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言論の自由を捨てる自由もあり?

今日NHKでプーチンとメディア統制について特集をやりました。ロシアの人々はメディア統制により言論自由が制限されると知りながらも、圧倒的な人はプーチン政権を支持しています。ロシアのジャーナリストの一人は「ロシアは言論自由を捨てた」と言いました。それも一種の自由でしょうか。この件について善悪はつけられますか。つけられるとしたら善でしょうか。悪でしょうか。

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回答No.10

> これだけはちょっと納得できないです。その国の人が一番知っていることで、なぜそれが思いこみなのでしょうか。 あらゆる人間は自分で当事者であればあるほど、自分の思い込みに囚われます。だからこそ民主主義において視点と意見の多様性、少数意見の発表の自由を絶対に担保する必要があるわけです。 民主主義は基本的に個々の人間が責任ある良心的な判断ができる存在であることを前提に作られています。そして「責任ある良心的な判断ができる存在」というのは、自分が思い込みに囚われていないか常に自覚的でいられる人間でもあります。 > もし2であれば、 基本的人権はあらゆる人間に与えられている権利ですから、もし「2」であると考えること自体が誤りです。 > 賛成反対の意見の対立が解消できないとき、結局は数で正統性を主張するしかないではないでしょうか。 そうですけれど、それは法の論理性(したがって近代民主主義は常に近代法治とセットです)と個々の人間に課せられた倫理的な責任に制約されるものです。 で、何度も言ってますが多数派であるというだけで少数派にも与えられている基本的人権、その個々人の自由を制約することは許されていません。いったいどういう正当性でそれを制約できるのでしょうか、多数派のわがまま以外に? で、「わがまま」はおよそ正当化できる理由ではありませんよね? > その国に合う政治が行われれば、善と言えなくても、悪だというのは少々乱暴ではないかと思います。 民主主義も正義も、最終的にそこに至るためのプロセスですから(何度も言ってますが…)、その段階に到達していないという考え方はありますけど、いったん到達したものを自分たちのわがままや思い込みで逆戻りするなら、そりゃ頭が悪い、ということです。 で、どうも根本的なところで誤解があるというか、抜け落ちているところがあるようですが、暴力の行使を伴うこともできる権力で押し付けることと、言論によってなんら直接的な危害を加えることなくただ知性に訴えて批判することは、まったくの別問題です。言葉は聞かなきゃいいだけで、聞かない/読まない/相手にしない自由はあります。暴力の行使を伴うこともできる権力は、無視しようにも強引に押し付けられるものです。 すみませんが、その峻別がつかないというのは、やはり「平和ボケ」ということになるかと思います…。 ロシア人の多数派がどういう判断を下そうが、その判断によって少数派の基本的な人権、とくにその自由が制約されることは問題です…と何度も言ってますが。

bonchin
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 > 基本的人権はあらゆる人間に与えられている権利ですから、もし「2」であると考えること自体が誤りです。 なるほど、これをベースに考えると、上記の回答は全て理解できます。 でも「2」というのはどの国においても現状ではないでしょうか。

その他の回答 (25)

回答No.5

> しかし、ロシア人ではない外国人がロシア人が選んだ政府を「悪」と決めつけられるか。 当のロシア国内で言論の自由を弾圧される人々が少数でもいるのであれば、それは民主主義と基本的人権を国是として憲法で堂々と標榜している日本国(ちなみに近代民主主義国家の憲法として、もっとも完成度が高いもののひとつであり、とくに「生存権」の規定を盛り込んだことはプライドを持っていい)の国民としては、しかるべき批判はするべきでしょう。少なくとも肯定はできません。 ナチス政権は疑問の余地なくドイツ国民が選挙で選んだ政権でしたが、だからって「善」とはとてもではないけれど言えませんよね。 近代民主主義というのは理想である一方で、人類が到達した政治制度のなかではもっとも安全だととりあえず言える政治制度です。その要にあるのが「言論の自由」であり、つまり政権の意思と無関係に少数意見を述べることを憲法で担保して国家権力に制約を加えていることです。だから政権が間違いを犯したときには「それは間違いだ」と批判もできますし、そういう多様な意見があることで、社会全体が常に別の選択肢をとって過ちを修正することも可能になります。 民主主義とは決して、多数派が思い通りにすることではありません。それは「全体主義」にしかなりません。民主主義とはそれぞれの人間が自分の欲望ではなく「なにが正しいのか」を真剣に考え、その意見をぶつけあうことからより高度な選択を社会の総意として見いだすためのプロセスです。 まあこういう理念の部分を、日本の学校ではなぜかまったく教えていないのが問題なんですけどね。その意味では現在のロシアの状況(全体主義への傾斜)は、他山の石だと思いますよ。

