- ベストアンサー
キリスト教の信者さんに聞きたい2
noname#70819の回答
こんにちは。 信仰歴半年で20代後半の男です。 これらに関して大事にというより、信じようとしてます。 4は大事ではないでしょうか。 しかし、これに関しては、常にこの世にいる限り葛藤 でしょう。みな平等に人を愛す、または、他人を愛すって ことは難しいので・・・。 ただ、人のいいとこだけを見よう、愛そうと努力はしてますよ。
関連するQ&A
- キリスト教の救いって
僕は特定の宗教に所属していません。 しかし、僕は過去に悪いことをしてしまったことがあって、 今更になって悔やみ、できうる限り日々の生活の中で償っていこう と思っています。 自分の犯してしまった罪と、キリスト教の定義する罪とは 別のものだとは思うのですが、最近考えてしまうことがあります。 それは、キリスト教やイスラム教などに出てくる全知全能の神は、 信仰して、祈らなければ救ってはくれないのか?ということです。 僕達のように神を信じることさえできない人間の方が、 よほど(自分で言うのもなんですが)哀れな気がします。 「信じてないなら、別に関係ねーじゃん」という疑問はおいといて、 キリスト教の信者の方、またはそれについて勉強している方、 稚拙な質問ですが、回答よろしくお願いします。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- アルケーの神は全てを知っている
問う人: この世界で全知全能なるものは存在するか 「人の道」: 全知全能なるものは存在する、 アルケーの神がそれである、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は宇宙の全てを見てきておる、 この宇宙が無限であること、 この宇宙が創造されたものではないこと、 宇宙の創造主は存在せぬこと、 宇宙の法則は完全無欠であり正しいこと、 宇宙の法則は完全無欠であり正しいが故に不変であること、 地球上の人類が捉えている宇宙は、無限なる宇宙の中の小さなビー玉に過ぎないこと、 この無限なる宇宙の歴史の中で、現在ある地球や人類文明の類が過去に、数百億、数千億どころか無限に多くのものが現れては消え、消えては現れたこと、 宇宙は永遠に不滅であり、無限なる宇宙の歴史は永遠に続くこと、 アルケーの神はその全てを見てきており、 アルケーの神はその全てを知っている、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神ほど偉大なものが他にあろーか、 皆はどー思う、 あ~、
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- キリスト教の質問
キリスト教信徒の方々のうち、神を「父」と呼ぶ人に質問です。 神のことを「父」と言って、自分の実の父のことも「父」と言って、 違うものを同じ名前で呼んで、違和感はないのでしょうか。 もしくは実の父を父と呼ばずに、別の方法で呼んでますか?(名前とか) 私は実の父のことを「父」と呼ぶし、他に父はいないと思うので 神のことを「父」とは呼べない。 仮に神を「父」だと確信したら、その瞬間実の親父は父でない何かになる。 私の親父の前で「全知全能の主なる父よ」と神を賛美したら、 親父はおどけて「おいおい俺はどうなるんだよ」とか 「何用だ、我が子よ」と言いそうです。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 神が絶対者の創造主である根拠は何ですか。
神が無限であるならば絶対者・無制約者である創造主でなければならない、ということの根拠は何でしょうか。但し、神は無限定者だから、とは仰らないで下さい。神は無限定ではなく、全知・全能行善(善は全て行なわれ得る)で完全な愛という限定が付く方ですから。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 全知全能
「全知全能とされている神がなぜ、生まれながらに罪を持った人間を創造したのか?また、それを悔い改めよとおっしゃるのはなぜか?罪があるのは人間の責任ですか?」QNo.3735358にもご質疑とご回答がありました。 たいへん勉強になるご質問であり、ご回答ですが、ANo.12のご質問者の書き込みに「それならば、「罪を悔い改めよ」と言われるのは何故?」というものがあり、なるほど、私も多少この事ではあまりわからないので、私の勉強を縷々お話して、補強や批判を乞いたいと存じます。議論はいたしません。この問題について以下のように勉強しております。 1. すみません、やはり全知全能の存在であり、創造者のことであれば、有限なる知と能力のものはどういうふうに関わり、その意図などを窺知することができましょうか?無理なことでしょうか?無理なら、どういう方策をこの全知全能の創造者は私達に準備なさっておいででしょうか。私達とどういう関係だと、認識していればいいのでしょう 2. 全知全能者と、同じにならないで、私達はどうして、この問題に思いを致すことができるのでしょうか? 3. 「悔い改めよ」というのを、どこかの箇所にあったかもしれませんが、それをどのように理解されて、「全知全能者はおかしな事を、伝えているものだ」いうのでしょうか?「悔い改めよ」も十分な表現では確かにないが、それを、わが子に呼びかける、意味や態度は、通常の理解を少し、出てみることは妥当ではないだろうか? 4. 「罪があるのは人間の責任ですか?」という疑問が湧いてくるのですが、その人間とは創造の全知全能者との関係ではどういうものなのでしょうか。罪という根因について双方はどんなかかわりがあるのでしょうか? 5. 参考にした、ページのアドレスは以下のものです。 http://kikitai.teacup.com/qa3735358.html
