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江戸時代”禁教”が行われるまで、仏教は普及していたのですか?

今日本の宗教心というテーマで小論文を書いているのですが、少し分からないので質問しました。 江戸時代以前の授業で、空海最澄・・・法然親鸞と多くの仏教の宗派の人物を勉強したので仏教は普及していたのか?と思ったのですが・・・ 本当のところ教えてくださいm(__)m

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回答No.2

そもそも、仏教を統制して幕府に従わせようという思惑が生まれたということは、それだけ仏教が「普及」していたからでしょう。幕府が危機感を覚えるほどに「普及」していなければ、わざわざ「法度」を出す必要などなかったわけですから。 法然、親鸞は、庶民の間でかなり信仰されていたでしょう。先の回答者さまのおっしゃるとおり、一向一揆を見れば分かると思います。日蓮宗もそうだと思います。「難しい言葉を勉強しなくても、“南無阿弥陀仏”“南無妙法蓮華経”と称えればいい」という教えでしたから。 そのような信仰のもとに、幕府に都合の悪いように団結されては幕府は困るわけですから、統制がなされたわけです。 また、最澄、空海、あとは禅宗関係は、庶民というよりは朝廷、貴族、武家のものと言えるでしょう。比叡山延暦寺の焼き討ちなどは、政争の具にされたのであって、「権力者」対「仏教信者」という図式ではなかったので、そういう面では、信仰の広がりを知ることには直接、繋がらないように思います。 このあたりのことは、戦国時代の天皇や武将について少し調べれば、彼らが仏教(限られた宗派ではなく、複数の宗派にまたがって)を信仰し、手厚く保護していることが分かると思います。 武将などは、信仰するだけではなく、僧侶は当時の最先端の知識人でしたから、ブレーンとして重用していたとされています。 そういう僧侶を統制することで、反逆者の擡頭を許さなかったということでしょう。 あと、『日本霊異記』などの仏教説話をご覧になると、かなり古くから庶民の間に仏教的な教えが浸透していたことが分かると思います。 なんだか、ちょっとまとまりのない書き方になってしまいましたが、意をお酌み取りいただければと思います。

kawa5542
質問者

お礼

ありがとうございました。 調べたらある程度の割合が分かりましたm(__)m

その他の回答 (1)

noname#74443
noname#74443
回答No.1

 一向一揆を起こしたのは何教徒だったのか?  比叡山永平寺を焼き討ちしたり石山本願寺を落とすまでにどのくらいの兵力を使ったかを調べると、普及していたかどうかが分かると思う。

kawa5542
質問者

お礼

ありがとうございました。 調べたらある程度の割合が分かりましたm(__)m

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