具体的危険説の解釈について

このQ&Aのポイント
  • 刑法学生の質問。具体的危険説について質問がある。
  • 具体的危険説の解釈に関して、未遂犯と不能犯の区別を疑問に思っている。
  • 「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合の解釈について質問している。
回答を見る
  • ベストアンサー

具体的危険説の解釈について

刑法を勉強している学生です。 未遂犯と不能犯の区別に関して、具体的危険説をとった場合の解釈について質問があります。 具体的危険説は、「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として、社会通念に照らし、法益侵害の具体的危険性を有すると判断される場合を未遂犯、そうでない場合を不能犯」とするのですよね? さらに、「行為者の認識については、主観を処罰すべきでないから、客観的事実と合致した場合のみ考慮すべきである」と学びました。 そこで質問なのですが、「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合、次のような解釈でいいのでしょうか? 1)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者も生きている人間に切りつけたと考えている場合 =生きている人間に切りつけたと判断するから未遂犯 2)一般人の認識では死体であり、行為者は生きている人間に切りつけたと考えている場合 =行為者の認識は客観的事実に反するから、一般人の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯 3)一般人の認識では死体であり、行為者も死体に切りつけたと考えている場合 =死体に切りつけたから不能犯 4)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者は死体に切りつけたと考えている場合 =客観的事実と合致する行為者の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯 特に、一般人の認識と行為者の認識が食い違う場合(2と4のケース)これでいいのか疑問です。

noname#106175
noname#106175

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tkpai
  • ベストアンサー率70% (35/50)
回答No.1

何かの本で、「具体的危険説は、一般人と行為者の認識が食い違う場合に、何を基礎事情として危険性を判断するのか不明確である。」といった批判があるというのを読んだことがあります。 個人的な解釈としては、 2の事例ならば、一般人が死体だと認識していることを基礎事情とすれば、行為者が何と認識していようと、社会通念上は殺人の不能犯、死体損壊罪について検討すべし。 4の事例ならば、一般人が生きているように認識しても、行為者には死体を損壊している認識しかないのだから、これを基礎事情とすると、社会通念上殺人の危険性があるとまではいえない。とすると、殺人については不能犯、死体損壊罪について検討すべし。 となるように思います。 物理的見地から見れば死体損壊罪なのですから、妥当なところだと思いますよ。 ところで、全然関係ないですが、死体安置所の事例は一般人ならば死んでいると認識する場合の事例ですよ。 なので1と4の事例は面白かったです。

noname#106175
質問者

お礼

多分、法曹の方か、法律に大変お詳しい方に回答いただいたと思うのですが、わかりやすく答えてくださってとてもうれしいです。 死体安置所の事例は、択一の過去問にあったのですが、やっぱり「一般人は死んでいると認識している」と考えていいのですね。 客観的事実と一般人の認識とが異なることがあるのならば、1や4の事例だって考えられるのではないかと思ったのです。確かに考えにくいケースですが… あいがとうございました。

その他の回答 (1)

  • tkpai
  • ベストアンサー率70% (35/50)
回答No.2

1です。 私もまだ学生なのですが・・・。 もちろん法曹ではありませんし、刑法に詳しいというほどの自信もありません。 ただ刑法の問題を考えるのは楽しくて、よく勉強したので、何か力になれればと思って回答しました。 私の回答は、具体的危険説の規範を事例にあてはめただけなので、学者や実務家からすればまだまだかもしれません。 大谷先生が具体的危険説をとっておられると思いますので、参考にしてください。

noname#106175
質問者

お礼

学生ですか!! 私も法律家を目指しているのですが、この春に法律の勉強を始めたばかりで…まだまだです。 tkpaiさん目指して頑張ります。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 不能犯と未遂犯の区別について

    刑法を勉強している学生です。 不能犯と未遂犯の区別の基準について、質問があります。 具体的危険説をとった場合、「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として、社会通念に照らし、法益侵害の具体的危険性を有すると判断される場合を未遂犯、そうでない場合を不能犯」とするのですよね? しかし、「行為者の認識については、主観を処罰すべきでないから、客観的事実と合致した場合のみ考慮すべきである」とありました。 すると、「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合、一般人の認識は「甲が切りかかったのは死体」ですが、行為者(甲)の認識からすれば「切りかかったのは生きている人間」ですよね。 しかし、これは客観的事実に反するから考慮せず、「切りかかったのは死体」という一般人の認識を基礎とし、社会通念に照らして判断すると、甲の行為は殺人の現実的危険性を有しないから、甲は不能犯という結論になると思います。 そこで質問なのですが、「一般人の認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情」といっても、行為者の認識が客観的事実に反する場合、一般人の認識を基礎として判断するならば、結局、常に一般人の認識が優先することとなり、「一般人の認識しえた事情を基礎として判断する」といってるのと変わらないのではありませんか? それとも、「一般人の認識が客観的事実と反し、行為者の認識の方が客観的事実と合致する」ような場合というのはあるのでしょうか? ちょっと例が思いつきません。

  • 客観的危険説と具体的危険説について

    試験で、事例問題が出題されるようなので、いろいろ調べていると、 判断基準に客観的危険説と具体的危険説とがありました。 私自身は、具体的危険説を支持したいと考え理由として「判例だから」や「通説だから」などを考えたのですが、それではダメなようなのです。他に理由たるものがまったく思いつかない状態なので、お知恵をお貸しいただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

