏付けとなるものが何処にも見当たらないんです。 我々の脳内に幸福感を発生させる「報酬系回路」では、通常「腹側皮蓋野A10のDA」はGABAによって抑制されており、これを解除するためには「即座核」への連絡路にBEの投射が必要となります。従いまして、報酬系回路ではBEは間違いなく環境からの精神的入力に対して分泌されます。ですから、ここでは報酬の判定に大脳辺縁系や眼腔前頭野の学習結果が用いられます。そして、この学習効果によるBEの分泌を抑えられなくなってしまうのが果たして現在問題となっている「ギャンブル依存症」です。 ですが、ストレス反応の系統では刺激が快感として学習されたために「ホラー映画依存症」になってしまったという話はさすがにまだ聞いたことがないです。精神的ストレスに対してBEは分泌されない、私自身まだこの確証が掴めていませんので、ここから先は取り敢えず状況証拠を整理しておきます。 「精神的なストレス」は何故、慢性化するのでしょうか。 この場合のストレス対処反応といいますのは、大脳辺縁系において不快と判定が下されることによって発生するものです。ですから、仕事でも人間関係でも、そのストレスの原因から遠ざかっていれば環境からの入力がありませんので反応は発生しないはずです。 ところが、ここでは学習結果というのが使われていますので、我々は家に帰っても会社であったことをくよくよと憶えていますし、朝、会社にゆけば何があるかは予測ができます。このため、目の前にストレスの対象が存在しなくとも反応が発生してしまい、果たして我々は学習記憶を消し去ってしまわない限りストレスから逃れることはできません。絵に描いたような社会性ストレスの慢性化ですね。 これに被虐的快感を覚えるとしますならば相当にヤバいマゾヒストですが、この程度の障害ではBEの分泌はちょっと考えられないです。 ここまでを整理致しますと、 報酬系ではBEが分泌されます。 肉体的報酬でも分泌されます。 肉体的ストレスでも分泌されます。 精神的ストレスでは分泌されません? では、精神的ストレスが情動性身体反応として身体に表出されるのが「心身症」です。この場合、胃が痛む、手が痺れるなど、ストレス反応は自律神経系を介して身体臓器に負担を与えています。ですから、これに対してはBEはちゃんと分泌されなければならないということになります。 ここで、飽くまでBEは分泌されないと仮定しますならば、例え心身症であってもそれが分泌されるだけの障害と判定されていないか、あるいは、このような内的要因による苦痛は外的外傷とは区別されているかということになると思います。 「中脳中心灰白質」には、 「外的障害に対する能動的攻撃行動」と 「内的疾患に対する受動的静止行動」を判定する機能があります。ですから、仮に同程度の身体的障害であっても何らかの状況識別が成されるというのは考えられないことではないです。 で、この何れでもないとしますならばBEは分泌されなければならないはずですが、心身症やうつ病の患者でBEの血中濃度が高くなったという話はちょっと聞いたことがないです。 結局、だらだらときちんとした回答でなくて申し訳ないのですが、質問者さんと同じ疑問を持ち、あれこれと調べた結果、様々な状況から見て情動性ストレス反応とBEの分泌に直接の結びつきはないというのが私の考えです。 「β-エンドルフィン」といいますのはたいへん奇妙な働きをする伝達物質です。私が最も疑問に思うのは、苦痛といいますのは我々動物が危険から身を守るための警報信号であるにも拘わらず、BEこれに対して鎮痛効果や覚せい作用を持っているということです。脳内麻薬に限らず、5-HT(セロトニン)などでも鎮痛作用は知られていますが、これに対して生物学的意義を評価するというのはたいへん困難なことです。また、「ランナーズ・ハイ」のように精神的にも肉体的にも何の報酬も与えられていないのに、何故、幸福感を発生させる必要があるのか、この辺りはまだ専門の学者さんの間でも論議がきちんと纏まっていなかったと思います。

