• 締切済み

植民地経営で天皇はどれぐらい儲けたのですか?

k99の回答

  • k99
  • ベストアンサー率47% (491/1025)
回答No.4

 戦前の皇室の財源ってぇのは、大半が土地と森林でした。土地を大体長野県ぐらいの面積持っていて、殆どが御料林。これの上がり(木材売却などの利益)があったんです。今と違って外材なんて無かった時代ですから。  これに比べれば、有価証券類は微々たるモノです。また、性質上、積極的な投機は以ての外で、お堅い産業の株を保有し続けるというスタイルでした。  ですので、先賢御回答の通りそもそもありえない話ですが、万万が一「植民地経営から生じる莫大な利益」があったとすれば、株から配当という形で還流した可能性はあります。  でもそれはほぼ無いですし、配当なんてたかが知れてます。  さて、戦前の天皇家は様々(なんせ、ナチから贈られた菊花紋入りルガー拳銃なんて価格をどうつけるのか理解に苦しむ財産もあります)引っくるめて総額37億円の財産を持ってました。大半は森林、その他有価証券や美術品など。  ただし、これらの上がりで、宮内庁職員や、学習院や帝室博物館の運営、勲章の授与などの栄典など、現在国などが行っている業務も賄っていました。ま、ポケットマネーで国の業務をやってたんですな。  これらは予算をつけないことで、「神聖不可侵」の皇室に対して国会などが介入することを防ぐための措置です。  このうち敗戦時に33億円を財産税と言うことで納税しています。美術品類なんかは払い下げたりして(散逸すると困るし、帝室博物館のコレクションなんかは実質天皇のモノではないし)1500万円ぐらいまで目減りしました。  また、これでは皇室はやっていけませんし、国会の管理を届かせる意味でも、現在のように国家予算で皇室経済を賄うようになりました。  なお、昭和帝が崩御された際に、相続人が受けとった財産総額は18億円余。残った1500万円の金融資産を運用した結果のようです。これも銘柄不明ですが、やはり基幹産業銘柄を手堅く保有と言うことなんだと推測されています。

luuuucccckkkyy
質問者

お礼

御回答有難う御座いました。 やっと皇室の財産についてご回答を頂けましたね。 自分が調べた限りでは、天皇の資産は以下のようなものだったらしいです。。。 (高岩仁監督著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より) ◆明治天皇は日清戦争の賠償金から二千万円を手に入れた。 ◆明治天皇は台湾の最大の産業、台湾製糖の第二位の株主になって、20年後には100%の配当を手に入れていた。 ◆1904年当時、京釜鉄道の最大株主であった。 【天皇家の保有株数(1942年)】 会社名 株数 日本銀行 211528 日本興行銀行 22725 横浜正金銀行 224912 北海道拓殖銀行 3000 日本勧業銀行 12750 第十五銀行 3055 第一銀行 5000 三井銀行 4500 三菱銀行 4500 住友銀行 3000 三菱信託 5000 北海道炭鉱鉄道 159776 日本汽船 161000 大阪商船 12825 台湾銀行 15132 朝鮮銀行 2600 南満州鉄道 37500 東洋拓殖 50000 台湾製糖 39600 東京電気 23842 東京瓦斯 62068 帝国ホテル 14700 合計 993103 そして・・・・最終的に戦後の皇室財産です。。 ◆【1945年当時の皇室財産資産】 種別 数量 評価額 備考 土地 1352210町歩 362,293,953円  平均1反歩26円70銭に当たる 木材 561519千石  592,865,000円  1石につき約1円に当たる 建物 約150000坪  299,296,657円  坪当たり約2000円 現金        24,788,387円    有価証券      311,871,503円  購入及び出資金額による 合計 1,590,615,599円    *********************************** 総額37億円というのは、 http://plaza.rakuten.co.jp/kamuynupe/diary/200606080000/ より、当時の毎日新聞によると、上記の額に美術品・宝石および金銀塊の額を加えたものらしいですね。 天皇が大量の株を保有していた企業は、ほとんど日本が行なう侵略戦争に関わっている企業や戦争の結果獲得した植民地支配関連企業のようです。つまり天皇は、日本が侵略戦争をして、植民地を拡大すれば着実に巨大な利益が得られる仕組みになっていたようなんですが・・・。なんかここのトコロをもっと詳しく知りたいんですよね。。。

