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日本は明治維新の際、なぜ外国からの借款を必要としなかったのですか?

yakyutukuの回答

  • yakyutuku
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回答No.3

 明治初期は、外国から借款する前に国内から金を集めていました。 特に有名なのが、富豪に銀行を作らせ、兌換紙幣を発行させる。発行した紙幣の半分を政府に納めさせるというものです。  まだ外国から借款というのは現実的でなく、国内の金持ちから金を集めることに奔走していました。もう一つは明治維新期はまだ、列強にとって日本など植民地にすべき後進国でしかありません。借金の担保として要求されるのが、領土であったり、なんらかの商品の独占商業権であったり要求するものが、植民地への足がかりといったものだったでしょう。(小栗が金を借りた担保は蝦夷地だったという説もあります。)  

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