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時が過ぎること

カテ違いだったらすみません。 最近、過ぎた時が悲しくてさみしくてたまりません。 今40代なのですが、 若いときはそんなことは全然思いませんでした。 だから年齢のせいだとは思います。 いつまでもいい時は続かない・・・ことがさみしいのです。 自分が一番バリバリと働いてたとき(若かったとき)、子供が赤ちゃんだったとき、 みーんな過ぎてしまいました。。。。 そして同じ時は二度と戻らないのです。 これから先もずっと同じ思いをすると思います。 今40代ですが、50代になったらきっと今この時をも同じように思うことと思います。 死を意識し始めたのでしょうか? 今を一生懸命に生きる、というのはよくわかるし、そうしたいと常に思っています。 しかし、過ぎゆく時への悲しさ、さみしさはどう受け入れたらいいのでしょうか?

みんなの回答

回答No.17

過去を懐かしがったり、未来に思いを馳せている間に失っている ものがあります。 2度と戻ってこない今という時です。 今を十分に堪能しようとすれば過去や未来にとらわれることは 無くなるでしょう。 

noname#63054
noname#63054
回答No.16

家内が英会話をやっていて、 good atというイディオムを練習しているという 話から、以下の会話になりました。 ところであなたの得意なことって何? オレは、買い物とカクテルの注文かな。 それは、好きなことで得意なことではないわね。 じゃ、小説が得意。 それは、へたくそなものの話でしょ。 ゴルフも・・そうかな。 考えてみたら、今の自分に仕事の領域以外で得意なことと 言ったら、人前で話すこと・・くらいですけどその話題も 仕事がらみでないとあまりにも少ないということに気がつきました。 質問者さまのおっしゃる「素の自分のウリ」は私も少ないです。 でも、45歳以降はじめた趣味や道楽。 ワインや食べ歩き、バーめぐり、好きな服を少しずつ買い 組み合わせを工夫して着ること。 ゴルフ、企画屋ゆえの雑学と読書、不動産投資などこれから伸びる 種をいっぱいもっていることに気が付きます。 それは、45歳のときに一度白紙になっていままで持っていたものを すべて捨てたその結果、自分が本当にしたかったものを10年近くの あいだにいくつか見つけて育ててきました。 人は、両手に抱えたものを一旦捨てないと新しいものを手にできない みたいです。おそらくは、一旦捨て去ったとおもえるもののあなたの 足元にちゃんとおかれたままかもしれません。 でも、私は、これから先の長い人生、自分が得意というものをこれから 作っていくことが楽しいと思うのですね。 その白紙に40歳で気が付いたということは、私より5年も早く 本当に自分がうまくなりたかったことにとりかかれるということですね。 ご自身が自分のあらたな成長の錘になっているというようなことをおっしゃって いましたが、ひょっとしたら周囲の人の圧力とかその人への遠慮とか なにか特別なことはないですか? 何かのきっかけで、お気持ちが晴れるといいですね。 私の母は、もう亡くなりましたが、40歳のとき子供を病気で亡くし 本当に気も狂わんばかりに毎夜泣きくらし、半年後に子供を授かり 42歳で高齢出産。 私の二人目にあたる弟は、親が甘やかせたせいか、大学は出たものの 職を転々として40歳近くになる今までフリーターをしています。 母は、ホルモンバランスのせいなのかどうなのか、その後10年経って 躁うつ病になり、入院。うつ状態が25年続いて、5年前に他界しました。 母の50代移行の人生は、質問者さまのおっしゃる「新しいことにふみだせない」ことに加え、 「過ぎ去った時間が悲しい」という嘆きだけでうめつくされた日々でした。 病とはいえ、ひとは貴重な人生をどうやったら台無しにできるかということを 身をもって母は私に教えてくれたといえます。 どうか、あなた御自身のことなので、私がどうこういっても始まるものでは ありません。しかしながら、わたしは、あなたの心の内に、私の母などとは違った聡明な強い力を感じます。 どうか流産の悲しい思いから一日も早くたちなおられますよう、心からお祈り申し上げます。 お亡くなりになった赤ちゃんにもあなたに伝えるメッセージがあったのだと思います。 それは、あなたを喜ばせ励ます類のことであって、おなかに宿ったということで果たした力、お母さんと交わした気持ちの交流というのは 意味のあることだったと私は思います。 それを大切になさってあげてください。

