- ベストアンサー
織田信長を裏切った人物は?
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
本願寺光教 朝倉義景 杉森禅師坊 イエズス会 織田信重 織田信清 織田信安 ↑ 岩倉の織田家はほぼ信長に反旗を翻してます
その他の回答 (9)
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
最大の裏切り者は光秀または秀吉。 光秀はご存じの通り本能寺の変の張本人。 秀吉は天下の権力を織田家から奪い取って自分のものとした,信長の目から見れば最大の横奪者,とすれば最大級の裏切り者。今日で云う火事場泥棒です。 織田一族からすれば,両人の内どちらが罪が重い事やら。
お礼
うーむ。やはり秀吉も裏切りと言えますか。 ご回答ありがとうございました。
- izuhara
- ベストアンサー率31% (97/310)
織田信勝(信行)…織田一門での反乱 明智光秀…織田家中での反乱 浅井長政…外交関係での敵対 松永久秀・荒木村重…織田従属下での反乱 といろいろなケースでの裏切りを挙げられていますので、それに応じてこれまでに上がっていない人物を回答します。 信長の従属下から反乱を起こしたということでなら、各国の国衆(別所長治・小寺政職)など山のようにいます。 浅井長政のような外交関係の裏切りも含めるなら、足利義昭・三好氏・本願寺などこれまた大勢います。武田信玄の裏切りなど、結局信長が和睦を求める武田勝頼を許さない原因となるほど信長の深い恨みとなっていたようです。 いずれにしても、周辺の中小勢力を従属化に置きながら勢力を拡大した結果、周辺の大勢力と敵対関係となり、従属化にあった境目の中小勢力も敵対勢力となることは、信長に限らずどの大名でもよくあったことです。むろん、一族内での反乱も家中内部での反乱も珍しくありません。この点で信長が特異ではないということに注意が必要です。 なお、毛利元就はどちらかというと信長と親しい勢力です。
お礼
私は一言に裏切りと言ってしまいましたが、それぞれ形が違うものですね。 言われるまで分かっていませんでした。 (毛利元就も親しかったとは、やはり私はよく分かっていないようですね。反省です) 詳しい説明もしていただき、ありがとうございました。
- 99gaku
- ベストアンサー率50% (2/4)
柴田勝家…織田信秀の後継者を信長の弟信行にしようと画策し叛旗を翻すも、1556年に稲生の戦いで敗北し、1558年の信行の死後、家臣に復帰する 林秀貞…信秀の時代から織田家の筆頭家老であったが、勝家と同様に後継者を信行にしようとし信長に敗北、その後は、許されて信長に仕え引き続き、文官・家老として活躍する 波多野秀治…1576年に叛旗を翻し、黒井城の戦いで明智光秀の軍勢を撃退、1579年に光秀に降伏し処刑される 別所長治…1578年に中国攻めの総大将が羽柴秀吉であることに不満を持ち、波多野秀治に呼応して裏切るも、1580年に三木城攻めで切腹する 波多野秀治と別所長治は家臣ではありませんが… 参考になれば幸いです
お礼
波多野秀治は初めて聞く名です。 ご回答ありがとうございました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
本願寺をはじめ南都の東大寺そして興福寺もあるかもしれませんね。でも本願寺は組織内部での対立による分裂と解体もありますから必ずしも一枚岩とはいえず、興福寺も実質的に大和を一円支配していましたから戦国大名と同じ扱いになります。 他にあるとすれば、「雑賀衆(さいがしゅう)」ですかね。雑賀衆は元々鉄砲集団として知られていました。信長と三好三人衆との対立では組織が二分され骨肉の争いともなりましたが、その後は一貫して本願寺の支持に回っています。 その本願寺との攻防に於いて信長は自らも負傷し大敗を喫するとの局面もあり、そのため信長は本願寺攻略のため、先ずは雑賀衆を配下に置くとの手段を選択し、河内から紀伊に掛けてを攻略すると共に雑賀衆に服属を誓わせましたが、すぐに彼等は本願寺支援に乗り出しもします。そうした意味からすれば文字通りの二枚舌ともいえるでしょうね。 本質的に信長の遺志を継いだといえば秀吉も家康も嘘になります(新たな秩序の構築を求めてもいませんから)。それが実現したのは明治維新もしくは1945年以後の話になるでしょうか。 難しいところですね。
お礼
なるほど、雑賀衆ですか。 そういえば雑賀孫市が主役の小説も読んだことがありました。 ご回答ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1977/11763)