mashu166
質問者

お礼

ruehasさん、早速のご回答ありがとうございました。とても、とてもよく理解できました。私の疑問とするところを、ぴったりと捉えていただき、「ああ、そうなのか!」と、感動しながら、一言、一言、丁寧に読んでいきました。 BEは 報酬系ではBEが分泌されます。 肉体的報酬でも分泌されます。 肉体的ストレスでも分泌されます。 精神的ストレスでは分泌されません?  このまとめだと、ガッテンと理解できます。 ありがとうございました。 実は、ruehasさんの脳内化学物質等に関してのお話は、他の方の質問に対して答えておられる文章を以前にお読みして、凄い方がおられると思っていたところです。 そのruehasさんから、早速、ご回答をいただき、感激しております。 ありがとうございました。

mashu166
質問者

補足

ruehasさん、また、分からないことが出てきたので教えて下るようお願いします。 ある本に次のようなことが出ていました。 「祈り、瞑想、娯楽、自己催眠、心理療法、笑い、愛や喜びや安らぎを感じさせる行為ーこれらはどれも、体内のエンドルフィンを増加させる手段です。このような行為は血圧を低下させ、脈拍を下げ、体が酸素を取り入れる能力を高め、筋肉の緊張をほぐし、心を落ち着かせ、ストレスを軽減します。そして大脳辺縁系を刺激して、エンドルフィンの製造を促すメッセージを送らせます。」 この文章で、祈りや瞑想、・・・笑いなどが、どうしてBEを増加させるのか、分からないのです。私は、それらの行為が「ドーパミン」を増加させ、そのドーパミンをより活性化させるためにBEが出てくるという説明ならば納得できるのですが。 それから、ある本に、前向きに「ああ、幸せだな」「うれしいな」「まだ、恵まれているな」というふうに捉えればβーエンドルフィンの世界に入れる、と記されていました。これを読むとあたかもBEはそれ自体、気持ちを快適にしてくれるように理解してしまうのですが、これも「ドーパミン」が先ず出て、それをより助けるという具合ではないでしょうか。 それから、もう一つ、私はマラソンを走るのですが、ランナーズハイになったことはないです。ただ、辛い、辛いです。そこで考えるのですが、辛さを伝えるのが、「ノルアドレナリン」「アドレナリン」で、その辛さをなんとか調整しているのが、BEではないかと思うのです。しかし、走り終わったときにドッと気持ちよくなります。その時には、快感のドーパミンがドッと出るようにBEが働くのではと思うのですが。だから、BEは走っている間に、辛さを抑えたり、また、快感を増したりといろいろな働きをしているのかな思ったりしますが。どうでしょうか、この見方は。 それから、BEは脳下垂体で作られていると理解すればいいのでしょうか。 それから、BEがGABAを抑制したり、しなかったりするのは、とのような基準なのでしょうか。性欲や食欲はGABAが勝ち、夢中になってやる研究はBEが勝ちという、その基準ですね。 よろしくお願いします。

その他の回答 (2)

