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カルナップの物理主義

すいません本屋へ行くひまがありません。 できるだけ詳細に教えていただけませんでしょうか。

noname#68627
noname#68627

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

このところちょっと立てこんでおりまして、遅くなってごめんなさい。 さて、先にも書いたように、当初カルナップは「他人の心的体験についての表象は、なくてもかまわない随伴表象にすぎない」という方法論的独我論の立場を取るんですが、これは不可避的につぎのような問題に帰結することになります。 「Aは昨日の正午、怒っていた」という命題は、「私」には吟味不能であるがゆえに、無意味な疑似命題であるとすると、仮にAさんが「私は昨日の正午、怒っていた」という言明をおこなったとしても、「私」にとっては、命題という形態の音響現象がAさんの口から発せられるというだけで、有意味にはならないはずです。 となると自分の体験についての言明までも、相互主観的な物体的現象以外は含むことができなくなってしまうのです。 そこで、まず「私」の心的事象一般についての言明は、物-言語では定式化されず、物理的事象についての言明、たとえば「私の身体は昨日の正午、通常〈興奮状態〉を表示されるような物理学的状態にあった」によって置き換えられなければならなくなります。 ここから物-世界というのは、従来考えられていたように、体験所与を整序することによって構成されるのではなく、逆に構成-体系の側が「物理学的」概念に基づいて構築されなければならない、というふうに、経験的認識の基礎づけが、唯物論へとシフトしていきます。 さて、こうなると「心的現象」は「身体的徴候による表現」ということになっていきます。 ところが通常心的体験とみなしているものは莫大な数にのぼります。それに対して、そのひとつひとつに対する身体的徴候の詳細な知識をわたしたちは十分に持っているわけではありません。たとえば「pという命題を考えている」という物体的状態を規定することができるような反応は、そもそもそういう反応を確定することができるのでしょうか。 また、こういうこともあります。 船で旗信号が送られているとする。船の乗組員たちはその信号の意味を理解するだろうけれども、乗客の大半は理解しないでしょう。 つまり、理解は刺激の状態や記号としての対象に依存しているだけでなく、主体の心構えにも依存しているのです。理解ということを純粋に物理学的に言い換えたり、特性表示したり、定義したりすることはできません。しかも、「理解」ということを、非-物理学的な現象として排除することもできません。 ここから言えるのは、物理学的言語や物-言語では、心的なものを記述することはどうやっても不可能、ということになってしまうのです。 結局、ラディカルなかたちでの物理主義は断念せざるを得ない、ということが、徐々にあきらかになっていきます。 なんかね、ウィーン学団というと、ヘーゲルの否定弁証法やハイデガーを無意味な疑似命題と決めつけた人たち、ぐらいの知識しかなかったんですよね。でも、いろいろ読んでると、逆に、わたしなんかは『論考』はこういうことを言っていたのか、みたいにわかってくる部分がいくつかありました。 泥縄式もいいところで、とくに最初の「物言語」なんかかなりいい加減な回答でしたが(いやほんと、書き直せるものなら書き直したいぐらいです)、ご質問を機会にいい勉強をさせていただきました。

noname#68627
質問者

お礼

いつもながらホントに無償で回答いただいているのが申し訳ないくらいです。 と言いつつここまで回答いただけるとまた次の質問をしたい衝動に駆られてくるんですよね(笑)。 曖昧で不明な質問ばかりですが近々またお世話になると思います。

その他の回答 (1)

