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パーマー司法長官と赤狩り
第一次世界大戦後、パーマー司法長官の下、赤狩りが行われたということですが、このことについて当時の米国社会にはどのような事情があったのでしょうか?
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- DieMeute
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社会主義、労働運動の高揚と、革命及び共産主義への危機意識の高まりがありました。 1900年代に入ってから、アメリカでは社会主義をめざす活動が活発になってきます。1901年にはアメリカ社会党が結成されています。 また、労働運動も活発になってきました。アメリカには「アメリカ労働総同盟(AFL)」という労働者組織があったのですが、この組織は主に大工場の白人の熟練労働者を対象にしたもので、移民や黒人、小工場等は排除されていました。 排除された人達は当然これに不満を抱きます。その結果、社会党等の力添えで1905年に「世界労働者団体(IWW)」という、人種も性別も職種も問わない、誰もが入れる労働者組織を結成します。 この結果、当時は労働条件が酷かった事からIWW主導で多くのストが行われました。 また、第一次世界大戦が勃発すると、社会党やIWWでは、政府の方針に反して反戦運動を行う事もしています。 そして、1917年の11月革命によりソ連が誕生し、世界的に革新的運動が広がりを見せ、1919年3月に世界的共産組織コミンテルンが結成されると、アメリカ国内の社会主義運動や労働運動はますます高揚していきます。 そのような時、1919年6月に大きな事件が起きました。アメリカ政府高官ら宛てられた36の郵送爆弾が見つかり、パーマー司法長官の家では実際に爆弾が爆発したのです。 犯人の疑いは、現在のアメリカ政府及び社会に不満を持っている社会主義、共産主義者、IWWの労働者達に向けられました。 アメリカ政府は、今まで差別され下層社会においやられていた黒人や移民の労働者が、社会主義者や共産主義者と手をとり、反政府運動に乗り出し、革命を起こすのではないかという不安、恐れを抱きました。 特に、コミンテルンの会議がモスクワで開かれてから間もない事でもあり、一層、革命への疑いが強まりました。 「レッド・スケア(赤の恐怖)」と呼ばれる事になる、革命及び共産主義への恐怖です。 その結果、共産党員やIWWの人間が大量に逮捕される事になりました。それがパーマー司法長官の赤狩りです。