  • ruehas
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回答No.3

こんにちは。 #2です。長い回答を全部読んで頂き、ありがとうございます。 >精神的ストレスから心身症という所へ行った場合、肉体的ということで、DAとBEも出ていると解釈すればよいのでしょうね。 そうですね、 これが今回の収穫でしたね。 >「強迫性、依存性、完全性がBEのなせるワザ」。そう考えると、まだ、エネルギーが残っているという希望も持てますね。しかし、ここが限界と考えた方がいいのですね。 BE濃度の測定を行った研究グループはその結果評価において、慢性疲労症候群の患者はうつ病よりも行動的であると述べています。これに対しまして、うつ病では「エネルギーの枯渇」という表現が用いられていました。正に質問者さんの解釈通りですね。 NAやBEといいますのは「対処反応」や「防御機構」として分泌されるものです。このうち、BEの鎮痛効果や覚せい作用といいますのは一見、奇妙なものに思えますが、もしかしたらBEといいますのは我々動物の「極限状態」にも対処することのできる伝達物質なのかも知れません。 とはいいましても、極限状態というのがどういうものなのかは簡単に想像できませんし、きちんとした裏付けがあるわけではありませんが、慢性疲労症候群の患者に行動を起こすことができるのは、これはBEが原動力として無条件に働いていると考えることができます。 >精神的ストレス対応はセロトニンに任せる。だから、精神的ストレスはOFFということはないのでしょうか。 なるほど、これはご指摘を頂くまで思い付きませんでした。 「5-HT(セロトニン)」は我々の脳の安静状態を司る伝達物質です。確かにBEはストレスに対処することはできますが、脳を安静状態に戻す機能はありませんね。 >BEはセロトニンの増量分泌に関わることはないのでしょうか。 BEによって5-HTの分泌量が変化するということはないです。また、5-HTはBEそのものに対して抑制性を持っているというわけでもありません。これは、「縫線核B6番,B8番の5-HT」といいますのはNAやBEのように環境の変化に対応するのではなく、脳内では常に一定量が分泌される伝達物質であるからです。朝目覚めると同時に必要量が供給され始め、分泌量に変化はないというのが脳の安静状態を保つために分泌される5-HTの特徴です。 NAやBEといいますのは脳内の必要な機能を亢進させるために分泌されるものです。これに対しまして、5-HTは常に一定量が分泌されています。では問題が解決され、事が済むならばNAやBEの分泌は終わりますので、我々の脳は自然と安静状態に戻されます。ですから、5-HTは中枢系全体に対して抑制に働くわけであり、特にNAやBEに対して拮抗性を持っているというわけではないんです。 では、ならば安静状態で発生する幸福感といういのはいったい何なのか、ということになります。果たして、これは5-HTの安静作用が脳内に幸福感を生み出しているというわけではありませんね。そこでは、BEの分泌による「報酬系回路の賦活」が起こっています。 >分からないのは、無理に「笑う」。何もおかしくないのに、人為的に無理して、声を出して笑う行為をすると、健康になると聞いたことがあります。 >その場合は、「笑うから楽しくなる」ということでしょうか。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいというのとよく似ていると思うのですが。どうなのでしょうか。 前回答で見ましたように、幸福感が増幅されるのはフィード・バック作用が働く「報酬系回路の特徴」です。ですから、この場合は「泣くから悲しい」という論議とはちょっと構造が異なりますね。 笑うこと自体が健康に良いというのは、これは様々な生理学的要因が検証されていますので、全てをBEと結び付ける必要はないですよね。ですが今回、笑うという行為が直接BEを分泌させるかどうかというのは、これはすみません、ちょっと調べが付かなかったです。 笑うというのは報酬入力に従う情動表出でありますから、当然このときにはBEは分泌されています。そして、近年ではBEが免疫効果を高めるといったようなことも報告されていますので、このようなことから、多くのコンテンツはそれが幸福や健康の秘訣であると紹介しています。決して間違いではないと思うのですが、ですが、笑うという行為そのものがBEの分泌を促すという医学的根拠の示されているものはほとんど見当たりません。 実際はどうなんでしょうか。 上手く纏められないのですが、可能性は十分にあると思うのです。今回の質問者さんのご指摘は専門の学者さんにとっても放置できない問題ですから、もう少し時間を掛けて検索すれば何処かに所見も見付かるかも知れません。 BEは、 「身体的報酬に対してON」 「身体的苦痛に対してON」です。 そして何よりも、笑うという反応は我々の報酬行動に最も近いです。ならば、笑うという行為そのものにBEの分泌を促す身体的刺激が含まれていてもおかしくはありませんし、また自律神経系の活性化などを根拠として扱っている説明も幾つかありました。 我々はBEの働きを調べることによって幸福感の発生には二系統あることが分かりました。 「大脳辺縁系の報酬判定」によって分泌されるBE。 「大脳辺縁系以外の判定」によって分泌されるBE。 後者では、実際には何の報酬も与えられていないのに身体的苦痛によって分泌されたBEが報酬系回路の抑制を無条件で解除してしまうケースがあります。そして、この不可解な現象を最も的確に説明しているのが「ランナーズ・ハイ仮説」ですね。 では、「笑うという行為」そのものがBEを分泌させるというならば、報酬入力なしでも幸福感は生み出され、それはやがて実際の情動として増幅されるわけです。ですが、それが「積極的な志向」という点では価値はあるかも知れませんが、何の報酬もないのに無理やり幸福感を発生させてしまうというのが果たして健康法と言えるでしょうか。まして、嬉しくもないのに笑うというのが身体的苦痛であるならば、この場合は笑わない方がいいです。 臨床治療や、あるいはスポーツ心理学などでは良い記録を出すためのマインド・コントロールというのはあるかも知れません。ですが、やはり我々が笑って過ごすということは、それは環境にないものを脳内に生み出すのではなく、与えられた環境のひとつひとつを心豊かに報酬として受け入れてゆくということではないでしょうか。

