• ベストアンサー

法と仏どちらが大事か?(仏教)

仏教カテゴリーの質問を見ていて疑問に思いました。 実際のところどうなんでしょうか。 というのも、仏教のカテゴリーにおける質問の多くは↓ たとえば、悟りとは何か?輪廻転生は何か?中道とは何か? 仏とは何か?我はあるのかないのか?空とは何か? このように、何か?という質問が多いような気がします。 シッダッタに聞いたら毒矢のたとえで一蹴されそうな気もしますが、 仏陀になったという存在と、法という智慧の内容と どっちが重要なのでしょうか? もし、回答してくださるのであれば、申し訳ないですが 「厚く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」 これは禁じ手とさせてもらいます。

noname#52670
noname#52670

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pojipoji
  • ベストアンサー率32% (53/161)
回答No.12

仏も法も執着することなく捨て去るものであるというのが教えであると理解しています。手段ですから。 筏のたとえ http://www.geocities.jp/princegifu/budaint3.htm http://www1.odn.ne.jp/ceu55990/IKADANOTATOE.html

その他の回答 (15)

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.5

ブッダって、今風にいうと「覚めた奴」なんですよね。空気を読んでクールに立ち回る人間・・・なのかな~ つまり、ブッダ(覚者)と法(ダルマ)は一緒なんだす。覚めた奴は空気のようで、空気とガッタイしたものと考えていいのじゃないかな。 法を説くことは、法の上ッ面をなでるだけで、本当の法を理解出来はしません。法を体現することが、覚りです。

noname#52670
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もちろん、どちらも大事だと思います。 でも、それだと答えが見えてしまっているので こんな「どちらか?」の質問にしてみました。

  • miledoor
  • ベストアンサー率13% (25/180)
回答No.4

仏法と彼岸は異なるものではなく、彼岸と仏法は同じものである。 菩薩も、教えが無ければ、如来には至れなかったでしょう。 法を得、彼岸に至る。法なくして彼岸への道は無し。 彼方に到達したとたんに、法を捨てれば奈落に落ちるでしょう。 どちらが ではなく どちらも大事。 他の3大宗教は絶対神制なので、「どちらが?」というものがあるかもしれませんが、仏教において「法と仏どちらが大事か?」という考えはないでしょう。 ですが、個人的には、法が仏に先んずるものであるのかとも思います。まあ、無理矢理な序列付けですが。

noname#52670
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もちろん、どちらも大事だと思います。 それでも、どちかといえば法でしたか。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.3

>どっちが重要なのでしょうか? 法なくして仏陀になった者がいるのでしょうか? 答えは明白だと思いますが。

noname#52670
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 法重視派ですね。 もちろん、法なくして仏陀になった人がいないのは その通りです。

回答No.2

仏は彼岸、法は渡し舟でしょうか。 向こう岸に渡れば、もう舟は不必要で 忘れていいものでしょう。

noname#52670
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どちらか、というと 仏陀重視派という感じでしょうか。 もちろん両方大事だとは思います。

noname#152554
noname#152554
回答No.1

>仏陀になったという存在と、法という智慧の内容と どっちが重要なのでしょうか? 私なりの考えですが。 仏陀になった「お釈迦様」は、もう2500~2600年くらいも前に、お亡くなりになっています。 でも、その教え(法・智慧)は、今でも健在、に、近いです。 その考えでは、法(智慧)の方が重要かもしれません。 しかし、補足すれば、「智慧」は万物に備わっていると言う様な考えもあります。 「密教的」になりますが・・・。 その考えでは、上の二つは「どちらも重要」。 そうも考えられますね。

noname#52670
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どちらか、というと智慧派ですか。 もちろん「どちらも重要」なことは 確かですよね。

関連するQ&A

  • 輪廻転生(生まれ変わり)について

    最近、仏教に興味をもち、輪廻転生についての疑問が湧いたので質問させて頂きます。 日本でよく「生まれ変わる」とありますが、これは輪廻転生のことを指していますよね。 仏教では、悟りを開くことにより、輪廻転生から解脱できるとありますが、この輪廻転生とは昔から悟りを開けなかった人たちがずっといつまでも生まれ変わりを繰り返していることになりますよね?ということはいま生きている人たちは善行を行ってこなかった人たちの生まれ変わりということになるのでしょうか? まだ仏教についてよくわかっていないので、簡潔でわかりやすい説明をお願いします。

  • 仏教の輪廻転生で転生するものは何ですか?

