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快川和尚
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快川和尚が焼け打ちにあった恵林寺に数十名の僧と共に閉じこもり死んだ話は有名ですが、 実は快川和尚は弟子達に「心頭滅却すれば火もまた涼し」とさとした後に、 若い僧に対して「お前はここから脱して、私達の最後を後世に伝えなさい。」と命じています。 その若い僧は後に末宗和尚となり、徳川家康からの寄進を受けて恵林寺を再建しています。 このために、「心頭滅却すれば火もまた涼し」は後世に伝わりました。
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- cobamax
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NO1です、もうひとつの疑問について私の「主観」を 1 全山の禅僧は全員焼き殺されたとありますが 助かった僧から伝わった 2 僧以外のまかない女性等から伝わった 3 近くにいた信長軍の兵士より伝わった(この武士が禅宗を信奉 していた) 4 イエスの復活のように、実際は何も言わなかったのに 後世の禅僧が創作した 人が発した一瞬の「言葉」は歴史上正確には伝わりません 「板垣死すとも~」は完全な創作であることがわかってきました 禅僧が本当にこの言葉を言ったとしても、禅の難しい言葉で小さな声では遠くにいる人には何を言ったかが伝わりませんので 3)4)のいずれかであると思われます、 一人でも生き残っていれば、1)が有力です 延暦寺等 信長の行為の正確な記録は「為政者に都合の悪いもの」 は残されておりません、古い歴史資料ほど割り引いて読まなければなりません、古事記 日本書記 日本後記 史記(中国)の原文ほど その傾向があります、現代の大学の研究室等で出されているものほど、史実に近いと思われます、
お礼
コメント頂戴致しまして、ありがとうございます。 歴史文献が、為政者の恣意に依存するというのは、結構困った話ですね。
- cobamax
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この句は辞世の句として、芭蕉の句とともに有名なほうですね、 どうして「生き残って」きたのでしょう、私の主観を書いてみます 1 この句は中国の禅僧の言葉を快川僧が引用したものですが、 禅では熱い寒いなどは心の問題で、山の冷気や川の風をりようしな くても自らの心でどうにでもなる 2 この句を信長との場面に引用したもので、降りかかる火の熱さを この句から引用したもの 3 人間の根本の死生観を禅の考えから表したもの、信長と関係なく 修行のひとつであるという考え(火定三味) 結論は、本来は中国の禅の世界の難解な禅問答のことなのですが、この日本の禅僧の引用した辞世の句の、頭の「安禅(座禅)は山水をもちいず」がとれて「心頭~」だけが残り「暑さ寒さは鍛錬により克服できる」 暖房 冷房のない時代の庶民の「生活の知恵」に変化していったようです、暑い夏に熱いお茶を飲んだり 冬に寒中水泳をすることで 心の鍛錬により克服出来るといういつの時代にも代わらない考えが「心頭~」の部分と結びつき現代まで引き継がれた物と思われます 冷房 暖房が完備されている現代では「私語」になりました、 多少参考になりましたでしょうか? (関連サイト) http://www2.tokai.or.jp/g-arakawa/title/z4.htm http://homepage2.nifty.com/takuboku/daninnokoe_6%20Enjoh.html http://japanfestival.web.fc2.com/koyomi/jiseinoku.html http://museum.umic.ueda.nagano.jp/map/document/dot65.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%96%9C
補足
ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 もう一つの側面として、私が疑問に思っていることは、快川和尚が信長に焼き殺された時は、おそらく事実上の全員が虐殺されたと思うのですが、この言葉を、どのような物理的手段として残すことができたか、ということが気にかかっています。 これについて、信長に関する研究の観点から、その言葉を残すことができた人物または当該人物について記載された古書等があったら知りたいと考えております。
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