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太平洋戦争中のエピソードの事で質問があります!詳しい方、お願いします!

最近、第2次世界大戦に詳しい人(40代男性)と、太平洋戦争について、色々お話をする機会がありました。 そのお話の中で、私が子供の頃に知った戦中のエピソードの中で、 実際には、「真実はこうだった」みたいなものがあり、 非常に興味を持ち、尚且つそれが本当なのかを知りたくて質問致します。 (1)ミッドゥエー海戦の有名なエピソード。空母「飛竜」から発進した友永隊長機は、機体が損傷し、燃料が半分しか入らなかったにもかかわらず、アメリカ空母「ヨークタウン」に攻撃をしかけ、被弾しながらも機体ごと「ヨークタウン」に突っ込み、壮絶な戦死を遂げた          ↓ (知人の話) 実際の記録には、その海戦で日本機が空母に突入した形跡はない (2)戦艦「大和」の沖縄における最後の戦いに際し、片道分の燃料しか搭載せず、海上特攻をしかけ戦闘の後、撃沈されてしまった。           ↓ (知人の話) 実際には往復分の燃料を搭載していた。事実上、特攻だったけれども、生還も考えての出撃でもあった。 (3)8月15日の敗戦時、日本の軍事力は完全に枯渇していて、軍艦も戦闘機もなかった。まさに刀折れ、矢尽きるの状態だった。           ↓ (知人の話) 航空兵力に限っていえば、終戦時の時点で3000機の兵力を温存していた。 とくに(3)に関しては、だったらなぜあんなに悲惨な特攻攻撃が繰り返されてきたのかと、かなり暗澹たる気分になってしまいました。 以上の3点のご回答をお待ちしております。 ちなみに私は30代前半ですが、私の戦中の知識は、子供の頃に数多くあった 戦記物の漫画がほとんどです。当時は流行っていまして、フィクションの部分があった知識であると思います。 私は戦争を真面目に考え、戦争は悲惨であると思っている者です。 決して、単純な興味本位の質問で無い事を付け加えさせて頂きます。

noname#2712
noname#2712
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  • gryps
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回答No.12

