• ベストアンサー

シェイクスピア作品のどこに魅力があるのか分かりません。

toro7878の回答

  • toro7878
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

じゃじゃ馬ならしが面白かったです。深く読む必要がなくエンターテイメント性があって。 又、年齢と共に理解が深まると思いますので、何度か読まれるといいですよ。 判らなかったり、好きではなかった本が、書いた作家の年齢に近くなっていくと理解出来たりしていきます。 本は、自分の心や精神に対して、幅や色を彩っていくと思います。テレビ、映画のはかなく消えてしまう残像や出来上がった映像ではなく、 自分でイメージを作り上げてく事ができるので、一番心の糧になると思いますね。

booter
質問者

補足

回答ありがとうございます。 じゃじゃ馬ならしは未見です。 機会があれば読んで見ます。 >判らなかったり、好きではなかった本が、書いた作家の年齢に近くなっていくと理解出来たりしていきます。 ゲーテのファウストは生涯をかけて創られた作品の為評価が高い、と分析されているようですが、正しくそうなのかもしれません。 シェイクスピアを楽しむには年齢が足りないのかな。

関連するQ&A

  • シェイクスピア作品はなんで「文学」として評価されてるんですか?

    シェイクスピアの作品はすべて劇の台本ですよね。 現代のものであれば、劇の台本と読むための文学作品は、区別されて 台本自体は、演劇という作品の準備にすぎない、として扱われると思うんですが なんでシェイクスピアについては「文学」としての評価が与えられているんでしょうか。 …とまで書いたところで、シェイクスピアに限らず、劇の台本の形をとる作品っていっぱいあるじゃん、と気づきました。 そういうものってすべて、上演されることと、そのまま読まれること 両方を目的として書かれてるんでしょうか?

  • シェイクスピアの芝居で・・・

    文学とこちらと、カテゴリー悩んだのですが、 こちらで聞いてみることにします。 「CATS」の「ガス」の歌詞なのですが、 「シェイクスピアの芝居で『猫の手も借りたい』という台詞」 ・・・という歌詞があります。 この「猫の手も借りたい」という台詞は、 シェイクスピアのどの戯曲の中に出て来るのでしょうか。 「真夏の世の夢」でないことだけは100%確か。 「ヴェニスの商人」あたりかなと思っているのですが、 まったく自信がありません。 もしおわかりでしたら、 何幕何場の誰の台詞かまで、教えていただけると嬉しいです。

  • 武者小路実篤って、たいしたことないのですか?

    こんにちは。 立花隆さんは、武者小路実篤さんの作品というのは、 中学生くらいだと、気持ちがシンクロするようなところがあるけれど、 実は、たいしたものではない。 というようなことを言っていたような気がします。 ”文学における有名な人”の中では、 武者小路実篤というのは、あまりたいしたものではないのですか?  

  • ヴェニスの商人

    大学でヴェニスの商人(シェイクスピアの作品)の中の二面性についてレポートしなさいという課題を出せれました。意外性の中に現実性がある、反対に現実性の中に意外性がある、クロスさせた意味は一体何のかというのがテーマなのですが(例、バサーニオーが正しい箱選びをするそのしかけは何かなど。)あまりこの課題の意味さえも把握出来ておらず、レポートが書けなくて困ってます。仲のいい友達は誰もこの授業を取ってないのです。ヴェニスの商人を読まれた方、またこうではないだろうか、と思われた方なんでもいいのでアドバイスください。お願いします。

  • シェイクスピアのセリフについての質問です。

    シェイクスピアのセリフについての質問です。 ヴェニスの商人 音楽が何のために存在するかさえご存知ないらしい。 勉強や日々の仕事が終わった後、 疲れた人の心を慰め元気づけるために音楽はあるのではないか? お気に召すまま Now go we in content To liberty, and not to banishment さあ、喜んで行くわよ。 自由のためよ。追放なんかじゃないわ 夏の夜の夢 Sickness is catching. O, were favour so. 病気は移るでしょ。あ~あ、容姿も移れば良いのに! これらのセリフを、だれがどのような場面で言っているか教えてください。 来週提出だと思っていたレポートが明後日提出でした(><) 自分で読めばわかる事なのですが、間に合いません。 この質問にイラッとする方もいると思いますが、よろしくお願いします。

  • 英米文学に詳しい方…“happy sadness”のような語の総称は…?!