  • 偽証罪の客観説についてです。

    こんにちは。 いま、刑法の偽証罪のところを勉強しているのですが、 教えてください。 客観説にたった場合、実際は自分は現場にいなくて信号はみていないのに、宣誓のあとに 「信号は青でした」 と発言したところ、実際も青だった場合に偽証罪は 成立するのでしょうか? 答えでは成立するとあるのですが、青と言って実際も青なのですから、 客観的事実に合致していて、偽証罪は成立しないと思うのですが いかがでしょうか? 客観的事実の範囲がわかりません。 自分が現場にいなかったことも客観的事実にあたるのでしょうか? 大谷先生と、前田先生の基本書を読みましたが、 詳しく書かれておりませんでした。 どうぞよろしくおねがいします。

  • 刑法の相当因果関係の折衷説について

    判断基準についてなのですが 行為時に一般人が認識し又は認識することのできた事情 及び行為者が特に認識していた事情を相当性の判断基準 行為時に一般人が認識することのできた事情 及び行為者が特に認識していた事情を相当性の判断基準 と本に「一般人が認識し」が 入っているものと入ってないものがあるのですが 折衷説の中でも差があるというくらいの捉え方で いいんでしょうか。 「及び」は基礎事情のどれかに該当すれば 因果関係があるという理解で正しいですか。

  • 単純遺棄の故意で死体遺棄

    甲が単純遺棄の故意で乙を遺棄したところ,実はもう乙は死んでいた場合,客観的には死体遺棄になります。 行為者が意図した犯罪と実現した犯罪が違うので,抽象的事実の錯誤の問題になると思うのですが, 法定的符合説をとると,保護法益が違うので実質的に重なり合わない,したがって単純遺棄の故意は阻却される,となります。 この場合,不能犯の話はどのようにすればいいのでしょうか。 どのように答案を書けばいいのかわかりません。 教えてくだされば嬉しいです。

  • 人格的利益説と一般的行為自由説

    幸福追求権の学説には人格的利益説と一般的行為自由説があります。 では人格的利益説が幸福追求権の理解とした場合、どのようなことがおこりますか? また、一般的行為自由説の場合も教えてください。

  • 毒入り飲料に『危険!飲むな』と書いていた場合

     致死量の毒入り飲料に『毒入りで危険だから飲むな』と書いた旨の紙をはって公共の場に放置していたが殺人が発生しなかった場合、殺人未遂になりますか? 危険と書いていて、一般の人なら普通口にしないので不能犯にはならないのでしょうか?致死量だから未遂?  刑法を学んでいるんですがよくわからないので教えて下さい。

  • 結果無価値論と法定的符合説について

     刑法の錯誤について勉強をしている者ですが、結果無価値論にたった場合、錯誤の事例で法定的符合説を採ることは出来ないのでしょうか?  故意の内容を実質的に考える立場から、一般人が反対動機を形成できるくらいの構成要件該当事実を認識していれば、故意責任を問える。として、続いて違法行為類型である構成要件の範囲内で主観と客観が一致していれば反対動機を形成できるから、故意責任を問いえる。  というような流れで、法定的符合説を採れるかな、とも思うのですが…  結果無価値論では、構成要件段階では主観について判断しないので、責任について審査する段階では、問題になっている結果と因果経過が構成要件段階を経て確認されたことになります。  責任は主観的事情だとしても、確認した結果から責任を判断せずに、行為の側から事実を構成要件の範囲まで抽象化するのは難しいような気がするのです。  どなたか教えてください。

  • 客観的相当因果関係説で疑問です。

    客観的相当因果関係説は「行為当時客観的に存在したすべての事情及び行為後に生じた事情でも、行為当時に一般人が予見可能な事情がすべて相当性判断の基礎事情とする。」というのは理解しています。 しかし設問で、「AがBに火傷を負わせた後、Bは苦痛により水に飛び込み、結果心臓まひによって死亡した」という例で、客観的相当因果関係説では「Bの行為を一般人は予見でき・・・よって相当性があると判断する」という解答になっていました。 これは「火傷をする→水に飛び込む→結果心臓まひで死亡するかもしれない」と一般人は予見しますかね? 1.火傷をしたら水に飛び込むって一般人は予見しますか? 2.水に飛び込んだら心臓まひで死亡するって一般人は予見しますか? 3.死因が溺死でも同じ結果ですか? 私の感覚では「そういう人も中にはいるかもね?」くらいなのですが、それくらいで予見できるということでいいんですか? また、他の設問で、「AがBの頭を殴って怪我を負わせ、Bは病院に運ばれたが医者のミスで死亡した」というのは、客観的相当因果関係説からは相当性がないと判断するそうです。 一般人は医者がミスしないと思うから?だそうです。 しかし私の感覚では、最初の設問で水に飛び込む可能性と、それによって心臓まひで死ぬ可能性と同じくらいに、今の時代でいうなら医者のミスはあると思うのですが。 前者が相当性ありで、後者がないという理由がよくわかりません。

  • 行政法の要件裁量説について質問です

    要件裁量説で認められる裁量の範囲がよく分かりません。 私の持っている問題集の解答に、「この考え方(要件裁量説)に基づくと、要件充足性の判断に必要な事実の認定については、当然、裁判所の審理・判断の対象となるが、当該事実が処分の根拠となるに足る事実であるかどうかの評価については、原則として行政庁の裁量権が認められることになる」と書いてありました。 私は今まで、 1.事実の認定(公共の利益に反するかどうか)←ここに要件裁量説 2.行政行為を行なうべきか、またどのような処分をするか←ここに効果裁量説 と考えてきました。 しかし問題集によると、1.の範囲でも裁判所が入ってたり裁量権が認めてあり、どこからどこまでが裁判所で、どこからが行政庁の裁量なのかよく分かりません。申し訳ありませんが、分かり易く教えていただけないでしょうか。