mashu166
質問者

お礼

ruehasさま、早速に、いつも、ご誠実にお応えをいただき、心より御礼申し上げます。また、私の質問を誉めてくださり、元気もいただいております。    HTに対する新しい認識が出来ました。BEはHTは増やさない。HTの分泌量はいつも一定であるということ。実は、NAの増加に対して、拮抗して増加するものと思っていました。そして、HTの分泌がNAの増加に比例して増加しないと、ストレスが慢性化していくと思っていました。ですから、次のご説明は、ナルホドと思いました。 「では問題が解決され、事が済むならばNAやBEの分泌は終わりますので、我々の脳は自然と安静状態に戻されます。ですから、5-HTは中枢系全体に対して抑制に働くわけであり、特にNAやBEに対して拮抗性を持っているというわけではないんです。 では、ならば安静状態で発生する幸福感といういのはいったい何なのか、ということになります。果たして、これは5-HTの安静作用が脳内に幸福感を生み出しているというわけではありませんね。そこでは、BEの分泌による「報酬系回路の賦活」が起こっています」 よく理解できました。 それから、「笑い」について、無理して「笑い」作るときには緊張感があり、辛いです。その通りです。  実は、私、自分で自分の脳を少しでも元気にできないかと思っているのです。生きていると悲しいこと、辛いことに出会うことたくさんあります。 そんな時に、少しでも希望を持って生きることが出来ないかと言うのが、私の脳内化学物質などに興味をもった始まりです。  私は以前に催眠療法の個人レッスンを受けたときに、五円玉に紐をつるし、その紐を手に持って「動く」「動く」というと、実際に動き出すのです。これと同じようにも自分で「笑い」を無理に作ったり、「楽しい」「楽しい」と言ったりすると、脳内に雅楽的に変化を作れるのではないかと思っているのです。  また、何かためにお話があればruehasさま、ぜひ、お教えください。  ruehas様のご説明で、とても、とても、脳内化学物質のことがよく理解できました。感謝、感謝でございます。 ありがとうございました。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 #1です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。 すみません、またちょっと長くなります。 >それから、BEは脳下垂体で作られていると理解すればいいのでしょうか。 はい、これは間違いないと思います。 身体内外の環境の変化は自律神経系を司る「視床下部」で取り纏められ、ここから脳下垂体に「BE合成・分泌」の指令が下されます。 >この文章で、祈りや瞑想、・・・笑いなどが、どうしてBEを増加させるのか、分からないのです。 >私は、それらの行為が「ドーパミン」を増加させ、そのドーパミンをより活性化させるためにBEが出てくるという説明ならば納得できるのですが。 そうですね、私もそう思います。 ちょっとややこしいですが、こちらの「報酬系回路」の図を見て下さい。 ページ中段「偏桃体・海馬の役割」の右側です。 http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/system_neuro/dopamine/d3/d3.html 「海馬」「偏桃体」と、紫色に塗られた部分が「大脳辺縁系」です。 図の真ん中を縦に見てゆきますと、外部環境からの入力に対して「大脳辺縁系・偏桃体(紫色)」が報酬・利益の判定を下しますと、その下の「側坐核(緑色)」に信号が送られ、これによって一番下の「情動行動(接近行動・探索行動)」が発動されます。この接近行動が「情動性の報酬行動」ですね。 次に、側坐核の左にある「腹側皮蓋野(青色)」には、この報酬系回路の動力源であります「A10番・DA含有核」があり、DAはここから「海馬・偏桃体(紫色)」「眼腔前頭野(黄色)」「側坐核(緑色)」に向かって一斉に投射され(DAの矢印)、報酬回路全体を活性化させます。これによって我々の脳内に快感・幸福感が生み出されます。 ところが、「腹側皮蓋野・DA」は隣の「側坐核」から「GABA抑制」を受けています(下のGABAの矢印)。