• 締切済み

中世ヨーロッパの人質生活について

凄いマニアックな質問でごめんなさい。 日本でも昔、人質として子供が預けられましたよね。 ヨーロッパ諸国でも同じようなことがあったと思うんですが、彼らは日頃何をして過ごしていたんでしょうか? 預かり側の人との接触があったのかも気になります。 まさか、ずっと自室に軟禁なんてこともあるんでしょうか? また、文献等参考になる本があれば教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

中世ではありませんが、ローマ時代末期ですと、ローマ人の有力者で子弟がゲルマンの元で育ったとか、その逆とか結構あります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%B9 フラウィウス・オレステス フン族の貴族であるが、ローマ育ちなので、ローマ人以上にローマ人などという説明をローマ世界の終焉 ローマ人の物語XV (2006年) ISBN 978-4103096245 で、塩野氏はしている。 中世ですと カール4世 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB4%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) ルクセンブルク家がフランスのヴァロア家のバックアップでヴィッテルスバッハ家との神聖ローマ皇帝位争いで優位になるために、パリで養育されています。人質といえば人質。 ただ、No1でも指摘されているように、人質は軍事同盟の証であり、徳川家康が政治家として大成できたのは、今川家に人質になって薫陶を受けたからともいわれておりますね。

expiari-do
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 御礼が遅くなり申し訳ありません。 カール4世の話は聞いたことあります! 彼も人質といえば人質ですね。 お二人にご回答いただき、「人質」の印象が少し変わりました。 あとは、具体的な生活像を想像してみたいです。 見聞を広げるための外出はどんなのだったか、とか…。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tukihana
  • ベストアンサー率23% (11/46)
回答No.1

人質というと言葉の印象は悪いですが、平時においてはむしろ 外交使節とか留学生に近い事も多く、待遇は悪くありません。 人質を受け入れてる側は丁重に扱いますし、故国では得られない勉学 や見聞を広げる機会が得られます。 当然その国での人脈も形成されますし、その人脈は将来人質だった人物が君主 になった時には有効に生かされることになります。 これは西洋でも日本でも同様ですね。

expiari-do
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 御礼が遅くなり申し訳ありません。 人質=軟禁のイメージが強くて、「見聞を広げる」環境が想像できなかったんです。 留学生、と考えればやわらかくなりますね。 人脈を形成する機会というのも納得です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • ヨーロッパと東西インドの関係について・・・

    ヨーロッパ諸国と東西インドが、16世紀~17世紀に関係を持つことになったうえで、ヨーロッパが受けた社会的影響って何なんでしょうか・・・? 回答、もしくはそのようなことが書いてある参考文献があれば、お願いします!!探してみますので!!

  • ユダヤ教と中世ヨーロッパについて。

    中世ヨーロッパの黒死病の流行とユダヤ人及びキリスト教徒の黒死病対策について質問です。 中世ヨーロッパでは、黒死病という伝染病が拡大し、全ヨーロッパの人口は減少し、当時の社会に大きな打撃を受けた。 しかし、キリスト教徒の多くが黒死病で死んだのに、ユダヤ人の死者は少なかったと言われているそうですが、ここで以下の質問です。 1.昔のTV番組「知ってるつもり」で、ノストラダムスの家系はユダヤ人で、伝説では、この時、ノストラダムスは鼠がペストを媒介することに気付き、直ちに鼠退治を命じた。 また、キリスト教では忌避されていた火葬すらも指示したと取り上げていたが、ここで質問です。 なぜノストラダムスといったユダヤ人は、黒死病の死者が少なかった理由は、ユダヤ人の生活習慣とキリスト教徒の生活習慣が関係しているのでしょうか? 2.昔のTV番組「知ってるつもり」で、ユダヤ人が最先端の科学技術の分野を占めている理由は、キリスト教のように戒律に縛られないからと言っているが、ここで質問です。 ユダヤ人が信仰するユダヤ教には、教育を重視しており、ユダヤ教徒は教育こそが身を守る手段と考え、国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべきとされている。 では、キリスト教には、ユダヤ教と同じ教育を重視していたのでしょうか? 3.2の問いでふと思うことがあります。 よく中世ヨーロッパのキリスト教、特にローマ・カトリック教会は、異端審問という名の“魔女利狩り”を行っていた。 ここで魔女として扱われた者達は、知識と教養を身に付いた知識人や学者達で、当然ながら、イチャモンを付けて抹殺してきた。 結局の所、中世ヨーロッパが、『暗黒の中世』と呼ばれていた理由は、ローマ・カトリック教会による弾圧によって、文明水準を大きく後退させたということなのでしょうか? もし事実なら、これは口悪く言うようだが、中世から近世、そして近代世界で大きく飛躍し、世界を支配することができたヨーロッパ諸国の原動力は、ユダヤ人が培ってきた技術や知識、教えを盗用・流用しただけの猿真似ということなのでしょうか?

