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親しい者同士の喧嘩

43歳独身です。 恋愛経験もないし親しい友達もいません。 そのことを多少寂しいと思いますが、それも仕方がないという気持ちの方が勝っています。 というのは過去の経験から、「喧嘩をしたら終わり」ということが分かっているからです。しかし人間は人と付き合えば必ず傷つけ、また傷つけられます、私は人から傷つけられるのも、人を傷つけのも耐えられません。 しかし人間はどこにアキレス腱を持っているか分かりません。 思わぬ一言で相手を傷つけてしまうかもしれない、 そしてその逆も・・・ 絶対に相手を傷つけない自信も傷つかない自信もない以上、 人と付き合わないのは私にできる唯一の安全策です。 喧嘩というのは私にとって傷つけ合うこと、 言い換えればどちらかが相手を傷つけた結果が喧嘩だと思います。 私は傷つけてしまった事実にも、傷つけられた事実にも耐えられません。 こんなことを書くと「なんだお前は間違いを犯さない神か!」と言われそうですがその逆です。私ほど無神経で鈍感な人間はいないと思います。 だから喧嘩に至る人間関係を避けています。 ただ、喧嘩をしてまた元通りになれる関係というものがどういうものなのか?どういう心理状態なのかを知りたいと思い、質問いたしました。 要点を得ない質問になりましたが、喧嘩をして仲直りができるということはどういうことか、聞かせてくだされば幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fei429
  • ベストアンサー率38% (19/49)
回答No.3

――気持ち、少しわかります。私も疲れてしまったときに「マイナスの瞬間があるなら、それ以外にプラスな時間があるとしてもでも誰とも付き合いたくない!」と思いました。つまりはオールorナッシングの世界で人付き合いを考えてしまったのです。 質問文を読ませていただいて思ったのですが、loser_blueさんはとても真面目で責任感のある人のように思いました。人付き合いの上でもきっとこまやかな気遣いをするタイプでしょう。 それと同時に、一見、他人との付き合いを避け、自分の世界で生きているように見えますが、すごく他人に左右されてしまう人なのではないかと思いました。他人に否定されてしまったら、自分の存在さえ揺らいでしまうような…つまり依存です(気を悪くされたらごめんなさい) なんていうか…仲直り以前に「きちんとした喧嘩」ができていない状態だと私は感じました。 ――喧嘩というのは何かしらにお互いに言い分があって、それをぶつけ合うことですよね。そしてぶつけられたもので何かが変わったりします。なかなか変わらずに衝突し続けることもあります。loser_blueさんが恐れるように、感情的になって、言わなくていいようなことを言ったり言われたりで、結果として傷つくこともあるでしょう。 だけど大前提として、傷つけたくてするわけではないと思います。それは喧嘩じゃなくていじめとか嫌がらせですよね。 ――相手に理解されたいし、理解してくれると思うから、お互いに想いをぶつけあうのです。「マイナスをプラスに変えようとする行為」が喧嘩だと思います。 この人にはわかって欲しい、きっとわかってくれると、期待して信じて、相手の存在を認めているからこそ、喧嘩をするのではないでしょうか。だから、仲直りできるのです。 結果、傷ついてしまうことがあるにしても、傷つけることが目的ではないのですから。それに、人間は心の傷を癒せるし、癒してあげられる力もちゃんと持っていることも忘れないでください。えらそうにすみません(u_u,)゛

noname#37669
質問者

お礼

ご丁寧なお返事、ありがとうございます。 >「マイナスの瞬間があるなら、それ以外にプラスな時間があるとしてもでも誰とも付き合いたくない!」と思いました。 >つまりはオールorナッシングの世界で人付き合いを考えてしまったのです。 fei429さんは、そういう経験というか考え方を克服・・・ というのでしょうか・・・ 過去形で語っておられるのでしょうか? 私は正にfei429さんの言われている通りの人生を、 現在も歩みつづけています。 >他人に否定されてしまったら、自分の存在さえ揺らいでしまうような… これもまた仰る通りです(苦笑) 私には「あなたのこういうところが・・・」というのは 「あなたと言う人はだからダメなんだ!」 という風に聞こえてしまいます。 「きちんとした喧嘩が出来ない」 ということも、また、そうだなあと頷かされました・・・ 「仲が良い」関係と「喧嘩」という行為がどうしても私の頭の中でくっつかないのです。「仲の悪い夫婦」とか「仲の良くない親友」とかいう感じで、 どうしても、両立し得ないものなのです。 普通の人には理解しがたい感覚だと思います・・・ >えらそうにすみません(u_u,)゛ そんなことありません。 明晰なお答え感謝しています。

その他の回答 (3)

