• ベストアンサー

皇帝、王などが死亡した時など、寵妃やハーレムの愛妾はどうなるの?

nomoriの回答

  • ベストアンサー
  • nomori
  • ベストアンサー率32% (64/195)
回答No.4

国々によって風習は変わります。世界中を一緒くたにされて質問されているのでちょっと回答しにくいのですが…(取り敢えず、イスラム圏・キリスト教圏・仏教圏ってだけでもだいぶ考え方は違いますから…) 日本に関してだけ申し上げますと、 後宮の場合、女性はかなり自由な立場におかれていましたので、もし天皇が死亡した場合や、天皇の寵愛を失った場合、たしかに出家することもありましたが(後追い自殺なんてまねは、限りなくゼロだったはずです)家臣や皇族と結婚する、なんてことが行われていました。そしてそれに対して「不貞だ」などと言われることは私が記憶する限りなかったと思います。女性の「不貞」という観念が定着しだしたのは江戸時代からですから…(民衆にまでそれが広まったのは明治以降です)。また、天皇が褒美として妻妾を家臣に与えるということも屡々行われていました。有名なのは万葉集にも歌が入っています藤原鎌足の話、それに平家物語に平忠盛の話があります。 そして後宮の場合は外出もけっこう自由で、みんな宮詣や寺参に出かけています。こういったところは枕草子などに詳しいでしょう。 よってこんな自由な状態で何が起こるかというと、「誰の子か判らない子がたくさんできてしまう」という事態です(笑)。天皇の御落胤、なんて言われる人がたくさんいるのも、上に挙げたような開けっぴろげな性環境があるんでしょう。 ちなみに、子供がいると生活が楽!かと言えばそうでもありません。親王・内親王にかかわらず、日本の場合皇室の男女は母親の身分によって序列がつけられます。階級が低い女性の子供は「親王」という位さえもらえません。うまくいって姓をいただき、それが平氏・源氏につながっていきます。「親王」の位をもらえても一品・二品…と序列がつきます。そしてそれにより、衣冠も決まりますし、皇位を継げるかどうかもかかわってきますので、生めばこっちのもの!という発想には及ばないと思います。 対して大奥ですが、こちらは基本入ったら出られません。一時期、大奥の規制がかなりゆるみ、それが絵島事件の起こる背景ともなりますが、ごく例外的です。一部の許されたものだけが外出可能であり、正室ともなるとほんとうに外には出られなかったようです。勿論親の死に目になんかあえません。 将軍が死亡すると大奥の女性たちが次の将軍に引き渡されると言うことはなく、基本的に内容は一新されました。愛妾たちは正室同様出家して二の丸などに引き移ったようです。ただ、三代将軍の愛妾お万の方のように側室を退いて後(大奥ではある年齢を過ぎると将軍の夜伽を辞さねばならないという決まりがありました)大奥の内政に深く関わっていった人もいます。 日本におけるハーレムでしたら以上のふたつくらいでしょうか。参考程度にお願いします。

riri0987
質問者

お礼

ご落胤問題面白いです!でも女性にも多少の自由があったのは ちょっと喜ばしいかな・・・ 子供を産めば良いということでは無いのですね。参考になりました。 読んでいて怖いなと思ったのは江戸時代の大奥ですね~。 まるで飼い殺しではないですか!! まあ私では江戸時代に生きていても、大奥に入るという事はまず無いですが、現代人で良かったとつくづく思いました! 丁寧なご説明有難うございました。とても勉強になりました

関連するQ&A

  • ポリニャック夫人ってそこまで悪い人?