そして、ここには書いてありませんが、果たしてこのGABAの抑制を解除して報酬系回路にDAを分泌させるのが「BE」なんです。 これがどういうことかと言いますと、大脳辺縁系から信号が入力されますと、「側坐核」は隣の「腹側皮蓋野DA」を一旦抑制するわけです。従いまして、中央回路の情動行動の系統では報酬入力がありさえすれば接近行動の選択そのものは可能なのですが、これに対しまして、我々の脳内に幸福感が発生するためには、どうしてもBEの分泌によってDAの抑制が解除されなければなりません。従いまして、報酬回路にDAが分泌され、脳内に幸福感が発生するのは、大脳辺縁系が判定した報酬信号が視床下部・脳下垂体に連絡され、BEが分泌されたあと、ということになります。 ところが、「側坐核(緑色)」から右へ「淡蒼球・視床・眼腔前頭(黄色)」をぐるっと回って反対側の「腹側皮蓋野(青色)」に「Gul(グルタミン酸)・強化?」の矢印があります。この「強化?」が働くならば、「腹側皮蓋野DA」はBEによる抑制解除が行われなくても分泌されるはずです。 「ちょっと待って、いったいどっちなんだ!」 私は一度でいいからこの図を書いたひとに質問してみたいと思っているのですが、取り敢えず報酬回路DAの抑制はBEの分泌によって解除される、残念ながら現時点、手持ちの資料で判断できるのはここまでです。 従いまして、報酬系で大脳辺縁系の働きを活性化させているのはBEではなく腹側皮野のDAです。そして、BEといいますのはこれにスイッチを入れるために分泌されます。 では、大脳辺縁系の報酬判定といいますのは、どのような経路でBEを分泌させるのでしょうか。 前回答で述べましたように、「身体的な報酬」を判定しているのは生命中枢の本能行動、「精神的な報酬」は大脳辺縁系の情動反応です。そして、これらは「視床下部」を介して「脳下垂体」に連絡されます。従いまして、脳下垂体におけるBEの分泌には以下の二系統があります。 「本能報酬:生命中枢・無条件反応-視床下部-脳下垂体-BE分泌」 「情動報酬:大脳辺縁系・情動反応-視床下部-脳下垂体-BE分泌」 我々が生まれたとき、脳内にはまだ「本能行動の連絡回路」しかプログラムされていません。ですが、生後環境において何らかの報酬体験が獲得されますと、そこには大脳辺縁系を使った「学習行動のバイパス回路」が作られ、これにより、我々は本能行動では判定することのできなかった様々な報酬入力に対してBEを分泌させることができるようになります。 これを整理しますと、大脳辺縁系の学習結果を基に判定された報酬信号は視床下部から脳下垂体に送られBEを分泌させます。そして、このBEが報酬系回路のDA抑制を解除しますので、このDAが回路を遡って大脳辺縁系に投射されます。 このように、情動反応に対応するBEはDAの分泌によって大脳辺縁系の賦活を促す「フィードバック回路」となっています。ならば、「嬉しい、恵まれている」といった感謝の気持ちを持つならば、それが情動反応となって幸福感を増幅させてくれるというのは、これは間違いではないと思います。そして、これが我々の側坐核に接近行動を選択させるのですから、「幸福感」と「前向きな姿勢」といいますのは互いに相乗効果の関係にあるということになると思います。 さて、「祈り」「瞑想」「娯楽」「幸せ」、このようなものをみな一色単には扱わず、ここでちょっと分類をしてみます。 「動的入力(原因):娯楽、恋愛、体操」 「動的出力(結果):笑う、喜ぶ」 「静的入力(原因):瞑想、リラクゼーション」 「静的出力(結果):安らぎ、幸福」 「娯楽」「恋人」」「体操スポーツ」、このようなものは刺激入力に当たり、BEはこれに対して分泌されます。ですが、「笑う、喜ぶ」といいますのはその結果でありますから、このときは既にBEは分泌されてしまっています。 「笑う」というのは意図的な行為ではなく、これは報酬反応が末梢神経系を介して身体に表出された結果です。ですから、恐らくここでBEといいますのはこのような「情動性身体反応」といった動的な現象に対して分泌しているということになります。そして、これが更に報酬系を賦活させるのは、先に見ました「報酬系回路のフィードバック構造」によるものだと思います。 さて「祈り」というのは何でしょうかねえ。