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大人の女性が育たない理由

美味しいものを食べて、お洒落をして、旅行、ヨガと、人生を謳歌している30代、40代の女性は多いですが、人間的に成長している人は少ないと思います。日本ではなぜ、「大人の女性」が育たないんでしょうか?

みんなの回答

  • pu-_-yo
  • ベストアンサー率30% (50/164)
回答No.22

「分別ある女性」が大人であるなら、私の周囲にはたくさんの30代、40代の大人の女性がおります。社会人としての常識を持ち、フルタイムで働き、税金を納め、美味しいものを食べておしゃれをして旅行をしている方々が。 私は逆に、周囲の男性は子供っぽいなぁと思いながら日々仕事をしています。大人であるとか、女性らしいとか男性らしいとか、どれも判断基準が難しいですね。 質問者様はなぜそのように思われたのでしょうか?そしてなぜ疑問は女性にのみなのでしょうか?

  • mikibaba
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.21

私は男ですが、女だけでなく男も両方ですね。 親の世代が自分の子供を甘やかして育ててるのもあるし 親離れ、子離れできていません。 良くも悪くも自分のメリット、デメリットだけで生きているからですね。 男の理想(顔、若さ、綺麗さ)と女の理想(収入、将来性、生理的にOK、親)などギャップが大きく晩婚、非婚化は進むでしょうね 愛だの恋だの所詮は幻想でしょう。 簡単にいうと世の中が満たされすぎているのでしょうね。 爺さん婆さんの世代は、あの戦争を経験しましたが、今は 年金もたんまり貰ってます。 今の世代は人生楽しんだもの勝ちだと気付いたからですよ。 若いうちに苦労しても老後が楽しい保障はありません。 必死に生きる必要ないからですよ。

回答No.20

これは女性に限った事ではないと思います。 私から見たら、男性のほうがよっぽど子供っぽいと思いますが。。。 人間的に成長してるって、たとえば?? あなたが女性か男性かは分かりませんが、 あなたは人間として成長できているのですか?

回答No.19

男は若い女をチヤホヤして甘やかす→女は調子に乗って中身を磨く努力をしなくなる→年を取った女はお払い箱→男に相手にされなくなったので華やかさを求めて旅行だの趣味だのに走る。 こんな感じでしょうかね? まあ私も同類ですが。 質問文に「日本では」とありますが外国は大人の女性が多いのでしょうか?

noname#132489
noname#132489
回答No.18

現在の社会は欲望ゲームです。 死後を裁く宗教哲学も科学至上主義思想で信憑性がありませんし、結局『死んだ時、自分が生きててよかったと思えばいいや』って考えが一般的だと思います。 現在は社会とのつながりが感じられないので、(特に日本は上からの民主主義で、下からの民主主義がなく、自分が社会と繋がっている意識が薄いです。)社会より自分のことが大切って人が昔(冷戦時代など、国家が安全保障を特に意識しなければならなかった時代)より増えています。 その極みが他人を利用してでも自分の欲望を満たすようにするのは是だ!!という人です。 男性も女性もこのことは根本的には変わりませんが、30代・40代は女性は家を守って社会に貢献せよという昔の考えと、現代の男女平等で欲望ゲームと社会のルールをよりうまく統合するという考えの両方の考えの移行期の世代なので、社会との繋がりを意識できず、社会を省みない人が多いのではないでしょうか?? 特にこれは、僕的に一般論をいっただけなので、個々人に当てはまるとはいえません。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.17

