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ケネディ大統領について!!質問!!

さっそくですが質問です。 なぜケネディは外交的にいろいろやっていましたが、 当時国内で問題になっていた人種差別に力を注いでいたのでしょうか?? ケネディ自身は黒人ではないですよね?彼の生い立ちとか何か彼が 黒人人種差別に力を注ぐ理由があるのでしょうか? ん~どうも解りません。 何か知っている方ちょっとでもかまいませんのでお助けを!!

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みんなの回答

noname#37852
noname#37852
回答No.4

恥ずかしながらケネディさんが人種問題に力を注いでいたとは知りませんでした。 そうか公民権運動の頃なんですね・・・・ という無知ぶりですが、 >ケネディ自身は黒人ではないですよね? についてだけ。 アイルランド系カトリックで、これは米国の政治の中では・・・あるいは米国の白人の中では、マイノリティです(でした)。 白人にも何系かで違いがありまして、昔の小説なんか読むとイタリア人を白人だと思ってない白人もいたようです。 カポーティの短編だったと思いますが「だってあなたは私と同じ白人でしょ。あの人はイタリア人じゃありませんか」というセリフがありました。 従来(今もか)、アングロサクソン系でプロテスタントの人たちが主流でした。 だいたいイギリス系でプロテスタントの人だと思っていいんじゃないかと思ってますが、米大統領になるのはほとんどこの人たちです。 WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の男性。 だから次期大統領はヒラリーかオバマか(初の女性大統領か、それとも初の黒人大統領か)と注目もされるわけです。。。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa834029.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B9%E3%83%97

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.3

ケネディの心中については推測するしかないですが、基本的にケネディの思想がリベラル派だったというのはあると思います。もし彼がガチガチの保守派だったらあの年齢で大統領になることはなかったと思います。 当時は公民権運動が盛り上がっていました。他の方も書いておられますが(改行してほしいなぁ。読むのに苦労しました)、公民権運動は燎原の火の如くアメリカ全土に広がっていましたが、それは政治家にとって危険な問題でした。黒人の味方をすれば、大票田である保守的な白人層の支持を失います。一方、あからさまに白人寄りの立場に立てば「差別主義者」などといわれかねません。 ケネディもニクソンもこの問題にはお互い触れたがらなかったんですね。ただ、ケネディはキング牧師と繋がりがあり、キング牧師が逮捕されたときに保釈運動に関わりましたからかなり「リベラル」だったといえるでしょう。 ただ、やっぱり政治家ですから、何をやれば世間の支持を受けるかを計算した上で行動していたと思いますよ。当時は公民権運動は黒人だけではなく、リベラルな白人層も巻き込むようになりましたからね。 ケネディの思想については、大統領就任演説を読むとよくわかりますよ。なんというか、キング牧師の「私には夢がある」と並ぶ名演説です。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

ケネディが人種差別問題に力を注いだのは、父親がカトリックのアイルランド移民として、差別されてきたのを感じていたからだと思います。 ケネディ(父)が富を得たのは、禁酒法時代に酒の密売で得た資金をもって、世界恐慌直前に株を売り抜け、さらに暴落した有望株を買いあさったからです。有能だったのは間違いないですが、差別されていたせいでしょう、裏社会に近い儲け方ですね・・・。