    フランスの女性史の中で数々の「悪女」が出てきますが、 フランス革命期のポリニャック夫人もそのひとりにあげられると思います。 漫画「ベルサイユのばら」のイメージもありますが、 他の漫画や小説でもポリニャック夫人は「天使の顔と悪魔の心」みたいな描き方をされているので、 基本的には悪役のようです。 いい人だったとはいいませんが、そこまで悪い人だったのかなあ?「悪女」だったのかなあ?と疑問に思います。 実際に王室の財政を傾かせたのはルイ15世の寵姫ポンパドール夫人やデュ・バリ夫人だったのではないかな?と思うんです。 彼女たちの浪費に比べたら、ポリニャック夫人がマリー・アントワネットにたかったお金など、 せいぜい「お小遣いをねだった」レベルだったのではないでしょうか? かたやポンパドール夫人など自分のためのお城までこしらえてもらってますよね? ポンパドール夫人やデュ・バリ夫人は政治にも介入していますが、ポリニャック夫人の場合人事に関して口を出す程度で本人があれこれやっていたという話は聞きません。 個人的には、マリー・アントワネット同様、必要以上に悪く言われてる人のひとりに思えるんですよね。 女傑だったポンパドール夫人はともかく、ポリニャック夫人は少なくともデュ・バリ夫人ほどには王室にも国民にも害はなかったと思います。 後の王政復古期に息子たちが圧政をしいたことも、彼女が悪く言われる原因なのでしょうか? 歴史好きな方のご意見をお待ちしております。

  • 何十人も女性を相手にするにはどうしたらよいか?

    複数の女性を相手にしている人の情報はあって、それぞれを平等に愛せばよい というが、これが何十人単位になったら、どうするのか?昔、大奥ではそれぞれ 女性の中でもランクがあったらしいが、いくら将軍でも女性の恨み、つらみを 買ってしまったのではないか?まー仮にそのような超 超 もて男がいたらの話だが いったいどういう戦略をたてるだろうか?これは天下をとるより難しい話な気がする。 仮に私がその超 超 もて男であるとしたら、きっと、正妻のほか、女性をまとめる お局様をつくり、結局その人の采配通りに動く気がする、(大奥でもそうだったかもしれないが) やはり、女性をまとめるには 男性ではなく女性の方が適任だと思うからだ。まー基本的にこういう話はあたりまえだが 女性は嫌がると思われるので、男性(もちろん、あまり、強く批判するのではなければ女性も) のみなさん、こういった事に詳しい人がいたらおしえてください。

  • 平安~鎌倉時代の女性気質

     源義経の死に関して、「吾妻鏡」に「予州持仏堂に入り、まず妻(22歳)、子(女児4歳)を害し、次に自殺する」とあるそうです。……義経のことだと思うのですが……(*^_^*)  義経には、有名な愛妾「静御前」がいるし、確か、「正妻」もいたはずだと思い、義経には、どんな女性が、何人くらい……静御前と、正妻と、平泉で亡くなった女性と、少なくとも、3人は……関係していたのだろうかと、調べてみて驚いたのですが、平泉で死んだ母娘というのは、もともとの正妻で、河越重頼女だということでした。しかも、この女性とは、離縁し、故郷に帰したとのことでした。  このとき、ふと想い出したのが、「北条政子」でした。当時はとらわれの身とはいいながら、敵方の頭領である頼朝のもとへ「暗夜をさ迷い、雨をしのいで貴方の所にまいりました」という、鎌倉時代?の女性の気持ちと、離縁されたにもかかわらず、東北・平泉……当時は、気が遠くなるほど、遠かったのではないか?と想像するのですが……まで、追いかけていった「河越重頼女」とに、女性としての生き方に何か共通点があるのではないか?と思い質問しました。  「平安~鎌倉」という時代背景があるのでしょうか?あるとすれば、女性の生き方にどんな影響を与えていますか?  あるいは、そもそも女性の生き方というのは、時代を問わず、こんなにも激しいものなのでしょうか?  私の場合は、優劣付けがたいと自分で思うご回答が2つ以上あると、BAを選ばないで締め切る場合があります。それでもよろしければ、お考えを教えて下さい。

  • 昔の王子の性生活について

    小説を書こうと思うのですが、気になることが何点かあるので教えてください。 (1)王子の身分からして、女性に対して奉仕(足を舐める等)をすることはありえないのでしょうか? 妻にならありえるのでしょうか? (2)正妻以外の妻が何人かいたようですが、愛人等はいたのでしょうか? (3)王子と妻の部屋は別々だったようですが、そういう行為をする場合、わざわざ予め伝えたりして部屋に行かなければならないのでしょうか? また、妻から誘うことはないのでしょうか?

