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支那って本当に差別用語なんですか?

支那という言葉は差別用語だからあまり使ってはいけないと言われたのですが、年配の方(例えば今年で90歳になる祖母など)と話していると、そういった侮蔑の念は感じられず、ごく普通の中国を指す言葉として使われているように感じられました。 また、支那竹や印度支那、chinaというように使われていることから考えて、元々支那という言葉は蔑称でも何でもなかったのではないかと思ったのですが、実際のところどうなのでしょう。 その辺の事情に詳しい人がいたら教えてください。

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  • pri_tama
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回答No.15

 何度も記述して申し訳ないのですが…。  この手の議論になると必ず「差別用語」だと主張する方がいらっしゃいますが、当の中国が差別用語だと主張する事例を、提示する方は殆どいらっしゃいませんね。  中国の最大級のポータルサイトの名称が「シナ・ネット」であったり(日本のyahooが差別用語だったらどうなるか…。まして長野に数千人も集まるほど愛国心が高い中国人だったら…。)、東京新聞がシナ・ネットの運営会社である新浪網公司に対して行った取材でも  「シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする。(4千年の歴史を持ち、自身の民族に揺るがない自信と気概を持つと民族ならではの言葉では有りませんか?)」  との回答を得ています。同社のサイトにも「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」など同社を支持する意見が寄せられているそうです。    中国情報産業省自体も「中国人に対する侮辱あるいは同国の利益に対して有害とみなされれなければ、措置をこうずる意図は無い」そうです。現在でもシナ・ネットが存在していると言う事は、中国と言う国自体がシナ(支那)と言う言葉に侮辱の意味が込められていないと考えている事の証拠ではないでしょうか?  そもそも、シナ(支那)が侮辱の意味を持っていると主張するのは、日本から帰国した学者だけとか…。  語源をたどれば、中国最初の統一国家を築いた始皇帝の秦にたどり着く、この言葉を差別擁護だと主張する論調は、言葉尻こそ中国に配慮している様な様相を示しますが、中国の数千年にも及ぶ歴史を持ち、我が国のの多方面での師匠たる中国の歴史を否定し、日中の真の友好を阻害する行為にほかなりません。

hino_1984
質問者

お礼

詳しい記述ありがとうございます。 >「シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする。(4千年の歴史を持ち、自身の民族に揺るがない自信と気概を持つと民族ならではの言葉では有りませんか?)」 この言葉はとても面白いですね。 言葉に侮蔑の念が込められているからといって、その言葉を禁止させるのではなく、自らのブランドを高めることによって誇りある言葉へとする… 現在の中国はあまり好きではありませんが、この考え方と気概は素晴らしいですね。

その他の回答 (15)

noname#59417
noname#59417
回答No.16

「支那」という語は、中国の王朝の交代を超越した、古代からの一貫した国の名称として使われました。 当初は差別用語ではありません。 しかし、戦前戦中を通じ、中国人(呼称は支那人)を下等な存在であると見下す日本人が多くいたことは事実です。 ANo.17のウィキペディアの(3)、(4)が当たっているでしょう。 現代の日本では「支那」、「支那人」と言う語は、ほとんど使われていず、「中国」「中国人」という語に変わっています。 【「支那」、「支那人」を使うのは、石原慎太郎に代表される「嫌中派」の人たち、そして自分の浅薄な知識をひけらかしたい「似非物識り」くらいなものです。】 「ヨーロッパ人が支那(china)と言っても怒らないのに、日本人が言うと怒るのは差別だ。」と、トンチンカンなことを言う人がいます。 日本も中国も漢字の国です。 中華民国、中華人民共和国という国名があるわけですから、その国名もしくは「中国」と呼んであげましょう。それが【一流国日本の一般人の見識】です。 「先方が嫌がっているのを知っていながらワザという人」・・・情けなく思います。恥ずかしいです。最低です。

