結果無価値論と法定的符合説について

このQ&Aのポイント
  • 結果無価値論における法定的符合説の適用可能性について疑問を持っています。
  • 故意の内容を考慮し、一般人が反対動機を形成できる構成要件該当事実を認識していれば、故意責任を問える可能性があります。
  • 結果無価値論では構成要件段階で主観について判断しないため、責任判断には問題が生じる可能性があります。
回答を見る
  • ベストアンサー

結果無価値論と法定的符合説について

 刑法の錯誤について勉強をしている者ですが、結果無価値論にたった場合、錯誤の事例で法定的符合説を採ることは出来ないのでしょうか?  故意の内容を実質的に考える立場から、一般人が反対動機を形成できるくらいの構成要件該当事実を認識していれば、故意責任を問える。として、続いて違法行為類型である構成要件の範囲内で主観と客観が一致していれば反対動機を形成できるから、故意責任を問いえる。  というような流れで、法定的符合説を採れるかな、とも思うのですが…  結果無価値論では、構成要件段階では主観について判断しないので、責任について審査する段階では、問題になっている結果と因果経過が構成要件段階を経て確認されたことになります。  責任は主観的事情だとしても、確認した結果から責任を判断せずに、行為の側から事実を構成要件の範囲まで抽象化するのは難しいような気がするのです。  どなたか教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • un_chan
  • ベストアンサー率60% (219/365)
回答No.1

 結果無価値でも、法定的符号説を採ることは問題なくできると思います。  というか、結果無価値か行為無価値かということと、故意の認識対象の範囲をどのように画定するかということは、別の話では?  故意とは、「罪を犯す意思」であり、これは「犯罪事実の認識・予見」と言いかえることができます(山口、刑法総論P.169。  で、何が認識・予見される必要のある犯罪事実化ということについては、構成要件該当事実と考えられます。  その構成要件該当事実の認識において、行為者の認識・予見した事実と実際に発生した事実が異なる場合に、錯誤の問題になりますが、この時に、どのような場合に故意を認めることができるかが、法定的符合説などの説で問われている部分です。  結果無価値論であっても、故意は、結果から客観的に判断するわけではなく、犯行当時の主観的な要素として判断されますが、その時に、どのような故意があれば非難される責任があると言えるかという基準として、構成要件要素は適切だと思います。  いま一つ、moriyosiさんの問題意識が分かりません。

moriyosi
質問者

お礼

理論上は問題がないと考えられる以上は、あまり突っ込んで考える必要もなさそうですね。  un_chanさんありがとうございました。

moriyosi
質問者

補足

 回答ありがとうございます。  自分も、行為無価値、結果無価値は行為の違法性の捕らえ方の違いだから、行為者の主観から判断される責任段階では、とくに違いはでないのではないか、と考えています。  しかし、結果無価値の立場に立つ人で、法定的符合説をとっている人を見たことがなくて、また、結果無価値論の立場から法定的符合説を採れるかどうかは疑問だ。と言われたことがありまして、自分で否定する理由を考えてみたものです。  un_chanさんの指摘をいただきまして、質問の、「責任は主観的事情だとしても…」という記述は、適切でないことがわかりました。  お尋ねしたかったことは、結果無価値論と法定符合説が矛盾するものでないか確認したかったのと、結果無価値論は、法定符合説になじみにくいとされる理由がよく判らないのです。刑法の適用は抑制的にしたいというだけでしょうか?    

関連するQ&A

  • 法定的符合説と抽象的法定符合説

    初学者ですがよろしくおねがいします。 錯誤理論の勉強をしていたのですが、 具体的符合説・法定的符合説・抽象的符合説の 3つがでてきたとき http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AF%E8%AA%A4 判例は、法定的符合説だといいます。 具体的符合説と法定的符合説の対立があり、抽象的符合説は人気がないといいます。 たとえば、犬を殺そうとして、抽象的符合説は、犬にあたってしんでいたら、器物損壊で2年以下の懲役なのに、人にあたったがために過失致死で罰金になる軽くなるのはおかしいという考え方でだから、ここは、器物破損のほうを適用して懲役にするという考え方。しかし、実際には器物は破損していないのだから、これは支持されていないということでした。つまり法定的符合説をさらに抽象化して、犯罪の意思というところまで広げるのが抽象的符合説と理解しています。 判例は法定的符合説で、例として s61.6.9 軽い麻薬所持罪の認識で重い覚せい剤所持を犯したときは両罪の構成要件は軽い前者の罪の限度において実質的に重なり合っているから、軽い麻薬所持罪の故意が成立し同罪が成立 ということらしいです。 しかし、 抽象的法的符合説と具体的法的符合説というのも出てきて、 こちらは名前が合体したようなかんじで、しかも 二つのうち抽象的法的符合説が判例だといいます。  抽象的符合説は判例じゃないのにどうして抽象的法的符合説は判例なのでしょうか?   いまふとおもったのですが、まず 具体的符合説・法定的符合説・抽象的符合説 があって判例の法定的符合説で、構成要件内での故意をみとめるが、さらに 抽象的法的符合説と具体的法的符合説にわけるのかな、とおもいましたが、よくわかっていません。宜しくお願いします。