No.15・No17のhyuuma8579です。 日本人の欧米志向の根本には、そういう動機が隠されているということでしたね。 ところが、ここでもう一つの軽薄な点を述べなければなりません。 たとえば、多くの日本人(女性)が英国人男性は紳士だと思い込んでいますが、これも実に皮相的な見方ですね。こんな単細胞的な発想をするものですから、憧れを抱いてやって来た日本の乙女たちが英国の“紳士”にヤスヤスとだまされて泣く人が多かったのです。欧米全体や世界に拡大すれば、かなり深刻な状況だともいえますね。 このように、物事を深く考えなくなってしまったのは、日本という国が深く考えなくても生きていける・・・生きていけちゃう・・・ある意味平和な国・・・島国・・・環境に恵まれて素晴らしい国とも言えるが、考えなくても済むだけ、自然、考える力や生きる知恵が低下してしまうことでしょうね。国境を一歩越えるためにも死の覚悟が必要な国や紛争の真っ只中にある国、猛獣のいる国、毒と名の付く虫や動植物が多いアマゾンなどで生きている人・・・ボケていられるわけがありません。日本、これでいいのかよって思っていたら、今度は「考える力を付ける」「大人のトレーニング」・・・DS・・・しかも一斉に・・・島国・・・なんですね、ほんと。そんなことしなくたって、真剣な人間関係、特に男女の恋愛関係に、どれだけ頭使うことでしょう。開発した人には申し訳ないのですが、DSの比ではありません。「頭」はもちろん、DSでは使わない「心」はもっと使います。恋愛は心でするものですからね。男は女がわからないし、女は男がわからない・・・それでいてその異質な者同士が惹かれてしまう。頭と心をフル回転させなくて、どうして相手を知り、理解することができるでしょうか?良かったですね日本も・・戦争がなくてもここで命がけになることができるし、知恵を身に付けることができて・・・エッ、そこまでいかない!? 人として成長し、成熟したくないの?大人になりたいんじゃないの? 自分で自分を放棄してしまったのなら、お・て・あ・げ!! 横道に反れましたが、第二の理由は没個性、欧米化でも何でも、人まねの美しさや生き方をしたり、みんながやってるから自分もやる・・・こんな主体性のない動機では喜びを感れないでしょうね。自分ならではの個性やオリジナリティー、アイデンティティを発揮した時に、一番人(女性)は輝くのです。歌にも「世界に一つだけの花」ってありますね。男性とは違い、美しさは全ての女性に共通してある特徴ですが、その中でも、他の女性にはない、その人ならではの美しさを見出した時の嬉しさは、思わず涙ぐむほどの刺激です。その人しか持ってない個性に出会った時、宇宙にたった一つしかない宝物を見つけた!! 美しいかどうかではなく、たった一つの個性・・・他の誰を探してもないオリジナルなら、美しいを越えた価値があるではありませんか? それなのに、みんながみんな外見のスタイルや服装、趣味、仕事など右習えで合わせすぎてませんか?電車の中で化粧したり・・・恥を捨てることまで真似しなくてもいいのでは?人ではなく、自分の心です。自分の心がどうしたら喜ぶのかです。美味しいものを食べたり、旅行に行ったり、ヨガをしたり・・・人生を謳歌するには、そこに主体的動機、自発的動機があるかどうかです。やることは同じでもその動機が「みんながやっているから、自分もやる」とか「大人になるためにやる」とか「そういう習慣でやる」とか見栄でやるなど・・・これらには自分が喜びたいという自発的動機がありません喜びに理屈はないのです。他の誰が何と言おうと旅行に行きたいんだ、自分は。ヨガをやりたいんだ・・・それが喜びだから!!こういう主体的動機(喜びたい衝動)なしに、何をやっても成長はできないのです。成熟とは、喜びの感性を広げ深め強めていった先にあるものだからです。大人的振る舞いや真似事だけなら、知識と反復練習さえあれば、はっきり言って、誰でもできるでしょう。知識だけあれば、知恵のいらない学校の延長と同じことですね。愛の感性や喜びの感性の成長は、自分の心に素直になることが出発点なのです。挨拶ひとつでも習慣でやる、習慣でやれちゃう・・・習慣でやる行為に喜びは生じません。その人に関わりをもちたい、その入り口が挨拶ではないですか?それなのに言葉で挨拶して、あとは関係ない・・・これでは自分の心が喜べないでしょう。挨拶だけであとは関係ないから、喜びがないのです。関係を持ちたいのが素直な心なのです。心は自分を喜ばすことに責任を持とうとするからです。ここまで細かく解説しなくても、どうすれば喜びが増えるのかは自分の心が一番知っているのです。仕事も結婚も趣味も、何をするのにも、習慣や義務感、使命感でやる以上は生涯喜びは感じられず、人生の大損になることでしょう。時間になったから飯を食べる・・・では不健全なのです。お腹が減ったから食べる・・・これが健全な心です。旅行や趣味に限らず、どんな小さなことでもそうしたいからそうする・・・それが喜びだから!!なのに主体的動機を大切にしなくなった。そもそも習慣でやれちゃうことに動機はいりません。動機の喪失=喜びの喪失となったのです。 大人になる・・・女性も男性も18歳ぐらいでなります、体だけはね。本当はそこに合わせて心も完成(成熟)するのが道理というものですが、どこかで、人の心だけは歪んだり、捻じれたり、曲がってしまうのですね。どこかで傷付いてしまったんですね。過去の経験が素直な心を封印し、替わりに傷が付かないで済む理性だけで行動するようになったのかもしれません。これは大きな大きな歪みといえます。喜びを封印したと同じことなわけですから。そう考えれば、人生・・・進歩や発展ばかりを考えてしまいがちですが、いかに進歩するかではなく、人生いかに歪まないか・・・これだけでも立派です。親が子供に願う「この子を立派に育てたい」・・・その立派な姿には「何があっても自分を見失わない、歪まない姿」が含まれることでしょう。そして、歪まない先にあるのが自分の個性という世界に一つだけの花の「開花」という幸せに違いありません。人生は難しくないのです。難しいとすれば、自分が難しくしているだけのことなのです。 最後になりましたが、貴女の質問では日本ではなぜ、「大人の女性」が育たないんでしょうか?とありますが、世界の男性から最も人気があるのは日本の女性なのですよ。それだけ他の国では日本と逆で、女性が女性らしくなくなってきているということなのかもしれません。なのに、わざわざ欧米化・・・女性には消極美という美しさやか弱さという美しさがあることをお忘れなく!!

