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「死刑は国家による殺人」という主張について

ok2007の回答

  • ok2007
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回答No.6

No.2&4の者です。 > 死刑=国家による殺人→不可 > 罰金=国家による財産剥奪→可 > という両者の非整合性は説明出来ないってことでしょうか? いや、整合性を保って論理的に説明できますよ。 まず、刑罰に限らず法律の定めは、一定の価値観に基づき置かれるものです。したがって、一定の価値観に基づく説明が非論理的であるという批判を展開してしまうと、すべての法規は非論理的だという結論を出さざるを得なくなります。 例えば、自由刑が認められて身体刑が認められない理由として憲法が挙げられるところ、憲法の定めはそもそも一定の価値観に基づくものですから、「一定の価値観に基づく説明は非論理的」だとするなら憲法に基づく説明は非論理的です。 (憲法は絶対的であり遵守しなければならず、そうでない見解は非整合的であって論理的でない、とするのは、憲法の改正可能性や価値基準としての憲法を無視した考え方であり、論理の放棄(=非論理的)であることにもご注目ください。) それはおかしい、ということであれば、「一定の価値観に基づく説明もまた論理的」とせざるを得ません。 これを前提に、死刑・不可;罰金・可とすることが論理的に説明できるかを考えれば、これはNo.4で述べたとおり、「生命は自由・財産よりもはるかに重く尊重されるべきもの」であって、両者の間で線引きをしなければならない、という価値観に基づけば、「死刑・不可;罰金・可」という結論に論理的に辿り着きます。 そして、論理性がある以上、「死刑・不可;罰金・可」は上記価値観に基づく限り整合的です。 これが非整合的に見えるのは、「生命は自由・財産よりもはるかに重く尊重されるべきものであって、両者の間で線引きをしなければならない」という価値観を有していないからだといえます。 法律論は、現行法規を擁護する立場も含めてすべて一定の価値観から出発するものです。したがって、法律論を展開するに当たって、異なる価値観からの結論を非論理的・非整合的と批判してしまうのは、自らよって立つ価値観からの結論もまた非論理的・非整合的となってしまうのです。 死刑廃止論は、人の生命と身体・自由・財産とでは価値の重さが異なることに着目し、両者には差異を設けるべきとの価値判断の下で、論理的に死刑廃止を導くものです。そして、この価値判断に基づく限り、死刑と他の刑とで結論を異ならせるのは、整合的です。 繰り返しますが、死刑廃止論は、死刑存続論と同様に、論理的であり整合的です。両者の違いは、論理性の有無・整合性の有無にあるのではなく、評価基準・価値判断基準にあるのです。死刑廃止論の帰結を非整合的だと批判するのは、申し訳ないのですが、的を外しているんです。

tewpi
質問者

お礼

ありがとうございます 私は多くの廃止論の根拠が論理的で説得力があると思っています。 例えば ・冤罪の危険性からの説 ・死刑を執行する職員の人権侵害でもあるという主張 ・刑罰に応報より教育を重視する立場からの廃止論 ・死刑廃止国における犯罪減少データ これらは説得力があり論理的だと思います。 仮にそれに批判や反論が存在しても、それは存置論の各論拠が批判可能なのと同様であるに過ぎないと思います。 そしてさらには ・死刑は残虐な刑罰であるから許されないという「価値判断」からの廃止論 この主張も説得力があると思います。 その論拠が「価値判断」であるとしているからです。 しかし例えば死刑廃止国のデータからの主張は「(根本的な)価値判断」を由来としているのではなく、客観的データからの考察です。 この考察はデータから考察しているので論理的ですが、「国家による殺人だから不可」という主張は違います。 「国家は人を殺すべきではない」という《価値判断》から、国家による死刑を否定するなら理解できます。 しかし「国家が殺人を法で禁じているから」ということを理由としているなら、自由刑や財産刑と比較して論理的ではないと考えるのです。 ご理解いただけないようなので、これをもって終わりといたします。 何度も回答いただきお手数をおかけしました。 ありがとうございました

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  • 死刑について

    ヨーロッパの多くの国では死刑が廃止されていますが、日本ではいまだに執行されていますよね。これはあくまで私の推測ですが、ヨーロッパで死刑が廃止された1つの理由として、例えば、重罪に対して死刑にするに至らない場合、昔の中東やアフリカなどでは、視力を剥奪したり、手足を切断する刑もあり、こういった刑が残酷なら死刑はもっと残酷だという考え方もあったかと思います。日本だと一思いに殺すよりも目を潰したり手足をもぎ取って一生不自由な思いをさせる方が残忍という考え方が強いんでしょうね。 さて、皆さんは日本の死刑制度についてどう思いますか?

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