お礼ありがとうございます 一度でも同盟もしくは和睦をした後離反 という意味での裏切りも含めるものと解釈していました なので本願寺と朝倉を挙げたのですが
お礼
なるほど。合点がいきました。 信長包囲網の辺りについては、私はよく知らなかったので。 改めて説明いただき、ありがとうございました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
裏切った等の情緒的表現が適切であるとは必ずしもいえないでしょう。信長はそれまでのあらゆる秩序に対向しうる新たな秩序を求めたのですから、全てが彼に対しては守旧派勢力だったともいえます。 明智光秀を反逆者ととらえる俗説もありますが、本能寺は必ずしも明智一人でなし得た事象ともいえないでしょう。明智でなくとも誰かが何れはやったはずです。 また松永弾正にしても然り。個別レベルのミステリーを求めてもそれは歴史像全体との関連が説明されなければ何の意味もありません。
補足
なにやら歴史をしっかりとした所から見つめられている方のご回答でありがたく、また歴史像全体をしっかりと見ろというご説明も理解できるのですが……、 なにせ私は興味本位でしか歴史を見ることが出来ず、また歴史全体を見る時間もないので、今回のような質問にいたりました。 すみません。
- jun-tsuboi
- ベストアンサー率8% (164/1938)
こんばんは。 信長のボディーガード 『弥助』 信長は自刃しましたが弥助は生き残った。
補足
弥助は本能寺の後の消息ははっきりとせず、そのまま死んだという説もあるはずですが、まあ、生き残ったとしたら広義で裏切ったと言えなくもないですね。 ただ質問の意図としては、しっかりとした叛意を持って、信長を殺そうとした人物について問わせていただいています。
- sayany
- ベストアンサー率4% (12/272)
毛利元就
補足
んん……? 毛利元就は、ほとんど信長と接点がないはずでは? 確か、尼子経久を信長が支援していましたし……、むしろ最初から敵対関係だったような……。 それとも私の記憶違いでしょうか?
- ithi
- ベストアンサー率20% (1960/9578)
tapaさん、こんばんわ。 三木城主別所長治はいかがでしょうか? 詳細は下記のURLを参照してください。 別所長治 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E6%89%80%E9%95%B7%E6%B2%BB
お礼
これはしっかりと裏切っているようですね。 ご回答ありがとうございます。
関連するQ&A
- 織田信長と浅井長政について
今、信長のシェフ、を見てるんですが、全然歴史わからないんで教えて頂きたいです! 織田信長の義理弟にあたる浅井長政と、信長の妹のお市は、なんで結婚する事になったんですか? たまたま恋愛結婚とかですかね? あと、信長と浅井長政は、なんで姉川で戦う事になってしまったんですか?長政は、信長に裏切られたと言ってましたが、どんな裏切り方だったんですか?信長はなぜ長政を裏切ったんですか?長政は、信長の事をめちゃくちゃ尊敬して、慕ってたのに、その長政をなぜ裏切ったんですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 織田信長と浅井家
なんだか少しだけ腑におちないもので質問いたします。 複数ですがまとめて回答頂ければ助かります。 朝倉方を攻める時、信長は浅井長政に約束していた「攻めるときは義理の弟であるオメーにちゃんと連絡すっから」ということを破って朝倉を攻めようとし、結果的に浅井家は古くから同盟関係っぽい朝倉家と組まれ挟み撃ちになるような形で金ケ崎撤退し、後の姉川合戦、小谷城攻めに繋がっていきます。 個人的に織田信長という人は非常に戦略眼に富んだ人物だと思うのですがなぜ、浅井家に普通に相談しなかったのでしょうか? 実際には長政のお父さんがまだ実権を握ってたようですが、今ウチめっちゃ勢いあるし、一緒に攻めろとまでは言わなくともこっちから嫁がせた妹お市も居るでしょだから「お前んとこは知らないフリして黙って動かないでちょうだいね」ぐらい言えたような気もします。 長政のお父さん、そして旧家臣団の爺様達は勢いある織田家に本気で勝てると思ってたのでしょうか? また、よく聞くのが浅井長政という人もある程度、信長を尊敬、慕ってたような文献もあり、誠実な長政が朝倉と織田の板挟みに悩むことのないよう信長が気を使ったとか到底信ずるに値しない記述もあることです。 それとも逆のパターンで織田信長自身、または織田家全体、浅井家を信用してなかったのでしょうか??(まぁ信用できないから黙ってたんでしょうけども) 少なくとも黙っているより攻めることを誠実に言っておいた方が(反対されたとしても)あとあと楽に事が進んだような気もします。 