  • 皇帝と王について

    皇帝と王はどちらがえらい(強い)のでしょうか? 昔暴走族でエンペラーはいましたが、キングはいなかったような・・・ みんなで論議してるのですが、答えがでません。

  • 王と皇帝

    王と皇帝の違いって何ですか。 先日フランス革命とナポレオンについてのテレビ番組を見ていて、何でナポレオンは王でなく皇帝になったのだろうと考えました。ナポレオンだけなら、王政がつぶされたばかりで自分を王に仕上げるのは抵抗があったのかなぁと思うくらいですが、歴史上、王・皇帝とそれぞれ違う呼び名を付けているのでとても不思議に思いました。

  • 皇帝と王の違いは?

    ふと気になったので、アンケートです。 皆さんは、皇帝と王の違いはどういうものだと思っておられますか? ネットで調べれば正解と思われるような答えはでてくるのですが、 実際には、時代と地域によって、答えはまちまちなので、 皆さんの持っているイメージを知りたくて質問にあげています。 ## 検索すると同じ質問がひとつ見つかるのですけれど。 ## でも、ベストアンサーの内容は・・・正しいけど正しくない。 ## 時代と場所によっては正しいんだけど ## 神聖ローマ帝国内にあったボヘミア王国の存在が対応できていない。 ## でも、ボヘミア王国は神聖ローマ帝国外という考え方もあるようで・・・。 ## また、皇帝の子供や親族が指名されて中国各地におかれた王は、皇帝の下 ## という時代もあります。(漢倭奴国王みたいに名目だけ下にいて実態は違うのもありますが) ということでよろしくお願いします。

  • 「王」と「皇帝」の違い

     「王」と「皇帝」の違いについて、疑問をもちました。  取り敢えず、国語辞典で調べてみたのですが、 王 → 国王 国王 → 国の君主 王国 → 王が治める国 皇帝 → 帝国の君主 帝国 → 皇帝が治める国  というふうに、たらい回しにされてしまいました。  歴史的に見ると、ヨーロッパにおける封建時代には「王」が多かったと思います。でも、ローマ帝国は「帝国」ですから、代々「皇帝」です。中国では、今までいくつもの国が生まれては消えていきましたが、殆ど「皇帝」だったと思います。  いったいどうゆう基準で王と皇帝、王国と帝国は分けられるのでしょうか?

  • 皇帝(天皇)は王よりも偉いというのは、、、?

    時々、教えてgoo!で天皇に関して質問があると回答の中に、『日本の天皇はエンペラー(皇帝)だから王よりも偉いんだ』とか『日本の天皇はローマ法王と同格だ』という意見が見られるのですが、これがよく解らないのです。 確かに天皇は英語ではEMPERORと表記され、さらにEMPERORはKINGの上の位に当るようですが、そもそも日本の天皇にしてもその他各国の王にしても、それよりも上の誰かからそういう位を賜ったわけではなく、単にその国で権力を握った人が『自分は王だ(又は皇帝だ)』と自分で名乗っただけではないでしょうか? とすると、どんなに偉い王や皇帝であっても、その立場というのはその国でのみ通用する立場であって、他国にとっては王でも皇帝でも同じではないのか?と疑問に思うのです。 それとも、自分でEMPERORを名乗っている以上はKINGよりも上になる(名乗った者勝ち)、という国際的なルールなのでしょうか? 私自身は日本の天皇を支持する者ですので、海外でも日本の天皇が一目置かれる存在であって欲しいとは思いますが、“天皇は他国の王よりも偉いんだ”という裏ずけになるものがあったら教えて欲しいのです。

  • 王や皇帝は貴族と呼べるでしょうか?

    王や皇帝は貴族と呼べるでしょうか? 大辞林では 家柄・身分の高い人。代々、血統・門地により、社会的特権をもつ階級。日本では古くは藤原一族や公卿の家柄などがこれに相当。 となっています。これによると、少なくとも日本の天皇は貴族ではないようですが、それは西洋の王族とかも同じなのでしょうか?