  • yuuki824
  • ベストアンサー率28% (8/28)
回答No.1

早速ですが、 ケネディは、最も大きな問題であったのは人種差別に関する問題であったと思います。ケネディは大統領権限でできることとして、有能な黒人を積極的に連邦政府の幹部に任命し、その結果司法省では黒人の連邦検事は10人から70人に増え、また連邦判事もゼロから5人に増えたそうです。また、企業や労働組合に対しても黒人を積極的に雇うよう働きかけた。連邦政府の補助金を受けている病院や図書館での差別は大統領府令によって禁止し、連邦雇用局に対しては白人だけを雇う企業の求人を拒否するよう命じた。さらに、ケネディは黒人の選挙権に対する二つの南部の悪習を撤廃させるよう努力もしょたそうです。その一つとして、貧しい白人や多くの黒人を投票所から締め出していたポール・タックス(投票するために支払う税金)を廃止する法案を通過させ、この法案は合衆国憲法修正第24条。もう一つの悪習はリテラシー・テスト(黒人を選挙から締め出すことを目的としたテスト)であったが、これを廃止する法案は上院を通過できなかったみたいです。しかし、ケネディが政権についていた全期間を通じて政権スタッフに黒人をはじめとする少数民族を入れることがなかったことから、「自らには甘い」との批判を受けることも多い。連邦最高裁は、1954年に、公立学校の中での人種の分別を違憲とする判決を下した(ブラウン判決)。しかしながら、特に南部の州には、この決定に従わなかった多くの学校があった。1962年9月、ジェームズ・メレディスという黒人学生がミシシッピー州立大学に入学しようとして拒否させる事件が起きた。メレディスは一年前から州政府と法廷で争い、地方裁判所から連邦最高裁までことごとくメレディスが勝訴してきた。しかしミシシッピ州知事ロス・バーネットは裁判所の判決を拒否したため、連邦控訴院はバーネットに法廷侮辱罪で有罪を宣告し、連邦政府に対して裁判所の命令を実行するよう要請した。司法長官ロバート・ケネディはバーネット知事や大学当局に対し説得を開始し、大学側はメレディスの入学受け入れを決定した。しかしバーネットはあくまでも拒否の姿勢を貫き、州兵を動員して大学の周囲を固め、メレディスが大学へ入るのを妨害した。ケネディは州兵を連邦化する行政命令を出し、連邦保安官にメレディスを目立たぬように夜中に大学の寮内に連れ込ませた。しかしこれを知ったKKKメンバーをはじめとする人種差別主義者約2500人が暴動を起こした。ケネディはこの件に関する演説を行ったが、連邦保安官や連邦化した州兵では対処し切れなかったのでついに軍隊を動員してこれを鎮圧した(メレディス事件)。この事件後、黒人学生を認めなかったほかの南部諸州も黒人学生の受け入れをはじめたがアラバマ州のジョージ・ウォラス知事だけは違った。この頃アラバマ州でも黒人学生が州立大学を相手取って裁判を起こし黒人側が勝っていたが、まだ最高裁での最終判決は出ていなかった。1963年4月、マーティン・ルーサー・キング牧師に率いられたデモ隊がアラバマ州バーミンガムに集結し、デモを行った。バーミンガムの警察長官ブル・コナーは見せしめ的な対応で徹底的に弾圧したが、キングらのデモ隊はひるむことなく毎日デモを続けた。このデモはアメリカ中に人種差別問題に関する世論を喚起する重要な役割を果たした。ケネディは司法省幹部によるバーミンガム市の地域リーダーの説得を続け、大学側に黒人学生の入学を認めさせることに成功し、また地元のレストランやデパートの中には黒人を客として受け入れ、職場も開放し始めるところもでてきた。しかし1963年5月11日、バーミンガム市内の黒人の住居やホテルが人種差別主義者によって爆破される事件がおこり、これをきっかけとして暴動が起きた。ケネディはすぐさま連邦軍を派遣し事態の収拾に努めた。1ヵ月後の6月11日、二人の黒人学生ジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンが司法次官ニコラス・カッツェンバックにつきそわれてアラバマ州立大学の門前に到着した。司法長官ロバート・ケネディはウォラス知事に対して電話で妨害しないよう説得したが、ウォラスはこれを拒否し、州兵で大学の周囲を固めて自ら大学の門に立ちはだかった。ケネディは州兵を連邦軍に編入・指揮下に置くとともに大学周辺を関係者以外立ち入り禁止にし、バーミンガム郊外に連邦軍を集結させた。カッツェンバックが大統領布告を読み上げ、州兵の司令官が連邦政府の任務遂行を妨害するなら逮捕すると宣告し、ウォラスはようやく引き下がった。これにより全米50州の中で黒人学生を締め出す州はなくなった。ケネディはそれまでは議会との対立を避け公民権法案の提出を見合わせていたが、アラバマ州立大学に2人の黒人学生が入学した1963年6月11日夕方、ケネディは、公民権運動を助けるためにより強い処置を講ずる時期が来たと決断し、議会への新しい公民権法案を提案し、テレビで大統領執務室から直接国民に訴えかけた。『リンカーン大統領が奴隷を解放して以来100年間の猶予が過ぎた、彼らの相続人、彼らの孫は完全に自由ではない』と言った。アメリカは多くの国家および背景の人、そして人は皆平等に作られたという原理上によって設立されたことを訴え、ケネディはアメリカ人がみな彼らの皮膚の色にかかわらず、アメリカで幸福な生活を楽しむべきであることを明らかにした。この演説の中でケネディは人種差別を単なる憲法や法律上の問題ではなく、「道徳的危機」であると断じた。ケネディは議会に対する説得にも力を入れた。6月19日に法案を議会に送るとともに、法案に関する特別メッセージを送った。その中でケネディは「この法案は単に経済的効率のためでも外交的配慮のためでも、ましてや国内の平穏を保つためでもない。ただ何よりもそれが正しいことだからだ」と訴えた。この公民権法はケネディ政権下では成立しなかったが、人種差別廃絶に対し積極的な姿勢を持っていたジョンソン政権下で議会を通過し、1964年公民権法として成立することとなった。・・こんな感じです。少しでも参考になれば・・と。

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