    輪廻転生についてお尋ねします。輪廻転生で転生するものは何でしょうか? 魂なんでしょうか?いろいろな生き物に転生するようですが例えば同じ人間に転生したとします。人間Aが人間Bに転生したとします。その時にAとBで共通なものはなんでしょうか? 記憶、性格、知能などは同一ではないですよね。 何かの共通点がないとAとBは無関係な人ということなりはしないでしょうか? それからついでに日本の仏教では死んだ人はすべて仏になるのでしょうか? それとも仏になる人と輪廻転生する人に分かれるのでしょうか? それともみな輪廻転生しているのでしょうか?

  • 仏教・四苦について

    仏教における四苦について質問です。 四苦は確か「生老病死」だったとおもうのですが、なぜ「死」は苦しみに入るのでしょうか? もともと仏教はバラモン教が元になっていて、バラモン教の考え方は輪廻から解脱しよう、といったものだったと記憶しています。そして仏陀はその解脱するために四苦八苦を受け入れなければならない、と説いているはずです。 しかし、縁起の法を理解し四苦八苦を受け入れ中道を選んでいくと解脱できることになり、それはつまり「死=苦しみ」でなくなる、ということではないでしょうか? 長くわかりにくい文章で申し訳ないのですが、回答いただけるとありがたいです。

  • 無我説と輪廻及び仏の存在

    仏教では万物は縁によって諸要素が仮に結びついて成り立っているに過ぎず、 永久不変の実体は存在しないと説きます。 しかし一方で輪廻も説かれますが、では不変の実体が 無いなら何が輪廻しているのでしょうか? また悟りを開いてブッダになれば輪廻から解脱すると説かれますが、 仏の存在は諸行無常の外にあるのでしょうか? 歴史的人物のゴータマ・シッダールタは何千年も前に亡くなったのに、 釈迦如来と呼ばれて信仰されているというのは、仏は永劫の実体を持っているということでしょうか? まして密教では大日如来がこの宇宙の根本の実体であるとされますが、 大日如来と無我説の関係はどうなるのでしょうか? はたまた浄土宗等では阿弥陀如来や極楽浄土が信仰されていますが、 阿弥陀如来は縁によって生じた仮の存在ではないのでしょうか? この質問に特定の宗派を非難したり、仏教を否定する意図はありません。 純粋なる疑問です。

  • ゴータマ・シッダールタの説いた教えとは?

    ゴータマ・シッダールタには師がなく、自らの修業の末に啓示を得て教えを説いたと聞きました。 そのときシッダールッタが説いた純粋な教えとは何だったのでしょうか。 仏教は歴史が古いのであとから付け加えられたものが随分あると思います。 八正道などは分かりやすくてよいのですが、次のようなものを本人が説いていたのか疑問に思います。 1.仏像などを造ることを許していたか?偶像崇拝の禁止。 2.捨身飼虎などの自らの過去世の話。 3.人間の魂は輪廻転生するものである。 4.輪廻転生の鎖を断ち切ることが悟り。 5.只管打坐。ひたすら座ることで悟りを得ることが可能。 6.須弥山を中心とする三千世界。 7.仏を守護する天や明王の存在。 8.阿弥陀仏来迎や極楽浄土の存在。 9.未来仏である弥勒菩薩の存在。 10.宇宙の中心の大日如来の存在。 11.末法思想。