mamak
質問者

お礼

再びの回答ありがとうございます。 >ひとは貴重な人生をどうやったら台無しにできるかということ 台無しという言葉が大変心に残りました。 台無しにはしたくない、とシンプルに思えました。 前を向いて、過去よりも未来のために生きるべきだと思えました。 ありがとうございました。

noname#63054
noname#63054
回答No.15

方法は一つ。 その悲しさを全身で味わってみることです。 お話しをうかがっている限り、悲しくて仕方がないとおっしゃっていながら そう思ってはいけないと自分自身を鼓舞していらっしゃる。 感情とというのは肉体の感覚と同一で、湧き出でるものです。 体が痛いとき、医者にいく、薬を飲む。そういう対症療法や原因究明をしたがります。 心の痛みは、対症療法や原因究明で癒されることより、 そういう痛みを今の自分が必要としている そういう風に考えて、心の痛み、悲しみを自分にとって良いこと、必要なことと 考えて積極的に味わうことです。 冷たいシャワーを浴びるように あー、自分は悲しい。時が去っていくことの悲しみをこんなに切実に感じている。 それは、こういう感覚なんだなぁ あー、悲しいなぁ ・・・・・ 庭に立ち尽くしてじっと頭の上から足の裏に悲しみの感覚が通過していく様子を 思い浮かべて、悲しさ、歳をとること、時が過ぎていく淋しさ 消えていく思い出 そういう感覚を全身で味わいつくしてください。 そういう感覚は誰しもが簡単に味わえるものではないということです。 人生のなかで、決して悪い体験ではないでしょう。 いろいろな幸福とその裏側とのバランスをとるためにあなたに訪れた感覚だと 思います。 ただ、それを避けていたらおそらくいつまでたっても次のステージへは進めません。 おそらくなんらかの思いがあって次の変化を怖れる気持ちになっているのでしょう。 しかし過ぎ行く時への悲しみを全身で味わいつくせば、あなたがそこから学ぶものは なくなるでしょう。 学ぶものがない感覚はいずれは消えていきます。 受け入れるとはそういう行為をさします。

mamak
質問者

お礼

>次の変化を怖れる気持ちになっているのでしょう 40という年齢を受け入れられずにいるのだと思います。 心の底で、まだまだ私はやりたいこと(やり残したこと?)があるのだと思っているのかも知れません。 本当にしたいことは何歳になっても出来る! よく言われることです。 しかし、それを心が笑っているのでしょう。 40歳で人生のやり直しは出来ないと。 私はやりなおしがしたいのかも知れません。

  • dom2007
  • ベストアンサー率32% (24/75)
回答No.14

悲しい、寂しい・・・と思っていてもどんどん時は過ぎます。 死を意識できるのはまだ死んでいないからです。 あたりまえですが、若くして不慮の事故や病気で死んでしまった 人たちは、40代をむかえることすらできなかったわけです。 極論を言わせていただけば、生きているのだからあまりしょっちゅう 過去を振りかえって、悲しんだり寂しがったりするのはいかがなもの かと思います。 たまに昔を懐かしむ・・・くらいだったらいいと思います。 今の自分は過去の自分で成り立っているのですから、楽しい思い出 があったなら、今現在の自分も楽しい自分であるはずです。 女性も男性も40代くらいになると、ホルモンバランスの関係で 情緒不安定になる人も増えますから、もしかしたらそういった 身体的な変化も関係しているかもしれません。 ふさぎこんだ気持ちになったら散歩でもなんでも身体をちょっと 動かすといいようです。生きているんですからもっと気楽に!

mamak
質問者

お礼

身体的な変化は思い当たります。 実は先月流産をしました。 その上、たった一人の子供がこの春から入園して ぽっかりと心がさみしくなってしまいました。 そんな事情でホルモンの影響はあると思います。 今のこれは更年期というより、妊娠流産によるホルモン変化の影響かも知れません。 体が落ち着いたら、また心も前向きに戻りますかね・・・ 上手に気晴らしをするようにしてみます。

