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宗教(?)にひきこまれそう

今更ながらですが、野口 嘉則氏の「鏡の法則」を知りました。 彼のいう、『人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるためにある』(潜在意識の法則) これは『昔から宗教で言われてきた事と同じようなものだと思ってもらったら分かりやすいと思います。』とあったのですが、 実際、そうなのですか? またこのような類のことは、心理学でも述べられているのですか? 実は今、宗教がらみの事で困っています。「宗教は関係ないよ。主人をたてる事。親孝行する事。などのいいお話です」と言われて、 その団体が主催する講演会に足を運んでいました。実際、人間として実に当たり前のことを教えてくれ、 「自分に起こる様々なことは、自分の(主人や親に対する)心の使い方が間違っているからだ。」というわれ、この宗教に入ろうとの勧誘は 全くありませんでしたし、私も悩みを相談していました。 今思うと、潜在意識の法則に当てはまります。 ところが、先日、『あなたには徳が無い。あなたもピンポン(玄関先に行って勧誘することで)まわったら、あなたと同じ様な環境の 人たちのところの家が、どうなってるか肌で感じるでしょうから、まわりなさい。 私の経験では、そういう人は子供を授かっても、子供が○○ヶ月で死んだり、精神病になってるよ。 こんなかわいい子が、○○ヶ月で死んだりするのよ」 と言われました。 脅迫された気分です。そう感じるのも、私のものの捉え方、心の使い方がおかしいんだそうです。 いい話だと思っていたのに、やはり宗教の概念だったのでしょうか。結果的に宗教の勧誘の一員にされてしまう気がします。 『人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるためにある』これは、私は本当だと思うのですが 人間は、忘れてしまう動物なので、大切なことに気づいても、すぐに忘れてしまいます。 忘れないように、ここに通うという事も考えられますが、でも宗教にはまってしまうのが怖いです。冷静になりたいので、よろしくお願いします。

noname#68521
noname#68521

質問者が選んだベストアンサー

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  • Us-Timoo
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回答No.4

人間、修行している身でないと徳を積めるものではありません。 だから、普通の人間であるわれわれにそうたやすく積めるものではないのです。 最近の宗教、特に新興宗教などは、初めのきっかけは 万人に値する良い価値観を見せて、いかにも怪しくない振りをします。 (そうしないと誰も見向きもしないし、話も聞いてくれないから) しかし、人生の中で勉強し、自ら考え、省みる、そういうことを 心に学んできた人は、そのくらいでは宗教などに特別な価値観を 見出すことはありませんが、ご質問者様のように >人間として実に当たり前のことを教えてくれ、 >私も悩みを相談していました。 のように、何らかの他人の力を借りないと、自分にとっての本当に大事なもの 大切にしないといけないものを気づいていない人・わかっていない人は それをわからせてくれた人(団体)を特別なもののように思ってしまったり その人や団体のいうがままに行動する・してしまう傾向があります。 ですから >『あなたには徳が無い。 修行の身ではないのだから、徳はなくて当たり前です。 >あなたもピンポン(玄関先に行って勧誘することで)まわったら、あなたと同じ様な環境の >人たちのところの家が、どうなってるか肌で感じるでしょうから、まわりなさい。 まわる必要などありません。 逆に言えば、あなたと同じような環境の人は絶対にいるのだと思いましょう。 肌で感じずともそれは周知の事実だと思えばいいのです。 >私の経験では、そういう人は子供を授かっても、子供が○○ヶ月で死んだり、精神病になってるよ。 >こんなかわいい子が、○○ヶ月で死んだりするのよ」 こんな脅し文句にのせられてはいけません。 ご存知ですか? 人間って、10個の事例のうち2個でも同じ事例があれば、その事例が 「多い」「たくさんある」と思ってしまうそうです。 その心理に巧みにつけこんだ勧誘文句です。もしくは、その勧誘している人が、 自分が出会った事例のうちでそうなっている人は、といいたいのかもしれませんが そうなれば、100や1000の事例のうちの2~3個くらいまでで、 そうなっている確率はぐ~~~ん低いということになります。 所詮、人間は忘れてしまう動物です。 だからこそ、普段の生活の中から自己鍛錬をしたり、鍛錬するほどでも なければ、常に意識しておかなくてはいけません。 それができない心の弱い人間を、新興宗教は取り込もうとします。 心を強く持って、自分の意識をしっかり持って、生きていくしかありません。 もうひとつ、覚えておいてください。 新興宗教は、本当に他人を救おうなどと思ってはいません。 自分たちの勢力を伸ばしたいだけです。はっきりいえば、心の詐欺です。 キリストが世界中をまわって教えを説いたのとは雲泥の差です。 昔の仏僧が海を渡ってまで修行して、人々に教えを説いたのとは 目的も志しもその心もまったく違います。

