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部落の人はどんな仕事を

江戸時代の部落の人は具体的にどのような仕事をやらされていてどのような基準で部落にさせられたんでしょうか。

noname#79653
noname#79653
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回答No.5

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 さて、あなたの質問は、いわゆる「同和問題」に関わる「部落」のことではないでしょうか。 江戸時代には、 (1)穢多(えた)と呼ばれる人たちがいました。古くからの「仏教思想」で、鳥獣の肉を食べる、という風習は「忌(い)み嫌われて」きました。しかし、朝廷や庶民でも、やはり、鳥獣の肉(例えば、雉=きじ、や、猪=いのしし)は、ある程度一般的に食べられていました。そこで、こうした鳥獣を捕獲したり、その肉を剥いだりする者たちを集めて「部落」をつくりました。それは、農業生産に適さない山奥であったり、河川の土手であったりしました。 江戸時代になると、死んだ牛馬の処理や獣皮の加工、革製品の製造販売などををしました。 また、刑史(けいし=牢屋の見張り番)や山番、水番、祭礼の際での「お清め」の役、各種芸能者の支配、草履作りとその販売などの、現在で言うと、下級官僚などのさらに下位の下請け的役割などもしましたので「長史(ちょうし)」とも呼ばれる場合もありました。 (2)次に、非人(ひにん)が挙げられます。 「非人」とは、読んで字のごとく「人間に非ず」です。 江戸時代には、これらは、3種類に分類され、 <1>古くから「人間」として扱われてこなかった者。 <2>非人手下(ひにんてか)。これは、この後で説明しますが、江戸時代になってから「罪」を犯して、人間としての「身分」を取り上げられた者。 <3>野非人(のひにん)=無宿非人・・・勘当などで住む場所を失った者。 などに分けられますが、いずれも「非人」と総称されています。 このうち<1>と<2>は「抱非人(かかえひにん)」と呼ばれ、非人頭を頂点とした非人小屋に属する者たちです。 <3>の「野非人」または「無宿非人」は、江戸時代に入ってからの「浮浪者」で、住居の保障がされていない者を指しました。 穢多(えた)と同じように、農業や商業の邪魔にならない河川の土手などに木組みに「筵(むしろ)」をかけただけの、いわゆる、「掘っ立て小屋」に住んでいました。 仕事としては、主なところでは、死罪になった罪人の首を洗ったり、死体を寺へ運んだり、例えば、「磔刑(たっけい=はりつけの刑)」などの時、罪人を柱に縛りつけたりしました。また、地方の農村などでは、いわゆる「よそ者」が入り込んだりしないように、その監視役をさせたりしています。これを「番非人(ばんひにん)」または「非人番」「番太郎」「番太」などと呼びました。 こうした「穢多」「非人」は、身分の一番底辺と位置づけられ、特に「非人」は、明治4年(1871)に、江戸時代の「宗門改帳」を改め、全国的に統一した「戸籍簿」が始めて作成されました。その理由には、国家としての徴兵制度や徴税制度を把握しておく必要性からでした。完成したのは、明治5年(1872)で、この年が壬申(みずのえさる)年だったことから、音読みで「壬申(じんしん)戸籍」と呼ぶようになりました。 この時、「非人」は「新平民」として戸籍に記載されましたが、昭和43年まで、誰でも「取り寄せ」や「閲覧」ができたため、大企業、特に、金融関係や保険会社などでは「信用にかかわる」ということで、「採用拒否」などをしました。また、役場などでも「新平民」のページには紙を挟んだり目印を付けたりして「差別」の対象となりました。 これが、いわゆる「同和問題」り発端です。 (よもやま話) (1)延喜5年(905)醍醐天皇の時代に編纂(へんさん)された「延喜式」という朝廷での役職を定めた本に、猪や鹿の肉を天皇が食するにあたり、先にも述べた通り、「仏教の思想」から、その猪や鹿を捕らえ屠殺(とさつ)し肉を皮から剥(は)がす仕事は「穢(けが)れ」とされ、「穢れ多い者」から次第に「穢多(えた)」と呼ばれるようになりました。 (2)しかし、前記のように「長史(ちょうし)」とも呼ばれ、役人の下請けのような仕事もしていました。そして、特異な「技能労働者」としての集団とみなされていました。 (3)「非人」の始まりは、平安時代頃の「芸能」を見せる者たちに起源を発しています。彼らは、例えば、京都でいえば「五条の橋」のたもとなどで踊りを見せて「銭」をもらい、その日暮らしの生活で、寝る場所は、その橋の下だったりしました。 (4)そして、非人の項の<1>で、古くからの「非人」とは、奈良時代などで、朝廷に対する「反逆罪」などで役職を追われ「非人」と位置づけられた者たちを指します。 (5)「非人手下(ひにんてか)」とは、江戸時代に入ってからの「罪人」を主に指します。 {1}姉妹伯母姪と密通した者。 {2}男女の心中(相対死=あいたいし)で、女が生き残った場合。その女は「非人頭」に渡され「非人」とさせられました。 {3}心中で両方が生き残った場合は、男女とも「非人」へ。 {4}男が生き残った場合は「無罪放免」。 {5}主人と下女の心中で、主人が生き残った場合は、主人は「非人」へ。女は、逆に「無罪」。 {6}三笠附句拾(みかさふくじゅう)と呼ばれる「博打(ばくち)」の一種をした者。 {7}「取退無尽(とりのきむじん)札」を販売した者。 {8}15歳以下の無宿で盗みをした者。 (6)こうして「非人」とされた者は、例えば、江戸では、荒川土手を一手に仕切っていた「車善七」という「非人頭」に引き渡されました。 (7)その他の地方などでは、「悲田院年寄」とか「祇園社」「興福寺」「南宮大社」などが「非人頭」を兼任し、管理にあたりました。 (8)非人小屋から「脱走」して捕まった場合は、元の「非人小屋」に連れ戻されますが、3度脱走をして捕まった場合は「死罪」となりました。 (9)心中などで生き残った場合、「非人」とされましたが、「非人頭」に10両位を渡せば「平民」に戻ることができました。従って、身内に銭を出してくれる者がいれば、「自宅」に戻ることができました。 (10)非人同士が結婚して子どもができても、その子どもも「非人」でしかなかった。 (11)例えば、東海道などは、江戸の日本橋から京都の三条大橋まで123里26町とされていますが、途中に「非人部落」があると、距離の計算には入れなかった。従って、実際には、もっと距離があった。 もし、「回答」が意味違いでしたら「無視」してください。