  • アフリカの発展

    近年のアフリカ諸国の発展とそのヨーロッパ諸国との関係について学びたいのですが、何か良い参考文献はありますか?

  • 日本人が持つ世界観と、ヨーロッパ時の持つ日本観の変化

     16世紀にヨーロッパ人が日本へ来航してからの、日本人が抱いていた世界観と、ヨーロッパ人の持っていた日本観がどのようにして変化していったのかを教えてほしいです。また、この質問に関する参考文献等がありましたら、ぜひお願いします。

  • ヨーロッパ人とアメリカ人の比較

    ヨーロッパ人とアメリカ人の、美意識についての違いを調べています。ヨーロッパ人はどちらかというと、顔や体に(めだつ)あざやしみがあってスタイルがいい・顔立ちがいい方が美しい、みたいなところありますよね?いっぽうアメリカ人は逆に、肌はもちろんきれいに手入れされてあって、しみひとつないほうが美しいと、日本人と同じようなところがありますよね?? この両者の美意識についての違いをもっといろいろな角度から、調べていきたいのですが何かいい参考文献などあればおしえてください。回答してくださる人のご意見もよろしければお願いします!!

  • ヨーロッパ旅行

    当方64歳で定年を迎えたまだまだ元気な老人(?)です、私の昔からの夢として女房とヨーロッパのある都市に三週間ほど滞在しそこを拠点にゆっくりと無理をせずに歴史的な箇所6~7ヶ所を訪れてみたいと思っています、小生はハワイや東南アジアには行ったことはありますがヨーロッパには行ったことはありません、英語もたぶん片言しか話せないと思います。 友人からは無理だからやめておけと言われていますが、出来たらこの何年かの内に是非実行したいと思っています。退職してまだ間がないのでまだ何処に行こうかとも予定はありませんし、”そんな具体的でない質問答えようがない”と言われるのではないかと思っていますが、ご提案があればそれを参考に自分で夢の予定を組み立ててみたいと思っています。 何処を拠点にし(出来れば日本人の経営するホテルがいいのでしょうか?)、何を利用すれば効率的にヨーロッパの何カ所かを回れるのかご提案が頂ければと思い図々しいとは思いながら質問をさせて頂きました。

  • 日本以外、主にヨーロッパでの藁の利用法について調べています。

    日本以外、主にヨーロッパでの藁の利用法について調べています。 日本では稲作の副産物として大量の藁がでて、それを上手く利用した文化を築いてきました。 藁がでるという点では、麦を生産していた地域も代わらないはずですが、 なぜヨーロッパなどでは有効利用されなかったのでしょう? 自分が知る範囲では、寝台に敷くか帽子にする程度の利用しかされていない印象です。 保温性・弾力性などの性質を考えると、日本の寒冷地域のような使い方が期待できると思うのですが。 麦わらは稲の藁に比べて加工しにくかったのでしょうか? あるいは、利用されていたけれど自分が知らないだけでしょうか? 情報・参考文献などあればご教授ください。

  • 2人の子供が雪山で遭難するヨーロッパ文学

    昔読んだのですが、、、確か、岩波文庫でした。確か、有名作家ではありませんでした。とても薄い本でした。確か、ヨーロッパ文学で、、、2人の子供(兄弟?)が雪山で遭難(迷子?)して、最後は助かるという名品。これで、作家名と書名が分かる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。

  • 慰安婦と日本兵から生まれた子供についての文献などはありますか?

    慰安婦と日本兵から生まれた子供についての文献などはありますか? 慰安婦と日本兵から生まれた子供はたぶんいる(いた)と思いますが、そのような証拠や資料、文献などはあるのでしょうか? 何冊か慰安婦の本を読みましたが、殆どが慰安婦の被害体験などばかりでこの「子供の存在・問題」について確認することはできませんでした。 いくつか検索をしてみましたが、なかなか見つからない状態です。 現在、大学で慰安婦問題などを学習する授業を受けていてぜひこの子供についてレポートを書きたいので、文献などがあれば参考にしたいです。 また、皆様がこの子供について知っていることがあれば教えてください。 なお、慰安婦問題について否定的、関係のないご回答はやめてください。 よろしくお願いします。

  • 児童手当の在留外国人が本国に残してきた子供への支給

     1972年から支給され始めた児童手当に対して、1982年からは、日本に居住する外国人が本国に残してきた子供に対しても支給されるようになったということですが、その政治的背景は、どのようなものでしょうか。  ドイツなど複数のヨーロッパ諸国にそのような動きがあって、日本もそれに倣うのが国益と考えられたなどがあったのでしょうか。  その頃については長期海外生活をしていて、日本国内の政治情勢についての細かい記憶が少なくなっていますので、参考情報も歓迎します。