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.16

No.15の続きです。 第一の理由は男性らしさの喪失が女性らしさの喪失を招いたこと。大人の女性以前の問題かもしれませんね。 男女の愛が最も集中して現れるはずの夫婦を見れば、いい例かもしれません。熟年離婚・・・生涯の伴侶となるはずの約束は何だったのでしょうか?初めから嘘だったのでしょうか? 夫が毎日とは言わなくとも、妻の美しさや家事を担ってくれているありがたさに、絶えず感動したり、感謝していたなら・・・ 妻も嬉しくなり、もっときれいになろうとしたはずです。それを当り前のように思ったり、微妙なメイクの変化とかヘアースタイルの変化にも気付かず、澄まし顔では、妻の「貴方の前で美しくなろう!・可愛くなろう!」とする気持ちが萎えてしまいます。男性の愛がおかしくなってしまったのです。 さて、第二の理由は、らしさという話がでたので言うのですが、 もう一つのらしさは日本人らしさという視点があります。 最初に結論からいうと、没個性、アイデンティティの喪失によるものです。三大人種のそれぞれの長所は何でしょうか?黒人には肉体、白人には理性、黄色人種には思想があります。呼び方は忘れましたが世界の四大賢人(四大聖人)あるいは、四大思想家といわれる人物がアジアに集中していることを見てもわかります。 日本人が日本人としての本分を発揮できるのは日本人らしくあることによってです。それが、長所ならなおさらです。欧米の真似をしてクールさやスタイリッシュさを真似たとしても、所詮、メッキはいつか剥がれおちるのです。何故欧米の真似をするかはその逆の方向を見ればわかります。日本人は他のアジアの国々に対しては優越感をもってきました。優越感と劣等感は一対なのです。何かに対して劣等感があるからこそ、それを補う弱い者いじめや優越感を得ようとするのです。 日本人の場合は、欧米への劣等感がアジア人への優越感として現われてしまいました。裏返せば、生き方ができるだけ欧米色に近付こうという傾向になって現われてしまうということです。 すみません、また時間がきてしまいました。 お許しいただけるのなら、夕方にまたサイトに戻ります。 失礼します!

  • gadd3
  • ベストアンサー率46% (211/451)
回答No.15

「大人」の定義がなんなのかわからないのに答えてもしょうがない気もしますが・・・(^^) 私の偏見で定義すると 「自分の非を認めることができる」「すなお」「おもいやり・慈悲」「他人との違いを認めて受け入れる」「他人を尊重する」「子供に夢と希望を与える」「きちんと叱ることができる」「仕事ではプロとして自分と戦い妥協しない。自分に勝てるまで頑張る」 というような感じでしょうか? 相手や状況によってに「厳しい愛情」や「やさしい愛情」を使い分けることができるひと。「愛情」の本当の意味を語ることができる人。 歴史を学び伝統を重んじる、といったことが出来、しかし、それだけにとらわれない人。 常に切磋琢磨して高いところから「少しでも俺に近づいてみろ、できれば追い抜け」とマイルストーンを指し示してくれる人。 そういう人を見ると大人だなあと感じてしまいます。 大人になるとは、包容力や慈悲のこころ、厳しさ、素直さ、を身に付けることなのかなあ?と漠然とイメージしています。 私など家族のことを大事とわかっているのに、仕事が旨くいかないとやつあたり、こういうことをしてしまいますが、これなどはまったく大人ではないですよね。家族のことを大事と頭で理解だけして体で理解していない状態です。お恥ずかしい限りですが。 大人になるためには「しょうがない」「まいっか」を捨てて、子供や後進のために「生き様を見せたり」「高みのあるもの」を伝え続けることが重要のような気がします。 女性も男性も子育てや後進の育成に何度も失敗して、人の人生を台無しにするような経験をしないと本当の意味での大人にはなれないのかもしれないですね。 そういう意味では花や農作物などを大事に育てることの出来る人は大人なのでしょうか? >大人の女性が育たない理由 男も同じだと思うのですが、精神性が高くないからかも。 子供や後進にみっともないところは見せられない、「おまえらは俺が育てるんだ」という「気概」が足らないから大人になれないのかもしれません。 友達親子、先輩後輩の垣根なし、学校の先生を子供の前で馬鹿にする、そういった部分を自分達が子供達に見せてしまうので、だめなのかもしれません。 「他人もああだから、私も同じようにこんくらいでいいや」という考え(まあ甘えとか安易過ぎる妥協とか?)が諸悪の根源かもしれません。 「良心」が無いとか。 良心で素直に判断できる「こころ」がないとか。 なんにしても、むずかしいですね。大人になるというのは・・・。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.14

