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中国の近代以前の華夷秩序について
中国の近代以前の華夷秩序とは、どういったものなのか、具体的に教えてください。よろしくおねがいします。
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華夷秩序とは簡単に言うと、文明を持つ民族である「中華」と野蛮な民族である「夷狄」を区別し、中華が夷狄を指導し夷狄は中華に服従するという秩序を求めるものです。具体的には、中華のさらに頂点である天子(皇帝)を唯一絶対とし、夷狄は天子に服従のしるしとして朝貢を行い文字や暦や元号などに中華のものを使う、天子は中華の恩恵として朝貢以上のものを与えてやる、ということが挙げられます。夷狄とされた民族はその代償に、文明の恩恵と経済的なメリットを受けられたわけです。 文明を基準に人々を区分し、リーダーが文明の恩恵を周囲にもたらす――という理想を掲げるわけですが、逆に見れば、それぞれ独自の文化を持つ民族に対して外部の秩序を押しつけている、とも言えるわけです。 この背景として、中国の歴史が、農耕民族である漢族と遊牧民族あるいは採集民族である北西方のトルコ系・モンゴル系・満洲系民族との争いの歴史であったことを踏まえる必要があります。農耕民族は確かに高い文明と経済力を手に入れたわけですが、軍事力は全体に劣っていました。遊牧民族がその気になれば(人口の差を除けば)いつでも征服される状況におかれていたわけで、いわばその恐怖心から華夷秩序ということを言い出した、とも考えられます。理屈から言えば、中原(中国の中心部)に住み着いて中華文明を受け継ぎ発展させていれば、トルコ・モンゴル・満洲系民族でも中華を名乗れるはずですが、漢族の民族感情はそれを認めない傾向にあったようです。ここから、華夷秩序が建前とは違い、民族差別そのものを意味していたことが判ります。 この秩序は本来無関係な南東方の農耕民族にも押しつけられ、こちらの方面では成功しました。日本で漢字を使っているのが、その結果の一つです。