noname#68521
質問者

お礼

冷静に受け入れることが出来ました。 昨日、あなたは間違った解釈をしているから、近々いらして下さい。との連絡がありました。 勇気を持って、今後関わらないように断るか、無視します 自分の事ならともかく、大事な子供や家族の事で脅迫じみた事を言うこと自体、恐ろしいです。 初めのさわりはいい事を言っていても、最終的に宗教にのめりこんでしまったというパターンが、想像できました。(信じているかわからないが、抜け出せない) ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • 15-25
  • ベストアンサー率33% (3/9)
回答No.6

他の方々がお書きになっていることと重なりますが、ご容赦下さい。 お話に出てくる団体とは関わりを立つのが一番です。精神疾患を悪いことのように捉らえたり、自分達の考え方に合う合わないと人の生死を結び付けるのは、社会の良識から考えて非人道的であり、特定の人々を傷つけかねないからです。なので、そうした団体に関わると、人を傷つけることに荷担してしまう可能性があります。 また、偏った性格の団体は様々な文献から「よさ気に聞こえること」を拾っては、勧誘の道具に利用して「私たちは素晴らしい団体です」という虚偽的な宣伝をするのです。 それに、特定の思想信条的な団体に所属することには、周りへの排他や差別・考え方の偏り・社会的な孤立・社会的可能性の放棄というリスクが付いて回ります。 それから「鏡の法則」と宗教は関係ないと私は思います。 それでは失礼致します。

noname#68521
質問者

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冷静に受け入れることが出来ました。 昨日、あなたは間違った解釈をしているから、近々いらして下さい。との連絡がありました。 勇気を持って、今後関わらないように断るか、無視します 自分の事ならともかく、大事な子供や家族の事で脅迫じみた事を言うこと自体、恐ろしいです。 初めのさわりはいい事を言っていても、最終的に宗教にのめりこんでしまったというパターンが、想像できました。(信じているかわからないが、抜け出せない) ありがとうございました。

  • dai-ym
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回答No.5

宗教そのものは決していけないものでは無いです。 しかし、お金や労働を強要するところは必ずおかしな方向に走り出します。 >私の経験では、そういう人は子供を授かっても、子供が○○ヶ月で死んだり、精神病になってるよ。 こんなかわいい子が、○○ヶ月で死んだりするのよ」 こんな脅し文句を言うようなところはろくなところでは無いです。 そんなことをいう人が果たして徳のある人なのでしょうか。 とてもそのようには思えません。 >人間は、忘れてしまう動物なので、大切なことに気づいても、すぐに忘れてしまいます。 逆にいえばその程度で忘れてしまうような言葉は今の自分には実は必要の無い言葉と言うこともいえます。 そんなところに通わないと覚えていられない言葉なら別に覚えている必要ないと思いますよ。 この世は不条理なものです。 自分に因果が無いことでも非常に良くないことが起こることもあります。 だから昔の人はその因果を前世に求めたりしました。 厳密に言うと確かに因果はあります。 しかし、同じ行為をしてもなぜ自分だけがそうなるの?という不条理さは間違いなくあります。 そのすべてが「心の使い方が間違っているから」なわけがありません。 秋葉原の事件や大阪の個室ビデオ店のようにおかしな人の行動に巻き込まれるというようなことは本人より他人の心の使い方の間違いに巻き込まれただけです。 宗教などは非常に良いことを言いながら、自分たちに都合良い教えを混ぜ込んでいきます。 この考えはおかしいなと思うことがあり、労働の奉仕やお金の寄付をやたら言ってくるところはぜったにい避けるべきですよ。

noname#68521
質問者

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冷静に受け入れることが出来ました。 昨日、あなたは間違った解釈をしているから、近々いらして下さい。との連絡がありました。 勇気を持って、今後関わらないように断るか、無視します 自分の事ならともかく、大事な子供や家族の事で脅迫じみた事を言うこと自体、恐ろしいです。 初めのさわりはいい事を言っていても、最終的に宗教にのめりこんでしまったというパターンが、想像できました。(信じているかわからないが、抜け出せない) ありがとうございました。