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 全知全能の神が・・・なぜ
全知全能の神が なぜ 生まれながらに罪を持った人間を創造したのですか? また、それを悔い改めよとおっしゃるのはなぜですか? 罪があるのは人間の責任ですか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 第二章 オシエは 考えるもの。信じるものではない。
神および信仰ならびに〔信仰の偽造物なる〕宗教についての一般理論 第二章 宗教のオシエは 経験思考の対象であり 考えるもの。それを神として 信じるということはあり得ない。――さらには 信仰の神は 非経験の場であり 信じるもの。この神を オシエや理念によって勝手に作り上げてはならないということ。 ○ 真理と事実と真実 ~~~~~~ 普遍真理――信じる 世界事実――考える 主観真実――《信じる》+《考える(感じる)》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1. 宗教のオシエは 一般に文章表現として《事実》に属する。むろん もとはと言えば 《真理》を何とか人間の言葉で指し示そうとして引いた補助線である。 2. 真理を指し示すために たとえば《なんぢの敵を愛せ》というオシエがある。けれども このオシエは 考えるものであり 信じるものではなく 鵜呑みにして規範とするものではない。 3. オシエは あくまで考えるためにある。おのれの考えと判断とによって そのつどその場でみづからの実存を成してゆく。そのためにある。 4. あるいは 神のことを説明して 《全知全能》といった属性が与えられる。そこで これについて反駁する者があって 《もし全知全能なら 世の中の悲惨を早く無くしてくれ》とか あるいは《神は自分が持ち上げられないバーベルをつくることができるか》といった《難題》を提示するようですが これらは 《全知全能》という概念がそのまま神であると誤解したことにもとづいています。 4-1. 言いかえると 全知全能という属性がまちがっていないとすれば その知性と能力がどのように発揮されるかは 人間には分からないというのが 答えになります。 4-2. すなわち 神は 概念や理念ではない。神についてその姿や能力を考えて 像を描いたとしても その思考や想像の産物としての神の像が 神なのではない。勝手に人間が神をつくることはあり得ない。 5. 重ねて述べるなら 《となり人を 自分と同じように愛しなさい》というオシエは 至上命令のごとき規範ではない。つまり 神そのものではない。そうではなく 自分〔たち〕で考えて それぞれがおのれの実存を形成してゆくための指針のようなものである。 信仰にとって 無くても構わない。 ☆ 以上の趣旨説明にて 表題の成否・当否を問います。ご教授ください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 全知全能な神は存在しないことにより神は存在しない?
全知全能な神は存在しないことにより 神は存在しない? 人の生きがいとは 自己の欲望を満たすことであり他人からの賞賛である。人は全ての欲望が満たされていない時 自己の欲望を満たすために活動することが楽しいのである。 人は 自分以外に誰(生き物全て)もこの世界に存在しないならば生きている意味を見つけることは難しい。人は満たされない欲望を満たすために生きている。 もし 人の全ての欲望が満たされたとするならば 人は何か満たされない刺激を求め始める。全てが満たされた世界に於いて 他人が同じように全ての欲望が満たされていたとしても 人は他人は自分より不幸であるとみなしてしまう。 神が人間を創造したとするならば 神は不完全な人間しか創造できない。何故ならば 人間は不完全である故に完全さを求め続けることにより 幸せを感じることができるからである。 不完全な人間しか創造できない神は 全知全能な存在とは言えない。また 神も不完全な存在である。神が不完全なら 神とは呼べない。よって 神は存在しない。どうでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
回答ありがとうございます。 やはり4は大事ですよね。 仏教ではとくに「愛」の中でも執着の伴わない「慈悲喜捨」を育てるように、その方法を説いています。 この「慈悲喜捨」は全ての生命の幸福に役立つもので宗教宗派などなど関係なく育てるべきものと思います。 興味があれば一度「慈悲の瞑想」を試してみてくださいね。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~