こんばんは、kunkun-2さん。私の知っている事と調べた範囲でお答えいたします。 (1) 米軍側の記録では、艦船に突入した機体はないようです。ただし、生存者のひとりである橋本中尉は「友永機と思われる機体が体当たりをするような体勢で突っ込んでいったが、体当たりしたかは確認できなかった」と後述されているようです。「突っ込もうとしたけど、途中で力尽きた」というのが真相でしょうか? 友永大尉の行動については、本人しかわかりませんが、ミッドウェイ敗北の原因の一つでもある「雷装から爆装、爆装から雷装」の遠因は友永大尉の意見具申(付近に艦船を発見できないため、ミッドウェイ島基地への陸上攻撃)にもあるともいえます。 「もし、自分が意見具申しなければ、こんなことにはならなかったかも」と考え、責任をとるために体当たりを決意した、とも考えれば、機体が損傷していて燃料が半分しか入らないにもかかわらず出撃した事が理解できます。 プロであるならば、機体が完調ではないのに出撃し、任務を果たせない事のほうを恐れると自分は考えます。 (2) 大和特攻については、書類上は片道分の燃料しかなかったが、タンクの底のポンプでは吸い出せない燃料(員数外燃料)まで浚ったという話があります。実際には、片道分以上の燃料はあったと思いますが、往復できるまでの燃料があったかは不明です。大和はもし仮に沖縄に到達できたら、米軍艦船撃滅後、地上に乗り上げ、海上砲台となる予定だったようです。 ただし、出航直前に若年兵を艦からおろしており、航空機の援護もほとんど行われず、豊後水道あたりで、米軍に発見された事を知っても、作戦を中断しなかった事を考えると、本音の部分では、生きて帰れない特攻であったことは誰もが理解していたはずです。 (3) 詳しい機数まではわかりませんが、相当数の機体が存在していました。ただし、稼動機(動く機体)と保有機(書類上存在している機体=動かない)は別物で、戦闘可能な機体と部隊は少なかったと思います。 kunkun-2さんのおっしゃるとおり、「それだけの数の機体があるのに何故?」というのはありますが、既述された方もおられるとおり、特攻=体当たりとは「敵機や敵艦に銃弾や爆弾・魚雷を命中させられないから行う」事にあります。理由は、パイロットの技量不足であったり、機体の性能であったりするわけです。 ですから、いくら機数があっても、パイロットの技量不足(育成する余裕も時間もない)、機体の性能不足(高高度のB29を撃墜できる性能を持った機種は少ない)、燃料・資材の不足(飛べない、整備・修理できない)といった原因により、「体当たり」という安易な手法に軍上層部が走ってしまったのです。これに、(体当たりを任務とされた)特攻第一号(本当は第一号ではないのですが、質問と関係ないので省きます)の関大尉たちの戦果も拍車をかけました。戦局が困難になるにつれ、特攻はエスカレートしていき、途中で爆弾を落として帰還できないよう爆弾を機体に溶接したり(特攻でなくとも、爆発する危険があるため、通常は着陸前に爆弾などは投棄されていました)、特攻専用機(桜花や剣など)が開発されたりもしました。無論すべての軍上層部がこの方法に賛成したわけではありません。大西大将や宇垣中将は戦中は特攻を表面上は支持しながらも(ほかに手段がないため)、敗戦前後には若人を死地に追いやってしまったと自決(大西大将は自殺、宇垣中将は特攻死)しています。 特攻は命じた方も、命ぜられた方も地獄の手段でした。 私の手元には、特攻隊員の方の遺書のコピーがあります。祖父のかつての戦友だったそうです。敗戦後、祖父が遺族の方に無理をいって譲っていただいたものだといいます。 ご家族に当てられたもので、「将来を誓い合った女性がいるが、自分はもうすぐ死ぬ。でも、その女性を本当の家族と思って遇してほしい」と綴られています。「これから特攻に行って、必ず敵艦を沈めて英雄になるんだ」という内容の文章は家族の悲しみを少しでも和らげるかのように明るい文体でした。 ですが、あえて明るく振舞ったその文章に悲痛なまでの苦悩が隠されていることはいうまでもないと思います。 最後に「死んだら(二階級特進して)、曹長です」という文章が軍国・日本という時代を物語っているように感じます。

noname#2712
質問者

お礼

grypsさん、こんなに詳しく回答して頂き、驚くと同時にとても感動しています。 (1)の質問に関しては、さすがにマイナーな質問だったようで、これはもう回答は無いだろうなと思っていた矢先にgrypsさんの回答を頂きました。なるほど、回答を見ますと、様々な事情が重なり合って、色々あったんですね。 長い回答文に見えて、これが素晴らしくまとめられていて、 私のような生半可な知識しか持っていない者でも、非常に理解しやすかったです。 私の知りたいと感じていた事は、心情面も含めてgrypsさんが的確に教えてくれました。 時々ですが、このような「きたー!」と思えるような回答がくると本当に嬉しいものですね。 grypsさん、回答ありがとうございました。 もしかしたら、またこのカテゴリーで質問する事があるかもしれませんので、 その時はよろしくお願い致します。

その他の回答 (11)

回答No.1

(3)に関して私が聞いた話では、飛行機は残っていたものの、それを飛ばすことのできる精製度の高い燃料がほとんどなかった。さらに、それを操縦して高度な戦闘を行う能力のあるパイロットがほとんどいなかった(戦死していた)。ということです。 第二次世界大戦は中盤から終盤にかけては情報をいかに収集して先手を打つかということが戦いの趨勢を決めており、その点において完全に負けていた日本はいくら優秀なパイロットが出撃しても先回りされて打ち落とされていたということです。 終戦間際に優秀なパイロットがいなかったことはまさしく特攻攻撃に現れています。私のおじも特攻出撃が昭和20年の八月末に予定されていたそうですが、その当時で20歳ちょい過ぎ、特攻機と同じ方の飛行機での飛行訓練は数時間しかしていなかったそうです。 はっきりした出典があるわけではないのですが、私の理解はそういうことです。

noname#2712
質問者

お礼

そうか、燃料とパイロットの問題がありましたね。 飛行機だけ数があっても、それを飛ばせる、しかも技量優秀なパイロットとなると、終戦時にはもうほとんどいなかったでしょう。。。 回答ありがとうございます。

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