hino_1984
質問者

お礼

何度も書いてくれてありがとうございます。 参考になりました。

回答No.14

>支那竹や印度支那、chinaというように使われていることから考えて、元々支那という言葉は蔑称でも何でもなかったのではないかと思ったのですが‥‥  「元々支那という言葉は」という部分が質問の核心であるわけですから回答としては、蔑称ではない。ということになります。    しかし、なぜか今日ではいっぱんに「支那」(シナ)は差別用語の範疇に入っているようですから、使うときにはご注意ください。  「支那」(シナ)の語源については、既回答にありますから記述を避けますが、偶々手元に『支那及満洲国現勢地理』という地理書があります。同書は1941年3月(昭和16年)出版といいますから支那事変を経て欧米諸国との関係が悪化し、太平洋戦争開戦間近という頃の書籍ですが、現在読むと非常に興味深いことが書かれています。以下引用すると  然らば支那人自身は ~ 自分たちの住地を中華と呼び中国と称したことは一般によく知られている事実である。~ 漢代や唐代に我が国との交通が頻繁であったことも勿論で、それがために、我が国ではこの国より伝えられた文字を漢字と呼び漢文と称し、またこの国から伝えられた品物を唐物と呼び、この国の人達を唐人と呼んだのである。唐人という言葉が初め支那人の意であって後に弘く外国人を指す様になったことも明らかである。また明治時代に盛んに用いられた言葉であるが、支那人のことをチャンコロと称したことがある。これは中国人の支那音たるチュンコーレンから転化したものらしく、正に彼らの最も名誉ある自称であるが我が国で用いられる場合には多く軽蔑の意を含んでいたため、近頃では殆ど用いられなくなっている。そしてやはり世界的に知られている支那の名称が最も普通に用いられる名称となり ~ 日常屡々用いられているのである。 (同書3・4ページ  ここで判ることは、当時中国と戦争をしていた日本で、支那は差別用語ではなく、むしろ「中国」という語の中国音からきた「チャンコロ」を差別用語と認識し、侮蔑の感情があるために使うことを控えていた、という事実でしょう。  このことから判断されるのは、本来「支那」(シナ)は差別用語でもなんでもなく、戦後いつの間にか「差別語」となってしまった、ということでしょう。したがって、「年配の方」が「支那」(シナ)という言葉を使われてるのは自然であり、そこに差別的な意味合いがないのも当然なことなのです。  ゆえに「支那」(シナ)という言葉自身には歴史的にも差別はありません。中国人が自国を差別意識無しに中国と呼んでもらいたければ、まず自身が国際的常識に則って軽蔑されないようにするべきでしょう。    ギョーザ、農薬野菜・うなぎ、おもちゃ、反日暴動、チベット弾圧などなど思いつくだけでも中国人の声価を落とすことが続いていますが、こんなことが続くとかつて日本にあった「中国人」⇒「チャンコロ」という差別用語が復活するかもしれませんね。

hino_1984
質問者

お礼

チャンコロという言葉が蔑称だというのは知っていましたが、元の言葉は中国人自身の尊称だったんですね。 いくら尊称として用いようとも侮蔑の念を込めて呼べば蔑称になるということでしょうか。面白いですね。 詳しい回答ありがとうございます。

noname#59417
noname#59417
回答No.13

以下はウィキペディアからの引用です。 「差別用語」と呼ばれる語は、いくつかのタイプに分類できる。 (1)最初から差別を目的として作成された用語(「穢多」、「非人」、「廃人」、「賎民」など) (2)その状態や職業そのものが侮蔑の対象とされたもの(「めくら」、「どもり」、「白痴」、「乞食」、「百姓」、「屠殺」など) (3)元は差別とは無関係であるが、差別的に使われる事が多い、又は多かった用語(「部落」、「外人」、「毛唐」、「支那」など) (4)正式な呼称・表記をわざと使用しない事による侮蔑を目的とした語(「よつ」、「チョン」、「ジャップ」など) (5)対象に対して揶揄的であるもの(「ロンパリ」など) (6)語に差別的と思われる表現を含むものや、差別的観点から作られたとされる語(「未亡人」、「裏日本」、「土人」、「地下アイドル」など) (7)語が、語の示す人々や地域の実体を正確に表していないもの、特にその内容が侮蔑的であるもの(「ブッシュマン」、「きちがい」、「チョッパリ」など) 中国をシナ(支那)と言ったり、中国人をシナ人といったりするのは、差別、侮蔑的で許し難いですね。 「先方が嫌がっているのを知っていながらワザという人」・・・情けなく思います。 中華民国、中華人民共和国という国名があるわけですから、その国名もしくは「中国」と呼んであげましょう。 それが【一流国日本の一般人の見識】です。 「先方が嫌がっているのを知っていながらワザという人」・・・情けなく思います。恥ずかしいです。最低です。