回答No.4

こんにちは。 私も自分と関わる人を傷つけたくないと思っていますが、どんな時も傷つけない自信なんて全くありません。逆に、全く傷付けられない自信もありません。 でも自分も、また自分と関わる人も皆、その両方の立場になることがあり、お互い様だと思って言いたいことは伝える努力をしています。 喧嘩は私も全くもって苦手ですし、単に人を傷付けることしか考えてないような思い遣りのない人とは、無理に付き合おうとは思いません。 でも本来、喧嘩とは相手との関係を終わらせる目的でするものではなく、相手に自分をわかって欲しい為に生じる結果の一つに過ぎないと私は思っています。 感情に流された醜い言い争いであれ、建設的だけどちょっと激しい意見交換であれ、問題の本質や、相手や自分がその心理に至った原因を主張したり見極めたりする一つの方法ではないかと。 その結果、残念ながら関係が終わることがあっても、最初から終わらせることが目的の喧嘩というのは、私自身は経験がありません。終わらせたい関係に、敢えて喧嘩をして相手を傷つけ、自分も傷つくリスクを負いたくないからです。 喧嘩になる前に予測して防ぐことができたなら、それが最良だと大抵の人は考えていると思いますが、それが完全にはできないことも承知で、喧嘩や仲違いは税金のように避けられなくても、お互い様と思って人と関わっているように思います。 質問者さんもおっしゃるように、人を傷つければ、自分も傷つきます。自分が傷つけられて相手を許すこともあるし、何より自分が許されることもあります。 私自身は、傷つけ合うことよりも、許し許されることを経験したくて人と関わっているのかもしれません。 喧嘩をして傷つけあって「元通りになる」ことはありません。傷の記憶は残りますし、お互い忘れてはいけないとも思っています。 でも相手を大切に思う気持ちがある限りは、一時的に喧嘩をして傷つけ合っても、余程ひどい傷つけ合いでなければ、関係が終わることは少ないように思います。 私の意見が参考になるかどうかわかりませんが、こういう考えもあるんだと思っていただけたら幸甚です。

noname#37669
質問者

お礼

ご丁寧なお返事ありがとうございます。 >でも本来、喧嘩とは相手との関係を終わらせる目的でするものではなく、>相手に自分をわかって欲しい為に生じる結果の一つに過ぎないと私は思っています。 仰る通りです。けれどもそのような手段としての喧嘩(口論?)が 私には関係の幕引きになってしまうのです。 「分かって欲しい相手」=「分かってない私」という方程式が私を苦しめます。 >でも相手を大切に思う気持ちがある限りは、一時的に喧嘩をして傷つけ合っても、余程ひどい傷つけ合いでなければ、関係が終わることは少ないように思います。 本当にその通りだと思います。 冷静で穏健なご意見参考になりました・・・ けれど・・・ 皆さんから寄せられたアドバイスのいちいちが頭ではよく理解できるだけに 苦しいです・・・

  • snakesoul
  • ベストアンサー率35% (36/101)
回答No.2

>喧嘩というのは私にとって傷つけ合うこと これが間違いです。 喧嘩というのは相手に行動の修正を求めるものなんです。 「私はあなたのその行動(発言)が受け入れられないから 直してください」というのが喧嘩の始まりです。それが 感情的になり過ぎると「間違っているオマエに罰を与えて やる!」と傷つける方向に向いてしまいます。しかし、 一方的に相手を罰しようとするのは非常に傲慢なことです。 喧嘩というのはお互いの言い分があって、ぶつかり合って それでヒートアップしていきます。そこでいかに解決策を 探していくかがポイントです。解決策は簡単に分けると3つ です。(1)どちらかの言い分がとおり、もう一方は折れる。 (2)お互いの意見をすり合わせて、両者それなりに妥協して 納得できるポイントを探す。(3)お互いに問題となっている 部分には関知しないようにする。 (3)は基本的には最終手段だと思います。 人が仲良くなっていくには喧嘩をするのがあたりまえです。 はじめからぴったり気が合う人などこの世にいるはずは ありませんから。 大切なことは、喧嘩になったときお互い感情的になって 傷つけあうことをしないように、話し合って問題解決を 目指す喧嘩をすることです。

noname#37669
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 質問のテーマである「喧嘩」ということ、 それがよくわからないのかもしれません。 というのも、本当の意味での・・・というのもへんですが、 「喧嘩」というものをしたことがありません。 そういう意味での「喧嘩をしたら終わり」ということだと思います。 >「私はあなたのその行動(発言)が受け入れられないから >直してください」というのが喧嘩の始まりです。 仰る通りだと思います。 けれども私の思考回路は、 「受け入れられない人間と何故付き合っているのか?」 という結論に辿り着くのです。 立場を換えれば、「私はあなたのこういう言動が受け入れられないから付き合えない」と、私はそうなってしまいます。 >喧嘩というのはお互いの言い分があって、ぶつかり合って ・・・私に言い分はありません。 「あなたのこういうところが嫌だ、駄目だ」と言われれば、 ただうつむくばかりです。私の人間的な未熟さ、鈍感さ、配慮の無さ、至らなさを指摘されても、それがわたしですから、言い分も、また文句もありません・・・ こういう言い方をすると「なんだか開き直ってるね・・・」「傲慢な居直り」と指摘されそうですが、もっと単純に、なにか否定的なことを言われると、心臓が縮み上がって、足がすくんで、身体がワナワナと震えるような感覚に陥ります。そして思うのは「ああ。やっぱり自分は至らない人間だ!」という自責、呵責です。 3つの解決策を挙げてくださいましたが、 百歩引いて私が「喧嘩」をしたとして、 私には2というのは考えられません。 1でなければ3ですね。 最後に相手になにか言われたとき私の心は自分自身にこう言います >「間違っているオマエに罰を与えてやる!」

  • kura-udo
  • ベストアンサー率8% (71/794)
回答No.1

けんかして終わりってのは納得しませんが お互い相手に気遣いばかりしてたら疲れるし 言いたい事言ってそれを笑って許せるのが友人じゃないでしょうかね? 私個人の意見ならゴマスリ人間よりはきつい事言ってくれる人のほうがありがたいと思います

noname#37669
質問者

お礼

真っ先のお返事ありがとうございます。 >私個人の意見ならゴマスリ人間よりはきつい事言ってくれる人のほうがありがたいと思います。 多分それが本来の友人関係だと私も思います。

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