仏教で「祈祷」といいますのは精神統一に当たるかもしれませんが、「困ったときの神頼み」では、これでは身勝手な動的行為と分類するしかありませんよね。 このように、報酬系回路を賦活させるBEといいますのは視床下部・脳下垂体が内外環境の変化を処理する中継中枢の結果を受け取ることによって分泌されます。 では、「瞑想」や「リラクゼーション」といった「静的入力」では、いったいどうしてBEが分泌されるのでしょうか。私自身は半信半疑なのですが、これはどうやら「α波」ということらしいです。 「α波」といいますのは思考や情動など、我々の精神活動が低下、あるいは安静化したときに現れる脳波の周期です。このα波とBEの関係を惜しげもなく扱っているのは「瞑想」や「気孔術」といった専ら「経験的な健康科学」ですよね。果ては、あろうことか「α波を出して自分の能力を高めよう!」なんてのも憚りなく出版される有様ですので、私はこれまでこのような情報は極力視野に入れないようにしていました、のですが、まあ、これだけ大っぴらに扱われているということでありますならば、少なくとも「α波とBE濃度の相関データ」くらいであるならば何処かで科学的に測定されているのではないかと思います。 祈りや瞑想、あるいは積極的な行為がBEを分泌させる、このようなものは、どちらかといいますと「お手軽健康法」といった立場で書かれたコンテンツではないかと思います。BEや大脳辺縁系といったものをきちんと説明せずにあたかも科学的に根拠のあるような書き方をしているのは好ましくありませんが、それを言いますならば、巷のネット情報などは片っ端から信用できないです。 脳科学ではまだきちんとした教科書というものが手に入りません。そこへきて、ことBEや伝達物質などは都合の良い解釈ばかりが一人歩きしてしまい、情報が集められないといいますよりは「雑音過多」の状態になっています。我々が答えを見付けようとするときには、必ずや「複数の情報を比較する」といった防衛手段が必要です。 >しかし、走り終わったときにドッと気持ちよくなります。その時には、快感のドーパミンがドッと出るようにBEが働くのではと思うのですが。 これも間違いないと思います。 ある大学の研究グループが「スポーツをしたあとの爽快感」を調べるために体育の授業のあとで学生の「BE血中濃度」を測定しました。「気分が良い」と答えたひとのBE濃度は上がっていましたので、「爽快感とBEの分泌には正の相関が認められる」と報告しています。 ところが、レポートの報告はここまでであり、何が原因でBEが分泌されたかに就いては書かれていませんでした。 「走り終わったときにドッと気持ちよくなります」 これはレポートでも指摘されており、この「ドッと」というのはたいへん興味深いです。 肉体疲労や身体的ストレスに対して分泌されたならば、一定の運動量を超えた時点でBEは既に分泌されているはずです。 >だから、BEは走っている間に、辛さを抑えたり、また、快感を増したりといろいろな働きをしているのかな思ったりしますが。どうでしょうか、この見方は。? ですから、当然そう解釈することになりますよね。 BEが肉体疲労や苦痛に対して分泌されなければならない、というのは現時点でほぼ間違いないと思います。ですから、運動中に分泌されるならば、もっと続けていたいと訴えるひとはちゃんといるはずです。ならば、疲労に対して分泌されるというのが生理的な「基本要因」であるとしますならば、終わったあとにドッくるのは、こちらは恐らく与えられた状況に基づく「複合要因」ということになると思います。 例えば、 「運動という課題を消化したことによる達成感」 「運動の価値に対する精神的報酬」 「運動中はちゃんと苦痛を感じていた」 「体育の授業が嫌いだったので終わってほっとした???」 あるいは、運動後に一時的に現れるα波、また、BEの血中濃度といいますのはある程度持続されますので、それも要因として挙げられると思います。しばらくして安静状態になったとき、ドッと込み上げてくるというのはあるかも知れません。 >それから、BEがGABAを抑制したり、しなかったりするのは、とのような基準なのでしょうか。性欲や食欲はGABAが勝ち、夢中になってやる研究はBEが勝ちという、その基準ですね。 そうですね、これまででだいぶ核心に近付いてきたように思うのですが、実はここで、「どちらが勝ちの判定に基準はない」とご報告しなければならなくなりました。