  • 仏教について

    歴史学、若しくは宗教学から見た下記質問へのご教示をお願いします。 1.ゴータマ・シダッルタは本当にこの名前だったのですか?   (ゴータマは正しいが、シッダルタと言うのは初期経典には書かれていないと言う文章をどこかで読んだので) 2.仏陀自体は経典を書かれた事は無いのですか? 3.最初の経典が書かれたのは、仏陀が入滅してから100年後ですか? 4.仏教史から見て、仏陀の初期教団が何らかの格闘技をやっていた事実が書かれている経典があるのですか? 5.仏陀はシャーキャ族の王子だったのは歴史的事実から見て正しいのですか(この質問は仏教経典での事実は除きます)? 6.(話しは飛びますが)、真言宗は大乗仏教ですか?その場合、密教=上座部仏教と言うのはまるきり間違いなのですか? 7.伝法阿闍梨、大阿闍梨は日本に何人ぐらいいるのでしょうか? 以上、宜しくお願いいたします。

  • 輪廻転生について

    カテゴリが違ったらすみません。 仏教などでは死んだ人間はまた別の命として生まれ変わったり、 仏様になると教えているようですが、 仏様になった場合、それが輪廻転生の終着点ですか? 仏様は死んで他の生き物に生まれ変わる事はないのですか?

  • 仏教の究極のゴールは人類消滅ですか?

    仏教の究極のゴールを考えてみました。人間個人のゴールは悟りを得て輪廻の輪から離脱することですよね。悟れないうちは輪廻の中をぐるぐる回る。 仏教の究極のゴールは全員が悟って輪廻から脱却することだと思います。 当然、人類は消滅しますよね。誰も苦しまない世界がやってきます。 と考えたのですが、仏教の理想は全員の悟りと、その結果としての消滅というのは正しいですか? ここから質問と直接関係ないですが・・・ 仏教がゴールに到達できない可能性もあります。それは仏教を信じている人だけすべて悟りに到達して、仏教を信じている人がいなくなってしまうことです。 そうするとこの世にはキリスト教など他の宗教を信じる人しかいなくなりますので、悟りには到達できません。いつまでも人類が残ることになります。つまりいつまでも人間は苦に苦しむことになります。 ついでに書いておきますと人を殺しても輪廻の輪をめぐってまた誕生してきますので人類が減ることには関係ないです。悟りにより転生してくる魂が枯渇することにより新生児がいなくなることによって人類は減っていきます。 ちなみに人間がみな悟りに到達するより先に太陽系が崩壊して滅亡するという可能性もありますが、ご心配いりません。太陽系崩壊が50億年ぐらい先だそうですが、仏教で考えている時間はそんなに短いものではございません。仏教で考えている時間は太陽系が崩壊してさらに時間を経て宇宙が崩壊し、そこから次の宇宙が生まれて生物が進化して人類が生まれて宇宙が崩壊して・・・のサイクルを何十億回も繰り返す時間スケールで考えております。これくらい時間があればすべての人類が悟るには十分な時間なのではないでしょうか。

  • 仏教の中では、主なお仏様(読み方も含め)を教えていただけないでしょうか。

     日本語を勉強中の中国人です。カテ違いでしたらすみません。宗教のカテゴリーは見つけられませんでしたので、哲学のカテゴリーに投稿させていただきます。  仏教の中では、主なお仏様を知りたいのですが、どなたか読み方も含め教えていただけないでしょうか。  また、質問文の中に不自然な日本語の表現がありましたら、そちらについてもご指摘くだされば大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

  • またまた仏教のことで。。。

    以前ここで仏教のことについて質問したのですが、またわからないことが出てきたので教えてください。  仏教の最終目的は縁起に沿って四諦を理解し、八正道を身に付け、煩悩を消滅させ、涅槃に達すること。 涅槃に達すれば永遠の至福を得ることができて、四苦八苦から開放される。四苦八苦とは輪廻転生を繰り返す間にであう4つまたは8つの苦のこと。 つまり、(ここからが質問) 涅槃に達する(有余涅槃)ということは輪廻転生の輪から外れるって事で、もうこの世に生まれてくることは無いのですか?永遠に涅槃の状態でいるのですか?生まれ変わったとしても、その魂は至福の状態であるのでしょうか?