    “happy sadness”嬉しい寂しさ や “lightsome shadow”明るい陰影 など 逆の意味の単語同士を組み合わせる表現が 英文学や米文学で多く見られますが、 その表現の総称は、英語でなんと言いますか? 私はホーソーン作品で悩まされていますが たしかシェイクスピアにも見られました。 急いでいます、お詳しい方よろしくお願いします。

  • 文学作品中で「それは違う!」と言いたくなるもの

    例えば…… 夏目漱石の「坊っちゃん」、好きです。しかし、次の箇所が気になります。 「ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。」 これ、将棋愛好家の立場から「それは違う!」と言いたくなります。冷やかされたことに腹を立てるのはしかたありませんが、待駒はけして卑怯ではありません。待駒は将棋の重要な戦術です。漱石先生が将棋に対してそういう認識をいだいていたのか、それとも表現上あえてそう書いただけなのかわかりませんが、将棋に関する誤解をひろめていないだろうかと心配になります。もちろん、こんなことは作品そのものの評価には微塵の影響もないのですが。 ……といったように、文学作品中で思わず「それは違う!」と言いたくなるものを教えてください。 嘘を嘘らしく書いてあるものではなく、読者に誤解を与えかねないものや、作者が気づいていないであろう間違いなどを知りたいと思います。 とりあげていただく作品は、有名な作品、世上で評価の高い作品ほど歓迎します。 (多分私は読んでないけど ^^;) 寄せられた回答は、今後の読書の参考にするとともに、雑学の一助にします。 それでは、よろしくお願いします。

  • 結婚前に読んでおきたい一冊

    結婚前に読んでおきたい一冊 25歳女性です。来年、年明けに結婚する予定でいます。 そこで最近、結婚するとは一体どういう事なのだろう、とか、人を愛する責任とはどれほどのことなのだろうとか漠とした抽象的な問いに苛まれています。 少し頭でっかちなのは承知なのですが、本を通して結婚に向き合いたいので、結婚やその先の人生について思考の手助けとなるようなおすすめの一冊があれば教えてください。 因みに恋愛で悩んでいるときは『初恋』ツルゲーネフ や『友情』武者小路実篤を何度も読みました。古典や近代文学でなくとも、現代小説や詩のおすすめでも教えていただけたら幸いです。 よろしくお願いします。

  • 文学作品は、なぜ自殺はいけないと言わないのか?

    夏目漱石の「こころ」で、 登場人物のKと先生が自殺しますが、 作品の中に於いて自殺は絶対に駄目だというメッセージを、 全く発していないと思います。 芥川龍之介や太宰治の作品でも、 同様の事を感じます。 自殺を考える登場人物を説教して生きさせるという、 ストーリーではないですよね。 芥川龍之介や太宰治の作品や伝記を読んでも、 自殺を悪い事だと思っていないような印象を感じます。 こういう自殺を否定的に扱っていないような作品を、 高校の教科書に載せて授業で教えて良いのでしょうか。 そして自殺を否定していないのに、 文学作品として評価して良いのでしょうか。 それとも昔は自殺はダメという考えが薄いような、 社会だったのでしょうか。

  • 作家と創作作品中の人物の関係。

    よろしくお願いします。 質問の主題は、 小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、 書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か? 「現実に存在している人間」は、誰にとっても(おそらく本人にとっても) 「不完全理解、支配不可能」な存在と思われます。 書き手にとって作品中の人物はどんな存在なのでしょう。。。 よく(かどうか、は分かりませんが。汗)創作について、 「人物が勝手に私の頭の中を行動して、私はそれを書き留めるだけ」と言うような言い方もあります。 この表現を見ると、 作家にとって作品中の人物は、現実世界の人間と同様、 「不完全理解、支配不可能な存在」となると思えるのですが、どうなのでしょう。。。 以前、と言うには隔たり過ぎた?中学生の頃、 ふと「物語の読み方に戸惑った」時期がありました。 読み手の私は、この人(=作品中の人物)をちゃんと理解しているだろうか? 文中には全ての行動が描かれているのだろうか? 描かれていない行動/時間があるとしたら、その「行動や時間」は存在しているのだろうか?していないのだろうか? 読み手もだけれど、書き手もこの人を完全に理解しているのだろうか? この人の行動を全ての時間に置いて把握しているのだろうか? そんな事が作品中とは言え、可能な事なのだろうか?。。。。 そんな事を悶々としばらく悩み、 結局「作品は作品世界の一側面に過ぎない」との視点に立って読む事に決着を見ました。 以来15年、読み手の「読み方」としては、間違っていない、と考えています。 では、書き手の立場ではどうなのだろう?とふと気になりました。 何かご存知の方、ご意見をお持ちの方、回答をお寄せ頂けると嬉しいです。 また、 このような課題を扱った論文、評論等ご存知の方もお教え下さると嬉しいです。 大学の文学部等では、このような講義もあるのかしら。。。 調べ方の糸口でも構いません。 よろしくお願いします!