noname#63054
noname#63054
回答No.13

ロマンチストさんへ >最近、過ぎた時が悲しくてさみしくてたまりません。 何か、過去に忘れ物をなさいませんでしたか? 10代になすべきこと 今から30年前は、1978年 そうですね。世の中がオイルショックから立ち直り、カとログ雑誌や ウィークマンが流行し、その次の年にはジョンレノンがダコタアパート メントの前で銃殺されました。 あなたは、中高生で何をなさっていましたか? 好きな人に告白できずに思い残した気持ちがあったりしますか? ゆっくり、ゆっくり当時のLPレコードなど聞きながら思い出してみて ください。 20代になすべきこと おそらくあなたが女性なら、お美しくて男性にちやほやされたかも しれませんね。ここで何か大きな忘れ物、ああすればよかったという 後悔の種はありませんか。 そう、今の彼ではなく、あのとき声をかけてくれたあの人を選んでいたら 今頃。 いいのです、その先の人生を今もう一度再現して想像で20年に歳月を リピートなさってみてください。 1988年、そうですね。バブル全盛期です。東京ではジュリアナ東京が 大人気。田町の駅の汚い陸橋の階段脇からあるいて倉庫街にたどりつくと そこはなんだか別世界。 誘われて、行ったレストランも六本木のカリフォルニアキュイジーヌの店や WALLなど内外装の変わった面白い場所だったり、当時気鋭の石鍋シェフ のクイーンアリスとか。懐かしいですよね。 そうですよ。何をやりのこしたか。そこをしっかり思い出してください。 30代でやるべきこと 1998年、そうですね。当時消費税が上がったばかりで、前年マンションを 購入してしまったあなたは、新居に花を飾ったり小学校に通う男の子の世話で あわただしい日々を過ごしていましたね。 家計も苦しいし、貯金もどうやって増やしていくか頭を悩ませたはず。 そこで後悔するとしたら、あの時点底値といわれて郊外のマンションを買って しまったけれど、その後5年でずいぶんと価格が下落した。 まだまだ社宅に入っていてら、もっといい場所が買えたのに。 そうですね。それでは買わなかったことにして、その先のイメージを描いて みてください。 でも、お子さんが進学校に入学できたわけで、とってもよかったじゃないですか。 あの時、知り合ったあの人に食事に誘われたけど、行っていたら今頃・・・ みたいな話もどんどん頭の中で空想を広げてください。 >今40代なのですが、 ほら、2008年 そうやって、空想の過去、現実の過去 頭の中に並べてみてもなんら変わりは ないことに気が付きます。 服だってそうです。過去着た服の多くは気分や身体にあわなくて捨てたもの。 クローゼットのなかに着なくなった服をいっぱいしまっておくのはよくないです。 自分に必要な服が何なのかわからなくなります。 思いでもおなじこと。 >だから年齢のせいだとは思います。 >いつまでもいい時は続かない・・・ことがさみしいのです。 あなたは、お美しくて恵まれていたからそう思うのではないでしょうか。 でも、女性の真価は43歳以降です。ここで本当の美人とそうでない人の 区分けがでてきます。 >自分が一番バリバリと働いてたとき(若かったとき)、 仕事にやりがいがあって、生きる手ごたえがおありだったのでしょう。 就職当時はバブル期で世の中も景気がよかったです。海外出張など 頻繁だったし、若い人の企画で変なものが世の中にいっぱいできました。 あれも、あれでいい時代でしたね。 >子供が赤ちゃんだったとき、 そりゃ、一番生きがいをつよく感じる時代です。 子供は10歳までに恩を返すといいます。 >今40代ですが、50代になったらきっと今この時をも同じように思うことと思います。 今も豊かなんでしょう。 恋をなさったらいいでしょう。そっと隠れて、命の花を咲かせるのです。 そして自分で責任を持って、家庭に戻っていらっしゃい。 >死を意識し始めたのでしょうか? 早すぎます。 >今を一生懸命に生きる、というのはよくわかるし、そうしたいと常に思っています。 ご主人を愛せないのなら、他の人のために命を燃やしたらいいのです。 そのうち、親の介護だとかいろいろ身動きがとれない課題が降ってこないとも かぎりません。 >しかし、過ぎゆく時への悲しさ、さみしさはどう受け入れたらいいのでしょうか? 人を愛することでしか満たされません。 今まで、ご主人、お子さんに注いだ愛情をもう一度見つめなおす機会だと思います。 誰かを愛していないと自分自身をも愛せません。

