• ベストアンサー

未遂犯を設定している意義

既遂と未遂があると思います。 主観的(行為者の危険性)か客観的(客観的な法益侵害の危険)など関係あるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

これは、違法性の本質をどう考えるか、という 問題です。 結果が総てだ、という考え方もあります。 その場合は、未遂と既遂は峻別することになります。 極論すれば、未遂は一切処罰しない、ということ になり、運不運で処罰が決められる、という ことにもなりかねません。 反面、過失と故意は同じに扱われます。 すると面白半分に殺しをした人間と、 誤って死に到らせた人間を、同じように 処罰することになります。 それでいいの? という問題があります。 一方で、主観が総てだ、という考え方もあります。 この場合は、未遂と既遂は同じに扱われます。 反面、過失と故意は峻別されます。 この主観説に従うと、未遂だけでなく予備陰謀 の段階でも既遂と同じに処罰すべきだ、という ことになります。 更にいえば、心で思っているだけでも処罰して しまえ、更に、そもそも悪い性格の奴は 何もしなくても処罰しろ、隔離しろ、という ことになりかねません。 実際に、ナチスやソ連の刑法にはそれに近いような ことがやられました。 こういうことを色々考えて、現代のように 主観と客観を総合して、処罰することにしたのです。

mezoriso81
質問者

お礼

組み合わせでどう考えるかわかりました。 わかりやすいです。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • jg5dzx
  • ベストアンサー率37% (98/259)
回答No.1

はじめまして。 自分の復習の意味で、日本の刑法における未遂犯に限定して、思い出せることを書いてみます。 間違いなどあるかもしれませんので、詳細はお調べください。 日本の刑法において、処罰の対象となるのは原則として「すでに発生した結果に対する責任」を問うもの(既遂犯)です。(※故意犯と過失犯、罪刑法定主義を参照) 但し、一定の罪種については、たとえその結果が行為者の予想通りに発生しなかったとしても、そのまま看過することが公共の秩序維持の観点から好ましくない場合に、明文で「過失犯も処罰する」とあらかじめ規定されているのです。 例として、殺人罪を挙げます。 刑法第199条により、人を殺した者は、殺人罪を問われます。 殺人罪の構成要件は、人を殺す意思を持って、実行行為に着手し、人の死亡という結果が発生すれば足ります。(※正当業務行為を除く、刑法第35条) 構成要件を満たせば既遂となりますが、人の死亡という結果が発生しなかった場合、殺人罪を問うことはできません。 警察官Aの面前で、犯人Bが殺意を持って被害者Cに向け、実弾が装填された拳銃のひきがねを引いたが、弾丸が当たらなかったためにCが死亡しなかった場合、(銃刀法など他罪は別論として)警察官AはBを殺人罪で捕まえることができないのです。 未遂罪を設定することによって、着手行為があれば人の死亡という結果の発生を待たずに殺人未遂罪(刑法第203条)が成立することとしているのは、侵害される法益が重大であるため、結果の発生をまたずとも違法とすることにより、法益の確実な保護を図る意図があるのです。(同じ意図で、殺人罪については殺人予備罪(刑法第201条)も規定されています。こちらは着手前の準備段階でも違法とするものです。) これがご質問の、「未遂犯を設定している意義」に当たると思われます。 日本の刑法においては、未遂を処罰するかどうかはあらかじめ罪種ごと個別に指定されています。 障害未遂、中止未遂なども併せてお調べになったらよろしいかと思います。

mezoriso81
質問者

お礼

詳しくありがとうございます。 難しいですけど、なんとなくわかります。 解説ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 未遂の成立時期と既遂の成立時期

    教科書を読んでいるのですが、未遂の成立時期と既遂の成立時期がどうも分かりません。 何点か質問させて下さい。 (1)未遂の成立時期 未遂の成立時期は、実質的行為説によると、法益侵害の現実的危険性を惹起する行為を開始した時点とされているようです。 そうだとすると、未遂の成立時期は、保護法益との関係で決まるということなのでしょうか? (2)危険犯の未遂の成立時期 危険犯は、法益侵害の現実的又は抽象的危険の発生を構成要件要素とする犯罪とされていますが、この犯罪類型の未遂の成立時期は、いつなのでしょうか? 危険の発生で既遂に達するとすると、未遂は成立しなくなるように思えるので・・。 (3)既遂犯の成立時期 既遂の成立時期は、どのような基準で決まるのでしょうか? 各犯罪構成要件について、予め犯罪類型(侵害犯とか危険犯)と保護法益を決めていて、それをもとに既遂の成立時期が決めるのでしょうか? 要は、犯罪類型(侵害犯とか危険犯)と保護法益の方を先に決めているのかどうかということです。 例えば、現住建造物等放火罪の場合は、公共の安全という保護法益があって、抽象的危険犯であると決めた上で、既遂時期を決めているということでしょうか? よろしくお願いします。