また、織田信長は妹が嫁に行った浅井家を天下布武の途中であれ最終的にであれ最後には討ち滅ぼす対象にしてたのでしょうか? もしくは黙って朝倉に攻めいれば、浅井家が朝倉と組み、実際そうなったようまとめて始末できる、そういったことを初めから画策してたのでしょうか? そうだとすると命からがら逃げてきた金ケ崎がおかしくなりますね。 一般的には「義理の弟である浅井が裏切るはずがない」という歴史認識なのでしょうが、裏切るはずがない、と解ってればやはり浅井家に何も言ってないことがおかしく感じます。 前にも述べたよう長政のお父さんやら古い家臣団がまだ実権握ってたのは織田方にも解ってたはずなので「義理の弟といえども裏切られるおそれも十分あるかも」というのが真相のような気もします。 う~ん、そうするとまた命からがら金ケ崎の撤退、がなんだか信長らしくない実にトンチキな戦術法に見えて仕方ありません。 信長はその程度の頭しかなかったのでしょうか? 色々質問が重なりすみませんが宜しくお願い致します。
- ベストアンサー
- 歴史
- 信長と秀吉、家康、恐ろしいのはどっちでしょうか。
例えば、信長は自分の弟を殺していますが、 謝罪を断ったために殺したとの新事実があります。 弟の見方であった柴田勝家を許して自分の部下にしています。 また、岐阜県と滋賀県の間に山中の猿と呼ばれている身障者を助けたというエピソードがあります。 信長を裏切った者の中には、室町幕府の第15代将軍の足利義昭もいるが、義昭が兵を挙げたときなども、信長は最初から踏み潰そうとせずに、交渉で和睦をもちかけている。一度は和平が成立したものの、義昭がまたもや挙兵したため、信長も対処せざるをえなかったです。 そのほか、 松永久秀が謀叛したときも、怒り狂って討伐せよと叫ぶのではなく「どのような事情があるのか。存分に思うところを申せば、望みを叶えてやろう」と信長は交渉を提案しています。 信長は妹のお市の夫・浅井長政が寝返ったときでさえ、容易に信じようとしなかった。「妹を嫁がせているし、江北の支配も任せてあるのに、何が不満なのか」と驚くばかりだったようだ。謀叛の情報がしきりに入ってきて、やっと信用したという有様でした。 さらには摂津の荒木村重が「謀叛心を抱いている」との報があちこちから入っても、信長は事実ではないと思い、明智光秀等を荒木のもとに遣わしているのだ。「何か不満でもあるのだろう。思うところがあるなら、聞いてやろう」と信長は言っていたようなので、物分かりのよい優しい上司のようにも思えます。 荒木村重の一族は皆殺しになるのだが、それも、不憫な思いを抱きつつも処刑したということがわかってきています。 一族皆殺しということ自体が当時としては当たり前、 家康が信長側についた時も、妻子や、妻の両親は今川方に残り、 妻の両親は殺されました。 つまり、荒木村重の件はあの当時としては決して珍しいことではないのです。 第六点魔王という言葉も、武田信玄と書状で喧嘩した際に、発出したということがわかっております。 むしろ個人的には、秀吉の秀次の一族皆殺しの件及び、 九戸城の戦いによる、惨殺事件のほうが残酷です。 九戸政実に和睦を持ちかけといて、全員処刑ですからね。 信長でしたら、あれは、本当に許していますよ。 家康は何をやったかはわかりません。 残酷無慈悲な順にあげてみてください。
- 締切済み
- 歴史
- 織田信長に消火器を持っていったら・・・
かの戦国武将の織田信長は、明智光秀率いる軍勢によって本能寺を襲われ、火を放たれてその渦中で亡くなったと言われますね。(本能寺の変) さてそこで、火を放たれても何とか生き延びる助けとなるように、皆さんは織田信長が襲われている最中に消火器を持っていくことになりました。 本能寺の中、信長がいる場所に無事にたどりつきました。 消火器を持ってきた皆さんを見て、織田信長は何と言うと思いますか?
- ベストアンサー
- アンケート
- 信長と光秀について・・
信長の家来が光秀だったんですよね?? それでなぜ、家来の明智光秀が織田信長を 殺したんですか?? これはわかっているというやつ・・ その時織田信長が力が強かったので織田信長を 殺して自分が天下統一をしようとおもった。 この他に何か理由はありませんか?????
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
イエズス会と本願寺って信長に下っていたんですか? この二つの組織の動きはあまりよく知らないのですが……。 それに朝倉義景は初めから信長には下っていなかったと思っていたのですが……。 ただ他の面々は初耳の面々ばかりです。 ご回答ありがとうございました。 イエズス会なども全て改めて詳しく調べてみます。