mamak
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 >他の人のために命を燃やしたらいいのです。 恋ですね・・・ どうなんでしょうか? 自分が40代になると、相手がいるのかどうか・・・ 過去を振り返ってるからか、若くあって欲しく、同年代や年上にはあまり興味がわかないと思います。 かといって、自分より若い30代20代と恋をしても 自分の年を改めて気づかされるだけのような気も。 それ以前に相手にされないかも知れないし。 そういう風に、恋への楽しみもなくなりつつあります。 うちは結婚17年。 主人相手に確かにどきどきはしませんね。 今は、結婚当時のような感じではないですね。 それについても昔を思い出せば楽しかったですねー 海外旅行とか大好きだった時代があったのですが 何度も行くと最初の頃のワクワクがなくなります。 それと同じというか・・・刺激を求めてるのかな???

noname#63054
noname#63054
回答No.12

不惑といわれるからしっかりしなくちゃとか、 女性は42・3歳から容姿がめっきり衰えたりしますし 体形も変わる時期です。 だからこそ、努力しないと魅力は維持できないのでしょうね。 哲学のカテで考えることばかり先行しても身体はなまるし 元気もでません。 体と心と思考は一体のものではないでしょうか。 人は、なぜ老いるかというと、好奇心や意欲や、やりたいこと 欲しいものに対して自己否定を繰り返していくからです。 女性なら子育てが一段落してお子さんが有名私立中学に入学 ご主人は、仕事も忙しいがそれほど給与も増えないとか 男なら、一応の目指した昇進の階段は登ってきて、まだまだ 50代から先が遠いが、ゆきつく先も見えてきた。 階段の踊り場世代、芝居の幕間世代ともいうべき危ない時期です。 私は、この時期に離婚しましたし、悪あがきのような恋愛三昧の 日々を過ごしました。 このまま、自分の一生が終わるのではないかという妙な淋しさが あったからです。 不思議なもので「求めよ。さらば与えられん。」という聖書の言葉は 真理でしたね。問題は、どこまで求めるものを自分で明確に思い描くか です。 最初のうちは、自分が何を求めているのかわからない。 http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm 十牛図というものがあります。 人生をあらわす禅宗の教えだそうです。おそらく40代はここでいう 六.騎牛帰家 の状況でしょう。 しかし、家に帰りつくと牛は消えてしまう。 20代の頃、おそらくは40代の自分くらいまでを思い描いてなんとはなしに その路線を生きてきたのではないでしょうか。 しかし、これが自分だというものをみつけて、目標を達成してたどり着いた 先には、虚しい気持ちがあるだけだった。 そこで何をするかですよね。十牛図では 八.人牛倶忘が重要なのです。 ここで、すべてを忘れて、全てを捨てて白紙の自分に立ち返る。 以下は我流の解釈ですが、今までの人、家族、友人、上司、部下、皆自分を 育てて鍛えて導いて、守って、生きがいを与えてくれる相手であったけれど ここで、もう一度自分が生まれかわって生き直す気持ちが大事ですね。 現実的に考えすぎる・・・そうおっしゃいました。 現実という視野が狭くなっているのですよ。 文字通り「前向きに」考えれば、過去を振り返る必要はないです。 後ろをふりかえってばかりだと、失ったものばかりが目につきます。 私は今50代ですが70代の友人がいます。一緒に食事をしたり酒を飲んだりして 語りあいますが、20年後、自分もあのように生きていられたらいいなぁと思います。 自分がああなりたいと思うとそういう仲間が寄ってきます。 お洒落に生きたいと思うと、近所にお洒落な外人が越してきたり、近所に お洒落なショップができたりします。 現実とは、自分が引き寄せ変えていけるものです。