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.12

中国の漢字で書かれた仏典にもでてくるようですが、日本がどうのこうの以前からいわゆる中国に対して当てられた漢字のようです。 隋や唐の時代から使われていたようなので(中国人もそれを排除しなかったのであれば)、不自然とはいえないでしょう。 現在も、支那を使った言葉は(異論を含め)いっぱいヒットします。 http://www.google.com/webhp?hl=zh-CN

hino_1984
質問者

お礼

やはり昔から普通に使われている言葉ですよね。 ありがとうございます。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1409)
回答No.11

 過去に私が回答した物ですが…。    http://okwave.jp/qa3762624.html  日本政府が現在でも公式文章で「支那」用いている以上、差別用語であると言うのは説得力に欠けます。  というか差別用語だと仰る方は「東シナ海(East China Sea)」を何と呼称しているのでしょうか?(漢字じゃなければ良いのですか?)  戦後の一時期には別の呼称も存在したそうですが、私も含めた一般人の常識にはなりませんでしたね?  TVを初めとした報道機関でも普通に東"シナ"海と呼称され、ガス田交渉で、当の中国人の外交官に対して用いられる言葉が差別用語と主張するのは無理が有りませんか?  ちなみに、現在の中華人民共和国の領域は、「支那」という言葉が示す領域を遥かに超えていますから、現在の国家である中国を「支那」という言葉で指し示すのは、私個人としては正しくないと思います。  昨今話題に成っている、チベットやウイグルやモンゴルや満州と言った支那とは別の民族の領域を現在の中国から除くと、中国の面積は現在の数分の1に成ってしまいますし…。

回答No.10

ラテン語系の言葉で中国を「Chine」「China」と言っているのの語源は、すでに説明のある通り、中国最初の統一王朝「秦」ですが、そんじゃぁなぜ日本人がわざわざ、ずーとお隣であった国のことをヨーロッパ経由の言葉の「当て字」で呼ぶのか、ということ自体の不自然さがまずありますね。 当初この当て字を使い始めた理由は今となっては推測しかできませんが、まず奇妙であり不自然な呼称なのは、現前たる事実です。 また現在の用法の現実は、すでにお気づきのように戦前をそのまま引っ張っている(で、ある時期以降は全般的に差別的な意味合いを持って用いられていた)のは悪意はとくにないでしょうが、あえて「中国」でなく「支那」と言いたがる人の大多数が露骨な悪意か、少なくともかなり珍妙な意地で言っているのは、疑いようもない事実でしょう。 あと普通の現代の中国人に「支那」って書いてみせても、まず通じないでしょう(笑)。だいたい、それで「シナ」と読めるかどうかも怪しいし。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.9

わたしは中国のことを中国と呼びます。それを確認してから申し上げるのですが、シナというのが差別用語かどうかは微妙なところです。現実にポルトガル人およびブラジル人はそう呼んでいますが、中国はなんの反応も示さないからです。

noname#59417
noname#59417
回答No.8

中華民国、中華人民共和国という国名があるわけですから、その国名もしくは「中国」と呼んであげましょう。 それが【一流国日本の一般人の見識】です。 Ano.5より引用再掲します。 >よその国のことを、屁理屈をつけて、向うの嫌がる呼称で呼ぶのは、バカのすることだと思います。

  • outerlimit
  • ベストアンサー率26% (993/3718)
回答No.7

現代日本に蔓延している 言葉狩りのひとつの例に 過ぎません 相手の嫌がる表現はやめよう と言うのは 尤もらしいように聞こえますが 正しい対応ではありません(その裏にあることを理解しなければなりません)(「嫌がる」も「相手の嫌がることはやめよう」も) 差別用語言って忌避することは 実態をあいまいするだけにしか過ぎないこと 言い換えられた言葉もまた 差別語であるとして忌避される 差別語云々の糾弾は、現実に目をそむける 現実から目をそむけるだけのことでしかありません 表現しなければ 差別が無くなる などは 単純な思い込みに過ぎません 中華思想にとって 支那 の 「支」が気に食わないだけです

noname#59417
noname#59417
回答No.6

ANo.5です。 >よその国のことを、屁理屈をつけて、向うの嫌がる呼称で呼ぶのは、バカのすることだと思います。 ・・・これは、質問者さんのお祖母さんのことを指しているのではありません。おそらく、お祖母さんは一般人であろうと思われますので、戦前からの流れで普通におっしゃっているんだろうと思います。 悪いのは、【先方が嫌がっているのを知っていながらワザという人】ですね。

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