関連するQ&A

  • 日本の植民地支配について

    勉強不足ですみません。日本の台湾と朝鮮における植民地支配についてお伺いします。日本はなぜ台湾や朝鮮を植民地にしようと思ったのでしょうか?植民地にすることで日本に何か有益となるものがあったのでしょうか?日本は植民地支配を賛美しているって聞いたのですが、何をどういう点で賛美しているのですか?植民地支配のことでまだ日本と韓国はギクシャクしてるんですか?でも、台湾と日本の関係が悪いようには聞きませんが。

  • 日本と西欧列強の植民地統治の違いについて

    第2次世界大戦前の西欧列強の植民地統治についてお尋ねいたします。日本の朝鮮・台湾の統治と比較した場合の特徴的な違いなどありますか?

  • 植民地とはなにか

    こんにちは。 歴史の教科書に出ているザビエルは実はスパイだったという説を聞きます。 まーそりゃそうでしょう遠くからわざわざ布教しに来るわけですから。 大日本帝国でも満州国などに傀儡政権を樹立したり、神社を建てたり、日本語教育をするなど植民地政策のようなことをしています。 マッカーサーは天皇陛下にキリスト教工作員をつけてキリスト教徒にさせようと企んだという。 日本人は植民地政策をされまくりでありながら何もわかっていない哀れな家畜。 他国を支配し、傀儡化し、魅了し、洗脳し、文化侵略等で弱体化していく植民地政策について、情報がなさすぎるのでご存知のかた、どういうものなのか、戦前の日本はどういう植民地政策を取っていたのか、日本に取られてきた植民地政策とはなにかご助言ください。よろしくお願いします

  • 植民地経営ってそんなにもうかるの?

    17~20世紀初頭まで、列強はアフリカ、アジア、アメリカを植民地にしまくりました。特に大植民地帝国であった大英帝国が世界をリードする金と、そのおかげで力を得たと言われています。私の疑問は、そんなに世界各国に植民地をつくって、本当に儲かるのかということです。 例えば、イギリス。インドを植民地にして、そこで採った綿花で衣服や靴下を作って、中国人やヨーロッパ人に買わせ、儲けたと言います。お茶もそう聞きます。しかし、今みたいに流通が発達していない時代で、そんなに売れますかね? 中国人なんて、洋服や靴下を着用する習慣あったんですか?庶民が買わなきゃ利益なんてたかが知れてますよね?お茶も自分の国で採れますし。まして、奥地(たとえば四川とか)まで売りに行くのはコストばかりかかって、儲からない気がします。盗賊も横行してそうだし。どうなんでしょう? 大英帝国はその後、第一次世界大戦の4年間?で、それまで数百年蓄えた資産をすべて使い切り、その十倍近い借金が残ったと聞きます。数百年でその貯えなら、本当は儲かってなかったんじゃないですか? 続いて、日本に対する疑問。大日本帝国は、満州など中国大陸に進出しました。その目的は、地下資源であったり、農業であったり、市場囲い込みであったり、ソ連からの防衛であったりと言われています。ソ連からの防衛はともかく、地下資源があるなら、第二次世界大戦で、他の国と揉めること(石油売ってくれとか、鉄鋼売ってくれなど)もないような気がするのですが。戦争中、満州の地下資源て本当に役立ってたんですか?農業も寒くて稲が育たなそうだし、どうせなら台湾でやればいいじゃないですか?市場にしても、そんなに貧しい国民が物を買うんですか? よく聞くのは、中独が戦前まで同盟していて、ナチスが日本と結んで、中国と連携を破棄した時、ドイツ商人が、満州よりも中国(長城以南)の資源の方がよっぽどおいしいと言って残念がったらしいです。 そんなに中国って資源があるんですか?アフリカとか中東の方がいっぱいありそうじゃありませんか?どうなんでしょう?帝国主義時代の最後の方の列強の植民地への注目って、もはやアフリカより中国だったのですか? 補足質問:何で列強は今まで散々ひどい手を使って植民地を拡げてきたのに、日本の満州は認めなかったのですか?利権がらみ?それとも単純にもうそうゆう手を使っていい時代ではなかった? 以上、長々とすみませんが、よろしくご鞭撻ください。

  • 植民地政策

    こんにちは。 欧米人は世界を植民地にしたため、統治政策のようなものがありかつ学問かしているのだろうとお思われます。日本で普通に生きているとそうしたものにあたりません。 アメリカの植民地みたいなこの国を考える上で統治政策について学ぶことが重要だと考えました。 欧米人の植民地支配の統治政策。どうやってアフリカや東南アジアや南米などを統治してきたのか少し専門的に知りたいです。よろしくお願いします

  • 満州と言う遠く離れたところを植民地にしたのでしょう

    なぜ大日本帝国は、満州と言う遠く離れたところを植民地にしたのでしょうか? もうちょっと日本からいきやすいところにしようとは思わなかったのですか?