その他の回答 (5)

noname#82952
noname#82952
回答No.6

畿内には古くから「非人」と呼ばれる人が坂の町に住んでいたようです。 (江戸時代の身分制度とは別だとする説もあるようですが) 非人とは寺社に隷属していた人々のことで寺社の神事、清掃、警備、死体の処理、ハンセン病患者の看護などを行っていたとされます。 ハンセン病患者は非人宿に捨てられることが多く、 また文殊菩薩の化身であるなどとも考えられて 一般の非人よりも多くのお布施を集めたといいます。 奈良時代、天智天皇の皇子・志貴皇子の子である春日王がハンセン病を患い 非人宿(非人が住んでいた場所)で療養したという記録があるようです。 春日王の二人の息子浄人と秋王の兄弟は、非人宿で春日王の看護をし、 神功皇后より伝わった弓を作るなどして生計をたてており、 光仁天皇より、弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど/夙は非人宿のこと)の姓を賜っています。 この浄人は散楽(猿楽)や俳優(わざおぎ。手振り身振りで面白おかしく技をすること)に長けていて 春日王の病気治癒を祈願して舞を舞ったところ、春日王の病気は治ったとのことです。 非人とは「人でない」という意味だと思いますが 「人でない」とは「鬼である」と同時に「神である」という 相反するふたつの意味をもっていたのではないかと 個人的には考えています。 なぜなら京都の非人は「犬神人(つるめそ、と読む)」と呼ばれていたからです。 つるめそ、と呼ばれるのは彼らが弓の弦を作って 「弦めそ」といいながら売り歩いていたことに由来するそうです。 また、平安時代には承和の変を企てたとして橘逸勢が姓を非人と改められています。 そう考えると、犯罪人やその子孫、ハンセン病患者などが非人とされて 非人宿に強制的に住まわされたのかもしれません。 もちろん、他の経緯もあるでしょう。 ここでご紹介したのは、その中の一例とお考え下さい。

回答No.4

質問者さんの言われる部落=同和地区という意味ですね。 やらされていたというより、昔からその仕事を生業にしてきた人たちの 村と言うべきでしょうね。主には屠殺、そこから派生するものとして 皮加工、また死体に関わる仕事(処刑場の後処理とか)が多かったようです。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.3

 部落になった基準  厳密な基準はなさそうですが、もともと周りの集落と生活習慣が違うこと、水田米作中心の生活をしていない集落の場合が多いようです。  また、現在よりはるかに信心深く仏教思想に影響を受けていた一般の人々から、食べるためであっても「生き物を殺すことが多い」生活習慣をもつ集落の人を『血で穢れている』とする見方がありました。  江戸時代初期では、一部の都市・鉱山や手工業以外の産業は全て、農村・漁村・山村で食糧生産の為の人が住んでいます。  しかし、米以外の作物や魚・獣などで生活している集落は、ごく一部の保存食(干し芋、干魚、塩漬け、干し肉)以外は、保存が効きにくいため、支配しても米のように十分な量の食料を得ることができないのです。そのような、山地や水の不足で水田ができない土地・河原など、水田にならない生産性の低い土地で生活している人々は、農業主体であっても漁労・狩をして、食料の不足を補うのが普通であったわけです。  また、統治する側の事情もあります。日本で一般的に作られる作物で、2年以上保存がきき持ち運びも簡単な「米」は、お金の代わりにもなる商品作物で、統治組織の維持には不可欠でした。(他の作物は保存がきかず、飢饉のときに食べ物がなくなって、行政側の人員が維持できないと統治組織が崩壊します。)  生産性の低い土地に住んでいる人々を支配しても、米のように十分な量の食料を得ることができない(=税収が少ない)ので、支配・統治しても経費倒れになるのです。  行政側は、そのような自給自足に近い生産性の低い集落は、支配せずにそこの住民の自治に任せて内部には干渉しないほうが得といえます。  また、水田を継続的に効率よく行うには、大規模な治水の新設維持管理が必要です。そのような河川の一体的管理をするうえでも、大規模でととのった統治機関が必要になります。この統治システムの管理外になった集落が「部落」という扱いを多く受けることとなったわけです。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.2

江戸時代に限らず、「部落」=「集落(村)」ですよ。 生活に必要な土地の関係から街中に住まない 農業・林業・漁業等多くの職業の人が住んでますよ。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3031)
回答No.1

部落に選ばれる基準はなんともいえません。 職業で多いのは屠畜関係です。 あとはその関連で肉屋、皮剥ぎ、皮なめし等ですね。

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