そうですね。 その質問の第一の答えは男性が悪い!! これははずせない現実であることでしょう。 男性と女性は相対的関係にあるために、そういえるのです。 美しい女性を探し出し、心ゆくまでその女性を愛そうとする・・・それが、愛の主体者たる男性の役割(愛したい、美しいものを愛したい) 対して、自分の持つ美しさに気付いてくれ、心ゆくまで愛してくれる男性との出会いを求めて、抜かりのない美しさを身につけようと必死に生きているのが女性・・・美の対象者(愛されるために美しくあろうとする) しかし、愛の主体者たる男性が、男性らしくなくなってきており、 女性の持つ美しさを見る視点が狂ってきているのです。そもそも男性が女性化した結果、いわば、男性が不在になってしまったのです。姿は男性でも中身が女性化されていれば、そこに女性を本当の意味で満足させられる部分や、愛の主体者としての愛が欠如していることになるわけですから、そこに生ずる女性への影響や混乱が少ないわけがありません。 どんな価値観が多くあろうと自由なのですが、価値観の多様化と役割の放棄は全く別問題です。それは、家庭においても同様で、しばしば耳にしますが、家族関係が軽い友達のような場合、親が親でなくなったりすれば、子供はどこで親の愛を受けるのでしょうか?他人様の親が、代わりになってくれたり、先生が親代わりにでもなってくれるとでも思っているのでしょうか? 親を放棄して「友達家族だ~い!」なんていっても 自慢になりゃしません。らしくあるべき人がらしくあろうと努力する・・・人生それだけでもりっぱなものですよ。少なくとも、らしさを放棄した人たちよりは。 話を元へ、ですから男性の美観が狂ってしまったのです。たとえば、外見上のスタイルやルックスなどの美しさばかり追求したり・・・ もっとも人の内面の美に気付くには自分がまず嘘やごまかしのないきれいな生き方を普段からしていなければなりません。今や男性はそんな簡単なことすら難しくなるほど、真剣な生き方ができる人は少ない現状です。人の内面の美どころか、人の内面がわかりません。それどころか、自分の内面(気持ちや感情)がわからない重症患者ばかりです。 愛の主体者たる男性が狂えば、即ち、美しさの宝庫ともいえる女性を正しく評価できる資格を失ってしまったということですから、たいへんです。鑑定人が狂ってしまえば、そのでたらめな鑑定眼を誰も信じられなるように、女性の美しさがわからなくなった男性は・・・ 悲しい・・・悲しい・・・それが現実です。 女性が輝けなくなってしまった第一の理由は男性にあるのです。 しかし、それよりももっと根本的な理由があります。 それは、ちょっと時間の関係で、今はお答できませんが、後ほどでよろしければサイトに戻ってから・・・失礼!!

noname#233306
noname#233306
回答No.13

 答えは簡単。大人に育てられていないからです。  40代の親は、戦争で教育らしい教育を受けていない上に、自分達がひもじい中で育ったから、食べさせることが子育てと勘違いをしている世代。  30台の親は、団塊の世代。もう、言わなくても理解できますよね。  未熟な大人が育てるのですから、大人の女も大人の男もそだつはずがないのです。  それに加えて、育てられる側も学習能力がなく、反抗期がないか、反抗しっぱなしで非行に走るという二分化。困ったものです。  が、そのお陰で生活してますから皮肉なものですね。

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