  • 不能犯と未遂犯の区別について

    刑法を勉強している学生です。 不能犯と未遂犯の区別の基準について、質問があります。 具体的危険説をとった場合、「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として、社会通念に照らし、法益侵害の具体的危険性を有すると判断される場合を未遂犯、そうでない場合を不能犯」とするのですよね? しかし、「行為者の認識については、主観を処罰すべきでないから、客観的事実と合致した場合のみ考慮すべきである」とありました。 すると、「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合、一般人の認識は「甲が切りかかったのは死体」ですが、行為者(甲)の認識からすれば「切りかかったのは生きている人間」ですよね。 しかし、これは客観的事実に反するから考慮せず、「切りかかったのは死体」という一般人の認識を基礎とし、社会通念に照らして判断すると、甲の行為は殺人の現実的危険性を有しないから、甲は不能犯という結論になると思います。 そこで質問なのですが、「一般人の認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情」といっても、行為者の認識が客観的事実に反する場合、一般人の認識を基礎として判断するならば、結局、常に一般人の認識が優先することとなり、「一般人の認識しえた事情を基礎として判断する」といってるのと変わらないのではありませんか? それとも、「一般人の認識が客観的事実と反し、行為者の認識の方が客観的事実と合致する」ような場合というのはあるのでしょうか? ちょっと例が思いつきません。

  • 一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度

    についての暴行・脅迫が用いられたにもかかわらず,被害者の反抗が抑圧されずに,財物の移転が生じた場合に,強盗未遂と恐喝既遂の観念的競合と解するのが妥当である,ということですが、刑法各論214頁,法益侵害惹起の一体性及び行為の一体性、刑法総論315頁,が肯定できるので,強盗未遂と恐喝既遂の包括一罪と解するのが妥当が正しいということにはならないのでしょうか。 法学部在学中の者です。 回答又は意見をお聞かせください。

  • 危険犯の分類

    侵害犯と危険犯ってありますね。 未遂犯、中止犯、既遂犯ってありますよね。 事前で具体的に起こす前に犯罪ってとらえる方法はありますが。 どの基準で実害なくても危険犯とされたり分類されたりするのでしょう?

  • 具体的危険説の解釈について

    刑法を勉強している学生です。 未遂犯と不能犯の区別に関して、具体的危険説をとった場合の解釈について質問があります。 具体的危険説は、「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として、社会通念に照らし、法益侵害の具体的危険性を有すると判断される場合を未遂犯、そうでない場合を不能犯」とするのですよね? さらに、「行為者の認識については、主観を処罰すべきでないから、客観的事実と合致した場合のみ考慮すべきである」と学びました。 そこで質問なのですが、「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合、次のような解釈でいいのでしょうか? 1)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者も生きている人間に切りつけたと考えている場合 =生きている人間に切りつけたと判断するから未遂犯 2)一般人の認識では死体であり、行為者は生きている人間に切りつけたと考えている場合 =行為者の認識は客観的事実に反するから、一般人の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯 3)一般人の認識では死体であり、行為者も死体に切りつけたと考えている場合 =死体に切りつけたから不能犯 4)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者は死体に切りつけたと考えている場合 =客観的事実と合致する行為者の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯 特に、一般人の認識と行為者の認識が食い違う場合(2と4のケース)これでいいのか疑問です。

  • 行為無価値についてです。

    行為無価値論ですと、違法性判断の際の基礎事情として、 法益侵害という客観面と社会秩序(=行為の態様)という主観面を設定します。 まだ責任の判断の際の基礎事情として、同じく主観面を設定します。それはやはり同じく態様を見ていきます。 では違法性のところの主観面と責任のところの主観面は同じ性質のものとみてよいですか? 主観面ー態様つながりということで。

  • 行為無価値論二元論者は客観主義(古典学派)を基本としつつ主観主観(近代学派)を取り入れようとしている、とあります.

    行為無価値論二元論者(大谷先生)は客観主義(古典学派)を基本としつつ主観主観(近代学派)を取り入れようとしている、とあります. この考えが現われた事象はなにがありますか? たしかに折衷しているのがわかるなあ、大谷先生は。 というのがわかる論点は何がありますか?? 刑罰以外でお願いいたします。 (2)行為無価値二元論者は、違法性判断の対象を結果 と態様 の二つを設定しておりますが 行為無価値二元論者は、犯罪の本質の対象を客観主義と主観主義の二つを設定してる というのを比べればパラレルのような感じがします。 とすれば、客観主義=結果=法益侵害重視、主観主義=態様=社会秩序重視 と=で結びたいのが整理好きの私なんですが あやまりですか?

  • 未遂を既遂より軽く裁くのは犯罪が完遂してないからだ

    未遂を既遂より軽く裁くのは犯罪が完遂してないからだと思いますがもしも殺す気で殺して加害者の無知で刺しどころが良かったから殺すつもりでも死ななかった場合などは既遂より軽い判決になるのでしょうか? 私はこの場合結果は違ってもやった悪意は既遂と変わらない悪意の犯罪なので既遂と同等に裁いていいと思いますがどうでしょうか?(たまたま結果が違っただけで実行した悪意の程は変わらない) もしもこの意見が違うというのなら何故国はこの裁き方ではないのでしょうか?この裁き方ではなく今の裁き方である理由を教えて頂きたいです。 三本立てです。よろしくお願いします。

  • 司法試験の刑法の定義について

    「特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為」と、 「構成要件的結果発生の現実的危険性を惹起する行為」はほぼおなじ意味でしょうか? どちらを書いても同じ意味でいいですか?

  • 未遂犯というのは挙動犯であり、実行着手が認められたらもはやその時点で未遂と認められ、

    未遂犯というのは挙動犯であり、実行着手が認められたらもはやその時点で未遂と認められ、 たとえば司法試験の論文で因果関係まで論じると「こいつはわかってない」と判断されうるのですか? 例えば、殺意をもって腹を刺して出血させたがなんとか一命とりとめた場合、ここまで出血させ死への危険性を高めたのは刺した行為によるので因果はある、としたら印象悪いでしょうか。