最初にお詫びしておきます。 BEは特定の標的組織に投射されるのではなく、脳下垂体から内分泌ホルモンのように分泌されます。そして、これが身体広域で「u受容体」を持つ組織に鎮痛作用や覚せい状態を引き起こします。報酬系回路でDAを抑制している「GABA細胞」にはその「u受容体」があり、これが解除されますならば快感は無条件で発生してしまいます。 前回答では、「中脳中心灰白質」のような判定基準があるのではないかと述べましたが、どうやらこれは私の早とちりだったようです。ゴメンなさい。 さて、それとは別にまた新しい情報が手に入りました。 「うつ病」や「心身症」ではBEは分泌されないと申し上げました。ところが、これに対しまして実際の測定結果が見付かりました。 「うつ状態」などの精神的ストレスだけではBE濃度に変化は認められませんでした。ですが、これによる「慢性疲労症候群」の患者ではBE濃度の上昇が測定されたということです。 つまり、精神的な苦痛だけでは分泌されないのですが、これが自律神経系を介して身体に負担を与えるならばBEはちゃんと分泌されるということです。このため、身体に苦痛があるならばBEは必ず分泌されるわけですから、少なくともGABA細胞の方に選択の余地はないとご報告し直さなければならなくなったわけです。 ですが、これでひとつ大きな問題が解決しました。 ここで最初のご質問に立ち返りますと、BEの分泌によって快感が発生するならば精神的なストレスからも開放されてしまうのではないか。 そして驚くなかれ、この測定を行った研究グループは我々のこの疑問に対してあまりにも意外な見解を述べています。 「慢性疲労症候群の患者からBE濃度の上昇が検出されたことにより、この症状に見られる強迫性、完全性、執着性などの特徴が裏付けられる」 何ということでしょうか、 情動性身体反応の肉体的負担によって脳内にBEを分泌させた患者さんは、そのストレスから逃れんがために、強迫に捕らわれたり、ひとつのことに執着するといった「依存性」の方が現れてしまうということだそうです。もしかしたらこれって、最初のご質問の回答になりませんか。 うつ病で執着性が発生しないのはBEが分泌されないからです。そして、DAも分泌されませんので、うつ状態では意欲が失われてしまいます。 では、ここで最後にひとつ疑問が残ります。 精神的苦痛は大脳辺縁系を介して視床下部と繋がっているのに、どうして「うつ病」ではBEが分泌されないのでしょうか。 BE濃度が一定量を超えるならば快感や意欲、依存性などの発生は無条件ですので、ここに選択の基準はありません。 「肉体的苦痛はON」 「肉体的報酬はON」 これは生命中枢の判定です。 ならば、 「精神的報酬はON」 「精神的苦痛はOFF」 この判定を下しているのは何処なんでしょうか。 いったい何のためにこのような設定になっているのでしょうか。 恐らく、それは大脳辺縁系から視床下部の間になければならないことになるのですが、ここから先はひとまず私自身の研究課題ということで取り敢えずご了承下さい。 >それから、もう一つ、私はマラソンを走るのですが、ランナーズハイになったことはないです。ただ、辛い、辛いです。 先の繋がりになりますが、「ドッとやり終えたあとの爽快感」、それに、もちろん質問者さんもご自分の健康という価値に対してそれを実行なさっておられるのだと思います。ですけど、やっぱり辛いものは辛いですよね。 ここで、この「辛い」といいますのは肉体的苦痛が自覚されることによって「精神的な警報入力」に変換されたということです。そしてこれにより、我々は「情動性の回避行動」が選択できるようになります。また因みに、「これ以上やったら明日がきついぞ!」、こちらは「理性的な計画行動」に当たります。 では、果たしてこの肉体的苦痛が理性や情動によって精神的警報に変換できなくなってしまったならばいったいどうなるでしょうか。幾らBEが分泌されるといいましても、疲れたからそろそろ止めようか、このような反応の方が限りなく正常のように思えます。 運動を行えばBEが分泌されますので、それが報酬や執着を発生させるというのは十分に考えられます。ですが、これがランナーズ・ハイと全く同種なのかということになりますとちょっと分からないです。体験できるひとも限られていますからね。