noname#140971
noname#140971
回答No.3

宗教とは、目の前に起きている事柄を細かくばらして考える人間には無用です。 宗教とは、目の前に起きている事柄を細かくばらし批判的に再組立てする人間には無力です。 で、目の前に起きている事柄をばらす能力も再組立てする能力がなければ残るのは事柄の解釈。 つまりは、不幸とか悩みを漠然と捉えて解釈に終始して悩む人間にとっては宗教が俄然に必要。 >哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。 >大事なのは世界を変えることなのである。 (フォイエルバッハテーゼ11) まあ、解釈より変革を志向する人間にとっては宗教は一種の阿片ということになります。 ですから、宗教と一線を画すには、自らの頭で物事をこまかくばらして考えられることに尽きます。 ですから、宗教と一線を画すには、自らの頭で物事の分析を通じて良き組立てへの変更を実践。 つまりは、「大事なのは状況を変革するために何をなすべきかを実践すること」に徹しられることです。 余り、様々な文言を並び立てて解釈されるよりも日々の実際の行いに目を向けられることですね。 ところで、世の中には、実に、様々な解釈の指針というのが満ち溢れています。 >幸福な家庭は皆同じように似ているが、 >不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ。 (「アンナカレーニナ」トルストイ) が、現実問題として不幸とか悩みとかは、正に百人百様です。 ですから、「こう考えれば幸せになる」なんて教条(法則)が通用する訳がありません。 こういう教条(法則)は、一種の経験知ですから、個々の状況や条件に応じてがより重要な訳です。 で、そういう個々の特殊性を無視して適用しても、実際の結果は惨憺たるものでしょう。 で、そういう事を更に乗り越えるには「信じる者は救われる」という次元まで突き進む必要があります。 こうなれば、状況の客観的な評価云々は関係ありません。 「本人がそれで良い」と言い張れば、これは誰も否定できません。 まあ、普通は、「幸せになる法則」の本が売れて幸せになっているのは著者だけでしょう。 まあ、普通は、そういう教条に頼って自己の分析力や組立力を磨くのを疎かにすれば不幸に一歩接近。 と、私はおもいますが・・・。

noname#68521
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  • monchi17
  • ベストアンサー率29% (367/1234)
回答No.2

野口 嘉則氏の「鏡の法則」の本ですが、だいたいこのような手の本は昔から言われてることですよ。 ここ数年のコーチングや幸せになれるというの本にも多く似たようなことが書いています。 あなたが今通ってる宗教は、そういう風に上から人を見下ろすように、さらに私達が下界の人間のようにお話する人は多いです。 彼女らは自分自身が本当にその宗教を信じているから、お話もリアルティがあります。 信じる心から出る話は、それが真実のことのようかと思うくらいですね。 宗教を入るか通うかはあなた次第です。 それだけが頼りなことです。 電話がいくらかかってきても、講演などの誘いがきても、はっきりお断りできるくらいの勇気は必要です。 日本には何千という宗教があります。 1つだけを見てもおかしなことです。 教えてることは良いことも多いので私は否定しませんが、勧誘タイプは今の時代に合わないと思います。

noname#68521
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冷静に受け入れることが出来ました。 昨日、あなたは間違った解釈をしているから、近々いらして下さい。との連絡がありました。 勇気を持って、今後関わらないように断るか、無視します 自分の事ならともかく、大事な子供や家族の事で脅迫じみた事を言うこと自体、恐ろしいです。 初めのさわりはいい事を言っていても、最終的に宗教にのめりこんでしまったというパターンが、想像できました。(信じているかわからないが、抜け出せない) ありがとうございました。

  • lalulalun
  • ベストアンサー率21% (164/772)
回答No.1

冷静になってよく考えてみてください。 あなたの信じる法則とやらが、最終的には 「ピンポンで徳を得る」というところに行き着くのですか? 発する言葉に妙に説得力のある人間というのはいるものですが、 (そういうのをカリスマ性と言うのでしょうね)一歩下がって 考えてみれば「???」と思うような脈絡のない話だったりします。 何かを信じるあまりに、ほかの事を見落とさないでくださいね。 松本サリン、地下鉄サリン事件を思い出してください。 あの事件は日本中の人たちに様々な大切なことを気づかせましたよ。 あなたはもうそのことを忘れていませんか?

noname#68521
質問者

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冷静に受け入れることが出来ました。 昨日、あなたは間違った解釈をしているから、近々いらして下さい。との連絡がありました。 勇気を持って、今後関わらないように断るか、無視します 自分の事ならともかく、大事な子供や家族の事で脅迫じみた事を言うこと自体、恐ろしいです。 初めのさわりはいい事を言っていても、最終的に宗教にのめりこんでしまったというパターンが、想像できました。(信じているかわからないが、抜け出せない) ありがとうございました。

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