  • 行為無価値論者からすれば、違法性判断は客観と主観の二つを対象とするとのことです。

    行為無価値論者からすれば、違法性判断は客観と主観の二つを対象とするとのことです。 では、その違法性が構成要件として類型化されたとき 違法性の主観面は構成要件の具体的にどことどこに「配属」されましたか? (2)構成要件的故意は、結果無価値には存在しない概念です。 結果無価値は「違法性判断には主観はいらない」という発想からだそうですが 責任にある要素を類型化して構成要件的故意とするのも結果無価値は許せないのですか? 第1次審査ステップである構成要件に類型的に加工した主観面があるとより多くの案件が落とせて ずいぶん楽なんだけどなあ。 「構成要件は違法・責任類型である」というフレーズはやっぱり使えないかな、結果無価値論者には。 (3)そもそも、行為無価値論者が構成要件的故意として類型化作業に入る際に、 なぜ違法性からだけでなく責任からも主観面を募ったのですか? 違法性に在った主観面だけでは物足りなかった?

  • 結果無価値は、故意を責任の段階で非難可能性として考慮すれども

    結果無価値は、故意を責任の段階で非難可能性として考慮すれども 行為自体の態様、行為者の主観的意図・目的までは考えないということですか?? 行為無価値論では考慮しますが・・・。 結果無価値は故意は責任の段階で考慮しますが 行為無価値は構成要件、違法性、責任の三段階ともどもで考慮するのですか?

  • (刑法)抽象的事実と法定符号説

    抽象的符号説の錯誤について、故意が阻却されるかという論点で、法定的符号説に立つと、「構成要件を異にする抽象的事実の錯誤は、原則として故意が阻却される。ただし、認識事実と実現事実の構成要件が同質的で重なり合う場合は、その重なり合う限度で規範の問題に直面しているので、例外的に故意は阻却されないと解するべきである」という結論が導かれるのはわかります。例えば、業務上横領罪の故意があるが、実際は横領の構成要件にしか該当しない場合、「横領」という部分の故意は認定され、横領罪の故意犯が成立するというのはわかります。 しかし、例えば、傷害のつもりが殺人となった場合、上の理屈に立つならば、殺人の故意は否定され、構成要件の重なり合う部分である「傷害」については傷害罪の故意犯が成立するのではないですか。それなのになぜ傷害致死罪などが成立する余地というか、そこまで故意を認めてよいのですか。つまり、傷害以上殺人未満の故意が認定されるということですよね?それは厳格に上の法定符号説に立つならば故意を認めすぎていることになるのではないですか?? まだ刑法は総論なので、殺人と傷害致死の区別をよくわかってないので、上記の質問が的外れなものであったならば、ご容赦ください。

  • 因果関係(錯誤ではなく)と法定的符合説

    刑法の初学者です。 問題集を解いていたら、「Xは、制限速度30キロメートルの道路を時速65キロメートルでトラックを運転中、対向車に気づいて狼狽し急ハンドルを切ったため、事故を起こし、Xの知らないうちにトラックの荷台に乗り込んでいたAが死亡した。Xの罪責を論ぜよ」なる問題がありました。 ここで、故意における法定符合説の立場とパラレルに考えて、「およそ人の死傷」につき予見可能性あり、かつ、制限速度オーバーの運転につき結果回避義務違反ありとして、Xの過失を認めるまでは理解できました。 しかし、Xの客観的結果回避義務違反という「過失の実行行為」と、Aの死との因果関係は、はたして認めうるのでしょうか? 「行為者及び一般人が予見・認識しえた事情」を基礎とすると(行為無価値論を前提)、Aが知らないうちに乗り込んでいたことは基礎事情に含められないですよね。 とすると、因果関係においても法定符合説的に「およそ人の死」とか言うしかないと思うのですが、こんなふうに言ってしまっていいのでしょうか??(←こんな基準はなかったように思うのです) それとも因果関係を否定して、過失犯を不成立とするべきなのでしょうか?? なんだかとても混乱してきました。おわかりになる方、どうぞ教えてください。 なお、問題集の解答では、因果関係についてはスキップしつつ、Xの業務上過失致死罪を認めています。

