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信長の「髑髏の盃での酒宴」はホント?
先日再放送していた大河ドラマ「家康」でもありましたが、天正2年の正月に、織田信長が岐阜城での酒宴で、朝倉義景、浅井久政・長政父子の首を漆で固めて金泥などで彩色したものを飾って酒の肴にした・・・とされていますが、これってどの程度信用できる話なのでしょうか?また、出典(史料)は何なのでしょうか? ご存知の方、お願いします。
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noname#241470
回答No.1
「信長公記」にある記述です。 http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho10.html 著者は信長の側近・太田牛一で「信憑性は高い」とのことです。 http://www.biwa.ne.jp/~minoura/oumi_castle/sintyou/kouki.htm
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- yapoo
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回答No.2
先に書いてる方の言う通り本当みたいですよ 歴史モノを多く書いてる ある作家さんもそんな事を テレビで話してましたし本にも書いてます 他にも似たような話だと戦国時代って戦に行くたびに ナマ首を腰にぶらさげて家に戻って来ると 奥さん達がそれをきれいにあらって化粧なんかもして見栄えを よくして殿様の所に持って行ったとかってのも 聞いたことあります その方が褒美が多く出るとか・・・
お礼
ご回答ありがとうございます。 信長公記に書かれているという事なら、信憑性は高そうですね。 参考URLも興味深く拝見しました。どうも有り難うございました。