mamak
質問者

お礼

十牛図のことは知らなかったので 興味深かったです。 >白紙の自分に立ち返る ちょっと違うかも知れませんが、 最近、”素の”自分というものに自信がなくなってきてるようにも思います。 社会に出てから37歳で出産するまで働いていて 仕事という鎧?を着て、その下の素の自分は磨いてなかったような気がするのです。 仕事の場では「根性がある」とか「よくがんばる」とか言われていました。そしてそこから人間関係が広がっていました。 それも確かに自分の一部ですが、 出産を機に専業主婦となりいわゆるママ友との付き合いの中で 仕事の鎧抜きでの付き合いが始まりました。 そして自分の人間としてのセールスポイントのようなものがわからなくなったのです。 だから、もう一度人間を磨きなおす必要があるなと思うこの頃なのです。 それと、時が過ぎ行くのがさみしいというのは別問題ですが。 >現実とは、自分が引き寄せ変えていけるものです。 そうですね。 この言葉は力強いですよね。 37歳で出産したときに、仕事を含めてそれまでのほとんどを手放したのです。(もちろん手放してよかったからそうしたのですが) それからは、子供のためだけに生きてたようなものです。 そして、その子が入園して、また自分の時間が少しだけ出来ました。 子供の自立の始まりです。 私もまた少しずつ自分の道を探していかないといけません。 そこで、何をしたらいいものかわからなくなったのです。 嘆いていても始まりません。 焦らず、少しずつ見つけてみようと思います。

noname#29999
noname#29999
回答No.11

無常ということですね。 人は無常観に取り憑かれると生きる気力が弱まって、虚無的になり悲しみに負けてしまいがちになります。 どうしてこの世の事はすべて一時も同じ所に留まっていないのか? このことについては過去たくさんの賢人、哲学者が考え、悩みましたが答えを出した人はいません。 平家物語の冒頭の文も、方丈記も、すべてこの事に触れていますが決定的に、我々凡人が納得する答えはありませんね。 賢人でも探り得なかった真理を悩めるご質問者に答える事は出来ませんが、ただ一つすべての人に取って絶対的な事実、それは今ご質問者が悩んでいる事実、『受け入れる事の出来ない過ぎゆくときへの悲しさ、さみしさ』もまた過ぎて往くものである、という事ではないでしょうか。 凡ては過ぎていくのです。 であるならばそのまま、その流れに身を沈めてはいかがでしょうか? 誰かが定めた、凡ては過ぎゆくという真理の前には人は無力です。 大いに、その過ぎゆく時を悩み、苦しみ、惜しんで、気がついたときにはその感情も過ぎ去っているのではないかと思います。 たいていの人は生活に追われていますので、無常観に苛まれる時間はそうたくさんはないでしょうが、時を見すまして襲って来るこの感情をまったく知らないで終わる人よりは、この感情と対決した人の方がより人間的に豊かでになれるのではないかと思いますが。

mamak
質問者

お礼

いつか諦めというものが待っているのでしょうかね。。。 それもまたさみしいような気がします。 つまりは、、、この先はずっとこんな感じで、 老いとはそういうものなのでしょうか・・・ しかし、それに対抗して、心だけは老いないようにがんばります

noname#63054
noname#63054
回答No.10

>過ぎゆく時への悲しさ、さみしさはどう受け入れたらいいのでしょうか? 衣食住の楽しみに立ち返りませんか? もう若くないからお洒落などしない・・・のでなく、40代、50代だからこそ様になる お洒落ができる。とにかくショップに行って好きな服を買いましょう。 次は、まだまだ知りえない食の楽しみです。ワインを学ぶのもいいですし(もう 十分飲んだ、飲みつくしたというのならすみません)和食を極めるというのもいい。 それと、今より2倍の広さでより便利な場所に住み替えることを考えましょう。 そう考えると、まずもっとお金が必要だといういうことになって、資産を増やすという こともやらなくちゃいけません。 そうですよ。若さとは欲望の総和のことです。

mamak
質問者

お礼

欲はあるのですが、 現実的に考えすぎるようになってしまいました。

noname#57982
noname#57982
回答No.9

悠然と、(過ぎ去るものを越えて)生きるという事ではないでしょうか。満ち足りているということはそういうことであると思います。

mamak
質問者

お礼

それが難しくなりつつあるので・・・

noname#194289
noname#194289
回答No.8

kaitara1です。つまり今しかないという風に考えるということです。過去を悲しむというのも今行われているわけです。また未来を考えるのも今なのです。今悲しまなければかなしくないということにならないでしょうか。もう一つは今というのは体のことのようです。体は過去を悲しむでしょうか。あくまで心だけが悲しみます。過去の不摂生の結果病気になってもつらいのは今です。過去を後悔するのは心だけです。つまり大切できるのは今しかないのではないでしょうか。

mamak
質問者

お礼

今このときを・・・ そうですね。 あまり過去を思わないようにしていきます

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