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戦前の肺結核について
現代では、結核と言う病気はほぼ完治する。不治の病ではない病気と言えますが、明治・大正時代ではまさに不治の病と小説などでも描かれています。 空気感染することで恐れられていた肺結核ですが、当時は自宅療養が多いと聞きました。しかし、看病する人は患者にたいして、どのような接し方をしていたのでしょうか? どのような予防をしていたのでしょう? 感染を恐れたりはしなかったのでしょうか? よろしくお願いします。
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- riffy13
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現代でも、結核はほぼ完治する病気とは言えません。 毎年結核で多くの人が死んでいます。 平成18年度も、2200人の方が結核で亡くなっています。 これは、薬剤耐性の問題も絡んでいますが、最近は抗結核薬に反応しない結核菌が増えていて、薬の使いようが無いかたも多くいるのです。 軽い病気では決してありません。 結核菌は軽いため、空気の流れが良いとすぐ離散してしまいます。 ですから、窓を開けて看病していれば、すぐに移るものではありません。 私の経験で言えば、病院受診時には重度の結核で、多量の菌を排出しているひとを何人も見たことがあります。 そのような人と1年以上同じ家で暮らしていても、移ってしまった人はほとんど見たことがありません。 菌を排出している人は、陰圧室という部屋に入院させて治療しますが、わたしは診察前に窓を開けておいてもらって、あとは普通に診察していました。何年もそのようなことをしていましたが、感染していません。 むかしは感染に対する知識がちゃんとなかったのかもしれませんが、看病すれば必ず移るというものではありませんから、普通に接していたのではないでしょうか。 また、多くの人は結核菌に子供のころから触れていて、免疫ができていた可能性も高いと思います。
お礼
riffy13様 回答ありがとうございました!! とても勉強になりました!!そして、結核によって今も沢山の方が亡くなられているなんて、軽率な事を書いてしまったなと、反省しております。 また、私は今戦前の感染病を、庶民はどう対処していたのか? 患者に対してどう接していたのか?などを調べています。 本当に勉強になる答えをありがとうございました!