mashu166
質問者

お礼

ruehasさま、早速のお教えありがとうございました。 よく分かりました。ご説明がかゆいところに手が届くようでした。 凄いです。深いですね。よくそこまでという思いで、感謝して読ませていただいております。 一つ一つのご説明をインターネットの図を見ながら、読んでいきました。ナルホド、ナルホドでした。 「強迫性、依存性、完全性がBEのなせるワザ」。そう考えると、まだ、エネルギーが残っているという希望も持てますね。しかし、ここが限界と考えた方がいいのですね。 DAとBEを出して、ドンドン走る。でも、辛い。それは「精神的な警報入力」に変換されたということです。そしてこれにより、我々は「情動性の回避行動」が選択できるようになります。また因みに、「これ以上やったら明日がきついぞ!」、こちらは「理性的な計画行動」に当たります。このご説明も、ナルホド、ガッテン。 精神的ストレスから心身症という所へ行った場合、肉体的ということで、DAとBEも出ていると解釈すればよいのでしょうね。 精神的ストレス対応はセロトニンに任せる。だから、精神的ストレスはOFFということはないのでしょうか。BEはセロトニンの増量分泌に関わることはないのでしょうか。  また、お教えください。 

mashu166
質問者

補足

ruehasさま、すみません。お礼の言葉を書きまして、その後に、一つ疑問が生まれました。 「笑い」とDA,BEの関係ですが、 心理療法に「笑い」があります。落語を聞いて笑うのは、結果として「笑い」、その「笑い」が、また、「笑い」をフィードバックしてよい循環が生まれることは分かります。 分からないのは、無理に「笑う」。何もおかしくないのに、人為的に無理して、声を出して笑う行為をすると、健康になると聞いたことがあります。その場合は、「笑うから楽しくなる」ということでしょうか。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいというのとよく似ていると思うのですが。 どうなのでしょうか。

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