  • ハワイはアメリカ合衆国の植民地ですか?

    日本国がかつて植民地にした地域は、Wikpediaによれば、下記の地域だそうです。 == 台湾(下関条約による割譲) 南樺太(ポーツマス条約による割譲) 関東州(ポーツマス条約による租借地承継。満鉄付属地を含む) 朝鮮(日韓併合条約による大韓帝国の併合) 南洋群島(国際連盟規約による委任統治) === 朝鮮以外は納得ですが、朝鮮に関しては、植民地と呼ぶのが妥当なのか、疑問です。 なぜならば、朝鮮は先方からの要請に基づいて併合(Annexation)したからです。 下記の歴史的事実に関して、質問します。 1.1898年 Annexation of Hawaii by United States 2.1910年 Annexation of Korea by Japan 質問1:1989年のアメリカ合衆国によるハワイの併合の結果、ハワイは合衆国の植民地となったのでしょうか? 質問2:1910年の大日本帝国による朝鮮の併合の結果、朝鮮は大日本帝国の植民地となったのでしょうか? 質問3:もし、質問1と質問2で相違があるとすれば、その相違は何ですか?

  • 戦前の満州および植民地時代の朝鮮に神社はありましたか?

    戦前の満州および植民地時代の朝鮮に神社はありましたか?

  • 英国やオランダの植民地経営の方針の変化について

    2014年8月12日の朝日新聞朝刊に、作家の保坂正康さんとタレントの春香クリスティーンさんとの対談が載っています。欧米と日本の植民地経営の方針の違いについて、保坂さんの発言としてこうあります。 「同じ帝国主義でも、植民地支配の仕方には違いもあったんです。英国やオランダは植民地支配の歴史が日本よりずっと長い。彼らも初めは『逆らったら殺す』と言わんばかりの姿勢だったけど、だんだん『それは良くない』と考えて、軍事主導の統治から文民統治の方向へと移っていった。そんな時代に日本は遅れて植民地競争に参加し、旧時代の強圧的手段で進めていきました」 日本の姿勢についてはここでは問わないこととして、欧米の植民地の経営の方針が、「逆らったら殺す」の方針から文民統治に変わった事例として、どのような事が挙げられるのでしょうか。 ご存じの方いらっしゃいましたら、是非教えてください。

  • 朝鮮が植民地であった事を世界に納得させられるか?

    世界中の人達は韓国や朝鮮に関する知識などありませんし、それ以前の問題として彼の地に対する興味も関心もありません。 ですから、世界中の人達は韓国に対しては無知だと言えます。 そんな世界の人達の前で、韓国人が必死の演技力と嘘泣きで『昔、朝鮮は日本によって植民地にさせられたのです。』などとアピールすると、昔、欧米の植民地だった国の人達は『欧米列強が我が国にしたような事を日本も朝鮮に対してしたのだろう。』と思い、昔、植民地を持っていた欧米の人達は『昔、自分達が植民地に対してしたような事を日本も朝鮮に対してしたのだろう。』と思ったりします。 しかし、そんな世界の人達が仕事や学業などを通じて韓国人と知り合い、韓国と韓国人に対する知識が増すにつれ、韓国人が言う"朝鮮は日本の植民地"って、『一体、朝鮮のどのへんが植民地なのか?』という風に変化してきます。 つまり韓国人が言う植民地と世界中の人達が考える植民地の定義に大きなギャップがあり、世界の人達からしてみれば、『朝鮮は全然、植民地ではない。』という事になってしまいます。 そこで、朝鮮は全然植民地ではないという認識を持ってしまった世界の人達に、改めて『朝鮮は日本の植民地だった。』と認識させる事は可能なのでしょうか? 事情通のみなさん、どうなんでしょうか?