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お年寄りが安心して独身の息子と暮らせる方法を教えてください

独身の息子と暮らす80歳ので女性、持病があり、食事療法をしないといけないのですが、炊事をされません。パンと牛乳と言う食事で済ませていらっしゃるようです。 歳相応に物忘れがあり、食べきれないほどの買い物をされたり、出かけたらふっと帰り道が分からなくなったりされるようです。 今は、病院には息子が仕事を休み連れて行っています。 しかし、頻繁になるとそれもできないでしょう。 現在のことろ、要支援でもありません。 今の大きな家を売って、お母様を介護付マンションにはいっていただこうと思ったのですが、家を売ることの同意は得たものの、介護マンション入居はお母様が同意されません。 息子は、仕事があり、ずっと一緒にいることができません。 二人で一緒に暮らし、食事のこと、留守の間の心配のないようにするには、どうするのが一番よい方法なのでしょうか? お母様の希望は、息子と大阪市内で暮らしたい。と言うことなのです。 他人を家に入れるのも嫌とおっしゃいます。 皆様のお知恵を拝借したいのです。よろしくお願いいたします。

みんなの回答

noname#140971
noname#140971
回答No.2

Q、<最善の解決策を提示>することが愚考なら、なにをすればよいのでしょうか? A、<人を変える>という最も困難なテーマに挑戦することです。 先ず、<最善の解決策<>絶対的な解決策>だということ。 先ず、<最善の解決策=相対的な解決策>だということ。 老人介護において満足な環境を整備することが出来なくて四苦八苦。 これは、これから多発する問題です。 現実問題、妻の弟夫婦がこれで一家崩壊の危機に陥り義母を私が引き取りました。 一体、何が、弟夫婦に欠けていたのか? それは、介護に臨む物の見方・考え方です。 どんなに困難な状況下でも、その中でもベターな選択、ベストな選択があります。 目の前の困難に頭を垂れるよりも、ベストな選択の一つひとつを選択し続けること。 <状況を解釈し悩むよりもよりも日々の変革の蓄積を重視する>という考えが大事。 目の前の困難だって、永遠に続くもんじゃないです。 この日常の些細な変革を蓄積する戦いを放棄しないことが介護者の心構えです。 そういう日々の中で<絶対的な解決策>ではないが<相対的な解決策>を発見します。 それぞれの事情があるがゆえに、所詮は、<相対的な解決策>しか発見できずに終わるでしょう。 しかし、それは運命というものです。 しかし、それはそれとして受け入れていかねばなりません。 <最善の解決策も見つけて提示する>・・・これは、誰にも出来る簡単なことじゃないでしょうか? しかし、介護者の物の見方・考え方を変えていくのは、実に、困難な取り組みじゃないですかね。 介護という全体概念も、実に、細かな部品の集合体で形成されています。 その全体を見るだけでなく、一つひとつの部品のあり方も吟味しなきゃならないです。 そうすれば、一つの介護方針というものに行き着くでしょう。 それは、再び、現実の諸条件で肉付けして新たな介護環境として実態化しないといけません。 <日々の変革の蓄積>は、このように極めて実践的な探求行動を通じて達成されます。 弟夫婦は、こういう取り組みをすることが出来なかったのでしょう。 問題は、息子さんの物の見方・考え方の変革です。 結果として、<介護付きマンション入居>が浮上するかも知れません。 が、それが先にありきじゃないです。 それは、あくまでも、当事者の実践的な探求行動の結果でなければなりません。 そうであるように援助・サポートすることこそが肝心です。 「なんか、重大な勘違いをされてやしませんか?」と言う理由です。

noname#55157
質問者

お礼

御意見ありがとうございます。 御回答者様のお義母様は、優しい娘と、あなたいう義理の息子さんをお持ちでお幸せな方です。 どうぞお大事にしてあげてください。

noname#140971
noname#140971
回答No.1

なんか、重大な勘違いをされてやしませんか? 介護の必要なお年寄りと介護困難な親族。 こういう家族を援助しサポートすることは必要なこと。 しかし、それは、<最善の解決策を見つけて提示してやること>じゃないです。 こういう請負主義は、百害あって一利もない愚行です。 この援助・サポートの大原則を踏み外す理由は何でしょうか? そこんとこを補足されたがいいです。

noname#55157
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。

noname#55157
質問者

補足

すみません。おっしゃっている意味がよく理解できないのですが、わたし自身の父が10年以上にわたって介護を必要とし、私は、母の老老介護、介護を助けてくださる方への気遣い、病院探し、病院のたらいまわしその間の母の病気、入院を体験、目撃してきました。 父の痴呆による暴力(大したものではなかったのです)により、付き添いさんに訴えると言われたことさえあります。 そのために、母は自ら、介護付きマンションに入居しました。 御回答者様はご立派に介護をされてきたのでしょうが、仕事を持った独身男性にとって、それは、困難なことであることは明白で、老人の毎日のように、いいえ、その瞬間ごとに変わる「要望」に応えることは、身内なればこそきつい、と言うことも体験上、理解しています。 昨今の、息子による老婆殺しは、母親のことを想うがあまり、母親に振り回された挙句のことのように感じております。 相手を思えば想うほど、精神的負担は大きくなります。 母息子の場合、お互いの遠慮などもあいまって、素直な気持ちさえ伝わりません。 私は意思の疎通を図れない双方がお互いのことを思うが故の行き違いであることをお母様にお話しております。 しかし、私には、冷静に理解を示してくださるお母様も、息子の前では冷静さを失われます。 二人のことは二人で決めればいいことです、しかし、当人同士で何でも解決できるなら、調停委員、弁護士などと言う仕事はいらないはずです。 <最善の解決策を提示>することが愚考なら、なにをすればよいのでしょうか? たまにお訪ねして、お食事を作るくらいは出来ます、お薬はちゃんと飲んでくださいねと言うこともできます。しかし、24時間お母様の身の安全を確保し、精神的にケアしてあげることは出来ません。 ただ、二人がお互いをつぶしあっていくのを見ているだけでしょうか?

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