回答No.1

どうもわたしが説明しようとすると、「始め-中-終わり」を持つ物語形式になってしまうみたいです。おそらくそういう理解の仕方をしているんでしょうね。それはそれでヤバいんじゃないか、という気もするのですが、こればっかりはしょうがない(笑)。 さて、今回の「物語」の最初は二十世紀初頭の問題意識に置くことにしましょう。 当時、学問の諸領域ではそれぞれにめざましい進展が見られ、物理学、生物学、心理学、社会学、歴史科学がそれぞれに発展を遂げる一方で、相互にどのように関係し合うか不明瞭なままではないか、という問題意識を抱いた人びとがいた。彼らはあらゆる学問は自然の法則や人間の行為の法則を統括するような一つの体系に属していなければならない、というふうに考えたわけです。ちょうど近代認識論を切り開いたカントが、あらゆる学問の基礎づけを求めたように、基礎づけとなる統一科学が必要であり、さらにそれは共通の概念体系、すなわち共通言語を備えていなければならない、と考えたわけです。 その統一言語が成り立つためには ・相互主観的であること:形式面では、記号と規則からなる体系で、意味論的には、それによって各人に同じことが表示されなければならない ・普遍的な言語でなければならない こうした概念体系として、かつてカントが物理学と数学で哲学を基礎づけようとしたように、ノイラートとカルナップは物理学を想定し、この理論を「物理(学)主義」と名づけたのです。 さて、物理学の言明というのは何か。 それは時空位置の性質を量的に記述したものである、と彼らはまとめるのですが、ここで人間の「知覚」も同じように記述できれば、「知覚」も物理学の言明に含めることができます。 たとえば音叉の振動は、聞こえるだけでなく、見えもし、ふれることもできます。そうしてたとえばその「音叉の音」は、一定の振幅を伴う一定の基本周波数と一定の倍音の周波数を持つ振動が対応しています。 つまり、「聞こえる」という感官性質の特性を、物体の諸関係によって一義的に表示することができるし、それゆえに感官性質についての言明を、物体の諸関係についての言明に置き換えることもできる。 「聞こえる」という言明は主体から独立してはありえないけれども、「一定の振幅を伴う一定の基本周波数と一定の倍音の周波数を持つ振動」という物体関係の確定は、感官の領域から独立し、主体からも独立している。 「時空位置の性質を量的に記述」する「物理的言語」が相互主観的であるように、観察可能な性質や関係を記述する「物言語」も相互主観的である。 そうして、こうした物言語によって、物理学の領域だけでなく、ほかのすべての自然科学の領域も記述することができる、と考えたのです。 このとき、何よりも問題になってくるのが、この物理学的な統一言語は心的なものの領域、心理学的な言明を、物体的な状態と事象についての言明へと翻訳することができるかどうか、ということです。 この翻訳が可能であることを基礎づけるためのテーゼとして、ノイラートとカルナップは狭義の「物理(学)主義」を提唱したのです。 なかでもカルナップは「どのような物理学的条件のもとで一定の性質を…体験するかを、だれでも確定することができる」("Philosophy of Science vol4." クラフト『ウィーン学団』からの孫引き p.136)、あるいは反応「事象は、そのさい、一部はいわゆる物理的事象であり、一部は心理学であるだろう。ところで心理学的概念と命題とは物理学的な概念と命題とに還元することができる、という先に述べたテーゼが妥当するなら、まったく物理学的事象こそが重要である」。 つまりこのテーゼは「心理学のあらゆる命題は、物理的な事象(当該の主体の身体における、そしてとりわけ中枢神経系における)について語る」と帰結することになります。 心的なものについての言明は、非-物理学的な意味に解釈すると、原理的に検証不可能である。その結果、心的なものについての言明は、科学の言語から排除されることになります。 「「心理学は物理学の一分枝である」。心的体験についての命題はそれゆえ、科学的には意味がなく、言い換えれば、理論的内容をもたない。他人の心的体験についての表象は、なくてもかまわない随伴表象にすぎない。人間は身体的な行為を越えてなお心的な体験をもつ、という前提を物理学的に、それゆえ科学的に表現することはまったく不可能である。このような前提は単なる疑似命題を記述しているにすぎない。それは形而上学である」(『ウィーン学団』p.137) もちろんこの大胆というか勇猛果敢というか、おいおいと言いたくなるような物理(学)主義はたちまち厳しい批判にさらされることになるんですが、そこも必要でしょうか。必要だったらまた書きます。

noname#68627
質問者

お礼

>「時空位置の性質を量的に記述」する「物理的言語」が相互主観的であるように、観察可能な性質や関係を記述する「物言語」も相互主観的である。 思い出しました。プロトコル命題。 どうもghostbusterさんには貴重な時間を割かせてしまっているようでとても心苦しいのですが。 >おいおいと言いたくなるような物理(学)主義はたちまち厳しい批判にさらされることになるんですが、そこも必要でしょうか すいません、丸投げついでに何とかお願いいたします。

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