bonchin
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 > 少なくとも肯定はできません。 そこなんです。「悪」だということは批判になるのです。 「民主主義はすべてだ、これさえなければ、悪だ」と理解する人もいれば、「理想」より、ときどき人はより現実生活にあう制度を選びます。例えこれが非民主であるとしても、これも選択の自由ではないかと。欧米や日本の民主主義はまだその国には根付く環境がない、それでも欧米や日本の民主主義の価値観でその国を評価し、押し付けることは本当にその国にとっていいことなのか。イラク戦争やロシアの選挙結果に考えさせられました。

noname#118935
noname#118935
回答No.4

ロシアの民主主義は社会主義の崩壊とともに始まったので、 崩壊後の社会、経済の混乱が、あたかも民主主義によってもたらされたようににうけとめられた。 「社会主義時代のほうが暮らしやすかった」 これが民衆の生活実感だそうですから、民主主義にいい感情をもてないでいるのも無理はありません。 もともと言論の自由のない社会に暮らしてきたのですから、 言論の自由はあるけど暮らしにくい社会よりも、 言論の自由が抑制されても生活が豊かになるなら、そのほうがいいわけです。 プーチンは暮らしを豊かにしてくれた。 混乱ばかりもたらした民主主義よりも、プーチンについていく。 それが民衆の正直な気持ちなのでしょう。

bonchin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 その通りです。 言論の自由を享受している人こそ言論の自由をもっと大事にしようとしているかもしれません。これはまさに価値観ですよね。でもどんな価値観よりも、現実な生活をよくしてくれる政府についていくかもしれません。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.3

自由は捨てることはできます。 自由を主張しなければ、いいだけのことですから。 しかし、自由を制限する自由はありません。 いくら自由といっても、他者の自由を侵害することはできないからです。 (他者の自由を侵害しない範囲なら、広範囲の自由が認められるべきです) 今回のケースは「言論の自由を捨てた」のか「言論の自由を捨てさせられたのか」が問題です。 前者は善でもなければ悪でもありません。 しかし後者は(その国の憲法や法律において、禁止されていることであれば)悪です。

bonchin
質問者

補足

回答ありがとうございます。 「自由を制限する自由はありません」は響きがいいですが、現実に「無制限な自由はない」とも言われています。「言論の自由を剥奪する」とは独裁の国であっても、政府は否定しています。ほかにいろいろ理由をつけて、かなり制限をしているでしょう。なのでまがりなりにも政府は憲法や法律を順守していると言うでしょう(必要ならば憲法は拡大解釈ができます。法律はいつだって変えられます)。 今回のケースは「言論の自由を捨てざるを得なかった」と判断すべきではないでしょうか。一応反対党候補もいる選挙ですから。しかしロシアの大部分の人は与党の言論統制の弊害を無視(軽視)し、言論の自由よりももっと大事に思う「なんとか」を選んだと思います。言論自由に対する価値観の違いでしょうかね。独裁で、選挙もなくて、それに言論封じならば、政府が悪だと言えますが、今回はやはり事情があるではないでしょうか。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.2

プーチン政権を支持することと、メディア規制が並び立つものではありません。 制限の付いた自由は自由とは呼べません。 メディアが自由に論じられないのでは、明らかに悪です。 もし、プーチン氏が明日死亡したらどうなるのでしょうか? 為政者の存在で自由は変わるものではありません。

bonchin
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ただ、今回はメディア規制を容認した政権の支持ではないでしょうか。 メディアが自由に論じられないのでは、それ自体は悪です。 でも、「何らかの理由があって、言論封じをした」、それにその理由は大多数の人が賛同したとしたら、それはどうなのかと疑問を持っている現在です。

回答No.1

> それも一種の自由でしょうか。 自由から逃走する自由があるかどうか、というのはかなり巨大な哲学的命題ですが…。参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/自由からの逃走 > この件について善悪はつけられますか。つけられるとしたら善でしょうか。悪でしょうか。 言論の自由はあくまで個々人に与えられた自由ですから、ロシア人の多数派がプーチンを支持して言論の自由が奪われることに賛成するのは、単にそれを許さない一人一人の個人に与えられた自由を不当に奪うことにしかなりません。ですから、民主主義の理念に鑑みて、明確に「悪」ですし、歴史的な智慧からしても、ナチズムとかいろいろありますから、やっぱり「悪」と言ってまったく差し支えはないでしょうね。 参考まで… http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080420_wan.html …やっぱりどう考えても「悪」でしょう。

bonchin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通りです。普通に考えると、「悪」に決まっています。 しかし、ロシア人ではない外国人がロシア人が選んだ政府を「悪」と決めつけられるか。それなりの理由があってロシア国民が選んだ道です。それを理解する努力は必要ではないかと思っています。

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