  • 刑法38条2項と錯誤論の関係がよくわかりません

    刑法38条2項 「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。」  これは、軽い罪(たとえば器物損壊罪)の認識で重い罪にあたる行為(たとえば殺人)をした場合、重い罪の故意犯は成立しないということを規定しています。  刑法における錯誤論が故意犯処罰の例外(つまり、故意のないところに無理やり故意を作り出す方法)ではなく、故意成立の限界を探ろうとする議論であると僕は理解しています(これが通説ではないでしょうか?)。この理解からすれば、錯誤事例において結果に対する故意が認められる場合というのは、その結果の認識があったと認められる場合ということになります(認識の存否の判断基準として、抽象的法定的符合説や具体的法定的符合説などが対立)。  そうだとすると、 (1)重い罪の認識がなかった場合にはそもそも重い罪が成立するいわれはないし(したがって注意規定としてはあまりに無意味)、 (2)仮に一見軽い罪の認識で重い罪の行為をした場合であっても、両者に符合が認められる限りは(例外的にではなく)重い罪の認識はあったといえるのだから、端的に重い罪で処断すればよいのであって、38条2項の適用は問題とはなりません(したがって例外規定と解することもできません)。  このように、38条2項を注意規定、例外規定のいずれと解することも妥当とは思えません。  しかし判例も学説もそのことについては一切触れず、あたかも「錯誤論=故意犯処罰の例外」、「38条2項=錯誤論の例外規定=故意犯処罰の原則通り」と解するような運用を行っています。  僕の考え方に何か誤りがあるのでしょうか? 皆さんの意見をお聞かせください。

  • 刑法の質問です。「結果無価値論」と「純客観説」は同じ意味でしょうか?

    刑法の質問です。「結果無価値論」と「純客観説」は同じ意味でしょうか? よろしくお願いします。

  • 刑法「構成要件的故意」について

    質問です。 刑法の構成要件における「故意」についてです。 事例として 甲はピストルの引き金を引いて 乙に発砲した。その結果乙は死亡した。 という場合、 まず、甲はピストルの引き金をひき発砲した。 発砲したことにより乙が死亡したと 実行行為ー結果ー因果関係が揃い 甲のした行為は、客観的構成要件に該当しますよね。 次に甲がこの時に、自分が発砲すれば乙は死ぬだろうと 分かっていて発砲したのであれば 構成要件的故意が認められるとなっています。 主観的構成要件要素として、内心の事情などとして 構成要件的故意が認められるとなっています。 ここで、疑問なのですが、刑法の基本類型においては 構成要件とは、形式的に判断されるものとなっていますが 1、まず一つとして何故、形式面なのに主観を 介入させるのでしょうか? 2、それと故意については、「責任」の段階でも 判断しますよね。 となりますと故意というのは、構成要件段階で 一度主観面を判断し、また責任の段階でも また主観面として判断するということでしょうか? バカなのか分かりやすく説明してくれるとありがたいです。

  • 刑法の錯誤についてです。

    違法性阻却事由の錯誤について、事実の錯誤説というのがあると思うのですが、 その説明に「構成要件要素に関する事実の錯誤の場合に原則として故意が阻却される」、とあります(司法協会の講義案より)。 この説明の意味がよくわかりません。 具体的付合説で故意が阻却されるというのは分かりますが、 法定的付合説ならば原則として故意は阻却されないと思うのです。 もしかして、事実の錯誤は、具体的事実の錯誤、抽象的事実の錯誤、 構成要件要素に関わる事実の錯誤と3つあるのでしょうか?

  • 犯罪事実を認識し反対動機を形成することが可能であったなら故意がありといえる

    犯罪事実を認識し反対動機を形成することが可能であったなら故意がありといえる というのはおなじみの言い回しですが しかし、「おれはあいつを殴る」と事実を認識していても 実はそれはボクシングの試合だったかもしれない。 つまり構成要件的故意の時点では反対動機を形成できず あえて違法行為を選択したとはいえないのに 実際は構成要件故意はアリとみなされ違法性にまでまわりようやく阻却されます。 なぜそれでも故意はあるとなるのですか? 犯罪事実を認識し反対動機を形成することが可能であったなら故意がありといえる というのは責任故意のみにあてはまる文言ですか?